第1章―8 騎士団と新生活
数日後、僕らはツクルトゥルスの少し西にある、ハリスという国境の宿舎へ移動した。
もともとオリオーヌ騎士団は隣国アウストラリスとの国境警備を主に行っている。険しい山脈の峠を挟んで西が、アウストラリスのムフリッドだ。
我がジョイア皇国と、アウストラリス王国は今でこそ外交によって互いに平和を保っているけれど、もともとこの西の国は好戦的な民族で形成されていて、よくジョイアは攻め込まれていた。
その際、この砦は何度も攻め込まれてはいたけれど、未だ、この国境からの侵入は許していなかった。
ひとえに、この険しい山脈が原因ではあるが。大勢の部隊を送るにはあまりに不向きなのだ。それよりは南の湖を超え、上陸を目指した方が遥かにやりやすいはずだった。
実際に過去の戦では主に湖からの侵入を許し、皇都シープシャンクスが攻められたこともあったらしい。その際、例の天然の城壁のおかげで、都が陥落することは無かったのだけれど。
「ここがお前たちの部屋だ。シリウス、スピカ」
レグルスは約束通りに僕を見習いとして扱い出したようだ。
叔母の屋敷では相変わらずの態度だったので、いきなり変われるのだろうかと思っていたが、見かけに寄らず器用な男だ。
部屋は寝床がようやく三つ並ぶくらいの狭い石造りの部屋で、明かり採りの窓が一つ小さく空いていた。
石造りだけあって、昼間でもひんやりと空気がつめたい。
「一応、間に衝立を置いておくから、使いなさい」
一応と言いつつ、ほとんど強制的にそれは備え付けられていて、僕は可笑しくなった。釘まで打っているというのにどうやって外せというのだろう。
やはりどうやっても心配でたまらないらしい。
レグルスはちらりと僕の方を見ると、顔を僕の耳に近づけ、僕がやっと聞き取れるくらいの小声で言った。
「言い忘れましたが、妃にはしないが一夜限り、なんていうのはもってのほかですから」
……しつこい。
僕はため息をつくと、レグルスを見上げて言った。
「だから、無理だって」
「――言葉遣いに気をつけろ。俺はお前の上司だ」
うわ。僕は目を見開いて、文句の言葉をぐっと飲み込む。
「……分かりました。気をつけます」
レグルスは黙って頷くと、僕に背を向けて自分の部屋の方へと歩いていった。
僕はため息をつく。慣れないのは僕の方か。……なかなか大変そうだ。
「何の話だった?」
隣に居たスピカが僕に向き直ると言った。
言える訳が無いよ。
「なんでもない」
僕は少し微笑むとそう呟いた。
スピカはアルフォンスス家で過ごした数日でかなり窶れてしまっていた。
やはり、枕なしの生活に戻れないのだ。寝不足が続き、顔色も悪かった。
夜眠れないので、昼間に僕の手を握りながら少しの昼寝をするという生活が続いていた。
僕は心配していた。屋敷では部屋が分かれていたからさすがに部屋を移動してまで抱きついては来なかったが、今度はこの薄い衝立一つ。
乗り越えて来られたらと思うと……。背筋がゾクゾクとした。
「ねえ、シリウス。この衝立、下、隙間が空いてる」
見ると衝立の下部は頭半分くらいの隙間があった。
スピカは少しそこを見ながら考え事をしていたが、ふと手をぽんと打った。そして僕をじっと見つめる。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「いやだ」
なんとなく言われる事を予想できて、僕は先に断りを入れる。
「まだ、何も言ってないでしょう! 枕はあきらめるから、寝るときにこの隙間から手を握ってくれない? そうしたら私、多分眠れる」
やっぱり……。
「駄目だよ」
昼間と夜は同じ手を握るでも違うんだよ……しかも二人きりの時は。
「もしだめだったら、そっちの布団で寝ることになるわ、多分」
僕はぎょっとしてスピカを見た。彼女は困ったような顔をして僕をじっと見つめる。
「だって無意識なんだもの。仕方ないじゃない。手の方がマシでしょう」
まるで脅迫だ……。
でも、僕も自分の力の制御のためにスピカを利用する必要があった。
結局僕には選択肢は残されていなかった。
その日の午後、僕たちは新人として騎士団のメンバーに紹介された。
騎士団はおよそ百名ほどで構成されている。
雑然と並んだ彼らの前に、僕とスピカが並ぶと、辺りがどよめいた。
「今日から入隊するシリウスと、スピカだ。シリウスは15歳、スピカは13歳。見習い扱いだ。よろしく頼むな」
スピカの体格は、15歳の男にしては華奢すぎたので、レグルスと相談して年齢を偽ることにしていた。
レグルスが簡単に紹介すると、辺りから野次が飛ぶ。
「可愛いじゃないか。本当に男か?」
隣でスピカがぎくりとするのが分かった。
レグルスは平然と僕らを促した。
「さあ、二人とも挨拶しろ」
僕が簡単に挨拶をすると、目の前の集団があからさまにがっかりするのが分かった。
「外見とあってねえ……その声」
どうやら僕の方がより女性に見られていたらしい……。
どさくさにまぎれてスピカが挨拶をするが、どよめきに隠されて、その声はかき消されていた。
スピカはやや不満そうに、僕を睨んでいる。
彼女は起きている時は本当に勝気な顔をしているので、あまり表情の無い僕とならぶと、男の子に見えやすいようだった。
先日鏡で見た顔を思い出す。黒い艶のある髪、漆黒の瞳、少しだけつり上がった切れ長の猫のような瞳、通った鼻筋、赤い唇。特に眼は自分で見ていてもくらくらしそうな魅惑的な光を携えていた。
自分で言うのもなんだが、スピカより女の子に見えた。
レグルスが安心しているのも、そのせいなのだろう。正真正銘男の僕が女の子に見えるようだったら、カモフラージュになる。それも計算のうちのようだった。
レグルスは団員を黙らせるとぎろりと睨みを効かせながら宣言する。その目はしっかりと娘の父親の目をしていた。
「あー、分かってると思うが、こいつらに変ないたずらするなよ。そう言う趣味のヤツが居たらここを追い出すからな」
数人があきらかにぎくりと体を固めている。
……髪を切ってもこの有様か……。
「じゃあ、新人としてしごいてやってくれ。そっちの方はいつも通り遠慮なくな」
新人の仕事は山ほどあった。
掃除、洗濯、料理、武具の手入れ。
僕は当然だがそのほとんどのことをしたことが無かった。スピカが隣でやるのを必死で真似して、なんとかごまかしつつ仕事を覚えていった。
料理については、スピカは見かけに寄らず、かなりの腕前だった。魚をさばく手つきも鮮やかに、どんどんと大量の料理を作っていく。僕はこればかりは、とても真似できず、ひたすら下ごしらえや片付けに回っていた。
それに加えて日々の稽古。剣はやってきたが、弓は初めてだったので、慣れるのに時間がかかりそうだった。それでも砦という場所柄、弓は必須なのだ。
レグルスに剣を教わるのと同時に、騎士団一の弓の名手と言われるトリマンが、僕たちの弓を教えてくれることになっていた。
ひょろりと背が高く、そして少々というかかなり……髪の毛が薄かった。まだ若いのに……。
しかし愛嬌のある人物で、僕はすぐに打ち解けた。
自分の背の丈よりも長い弓を宛てがわれ、左右に引こうとしたが、弓はびくともしない。
トリマンは笑って引き方を教えてくれる。
「腕で引こうとするからだめなんだ。勘違いするヤツが多いんだが、腕で引くんじゃない。背中の筋肉を使え」
弓を持ち上げ、背中をわけるように腕を開く。そうするとずいぶんと楽に弓がしなった。
「へえ」
「弓を持つ方の手をきれいに整えないと、中らないからな。練習しとけよ。あと軸。ぶれたら狙いもぶれるぞ。弓を構えてるときにぐらつかないように、足を鍛えとけ」
しばらくは基礎をやると、的には向かうことが出来なかったが、僕は、この練習が、剣よりもずっと楽しいと思えた。
夜になると僕もスピカもくたくたで、床に倒れ込むように横になっていた。
例の隙間からスピカに手を握られても、僕は何も考えることが出来ずに眠りに落ちた。――おそらくは心を読まれる暇もなく。
手をつないでいるお陰か、僕の力が暴走することも無く、ある意味とても平和に毎日が過ぎていった。