番外編 隠された瞳―1
第2部、スピカ視点での番外編です。以前投稿していたものを大幅に改稿しました。
スピカがどうしても語りたかった数日の記録+α。(削った部分が多いですが、丸ごと加筆した部分もあります)
『……――君が好きだ。言葉では伝えられないくらいに』
「熱烈ねえ……」
呆れたような声が、突如頭の上から振ってきた。彼がすぐ目の前に居て、耳元で囁いてるような気さえしていたあたしは、急にあたたかく柔らかい夢から現実に引き戻される。
ぎょっとして振り向くと、シュルマが顔を赤くして後ろから覗き込んでいた。
「――み、見ないでよ――!!」
あたしは慌てて便箋を閉じ、胸に抱え込んだ。
「だって、いくら話しかけても返事が無いんだもの」
ペロリと舌を出すと、シュルマは微笑む。そこにまったく反省の色はない。
「顔がとろけてるわよ」
「うそっ!」
言われて慌てて頬を押さえると、シュルマが堪えきれないというように吹き出す。
「これは、もう許してあげるしか無いわよねぇ……スピカ」
言われなくても、そうだった。許す以前に……もう怒りと悲しみで胸の中に出来た氷は、不器用な言葉の熱で溶けてなくなってしまっていた。
嫉妬だったんだ。自分の身を焼くくらいの。
その事に気がついてしまったから。
『他の誰にも渡したくない』
そう綴っている時、彼が泣きそうな顔で、必死にいろんな想いを押さえつけているのが分かった。
あの記憶は、シリウス自身をずっと痛めつけていた、そういうものだった。苦しんで苦しんで。消したいけれど消せなかった。だから心に焼き付いてしまった、そんな痛々しい想い。
彼は、あたし以上に苦しんでいた。
それが分かった以上、あたしは彼の元に戻らずにはいられないと思った。
彼に犯人を教えれば、きっと裏付けをしてあたしを解放してくれるだろう。賢いシリウスなら、きっとあっと言う間だ。
「でも」
そう言って口をつぐむ。
帝からの手紙が、今にでもシリウスの元に駆けつけそうなあたしを引き止めていた。
『シリウスのために、この国のために』
そう言われてしまうと……とても無視する事は出来ない。無視――まず、この願いは帝からのものなのだ。断るという事自体、本当は有り得ない。
「いいんじゃない? 皇子を少し待たせても」
「シュルマ?」
シュルマが覗いたのはシリウスの手紙だけだった。それなのに、なぜか彼女はいろんなことを心得ているようだった。
「セフォネにね、事情を聞いて、そして頼まれたの。あなたのこと。――全部、この国の将来のためだからって。びっくりするくらい丁寧にね。別人かと思ったわ」
セフォネが?
そう言えば、手紙にも書いてあったけれど……わざと辛く当たるんだったら、どれだけ気分が悪いかしら。でも、それにしては迫真の演技だったような……
思い浮かべるあたしに、シュルマがにやりと笑う。
「それに……皇子ももう少し大人にならないとねぇ。うん、そうね、せめてスピカの様子を伺えるくらいの余裕は欲しいわ」
「?」
きょとんとするあたしの前で、シュルマは「うぅん」と唸る。
「スピカが泣いてるのに気がつかなかったなんて信じられないし。それだけ必死なのかもしれないけれど、いくら何でもねえ。上手い下手以前の問題な気が……」
上手い、下手……って? ……え!?
シュルマが何の事を言おうとしているのかようやく感づいて、思わずギョッとする。
「それで、殿下ってどうなの、実際は」
「……そ、そのはなしはやめて!!」
あの打ち明け話からそこまで想像されるとは思いもしなかった。あたしは真っ赤になって、シュルマのおしゃべりな口に蓋をする。
不満げに口をモゴモゴさせているシュルマをあたしは睨むと、彼女が口を閉ざすのを待って手を離す。
そうだった、シュルマってそういう話好きなんだった……。昔、彼女に色々教えてもらった事を思い出し、下手したら色々詮索されそうな気もしてきて、ひどく慌てた。
実は、ツクルトゥルスにいる間も、ヴェガ様にしつこいほど追求されたのだった。彼女の場合はなんだかいろいろ心配してたみたいだったけど。
「いいじゃない。少しくらい教えてくれたって。みんな実は興味津々なのよ。侍女仲間がこっそり聞いてくれってうるさいの。だって殿下の事、あなたしか知らないんだから」
「言わないから! 絶対に!」
あたしはそう叫ぶ。ああ、もう……まったく、どうして皆。
頭を抱えるあたしの前で、シュルマは残念そうに口を尖らせる。
「大体、今はそれどころじゃないでしょ!」
あたしはごまかそうとして、急に現実に立ち返る。
――そうよ。あたしは今殺人の容疑者なんだから。悠長にこんな話をしている場合ではない。
「まあねえ。確かに結構深刻よね。私はあなたじゃないって知ってるけれど、状況が状況だし、あんな風に周りが口を揃えてあなたのアリバイがないと言えばね……ちょっと難しいかも」
味方が少ないという現実が、今更重く感じられた。その上、今は父さんやヴェガ様とも接触できない。ただシリウスを信じて待つしかないのかもしれなかった。
「皇子がどれだけ頑張ってくれるかなんでしょうけど。こればっかりは、なかなか苦労しそうよね。犯人と、それからあの状況をちゃんと説明しないといけないわけだし」
あたしは考え込む。
犯人は知っている。でも、あたしの言う事って、あたしの力を証明できなければ誰も信じてくれないんだわ。
一瞬シュルマに打ち明けようかとも思った。けれど、シリウスや父さんたちの言葉があたしを止める。力の事は、まだ言うわけにはいかない。
となると、あたしも彼女がどうやってあたしを犯人に仕立てたのか、それを知らなければならなかった。そして、彼女がやったという証拠を見つけなければならなかった。
――じゃあ、どうやって?
それを知るためには、犯人本人に接触するか、それか現場を探るか……凶器を手にするか。
そのくらいしか方法を考えつかない。
どれも今の軟禁状態ではとても実行できそうになかった。まさか逃げるわけにもいかないし。
その上たとえ出来たとしても、あたしがそれをする事を帝は望んでいない。シリウスにやらせなければいけないと言うのだ。
こんな風に何も出来ないのって余計に辛い。
今まで、彼のために一生懸命になるのって当たり前だったんだから。ただ、じっと彼があたしを救ってくれるのを待つなんて。あまりに性に合わなかった。
「今回は、あなたは何もせずに見守る事が仕事なのよ」
シュルマがうずうずしているあたしを見て少し笑う。
「そういうのって辛いわ」
「だからこそ、陛下はやらせようとしておられるのでしょうね、今後のためにも。あなたのことだから、皇子のためにいつも無茶をしているのでしょう? たまには守られてあげたら? そうすることで皇子も自信をお持ちになるでしょうし」
そんなもの? ――もう守られる側になるのは、やめようってそう思ったのにな。守られてると弱くなる気がする。
シリウスがあたしをルティから奪い返しにきてくれたとき、どれだけ嬉しかったか。でもそれに慣れちゃうのって危険だ。あたしは、彼の役に立ちたくて、ここにいるんだから。
「あたし、皇子の役に立ちたいだけなの。だから、本当は、こんな風に足を引っ張るのは嫌なの」
そう言うと、シュルマは大きくため息をつく。呆れた様子だった。
「あなたがいるだけで強くなれるのなら、それだけで十分役に立ってるんじゃないの? 今回だけは、駄目よ。勅命よ。諦めて大人しくしておきなさいよ」
シュルマはそう言いつつ部屋の端に移動すると、燭台に再び火を灯す。
部屋が柔らかなオレンジ色に染まると同時に、あたしは深くため息をつく。さっきシリウスを追い払おうと、火を消した時の気持ちを思い出す。あの氷のように凝り固まった心が、嘘のように柔らかくなっていた。
「じゃあ、あたしは、これからどうすればいいの?」
「あのね、それについては、実はもう決まってるの」
シュルマはあたしに近づくと、にっこりと笑ってそっと耳打ちをした。