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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第12章 明かされる陰謀―1

 事件は解決したはずだった。なのに何だろう、この後味の悪さは。

 ――スピカを……迎えに行かなければ。

 とにかく、近衛隊に寄って、説明をして、スピカを解放してもらわねばならなかった。

 そうだ、もうあまり時間はない。

 僕には大事な仕事が残っていた。

 明日までに……スピカの心を取り戻すという大仕事が。


 僕はミルザをとりあえず叔母に任せることにして、侍女にそれを頼むと、一人部屋を出た。

 窓の外を見ると西の空に厚い雲と稲光が見えた。湿気を含んだむっとする空気が本宮の出入口から流れ込んでくる。また雨になるのかもしれない。

 外宮への渡り廊下へと足を進めたところで、慌てた様子の近衛兵とはち合わせた。

「皇子、大変です」

「どうした?」

「イェッドが、すぐに皇子をお呼びしろと。とにかく、こちらへ」

 そう言うなり駆け出した兵のあとに続き、僕は渡り廊下を走る。

 ひどい胸騒ぎがした。

「どうしたって言うんだ」

 息を切らせて近衛隊の詰め所にたどり着くと、イェッドが二人の人物に説明を聞いていた。

 彼は僕を見ると、こちらを向いて頭を下げる。同様に二人も頭を深く下げた。

「――ああ、皇子。わざわざ申し訳ありません。ちょっとお知らせしておいた方が良いと思いまして。…………この方達、ご存知です?」

「え?」

 見覚えがある二人だった。僕は記憶を探る。

 確か――

「エリダヌスの両親か。南部ガレの」

「そうなのですけどね。……このお二人、先ほど宮に到着されたのですが、……遺体に見覚えが無いと言われるのですよ」

 僕は何を言われているのか一瞬分からなくなる。

「どういうことだ?」

「あれは、エリダヌス嬢ではないということです」

 ――なんだって!?

「じゃあ、誰なんだ」

「今、アレクシアを呼んでいるところです。……彼女が妃候補については一番詳しいはずですので」

 そういえば――『外宮を管理する者』。そう言われていた気がする。

 僕はイライラしながらアレクシアの到着を待った。

 そして、やがて到着した彼女の顔色は青いと言うよりは紫色だった。

 歳は父と同じくらいか……灰色の瞳に乾いた感じの銀髪をしている。

 ――あれ?

 僕は彼女の顔にどこか見覚えがあった。

 もしかして――

「あなたがアレクシア? ひょっとして……」

「――シェリアの母でございます」

 ――そういうことか。

 僕がちらりとイェッドを見ると彼はふんと鼻を鳴らす。

 彼が宿題にこだわる理由がやっと分かった気がした。事は僕が思っているほど簡単ではないらしい。

「エリダヌスの事、聞いたんだけど。……どういう事か説明してくれるか?」

「……」

 アレクシアはその青白い額に脂汗を浮かべていた。

 僕は沈黙に苛ついたが、とりあえず黙ってその灰色の瞳をじっと見つめ続けた。

 彼女はひたすら僕の視線を避けていたが、やがて観念したかのように、口を開く。

「……このことは、すべて私だけの責任で……主人やシェリア、親族はまったく知らない事でございます。それだけはご理解いただきたく……」

「分かってる。前置きはいいから。その辺りは後ほどきちんと調査を入れる」

 僕がそう言うと、彼女は少しだけ息をついた。

「こんなことになるとは思わずに……ちょっとした出来心で。本物のエリダヌス様は、……生きていらっしゃいます。……私の館で預からせて頂いていて……」

「すぐに確認してくれ」

 僕は側にいた兵にそう告げる。バタバタと何人かの兵が部屋を出て行く。エリダヌスの両親も共に部屋を去った。

「どうしてそんなことを?」

「……」

 アレクシアが黙り込むと、イェッドが口を挟む。

「このごろ彼女の周辺ではひどく金回りが良いとか。噂で聞きました」

「……」

 ――賄賂か

 確かに、そう言われてみれば妙に高級そうな衣を身につけていた。

 思い返すと、シェリアもそうだ。南部に比べると、冬閉ざされてしまう北部の貴族はそこまで裕福ではない。母の実家アルフォンススだってそうだった。それなのに、彼女はエリダヌスと同じくらい高級な服や宝石を身に着けていた。

「シェリアが皇子に嫁ぐとなると……どうしてもお金が必要で。その上、ガレを出し抜けるとなると……この話は余りに魅力的でした」

「……」

 呆れて言葉が見つからず、僕はため息をつく。

「それで、殺されたのは一体誰なんだ」

「分かりません。ただ……秘密裏にアウストラリスの貴族から大金を積まれて頼まれて……」

「なんだって!?」

 僕は仰天する。

 どうして、そこでアウストラリスが出てくるんだ!?

「どんな手段でもよいから……皇子の目を、あの娘から逸らすようにと。シェリアで無理ならば、この娘を使えと」

 僕の頭に一つの考えが稲妻のように浮かぶ。

「……まさか……その貴族って」

 僕にはもう答えは分かっていた。それでも聞かずにいられなかった。

 やがてアレクシアはひっそりと呟いた。

「――――シトゥラ家、です」

 僕はアレクシアがそう言い終わる前に立ち上がっていた。そして、部屋を飛び出すと牢へ向かって必死で走った。

 ――まさか

 もし、もしも、ただそれだけのために。宮と比べて警備の手薄な牢に入れるためだけに。彼女に一瞬の疑いをかけるためだけに仕組まれた事だとしたら――!

 欲しいもののために手段を選ばないあのシトゥラならば――あり得る話だった。

 ルティに想いを寄せるミネラウバが――彼女が再びその一端を担ったとすれば――

『私はもっと早くこうなるべきだったのですわ』

 彼女の言葉が耳の中をこだました。


 ――頼む。間に合ってくれ!!

 僕は絞り出すように叫んでいた。


「――――スピカ!」



 牢へと向かう道の途中で大粒の雨が降り出した。一気に髪と衣が雨を吸い、体が重くなる。ぬかるんだ地面が僕の足を捕え、体力を消耗させた。

 稲光が短い間隔で森の木々を照らす。雷の轟音は少しずつこちらへと近づいているようだった。息があがり、喉の奥が干上がる。呼吸が喉に張り付く。動悸で胸が壊れそうに痛かった。

 牢の前の篝火が雨のせいで消えかかっていて、木々の影でひどくそこは暗かった。ふと目を凝らすと、門番が一人もいない。

 嫌な予感がして、僕は牢へと駆け寄った。入り口に立つけれど、内部に人の気配がまるでしない。昨日来たときはすぐに係が出て来たと言うのに。

 僕は一人スピカの牢へと急いだ。

 夕刻だと言うのに、燭台の火は灯されず、誰ともすれ違わない。何かが起こった――それだけははっきりしてきた。

 どうしようもない不安を必死で堪えながらようやくたどり着いた牢は、鍵がこじ開けられて既に誰もいなかった。牢の中には、薄黄色のドレスが一着残っているだけ。

 僕の頭の中に、成人の儀の翌日のことが一瞬にして蘇る。そして次々と心を抉るような絵が瞼の裏に浮かんだ。

 ――――まただ

 僕は思わず牢の中で膝をつく。

 走りすぎたせいで膝が笑っていた。その上この事態だ。――耐えられなかった。

 呻きながら、石の床を拳で何度も殴る。鈍い音が響く。骨が折れてもいいと思った。

 ふと手首を掴まれ、体を引っ張り上げられる。見るとミアーがそこには居た。

「何をされていらっしゃるのです!! きっと来られると思って、お待ちしていました!」

「ミアー……どうして君」

「説明は道すがらしますので、急いで下さい!!」

 僕が立ち上がると、ミアーがハンカチを取り出して僕の右手に手早く巻いた。じわりとそれに血のシミが広がる。

「弓をお引きになると聞きました」

 そう言うと彼女は途中の倉庫から弓矢を一式取り出した。

 僕は矢を背負うと、弓掛けをすばやく右手につける。今つけたばかりの傷がひどく痛んだが、なんとか引けそうだった。

「先ほど襲撃がありました。申し訳ありません。外部からの侵入者には気をつけていたのですが、内部には油断していました。まさか……あの人があそこまでやるとは」

「誰?」

「ご存知でしょう? グラフィアスですよ」

「グラフィアス!?」

 どういう事だ。そこまでして、スピカを手に入れたかったと言うのか!?

 あいつは単独だとそう思っていたが――もしかしたら――

 僕は彼の言った事を一つ一つ頭の中で反芻させる。

 ――そうか

 あの言動の微かな不自然さ。それは、そう言う事なのか。

 僕は唇を噛み締める。

 まんまと騙された。彼が本当に欲しかったのはスピカではなく――

 ミアーは僕の様子に気づく事なく、説明を続ける。

「隠れていた数人で、スピカ様の後を追っています。あと宮にも応援を送るよう連絡を」

 ミアーは厩に入り、馬を連れ出すと、僕に一頭あてがった。そして、自分も馬にまたがる。泥が跳ね、やる気をなくす馬をたしなめながら一気に山道を下ると、雨に濡れた城下町が見えた。ひどい雨のせいで人通りはほとんどない。

 ミアーは道が分かれる度に仲間がつけたという印を器用に見つけ、僕を導いた。

 城下町を南に抜け、広い草原に出たところで、僕は離れた場所に人影を見つけた。土砂降りで視界がひどく悪いため、顔までは見えない。

 長身の男が三人、馬にまたがっている。そして一頭の馬の上に布で包まれた人のようなものが見えた。

 ちょうど合流したところのようだった。

 その向かい側には比べて小柄な人影が二つ。グラフィアスを追って行った者のようだ。尾行を暴かれたのかもしれない。こう着状態だった。

 僕は馬から降りると弓を構え、静かに機を計った。

 やがて、三人の男は僕に気がついたようだった。

 僕の髪の色のせいだろう。

 逃げる事なく、馬をこちらに向けると、ゆっくりと近づいてくる。

 万が一外したらスピカに当らないとは限らない。慎重に弓を持つ手の内を作り直す。そして心を落ち着けようと大きく息を吐いた。


 次第に近づく男たちの顔が、稲光に照らされて明らかになる。

 右側にグラフィアス。左側は護衛だろうか――アウストラリス人と思われる知らない男。そして――中央には、不敵な微笑みをたたえた赤い髪の男。

「久しぶりだな……シリウス」

「――今度会う時には使者を出すって言ってたのは、嘘だったのかな……ルティ」

 スピカはグラフィアスの馬に乗せられているようだった。ぐったりと馬の背に乗っている。気を失っているのかもしれない。

「数日後に結婚式の招待状をジョイアに送ろうかとは思っていたけれど」

「僕は送ったはずだけどな、明日の招待状を、アウストラリスの王子に。……届かなかったのか?」

 狙いをルティの胸にしっかりあてたまま、僕は彼を睨み続ける。

 それでも彼は僕に近づくのを止めなかった。

 相手は三人。こちらは……尾行していた牢番を含めても四人。数では勝っていたけれど……腕としては、ルティには遠く及ばない。

「招待状、確かに受け取った。……だから、こうして来たんだろう?」

 ルティはその唇に勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「その矢で俺をるか? 一人の女のために国を巻き込むのか?」

 確かにこの矢がルティに当れば……戦になるだろう。

 しかし、ここでスピカを連れ去られれば、……僕は戦を仕掛けずにはいられないかもしれない。

 じりじりと僕たちの距離が詰まる。

 僕は葛藤していた。

 スピカと国民と。比べる事なんか、最初から間違ってる。欲張りと言われようと、どちらも手放せない。――どうすればいいんだ!!

 狙いを付ける左手が次第に痺れてくる。少しぶれただけで大変なことになることは分かっていた。でも、――もう集中力が持たない。


 その時、ガサッと草を掻き分かる軽い音がしたかと思うと、右手を思い切り掴まれた。

「な!?」

 僕は後ろを振り向き……自分の目を疑う。

 その〈少年〉は深く帽子を被っていて口から下しか見えなかった。けれど、その唇の形にはあまりにも見覚えがありすぎた。

「だめよ」

 鈴のような声が耳に届く。

 ――僕は、幻を見てるのだろうか――

「うわぁ!!」

 声が背中から響き、慌ててそちらに目を向けると、馬上に居た人影が、グラフィアスに向かってナイフを突きつけていた。

 ――あれは!

「……シュルマ!!」

 〈少年〉が叫ぶ。布の中から現れたその人影は、金色の鬘を被ったスピカの侍女だった。

「ええ!?」

 僕は訳が分からずに呆然とする。それはルティたちも同じだった。

「ほら! シリウス!! あの馬を狙って!!」

 僕は促され、訳も分からないまま矢をつがえた。そしてルティの乗った馬を狙い、矢を放つ。

 馬の足元に矢が刺さり、驚いた馬がルティを振り落とそうと暴れ出す。

 僕は続けてもう一頭の馬の足元にも矢を打ち込んだ。

 ルティは必死で馬を御すると、すぐに状況を不利と判断したらしい。

「――お前にはがっかりした。惚れた女も見分けられないとは……こんなことならやはり任せるんじゃなかった」

 ナイフを突きつけられたままのグラフィアスを冷たい視線で一瞥する。

 グラフィアスはルティに向かって「牢に入れる前には、確かに彼女だったのです」とわめいていたが、やがてシュルマに促され、大人しく馬を降りた。

 ルティは、僕の側にいる少年にちらりと視線を向けた後、僕をその茶色の鋭い目で睨みつけた。

「このままで終わると思うな! スピカは……遅かれ早かれ必ず俺の所アウストラリスに戻って来る。その血シトゥラの意志でな!」

 そして手綱を引くと、馬の頭を西に向け、グラフィアスを置いたまま一気に馬を走らせた。



 後ろで馬のいななきが聞こえた。

 振り向くと、近衛隊が十人ほどこちらに駆けて来ている。先頭には、レグルスがいた。

 ――やけに大人しく引き下がったと思ったら……道理で

 それにしても大胆な事をやってくれる。

 僕がここまでやられても黙ってると思ってるのだろうか。それとも――それ相応の覚悟と、その準備があると言う事なのか。

 さすがにそろそろ決着を付けなければいけない……そう思った。


 僕はルティの姿が見えなくなると、弓を下ろし、大きく息をついた。

 レグルスたちがグラフィアスを拘束すると、囚人服を着たままのシュルマが駆け寄ってきて、少年兵に抱きつく。

「なんで追って来られたのです! 相変わらず無鉄砲なんだから! あぁ、もう! あなたを守るために皆必死なのに……宮で大人しくしてなさいよ!」

「だって……身代わりなんて、こんな事になるなんて思わなかったからお願いしたの! あいつが関わってるなんて分かってたら、いくら帝の命令でも絶対代わらなかったのに!」

「私ならすぐに逃げられるの! 知ってるでしょ、私の腕前!」

 加熱する二人の喧嘩を聞きながら、後ろのミアーに確認する。

「スピカが攫われたと思ってたんだけど……」

「まあ、同じようなものでしたでしょう? せっかく近衛隊の中でお守りしていたのに、シュルマが危ないとお知りになると、じっとしていられなかった様で。あのように追って行かれては全部台無しです」

 あっさりと言われて、もうそのまま地面に倒れそうだったけれど、それを堪え――少年の前に立つ。〈彼〉ははっと僕に向き直ると、その緑灰色の瞳で僕をじっと見上げた。身代わりって……あぁ、一体いつから?

「……説明してくれる?」

 なんと言っていいか分からず、とりあえず僕はそう言った。

 〈彼〉は帽子に手をかけると、それを一気に取り去る。


 ――金色の髪の毛が灰色の空を舞った。

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