第10章―2
「なんともまあ……えげつない力ですね」
一連の取り調べを端で見ていたイェッドがため息をつきながら呟いた。
「もうあとが無いんだ。使えるものは使う」
僕は変に吹っ切れていた。
思いのほか、うまくいったことに気を良くしていたのかもしれない。
さすがに、後味はひどく悪かったけれど。
「毒が抜けるまでしばらくかかりそうですよ、あの様子では。人生さえ狂いかねない」
「……すまないとは思うけど、僕だって必死なんだよ。嘘をつく方が悪い」
男はあの夜見たことを全て洗いざらい吐いて、涙ながらに戻っていった。
あの晩守衛を勤めたことが運のツキだったと思う。
やはり、彼はスピカの姿を見たと言う。
俯いていたので表情は見えなかったが、泣いているようだったし、その上、髪にも衣類にも乱れがあったため声をかけられず、見て見ぬ振りをしたと言っていた。
その相手は僕だと思ったらしい。だから事を荒立てられないと上からも言われたと。
――さすがに、堪えた。
スピカのあの服、慣れていない身では着るのが大変なのだろう。髪だって結うのは道具がいる。
やはり、あんな風に置いていってはいけなかったのだ。
耳を塞ぎたくなるのを堪え、今度は証言を変えさせた人物について聞くと、それだけは言えないと、自害しかねない勢いで言われた。
さすがにそれ以上は無理かと、僕は諦めたのだが、イェッドは不満そうだった。
――甘い
その目がそう言っているのが分かった。
でも、調書は取れたし、僕は他の方法でやりたかった。
後戻りが出来ないところまで追いつめたくはなかったのだ。
また気になっていたアリエス王女のことだが、守衛は、こちらについては本当に見ていないと言った。嘘をついている気配はなかった。
それは予想はしていたので、すんなりと納得できたが……じゃあ、王女のあの態度はなんなのだろう。
謎は謎のままだった。
イェッドは「時間ですから」と冷たく言うと、自室に戻っていった。
西側の窓から外を見るともう日が地平線から消え、僕と同じ名前の星が輝いている。
明日の今頃……もし解決してなければ。
すさまじい焦燥感が胸を焼く。
……こんなやり方では、だめなのかもしれない。
動機を追うこと、アリバイを調べることで、疑わしい人間は上がってきている。
しかし決定的な証拠などどこにも無い。
その上、隠れた動機など探っていたら、別のところから犯人候補が挙がってくるかもしれないのだ。
今までに分かった少しでもスピカを有利に傾ける情報は、スピカがあの夜本宮にいたということ、そして動機が無いこと。ただそれだけだ。
それだけで、彼女を牢から解放するのは……たぶん無理だ。
動機はいくらでもこじつけられるし、証言も下手したらひっくり返されない。
確実に彼女がやっていないという証拠を挙げるか、真犯人を挙げるか。
僕は急に、自分がものすごく遠回りをしている気がしてきた。
イェッドが言っていたように頭を使わなければ、もう間に合わないのかもしれない。
もちろん今だって手を抜いてるつもりはまったくないのだけど。
焦りで周りが見えなくなって来ている。
――落ち着け。
僕は大きく息を吐くと、目を閉じる。
そしてハンカチに包んでいた髪の毛をぐっと握りしめる。
……このままで何もかも終わるわけにはいかないんだ。
「皇子、あの」
いつの間にか部屋に入って来ていたセフォネの声で我に帰る。
ふと見るとテーブルの上には夕食と言うには遅い食事が準備されていた。
「ああ、ごめん。……なに?」
「先日のドレスが仕上がったのですが……どうしましょうか? 仕立ての中止を忘れていまして。誰にでも着れるものではございませんし、廃棄するには高価過ぎますし」
「持って来てくれ」
歓迎の宴はもちろん中止だが、そもそも、そのために作ったものではないのだ。
ふと思い出して、尋ねる。
「あのさ、三日前くらいなんだけど、ここに手紙置いてなかったかな?」
セフォネはきょとんとした顔をする。
「さあ……気づきませんでしたが」
セフォネはそっけなくそう言うと、一度部屋から出て行き、しばらくしてから両腕に細長い木の箱を持って来た。
箱のふたを開けると、若草色に艶やかに輝く絹のドレスが現れる。
優しい色だった。これならきっとスピカに似合う。
僕はドレスに添えられるように置いてある同色の手袋をそっと手に取った。
「他の妃候補の方で着ることのできる方が居ればいいのですが……体型が一番近いのはシェリア様でしょうか?」
なぜそこでシェリアが出て来る?
「これはスピカのだ」
僕はセフォネを少し睨むと箱に蓋をしながらそう言った。
「しかし……牢では、着ることは出来ませんが」
「スピカは、戻ってくる。……ここに」
――そして僕の隣でこのドレスを着るのだから。
相変わらず食欲は無かったが、セフォネが見張っているので仕方なく食事を軽く済ませる。よく考えると朝食べたきりだった。
そして僕は手袋と、イェッドの宿題を手に牢へと向かった。
入り口で手続きをしていると、ミアーが奥から現れる。
「何か変わったことは?」
「何も異常はございません」
ミアーは静かにそう答えた。
彼女に連れられて奥に進み、スピカの牢の前で立ち止まる。
窓から覗くと、彼女は相変わらずベッドの上でシーツに姿を隠したままだった。
僕が来たことが分かったのかもしれない。昨日と同じで、徹底して避けられていた。
……やっぱり、あれは夢なんだよな……。
もしかしてと、淡い期待を抱いていたが、――現実はそんなに甘くはない。
一気に気分が落ち込んだ。
「……今日は一人なの?」
気を紛らわすように、後ろに立っていたミアーに尋ねた。
「え? ……ああ、普段は交代で当るのです。皇子が来られるなど、滅多に無いことなので昨日は特別です」
「僕がスピカを逃がすとでも思った?」
自分でもびっくりするような意地悪な声色だった。
「……」
図星なのか、ミアーは黙り込む。
その困りきった顔を見て、僕ははっとした。
……ああ、駄目だ。ミアーに当ってどうするんだよ。
「ごめん。……どうしようもなくて」
「いえ、そんな、とんでもありません!!」
ミアーは恐縮して、顔を真っ赤にする。そして、僕が浮かない顔をしているのを見て、慰めるように言う。
「……きっと皇子のお気持ちは届きますよ……」
「だといいな」
僕は長椅子に座り込む。ミシリと嫌な音が廊下に響いた。
「そういえば、差し入れは出来る? 僕、その辺良く知らなくて」
「ええ。手続きさえすれば。……あ、ただ、渡す前に調べさせては頂きますが」
僕は、ミアーに手袋を手渡す。
「これ。スピカに渡したいんだ」
「……手袋ですか……?」
プレゼントとしては珍しいのかもしれない。
確かに、スピカの手に傷が無ければ……
そこまで考えて、僕ははっとした。
――傷!?
え、――あの時……確か。
僕は必死で思い返す。
ナイフが握られた手。あれは――
牢を飛び出してグラフィアスの所に駆けつけたい気分になるけれど、僕は必死で自分を抑える。
「ああ、でも……」
髪をかきむしると天井を睨んだ。
あまりに難し過ぎて、目を逸らしていた。
しかし、最後には結局、そこに辿り着く。
――あの部屋は密室だった――
犯人を挙げてから、その仕掛けを聞くのでは、もう間に合わない。もう普通のやり方をやっている暇は無い。
――明日が勝負だ。
僕はようやくその謎と正面から向き合う決心を固めたのだった。
差し入れの手続きを済ませた僕は、手袋を握って牢の扉を叩く。
「スピカ……やっぱり君はやってないよ。僕は明日それを証明してみせる」
相変わらず返事は無い。
でも僕は語り続けた。
「君を必ずここから出してみせる。……でも心配しないでくれ」
僕は扉に向かって必死で笑顔を作る。そうしないと次の言葉が出て来ないような気がした。
「出た後のことは……君に任せるから」
身がちぎれるようだった。
――駄目だ、そんなことを言っては。たとえ無理やりにでも、手に入れるんだ――
もう一人の弱い自分が、必死で口をふさごうとする。
信じなければならない。
そうだ、彼女は、きっと、彼女の意志で僕の隣に立ってくれる。僕が無理に傍に置くのでは意味がないんだ。
「……儀式に出たくないのなら、無理強いはしない。僕の名のことも忘れていい。……でも、僕は待ってるから。ずっと隣を空けて待ってるから」
僕は成人の儀の時のことを思い出していた。
あの時、僕は同じようなことをスピカに伝えた。だけど、待つことなく手に入れた。
今度は……人生が終わるまで待たなければいけないのかもしれない。それだけ待ったとしても手に入らないのかもしれない。
「もし……待つなと言うのなら、君の言葉で、そう言って欲しい。僕を納得させて欲しい。でないと、僕は一生君を待つことになってしまうから」
どんな言葉でもいい。スピカの声が聞きたかった。
夜も更け静まり返った廊下に、蝋燭の芯が縮む微かな音だけが響いた。
いくら待っても、返事は無かった。
――もう、駄目なのかな。
信じられなかった。心を通わせた日々はつい最近のことだった。あと一日で、すべて僕のものになるはずだったのに。
手袋を窓枠にかけると、長椅子に座り込んだ。
――諦められないものを諦めなければいけないとき……皆どうしているんだろう。
脳裏にレグルスの顔が浮かんだ。
冷たい石の壁に背中を預けながら、僕は深いため息をついた。
*
ふと気がつくと、僕はイェッドの宿題を枕に、長椅子の上で眠っていた。
最初数頁までは目を通した覚えがあったのに。
――さすがに二日続けて眠ってしまうというのは……
ふと原因に思い当たる。
「ミアー。君が昨日持って来た飲み物、何か入っていなかった?」
僕は出口に向かいながら、前を歩く彼女の背中に尋ねる。
昨夜もあの甘い香りのする暖かい飲み物を彼女は僕に差し出した。飲んだ後に妙に気分が楽になったのを覚えている。昨日は夢は見なかったけれど。
「いいえ?」
さらりと否定される。
「本当に?」
「何かって、何でしょう?」
少し棘のある口調でミアーが逆に尋ねる。
「睡眠薬とか」
「そんなことをしてわたくしに何の得があるというのです?」
ミアーは振り返ると僕を少し睨む。その顔に怒りを見て僕はそれ以上の追求を諦めた。
僕が勝手に入り込んで、仕事の邪魔をしているというのに、さらにいろいろ言われれば腹を立てるのも当然かもしれない。
何も無かったのだし……眠ってしまったのは自分の落ち度だった。確信も無いのに疑ってはいけない、か。
そういえば僕は女性と話すのは苦手だったと思い出す。こういうときにどうやって関係を修復すれば良いか分からなかった。僕は彼女の機嫌を取るように少し微笑む。
「じゃあ、今日も頼むよ」
朝日が柔らかく道の両側の木々を照りつける中、脇道を抜けると、宮への道、城下町への道が目の前で分かれていた。
――もし無事に迎えに来ることが出来ても……歩き出す方向が違うかもしれない。
それでもやり遂げなければいけない。
自分のためではなく、スピカのために。