第9章 尋問―1
いつの間にかもう日は傾きかけていた。
明かり採りの窓から傾いて赤く染まった夕日が覗く。
残り時間がどんどん減って来ていた。
事件の解決に、何をするのが一番の近道なのか。手当り次第にやってみるしかない。
現場を見れない今、出来ることは限られる。とにかく情報を集めたかった。
ふと思いついたことがあり、僕は宮の人間に話を聞くことにしていて、手始めに王女以外の妃候補の二人を部屋に呼んでいた。
最初にシェリアがやってきた。彼女はイェッドを見ると明らかに落胆の色をその顔に浮かべる。やはり誤解を招きたくなかったので彼を同席させていたのだ。
「あ、の……皇子と二人でお話ではなかったのでしょうか?」
「事件のことで聞きたいことがあるだけだ。そこに座ってくれるかい?」
余計な時間は取られたくなかったので、彼女が座るのを見てさっさと本題に入る。
「――君は、事件があったときって、どこにいたんだ?」
「まさか……私を疑っていらっしゃるのですか? ……犯人はあのスピカと言う娘だと聞きましたけれど?」
彼女は僕の神経を逆撫でするかのようにのんびりと言う。
「まだ、そうと決まったわけではない」
彼女はゆっくりと天井付近に目を泳がせ、少し考えてから、やはりのんびりと口を開く。
「……夜も遅かったですし、自室で休んでいましたわ。その辺のことは近衛隊の方にもお話ししたのですけれど」
一応調べてはいるのか。スピカだと決めつけて、ろくな捜査をしていないのかと思っていた。
「『誰にも』会わなかったってことだよね?」
「はい。でも……」
シェリアは口ごもる。
「何?」
「私をお疑いでしたら、見当違いですわ。だって、外宮のあの館、出入口には見張りがいらっしゃるでしょう? 見つからずに館から出ることなんて出来ないのですもの」
……確かに。
「でもさ、反対側に回れば、見張りには……」
「いいえ。その時間帯なら、一周している間に誰かに会ってもおかしくありませんでしょう?」
予想外に鋭く言葉を遮られて、僕はぐっと詰まる。
確かにまだ侍女たちが起きている時間帯だ。外宮北側は務めから戻る人間で出入りは一番多い時間帯かもしれない。それなら、見張りの目をごまかす方が楽だろう。
彼女が誰にも見られずに部屋を出入りするのは難しいということか。
……ひとまずは、シロということ?
僕は一息つくと、話を切り替える。
「シェリア。君は、スピカについてどんな話を聞いている? ……前に君が言っていたと思うけれど、スピカはイェッドに泣きついていたとか」
僕はちらりとイェッドを見る。彼は黙って資料に目を通していた。
よくよく思い出すと、彼女の言葉で、僕は決定的にスピカに疑いを抱いてしまったのだ。万が一彼女がスピカに対する悪い噂を流してるとしたら……許せない。
「そうでしたかしら?」
シェリアはのんびりと言うと、天井を見つめて考える。
とぼけているのか、本当に覚えが無いのか区別がつかない。
「言ったと思うけど」
僕は少々声を尖らせる。
「……そうそう、侍女たちが噂しているのを聞いたのでしたわ」
「侍女たちって? 誰?」
「食事中でしたかしら、ふいに聞こえて来たものですから……だれかとは断定は出来ませんわ」
つかみ所が無い。そう感じた。
「あと、スピカの恋人って?」
「ああ……確か、噂では、皇子の元側近の方とか。すごく目立つ方だったようですわね。侍女は皆知っていましたわ。……まだ完全に切れていないとお聞きしましたけれど。皇子のような高貴な方と二股をかけるなんて……皇子はそれでも平気なのでしょうか?」
急にシェリアの灰色の瞳に熱がこもる。
……二股って……あれ? 確かグラフィアスは……
妙な違和感を感じたけれど、シェリアが急に立ち上がってその身を寄せて来たので、僕は思考を中断させられた。
部屋にいるイェッドのことなど目に入っていないようだ。
「――ちょ、ちょっと!」
僕は慌てて椅子から飛び退くと、彼女と距離を置く。
「わたくしでしたら、一生皇子おひとりだとお約束いたしますのに」
僕は困惑してイェッドを見る。
こうならないために彼を同席させているというのに、彼は素知らぬ顔で相変わらず資料を見つめている。
「騙されていらっしゃるのですよ!? あんなことになっても、皇子がまだ彼女を庇われるなて……わたくし皇子があまりにお可哀想で……」
その灰色の目に見る見るうちに涙が溜まる。
……うわ……。だめだ! 僕はこの子苦手だ……!
僕にとって、憐れまれる事――同情されて泣かれるほど嫌なことは無かった。しかも見当違いだし。
「わ、わかった、もういいから……ごめん、次の予定が詰まってるんだ!」
僕は出口に足早に向かうと、扉を大きく開ける。
シェリアは不満そうに少し口を尖らせると、ハンカチで涙を拭いながら扉までやってくる。
そうして上目遣いに僕を見上げるとちらりと笑顔を見せる。
「それでは、今夜、また伺いますので」
「――は?」
「……嫌ですわ。聞いていらっしゃらないのですか? エリダヌス様の次は私と、順番が割り振られておりますのよ?」
シェリアは少々赤くなりながら、その潤んだ瞳で僕をじっと見つめる。その様子からはエリダヌスの死に対する哀悼など欠片も見つからなかった。
「あと三日しかありませんもの。その間にお披露目される相手を選んで頂かないと。……わたくし、選ばれる自信、ありますわ」
外見に似合わない言葉を堂々と吐くと、シェリアはその銀髪をさらさらと揺らしながら部屋を出て行った。
部屋には唖然とした僕とイェッドが残された。
「なんだ、あれは」
そう言って息を吐くと、一気に肩の力が抜けた。力負けしないようにとしていたのか、無意識に体に力が入っていたらしい。ムカムカと腹が立って来て、苛立ちの対象をギリッと睨みつける。
「なんで助けてくれないんだよ」
僕がそう言うと、イェッドはようやく資料から目を上げた。
「ああ。お困りでしたか? 気づきませんでした」
「嘘をつくな!」
僕がそう言うと、イェッドはふっと唇を綻ばせる。
「あのくらいあしらえないから、こういう事態になるんでしょう? まあ……あの娘の方が一枚も二枚も上手な感じはしましたが。いや……なかなか楽しかったです」
「面白がるのか!?」
「……私は別に、あなたの恋路の応援をしてるわけではないので」
げんなりした僕を鼻で笑うと、イェッドはまたもや資料に目を通し出す。
その態度に僕は追求を諦め、彼の後ろから覗き込む。
「さっきから何を読んでるんだ?」
「ええ。ヴェガ様から頂いた侍女たちの証言です」
――おい。
「それって、僕宛だろう? なんで勝手に一人で読んでるんだよ……」
僕は怒るのを通り越して呆れる。
「暇でしたので」
「……」
だめだ。この人にモラルを求めてはいけないのかもしれない。一見常識がありそうなのにどうしてこうなんだ。
僕は深いため息をつくと差し出された資料を受け取る。
「ああ、そうそう。ついでにヴェガ様から伝言を預かっています」
「何?」
「『スピカのことで話がある』だそうです」
ついに来たか。
そう思って頬が強張るのが分かった。
「分かった」
鋭い叔母のことだ。レグルスよりも核心に近い情報を掴んでいる気がする。
逃げてばかりもいられないし、いっそのこと軽蔑されるのを覚悟して相談した方が良いのかもしれなかった。
「タニアの話を聞いた後に行くよ」
僕は、表にいた侍従に伝言を言付ける。
「……それにしても、遅いな」
――タニア。
まだ一度も顔を見ていない。というか、この宮に本当に居るのかどうかも怪しい気がして来た。
「メサルチムの娘ですか。……あまり外見に期待は出来ませんね」
イェッドが僕の心を見透かすようにそう言った。
その口の悪さに思わず苦笑いをする。
まあ、父親に似ていたら、……確かにとは思う。
母親は知らないけれど、おそらく父親に似るよりは遥かにマシなはずだ。そう思いつつも、
「彼女には情報を貰うこと以外何も期待していない」
僕は素っ気なくそう言う。
いくら美しかろうが、心を動かされることはない。
「あなたのそういうところは、陛下によく似ておられる」
イェッドはそう言って、椅子から立ち上がった。
「好きな女性のこととなると変に頑で、熱くなりやすい。……不思議なものです」
彼は昔を懐かしむような顔をしていた。その茶色の瞳が切なそうに瞬く。
僕は昔の父の話に興味を抱きかけたけれど、その時、扉が音を立て、びくりとしてそちらを振り向く。
顔をのぞかせたのは――メサルチムだった。
「……なんでお前が来るんだ」
僕はいろんな意味で落胆する。この間のことがある。こんなヤツの話なんてもう聞きたくなかった。
「申し訳ありません。娘が……どうしても嫌がりまして」
彼は冷や汗を額にびっしり浮かべていた。
さすがに、これだけ断ると言うのは、いろいろと問題があった。
もう本人に妃になる意志がないと見て良い。そう思われても仕方がない。
メサルチムもさすがにまずいと思ったのだろう。だから侍女任せにせず、直々に来たというわけか。
「僕は、そういうつもりで呼んだのではないんだけど」
一応断っておく。
「そう伝えたのですが……どうしても具合が悪いと……」
「仮病じゃないのか?」
「……」
メサルチムは顔を一気に青くして口ごもった。
そして突然堰を切ったように一気にまくしたて出した。その目が血走っている。
「昔はっ、昔は『わたし、お妃になる』と自分からいうような娘だったのです!! だから私もそういうつもりでっ」
よく言うよ。義母に取り入ってたくせに。僕は呆れる。
「とにかく、妃とかそういうのは関係ないんだ。ただ、事件があった時にどうしていたかが知りたいだけで」
「どういうことです……? まさか、私の娘をお疑いなのですか?」
青かった顔が急激に赤くなっていく。
「娘がそんなことをするわけがないじゃないですか!! 皇子はっ、あの娘を救いたいがために、無実の者を犯人に仕立て上げようと言うのですか!? 大体っ、近衛隊にそういうのは任せておけば良いのです。素人が首を突っ込むことではないでしょう!!」
つばを飛ばしながらすごい剣幕でメサルチムは詰め寄って来た。上目遣いのその目がギラギラと光っている。
どうも娘のこととなると熱くなるのは、レグルスに限ったことではないらしい。
「落ち着けよっ」
僕は焦って横目でイェッドに助けを求めるけれど、彼はまたもや知らん顔で窓際に立ったまま外を見ていた。
なんて、なんて役に立たないんだ……!
「もういい。お前に話はない。彼女にはまた別の機会に話を聞く。……帰ってくれ」
僕は熱くなってまだ何かブツブツと呟くメサルチムを無理矢理扉から押し出すと、扉に寄りかかって大きく息をついた。
ふとイェッドを見ると、いつの間にかテーブルに戻り、今の間に煎れたであろうお茶をのんびりとすすっていた。
僕がじっと睨むと、彼は顔を上げて、にこりと、彼にしては珍しい笑顔を見せる。
「何か?」
ぐっと拳を握ると傷跡がギリリと痛む。
――頼れるのはもう彼しかいない。分かってはいるんだけれど……。でも。
僕はイェッドに手伝ってもらうことを早くも後悔し始めていた。
「それにしても……タニアはなぜ姿を見せないんだ?」
僕は気を取り直して当初の問題に向き直る。
いくら何でもおかしかった。会ったことも無いのだ。嫌うにも嫌えないはずなのに。
僕にとってはありがたいけれど、今の状況でこうだと、変に勘ぐってしまうのは避けられない。
僕が事件のことを調べているから……ということも考えられる。
「タニア嬢――怪しいと言えば怪しいですね」
イェッドが僕にお茶を勧めながら呟く。
「近衛隊の人間に確かめてみましょうか? 私でしたら供述書を見せてもらえるかもしれません」
妙に積極的に彼は言う。その顔が妙に輝いて見えた。
「なんでそんな気になったんだ?」
「なんだか面白そうなので」
……どうやら、この男は自分が興味があることは率先してやるらしい。他はてんで駄目だけど。
レグルスが苦手とするのは……何となく分かる。強烈に使い辛い。
「頼む。出来れば妃候補全員分」
結局は頼むことにした。藁にでもすがりたいのだ。使えるところだけでも使わないと。
「じゃあ、僕は……叔母のところに行ってくるから、後はよろしく」
「お待ちください」
イェッドががさごそと自分の荷物をあさりながら声を上げた。
そして分厚い書類の束を渡す。
「はい。これを」
「何?」
「何じゃありませんよ? 約束でしょう。宿題です」
「……」
僕は渋々その書類を受け取る。ずっしりと重い。百枚以上はありそうだった。
パラパラとめくるとびっしりと文字が並んでいる。
「三日分です。明後日までで良いですから、目を通して全部覚えて下さいね」
思わず目を剥いた。
「これ……全部?」
「はい。必要ですから」
イェッドは頷くと淡々とそう言った。