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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第8章―2

 春の暖かい日差しが斜めに差し込むその渡り廊下を音も無く進む。部屋に戻る僕たちの後ろに、面会手続きのために本宮に行くレグルスが続く。

「ところで。……お聞きしても良いですか?」

 レグルスが唐突に尋ねた。

「……何?」

 僕は足を止めると、振り向いて、彼を見上げた。

「スピカはなぜ自供したんでしょう?」

 彼の顔からは先ほどの気の毒そうな表情は見間違いだったかのように消えていた。感情を押し殺すようなその声に僕は思わず身構える。

「やっていないというのに、やったと言うには、何か理由があるはずでしょう? しかもグラフィアスの言葉――『諦めない』とあなたが言われたことが原因というのは、どういうことです?」

「分からないよ、僕だって……」

 言えばすべて終わる気がしてとても言えなかった。

 僕はそのまっすぐな視線に耐えられずに俯く。

「……」

 レグルスは僕の様子を伺っていたけれど、僕が何も答えないと分かると、大きく息をついた。

「喧嘩でもしたのですか。……妃候補のことで」

 言葉に棘がないことに安心して、僕は少し顔を上げる。

「あいつに言ったんです。『皇子に直接確かめて、それで駄目なら俺が逃がしてやる』って。事件の夜、会ったということは話はされたんでしょう? ……あいつがやってもいない罪を被ってでも逃げようとするってことは、……あなたは他の妃を選んだと言うことでしょうか」

 一番触れられたくない部分だった。特にレグルスには。

 僕は再び俯くと足元をじっと見つめながら、絞り出すように言う。

「僕が他の妃なんて欲しがるわけない。分かってくれてると思ってた」

「……言葉で伝えなかったということですか……」

 妙に声色が柔らかくて、僕は意外に思って彼の顔を見る。

「実は……私も、よくやったんですが」

 レグルスは頭を掻きながら、少し気まずそうだった。

「読まれることに慣れると、伝えるのをさぼるようになります。元々、気持ちを伝えるのが苦手なのもあったのですが。スピカにもラナにも怒られていましたよ。『ちゃんと言葉で伝えて欲しいのに』と」

 意外だった。

 そんなこと思ってるなんて、考えもしなかった。

「意外でしょう? 包隠さない気持ちを読むことが出来るのに、そんなことを言うなんて。――ラナは言っていました。『心を読んでいると、どれが本当の気持ちなのか分からなくなる。だから、あなたが、どの言葉を選ぶのかが重要なの』と。人の気持ちなんてすぐに変わります。だから……大事なことは言葉にして欲しいと。……結局、普通の人間と同じなんです。言わないと伝わらない」

 レグルスはそこまで言うと、気持ちを切り替えるかのように大きく息をつき、僕の目をしっかりと見つめる。

 急に鋭くなった眼光に僕は少したじろいだ。

 そこには確固たる覚悟が浮かんでいた。

「スピカは……あなたのことを忘れるなんて出来ないと言っていました。だから、私も連れ出すのを待ったのですが……あいつがあなたを忘れる気になったというのなら、私も身の振り方を考える必要があります。知っていらっしゃると思いますが、あえてもう一度言わせて頂きます。私は……あいつが幸せそうにしているのなら、それが誰の隣であってもいいのですよ」

 息が詰まった。

 レグルスは……おそらく気がついたのだ。

 僕とスピカの喧嘩が、ただの喧嘩ではなかったことを。

「どちらにせよ、無実の罪を被ることもありません。皇子にはしっかりとぬれぎぬを晴らしてもらいたいと思っています。今のところ、頼りになるのはあなただけですし。ただ……式に出るかどうかは、スピカの意志を尊重して頂けますね?」

 有無を言わせない迫力に僕は頷くしかなかった。

 これで彼はもう僕の味方ではなくなった。――あと三日。何もかも死にものぐるいでやるしかなかった。



 レグルスと部屋の前で別れ、イェッドと向かい合ってテーブルを囲む。

 テーブルの上には頼りなげにさっき描いた部屋の見取図が乗っていた。

 僕は黙ってそれを見つめる。じっとしていると、さきほどの傷がジクジクと痛んだ。

「追いつめられましたね。どうやって逃げるんですか?」

 イェッドが少し呆れたように息をつく。

「バレないと思ったんですか? レグルスに。あいつは娘のこととなると異常に鼻が利くのですからね。彼女があんな風になった原因、あなたにあることくらいすぐに分かりますよ」

「……いつかバレるとは思っていたよ」

 僕は見取図を眺めながら呟く。

 ――しかし、猶予が全くないわけではない。

「最後通告はまだだ。どちらにせよ必死でやるだけだ」

 真犯人探しも、スピカの説得も。

「ふうん」

 イェッドが少し感心したように息を漏らす。

「意外に肝が据わっていらっしゃる。やらなければならないことは分かっておられるようだ」

 僕はイェッドのその茶色の目を見つめて頷く。

「――僕は逃げない」

 逃げ道なんかどこにもないのだから、まっすぐに行くしかなかった。


「さっき言っていた話だけど」

 気持ちを切り替えるとイェッドに切り出す。

「ああ、違和感についてですね。……私が気づいたことを良いでしょうか?」

 僕は頷く。

「……まず一つ目。彼女はなぜ逃げなかったのか、です」

「あのとき、スピカは倒れていた」

「そうです。調べたところ、彼女にはなんの外傷もありませんでした。殺人を犯したとして……あんなところで倒れているのは少々不自然です。普通の人間は逃げるでしょう」

 確かに。

「グラフィアスはどう考えてるんだろう」

「近衛隊の見解は、『被害者を刺した後、気が緩んで失神したのだろう』と」

 僕は現場を思い浮かべる。確かに、あの凄惨な現場じゃ……そう考えたその時、急に感じていた違和感が何か分かった。

「……スピカの服……!」

 そうだ。不自然なほど綺麗な淡い黄色。彼女のドレスには、血飛沫のひとつもついていなかった。人を刺しておいて、なぜ汚れていなかったのか。その上、あの血溜りの上に倒れていたというのに……服に染み込んでいないということは。

「血が乾いてから、倒れたということか」

「……血が乾くまでには、三刻ほどはかかりますよ。だとすると、どうしてもおかしいですね。人を殺して、三刻も逃げずにあの部屋でぼうっとしていたということですか? その後倒れたと?」

「それよりは……血が乾いてから部屋に呼び出されて、あの状態を見て気を失ったと考えた方がずいぶんと自然だ」

「そうですね」

 イェッドは頷く。

「グラフィアスに言ってくる!」

 立ち上がる僕をイェッドは鋭い声で制する。

「お待ちください。そんなのはいくらでも理由をつけられます。例えば……そうですね。殺害後着替えた、その後に気が緩んで倒れたとでも言ってしまえば。もっと確実に彼女がやっていないと言う証拠をあげない限りは無駄です。慎重にやらないと、ひっくり返されますよ」

 ……下手に手の内を見せるなということか。

 僕は気が抜けて再び椅子に沈み込む。そして深く息を吐くと、気持ちを切り替えてイェッドに尋ねる。

「一つ目ってことは、他にも気づいたことがあるってこと?」

「ええ。彼女の動機です」

 僕は首を傾げる。

 動機なんて……決まってる。

「もしそうなら……グラフィアスが言うように嫉妬なんだと思うけど……」

「スピカ様があなたから逃げたいと思うくらいにひどい仲違いをしているとなると……彼女がエリダヌス嬢を殺す理由が嫉妬というのはおかしいでしょう? それこそ、エリダヌス嬢のことも他の候補のことも黙認して、ひっそりと去ればいいのに」

 そうか。そう言われてみればそうだ。

 グラフィアスも言っていた。僕がスピカを無理に妃にしようとしていると。

 そう思われているのであれば、――彼女に動機なんか無いんだ。

「それで、あいつ、あんな顔してたのか……」

 あのとき、確かにグラフィアスは余計なことを言ったというような顔をして、慌てて部屋を去った。よく考えると、あの時の彼の発言は「スピカが僕を独り占めしようとしていた」という動機とは矛盾していた。

 僕がスピカと一緒に居て、仲違いをしていたことを言えば……スピカに動機が無くなる。それを恐れたのか。それで僕の口を塞ごうとしたのかもしれない。

「穴だらけじゃないか」

 僕はちょっとだけ気が楽になる。これなら何とかなるかもしれない。

「しかしあの密室の謎を暴かない限りはひっくり返せません」

「……そうなんだよな」

 僕は再び見取図に目を落とす。

 出口の無い部屋。閉じ込められたスピカとエリダヌス。

「仕掛けは犯人のみぞ知る、か」

 スピカが気を失っていた事を考えると、密室の謎は彼女も知らないかもしれない。だけど――犯人だけならスピカは知っているはずだ。もし犯行を見ていなかったにしろ、あれだけしっかりと凶器を握っていたのだから。それが誰のものなのか。そして誰が使ったのかはすぐに分かるはず。

 そう考えて急に、僕の暗殺事件で彼女が力を尽くしてくれたことを思い出す。あの時も、彼女は割れた鏡から〈犯人〉の動機を導き出した。

 でも、今の彼女は、なにを知っていても決して何も語ろうとはしないだろう。

 彼女の心を取り戻すことが出来れば、あるいは。

 しかし、これが今の僕には一番難しいことかもしれなかった。

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