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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第7章―2

 レグルスと叔母が去った後、僕は軽く汗を流すと寝台の上に座ってぼんやりと考え事をしていた。

 叔母がレグルスに続いて部屋を出る時に、僕の方をもの言いたげに見つめたが、僕はそれから目を逸らした。

 まだそのことを口に出せるほどには混乱が収まっていなかったし、軽蔑されるのが怖かった。

 セフォネに寝る前に飲めといわれた風邪薬を一気に流し込む。

 もう夜半が近いようだった。

 部屋を照らす青白い月光を見ると、昨夜のことを嫌でも思い出す。

 あの時、スピカを離さずに、一晩中一緒に居れば、こんな絶望的な形で疑いをかけられることはなかった。あんな風に飛び出さずに、話をしていれば、スピカがあんな風に僕を見ることもなかったかもしれない。

 いくら後悔しても足りない。「好きだ」というひとことでも伝えられていたら……何か変わっただろうか。そう考えて、ふと思い出した。

「あれ? そういえば、手紙は?」

 いろいろありすぎて、すっかり忘れていたが、テーブルの上にはもう影も形も見当たらない。

 セフォネが間違えて捨ててしまったのか?

 机の上に放り出していた授業の資料は整頓されていた。宛名も何も書かなかったし、セフォネが片付けたときに何かに紛れてしまったのかもしれなかった。

 ……いまさら、遅いか。

 自嘲気味に笑うと、僕は寝台に横になる。

 ひどく疲れていた。



 とん、とん、と小さく扉が叩かれる音で僕は目を開けた。

 少しうとうとしていたようだった。

 ……まだ夜は明けていないというのに、何だろう?

 僕が返事をすると、扉が少し開き、久々に見る、あまり見たくもない顔が覗く。

「いったいなんだ。こんな夜更けに」

「折り入ってお話が」

「明日にしてくれ」

「いえ、あまりお時間はかかりませんので、なにとぞ」

 僕はしぶしぶ彼を招き入れる。

「どういうつもりだよ、メサルチム」

 僕はため息をついて、目の前の脂ぎった小柄な中年男に椅子を勧めた。その飛び出すような大きな目がぎらついている。

「お願いがありまして」

 嫌な予感がした。

「わたしの娘を、タニアを、立太子の際に披露していただきたいのです」

 ある程度予想はしていたけれど、予想以上に不快だった。

 つまり、スピカという最初の妃の替わりに立候補するということだ。

 彼らはもう、スピカがやったと決め付けて、空いたその座の奪い合いを始めている。他の候補に約束を取り付けられるのを恐れて、こんな時間にやって来たというのだろう。

 僕はそれどころじゃないというのに。

「スピカ以外は妃に迎えるつもりはない」

「しかし、彼女は犯罪者ですぞ?」

「彼女はやっていない」

 目を丸くするメサルチムに向かって、僕はきっぱりと言い切る。

「ですが、彼女以外に犯行が可能な人間はいなかったそうでは。密室だったのでしょう? あの部屋は」

 犯行時刻に一緒に居たことを言おうかと思ったが、こいつが絡んでいないとは限らない。うかつに情報を漏らすわけにいかなかった。

「何か別の方法があったはずだ」

「別の方法?」

「とにかく……話がそれだけなら、帰ってくれ」

 僕が彼を部屋から追い出そうと、扉を示すと、彼は上目遣いに僕を見つめて、不満げな表情を浮かべる。

「……あくまであの娘に執着されるというわけですな?」

「そうだ」

「分かりました。それでは、こちらも手段を選んでいられませぬな」

 メサルチムはその大きな目を細め、酷薄そうに笑う。部屋の空気が一気に冷え込んだ。

 僕は息を呑み、尋ねた。

「何をするつもりだ?」

「いえいえ、何でもないですよ。――ところで、皇子はご存知ですか? 過去に牢番に乱暴された女囚人がおりましてね、その度に厳しく処分はして来たのですが……今でもなかなか減らなくて困っているのです。まあ、予算の関係で牢番の待遇も悪いので、大目に見ているところもありまして。相手が囚人だから国としても大きくとりただしてはいませんしね」

 牢や囚人の管理には、大臣であるメサルチムの権限が少なからず及ぶことを思い出す。血の気が引いた。

「僕を脅す気か」

「滅相もございません。この国の現状をお話ししただけです。次回の予算を決める時にでも参考になればと。――そうそう、お気が変わられたら、ご連絡ください。”大臣として”何かお力になれるかもしれませんし。それでは失礼いたします」

 含みのある口調でそう言うと、彼は扉から闇の中へ姿を消した。


 僕は夜着のままその場にあった上着を掴むと、近衛隊の詰め所まで走った。靴を履く時間も惜しく、裸足のままひたすら駆ける。いてもたってもいられなかった。あんな話を聞いた後では、部屋で休むなんて、もう出来ない。

 外宮入り口にいる兵に声をかけ、レグルスを呼び出す。

「こんな夜中になんです。話なら明日でも……」

「スピカは、どこにいるんだ!?」

 レグルスは不可解そうに眉をひそめる。

「どうしたというのです。……大丈夫ですよ、宮にいる限りは安全です」

「メサルチムが……」

 僕は先ほどの件をレグルスに手短に話した。

「牢には明日以降移されます。移るまでは、近衛隊の管轄ですが……移ってからは確かに……」

 レグルスが考え込むのをみて、僕は余計に焦る。

「なんとかならないのか」

 スピカの安全と、彼女との約束。どちらも同じくらい大事だった。

「皇子が、メサルチムの要求を呑むのが……一番確実かと」

 レグルスが僕の目を見つめ、静かに言った。

「……」

 僕は頷くわけにいかなかった。

 レグルスは……僕を試している。

 僕は今までに無いくらい必死で頭を働かせ、一つだけ案が浮かんだ。

 あまり良い案だとは思えないけれど、何もしないよりはマシだと思えた。

「レグルスの部下で有能で絶対に信用できるやつって、いる?」

「ハリスから連れて来た者なら、二、三人は」

 僕はレグルスのその緑灰色の瞳を真剣に見つめた。

「頼みたいことがあるんだ」

 僕が彼の耳元で囁くと、レグルスはその顔に少しだけ笑みを浮かべた。

「……分かりました。手配しましょう」

 なんとか及第点か。

 僕はホッとする。

 本当は自分でそうしたいけれど……僕にしか出来ないこともあった。

 レグルスの部下を信用するしかなかった。

「スピカは、……あいつの部屋で軟禁されてます」

 レグルスはそう言いながら、東の外宮を見やった。

 見ると、彼女の部屋からは僅かに明かりが漏れている。

 僕はそれに導かれるように外に出ると、裸足のまま部屋のすぐ前まで歩く。

 夜露を含み湿気を帯びた芝と土が僕の足から体温を奪う。


 僕は部屋の窓の前で立ち尽くす。

 僕の背よりも少し高いところにある窓に人影が映り、僕は息を呑んだ。

 たとえ影でも見間違えることはなかった。

 その髪を結った小さな頭、華奢な首から肩のライン。

 堪らずに名を呼ぶ。


「スピカ」

 影がびくりと強張る。

 僕は黙って待つ。

 しかし、窓が開けられることはない。

 諦めきれずに、僕はふたたび名を呼ぶ。

「スピカ!」

 影がふと動いたかと思うと、部屋の照明が落とされる。

 僕は絶望的な気分で、目をつぶる。

 瞼の裏に焼き付いた人影が次第に薄れてきて、鼻の奥がつんと痛んだ。

 僕は気がついた。

 いくら……彼女の疑いを晴らそうと、彼女の心を取り戻さなければ意味がないことを。

 彼女が拒めば、僕にはもう、どうしようもないことを。

 あと三日。

 彼女の体も、彼女の心も、どちらも逃がすわけにいかなかった。

 どんなことをしても捕まえなければならなかった。

「僕は諦めない。絶対にだ」

 沈黙する窓に向かって続ける。


「……君を愛してる」


 言葉がするりと溢れ出た。

 ずっと言いたくて、でも半人前の僕には相応しく思えなくて言えなかった。

 でも、今言わないと駄目だと、なぜかそう思った。



「皇子、困ります」

 軽い足音が近づいて気たかと思うと、僕は後ろから抱え込まれる。

 グラフィアスだった。

「容疑者との接触は禁止されていますので。失礼」

 彼は僕の両腕を後ろで束ねると、近衛隊詰め所まで強引に後ろから押すように連行する。

 僕はスピカの警護が減るのが心配になって、後ろを振り向くと慌てて言う。

「もう用事は済んだ。一人で帰るから、見張りを続けてくれ」

 グラフィアスは一つ息をつくと、投げ出すように僕を離し、呆れたように見つめる。

「……『愛してる』ですって?」

 馬鹿にしたような響きだった。もう棘を隠すつもりもないらしい。

「あなたのような子供が使う言葉じゃありませんね」

「いつまでも子供でいるつもりはない」

 僕はグラフィアスを睨む。

 僕だっていつまでも何も出来ないわけではない。

「お前たちになんか、負けない。スピカの心も体も全部僕のものだ」

「……傲慢な」

 鼻で笑われた。

「今の彼女には届きませんよ、誰の言葉も。心を閉ざしてしまっていますからね」

 そこで言葉を切ると、彼は意味ありげに僕を見つめる。

「先ほど侍女が調べましたら……彼女の体に陵辱されたような痕があったとか。彼女の様子と関係あるのではないかと調べています。……何かご存知です?」

 僕はギクリとして固まった。

 ――痕?

 そう思わず考え、はっとする。

 グラフィアスが僕の様子を注意深く伺っていた。

 陵辱って……ひょっとして……カマをかけられたのか?

 彼は納得したように頷いた。丸い目が急に鋭く細くなり、その手が力一杯握りしめられ、鍛えられた腕に筋が入る。

「誰の仕業か知りませんが、最低ですね。……それを愛とか言ってる男は余計にですが」

 容赦ない言葉に僕は言い返せない。自分でも最低だと思っているのだ。

 睨みつけるような視線を思わず避けそうになる。

「僕がスピカと一緒に居たことを知っているだろう?」

「皇子がそう言われているということは知っていますが、たとえそうだとしても……皇子の名誉のためにも言わずにいた方がよろしいのでは? 平民の娘にコケにされたと噂が立ちますよ」

 こいつは、僕の口を封じようとしているのか。

「僕の名誉なんか、関係ない」

「そうですか。……しかし隊長に伝わりますが?」

 さすがに青ざめる。

「レグルスが知れば……スピカはこの国からいなくなる。それはお前も困るんじゃないのか」

「いいえ? 私には皇子と違って失うものはありませんし。国外であろうと、追うだけですよ。それに、あの隊長のことです。娘が受けた仕打ちを知れば、あなたに手を出して捕まってしまうのではないですか? そうなれば、邪魔者が一気にいなくなって、いいこと尽くめです。……いい加減解放してあげたらどうです? 成人の儀の時も臣下から恋人を奪うような真似をされて。男として恥ずかしくないのですか?」

 話しているうちに我慢が出来なくなったようで、彼は声を荒げ出した。

 そんな激した様子は初めて見て、僕は、彼がかなりスピカに本気なのだと思った。

「臣下?」

「ルティリクスですよ、まさかそれもお忘れになったのですか?」

 その名を聞いたとたん頭に血が上る。

「……奪ってなんかいない!!」

 奪われたんだ!

「成人の儀の翌日、二人で逃げたではないですか。それを無理に連れ戻して、しかも、無理矢理手篭めにするとは。……彼女があんな風になるのも無理はありません」

 あまりの話の展開に僕はあぜんとするほかなかった。

 そんな風に見られていたなんて。

「彼女の自由をご自分で陛下に求められたのではなかったですか? 言われていることと、なされていることが全く違っていますね」

 話の出所は知らないが、妙に信憑性があるし、つじつまも合っていた。彼が信じても仕方がないくらいに。

 これでは、この男が僕の話をまともに聴くはずがない。

 流されていたのは、スピカの噂だけではなかったらしい。おそらく事情を知らない宮の者は、皆このように思っているのだろう。

 そして、スピカのことは、僕をそこまで狂わせた魔性のように。だから、皆不安なのだろう。僕が道を踏み外すのではないかと。

 そう考えると……排除しようとしても仕方がないのか。

 黙り込んだ僕を見て、グラフィアスは咳払いをすると、席を立つ。「とにかく。彼女のことはもうお忘れ下さい」と一言残して部屋を出て行った。

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