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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
69/124

第6章―3

 呆然としていた。

 何を言われたのか、分からなかった。

「ああ、これはまた……ひどい。可哀想に」

 静かな声が部屋に響き、見るとイェッドが部屋に入ってくるところだった。

 いつの間にか人が減っていた。野次馬やレグルスの姿も消えている。

「何しに……」

「おや、ご存じなかったですか。私の本業は、医師ですが」

 そう言うと、彼はエリダヌスの遺体へと近寄り、少しの間黙祷した後、慎重にその体を調べていく。

 医師というだけあって、見慣れているのか、淡々としている。

「ふむ……亡くなったのは……大体………おや? 皇子、いつまでこちらにいらっしゃるんです。邪魔ですよ。大体、現場をこんなに荒らしてしまわれては困るのですよ」

「……」

 僕が動けずにいると、イェッドは呆れたようにため息をつく。そして僕に寝台の端に座るように目で勧めた。

「そんなに振られたのが堪えたのですか?」

「……振られ、た?」

 さようならって……そういうことなのか……?

 初めてその意味が胸に染み込んで愕然とする。

「壊れてしまうと申したでしょう。あれだけ忠告したのに、気をつけられないのがいけないのです。彼女としては、あなたから離れるには、逃げるか、こんな風に捕まるか、死を選ぶか。そのくらいしか手がないのですから」

 物騒な内容に仰天する。

「な、なんだって……僕は、そんなつもりは!」

「名を教えられたのでしょう? 彼女が逃げられないように」

「……強制はしてない!」

「本当に? 彼女が本当に嫌だと言っても、あなたは諦めないおつもりでしょう? あなたは、どこまでも皇室の人間です。手に入れることを当たり前だと思われている。一度欲したものを諦められるわけがない」

 ……確かにその通りだった。彼女だけは、諦めるなんて出来ない。たとえ、彼女に他に好きな人が出来たと言われても、僕は、彼女を手放すことは出来ないと思う。

 遠くで幸せを見守るなんて……かっこいいかもしれないけど、僕にはきっと無理だ。そんな風に諦めるくらいなら、彼女が振り向いてくれるように何だってするつもりだった。

「そうやってこの国の妃はみな不幸になる……それが分かっていたから、レグルスも反対していたのですよ」

 苦しそうにイェッドは吐き捨てる。

 レグルス?

 その親しげな呼び方に僕は反応する。

「知り合いなのか?」

「ええ。古い友人です。それなのに……あなた何か勘ぐっていらしたでしょう?」

 言い当てられてぐっと詰まる。

「私は親子ほど年の離れた娘に手を出すほど悪趣味ではありません。彼女の方もそうでしょう。それなのに。好きな女の子を信じてあげられないのですか……まったく、こんなに未熟なのに、レグルスもなぜ許そうとしていたのだか。……しかしまあ、彼女は今回のことであなたとの関係を清算するつもりなのでしょうね。レグルスも何が何でも付いていくでしょうし……、彼らならここを出てもうまくやっていきますよ。きっと」

「……」

 おそらく過去の例から言うとスピカの刑は流罪。北のはての厳しい土地で、外部との接触も出来ず、一生幽閉されて生きることとなる。

 僕の隣よりも、そっちの方がましだ、そう思ったのか。それほど辛かったということなのか。

 さっきのスピカの態度を思い出して、胸が詰まる。

 僕の腕をすり抜けて、名を呼ぶことも忌み、僕を見ることも無く去っていった彼女。

『さようなら、皇子』

 僕は……もう僕自身としてはスピカに見てもらえないのかもしれなかった。



 僕はひとまず部屋に戻っていた。

 あとから事情を聞きにくると、先ほどの近衛兵から連絡を受けて、待っていたのだ。

 第一発見者となったため、いろいろと聞きたいことがあると言われていた。

 ふと服から血の臭いを感じ、それと同時に瞼の裏に先ほどの光景が浮かび上がる。吐き気が上がって来た。上着を床に脱ぎ捨て、ぐったりと長椅子に身を沈める。

 ――本当に、スピカがエリダヌスを?

 部屋に戻る間ずっと考えていた。そして、考えれば考えるほど腑に落ちなくなって来た。だって、どうしてもスピカがその手段を選ぶとは思えなかったのだ。

 「逃げる」「罪を犯す」「死を選ぶ」の三つの選択肢があるのなら、まず「逃げる」を選ぶはずだった。

 彼女にはレグルスがついているのだから。現にそんな相談をしていたと言っていたじゃないか。

 なのに、どうして。

 ――殺すほどに嫉妬に狂っていてくれたのなら、どれほど嬉しいか。

 僕は不謹慎なことを考えかけて、頭を振る。

 エリダヌスがあんな風に死んだというのに、スピカのことしか考えられないなんて。

 ……なんて自分勝手なんだろう。本当に、狂ってるとしか思えない。

「お疲れですね」

 セフォネが薬を入れた器を僕の目の前に置く。ふと思い出して尋ねた。

「セフォネ」

「なんでしょうか」

「昨日、スピカを探させた?」

「もちろんです。当直の者に言付けました。ここ連日の事で呆れていましたが、すぐに探すと言われたので、わたくしは皇子の看病を」

 僕はとりあえず頷く。どうやらどこかで不手際があったらしい。連日で確かに気が緩んだのかもしれないけれど――よりによってなんで昨日なんだろう。


 扉を叩く音がして、先ほどの茶髪の近衛兵が顔を見せる。どうやら責任者は彼らしい。

 本来ならレグルスが当たるのだろうけれど、今回はさすがにそういう訳にはいかない。肉親はこういうときまず第一に排除される。

 彼は扉の横で直立不動してよそよそしく挨拶を始める。

「先ほどはどうも。私はグラフィアスと申します。今回の事件の担当となりました。二、三お聞きしたいことがございますので、お時間よろしいでしょうか」

 僕が頷いて、目の前の椅子を勧めると、彼は丁寧に礼をして遠慮なく椅子に座り込む。

 先ほどはそれどころでは無かったし、なんとも思わずに見ていたが、目の前の男は意外に間延びした優しげな雰囲気を漂わせていた。灰色の瞳は大きく、なんとなく蟻を連想させる。そののんびりした顔には現場で見せた鋭さは影も無い。あまりに印象が違う。仕事中は顔つきも変わるのだろう。

 彼は簡単に状況を説明した。父の館のあの部屋――僕がスピカの部屋だと思って通っていたあの部屋――は館ごと使用されていなかった。そのため警備も手薄で、宮の人間であれば比較的誰でも侵入を果たしやすいそうだった。特に現在は主に使用人の通路として使われているため、見知らぬ顔でない限り、見とがめる事は無いそうで。

 犯行は夜から明け方の間。そのため、その時間帯の通行者を調べたけれど、明け方には当然多くが申し出たものの、館に二本走っている廊下の内側を皆通る事が多く、外側に面したあの部屋の前を通る人間が居なくて発見が遅れたそうだ。あのとき発見したミネラウバは、忘れ物を取りに戻る途中、急ぐためたまたま通行量の少ないそちらを通ったとのことだった。そして、夜の間にあの場所を通った侍従を探したけれども、申し出る人間は居なかったと言う。

 そこまで説明した後、彼は僕に尋ねる。

「さっそくですが、皇子。昨晩、彼女と一緒にいらしたというのは?」

「ああ。一緒だった」

 思わず顔をしかめる。スピカを部屋に連れ込んだところを見ていた人間が漏らしたのだろうけれど……思い出したくなかった。

「いつ頃でしょう?」

「なぜそんなことを聞く?」

「重要かもしれないからです」

 見ていた人間に既に聞いているだろうに、他になにを聞きたいのだろう。そう思いつつ答える。

「……夜半少し前から一刻ほどだけど……」

 グラフィアスは険しい顔をしてこちらを見つめる。

「一刻? それは……変ですね。エリダヌス嬢が亡くなったのは……おそらくその時間帯なのですが」

「え?」

「死斑というものをご存知でしょうか?」

「しはん?」

 僕は首を振る。

「死んだ人間は血流が止まります。そのため、血が滞って痣のようなものが出来るのです。死斑によっていつその人間が死んだのか分かります。イェッドが調べましたが……エリダヌス嬢が亡くなったのは発見から少なくとも五刻は前という結果が出ています」

 死体が見つかったのは明け方五の刻頃のはず。

「ということは……スピカは」

「皇子のご証言が正しいと判断いたしますと、彼女には犯行は不可能でしょう」

「じゃあ!」

 スピカがやったんじゃない!!

 僕が思わず身を乗り出すと、グラフィアスは首を振る。その口元が微かに笑っているように見えた。

「ただ……だれも皇子の言われることは信じないでしょう」

「なぜだ?」

「皇子が彼女のことを何よりも大事にされていらっしゃることを、誰もが存じているからですよ。皇子が何を言われても、庇っておられるとしか思わないでしょう。私としても捜査上都合が悪いですし、そう思いたいですね。早く解決せねば立太子の儀に響きますし」

 グラフィアスは迷惑そうに顔をゆがめ、続ける。

「彼女は少しも否定しませんでした。認めもしませんでしたが、とにかく黙り込んだままで。だから分からないのです、本当のところがどうなのか。……しかし、遺体発見時の状況からは誰がどう見ても彼女がやったとしか思えない。犯行の時間帯に彼女を目撃された方は殿下だけ。本人は黙秘。こんな状況ではもう彼女がやったと決まりです」

「でも! 僕は確かに一緒だったんだ!」

「皇子殿下や隊長に証言して頂いても意味を成しませんから。――殿下と一緒に部屋に入ったけれども、彼女だけすぐに部屋を出て行った、殿下はそれを隠されている――というところでしょうか。あとは……動機です。なにか心当たりは?」

 彼は首を横に振ると、僕の言うことはあっさりと無視して淡々と調書を埋めていく。

 ――答えてなんかやるものか。

「まあ、大体のところは他の人間から聞いていますから。別に答えられなくても結構ですよ。……皇子を独り占めしたかったのでしょうね。どうしてそんな大それた望みを抱いたのやら。今回捕まらなかったら、ほかの妃候補も危なかったのでしょう。こう申しては何ですがアリエス王女でなかったことはジョイアとしては幸いでした」

 不謹慎な事を言い続ける彼の胸ぐらを、僕は堪らず掴むと叫んだ。

「お前にスピカの何が分かるっていうんだ!」

「……殿下は何を分かっていらしたというのです?」

 彼は冷静に僕を見返した。その丸い優しげな目が急に刃のように鋭く光った。

「私は侍女をしていたころの彼女を知っています。いつも幸せそうにしていて、特別に目を惹く少女でした。なのに、今朝見た彼女には、そのかけらも見当たらなかった。……彼女をそうさせたのはあなたではないのですか?」

 僕は何も言えなかった。

 ふう、とため息をつくとグラフィアスは僕から目を逸らして、さらに言葉を続ける。

「……私は、彼女の刑が確定するようでしたら、北方に任務を変えてもらおうかと思っています。そう思っているヤツは宮中に結構いるのです。手が届かなかったはずの娘と一緒になれる千載一遇の機会かもしれないですから。一応流刑地から出なければ、結婚だって――まあ事実婚になりますが――許されますからね。不謹慎かもしれませんが、彼女に気がある人間は、実は皆、今回のことを喜んでいるのですよ」

 目を丸くする僕の前で、彼はとんでもない告白を淡々と続ける。

 皇子の妃を奪おうという宣言をその当人の目の前でしているというのに、その顔は冷静そのものだった。そして――それは恋をしている男の顔だった。

 スピカが侍女をしているときに、特別に目立っていたのは知っていた。

 しかし……ここまで熱烈に想われているというのは、知らなかった。少し考えれば当然なのに。


「そんなことは、許さない」

 僕は低く呟く。

「許さないも何も……あなたは、皇太子でしょう。刑が確定すれば、私たちと違って、そのお立場ではどうにも出来ません」

「スピカはやってない。僕はそれを証明してみせる」

 彼女の無実を本当に知っているのは、あの時一緒だった僕だけだ。そしてそれを証明できるのも。

「あなたが?」

 返す言葉に馬鹿にしたような響きが混じり、急に先ほどからの彼の態度が腑に落ちた。彼の敬意はすべて〈皇太子〉の地位にのみに払われて、僕自身にはその欠片も向けられていなかった。

 ――僕は、この男にちっとも認められていない――。

 おそらくこの宮の人間のほとんどが、この男と同じように思っている。甘やかされたお飾りの皇太子だと。――〈僕〉には結局何も出来ない、と。

 僕は大きく息を吸うと、腹に力を入れて目の前の男を睨みつけた。

「そうだ。――スピカは、誰にも渡さない」

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