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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第6章 届かぬ想い―1

 あたしは人目を避けるため、渡り廊下を通らずに中庭に降りた。あえて自分の部屋がある建物とは反対側の西側の垣根沿いに歩くと、建物の影に座り込む。

 部屋に戻れば……きっとシュルマに何があったのか問いただされるだろうと思った。

 それくらいあたしはボロボロだった。髪の毛はぐしゃぐしゃ。せっかくのドレスには皺がよっていた。いつも着せてもらっていたものだから後ろのリボンなど自分では結べないし、きっと歪んでいるはず。

 シュルマに何か聞かれても、今は……まだ何も答えられなかった。

 それに、話したとしても誰にもどうにも出来ない。シュルマを悩ませるだけで。

 あたしは所詮平民の娘。この国の皇太子であるシリウスがそのあたしに何をしようと、……だれも咎める事はない。拒むなんて選択肢があたしには無いのだから。

 大体この力の事なんて、……誰も知らないのだ。心を読む事さえしなかったら……さっきのことなんて痴話喧嘩で済む話だろう。

 なんで……力を使わないなんて決めちゃったんだろう。

 そうしなければ、きっとこんな思いをする事は無かったのに。

 ……誓った通りに読まなければ良かった。読まなければ……エリダヌスの事だって知らずにすんで……そして、シリウスのあんな気持ちを知る事もなく、彼の腕の中で彼を信じていられたのに。

 だけど、今我慢してもいつかあたしは彼の心を読んでしまったと思う。だってあたしは、本当は彼のすべてが知りたかった。心の底から愛されてるってそう思いたかった。自分でも気がつかなかったけれど、ずっと彼の心を読む事を我慢していたのだ。だからさっきどうしても我慢できなかった。

 あたしを大事に思う気持ちは彼の中にちゃんとあったのかもしれない。だって、あんな風に将来を誓ったのはついこの間の事なのだから。あのプロポーズの言葉が、あの優しいキスが全部嘘なんて……とても考えられない。

 冷静に力を使えば、その気持ちを見つける事も出来たのだろう。でも、さっきのシリウスを見てしまった今は、そう信じることはとても出来なかった。

 ふと見ると目の前には若葉が茂っていた。若草色の葉は月光につややかに光り輝いていた。

 あたしは枝が見えるくらいになるまで垣根の葉をむしりながら、ひたすら泣き咽ぶ。



 どれくらいそうしていたのだろう。

 もうむしるだけの葉も無くなり、枯れ木のようになったその垣根を見ていると、まるで今のぼろぼろの自分を遠くから見つめているようだった。そうして泣くだけ泣いたからか、ようやく少しだけ頭が働いて来るのが分かる。

 ――明日。

 城を出よう。父さんに頼んで、誰にも告げずにこっそりと。今ならまだ傷も浅い。これ以上傷つく前にシリウスから逃げよう。そしてもう、彼を忘れてしまおう。

 もうあんなことは耐えられなかった。

 あたしは膝に力を入れると立ち上がる。そして自室へと向かおうとのろのろと足を進めた。

「…………スピカ様?」

 小さな声が廊下から聞こえた。

 もう夜半をずいぶん過ぎているはずだった。こんな時間に声がかかるとは思わなかった。

 視線を向けたときに丁度月が顔を出し、その影を照らした。

 月明かりのせいかしら。そこだけ空気が冷たく凍えているように感じた。

「どこにいらしたのです? お探ししていました」

「……探すって……あたしを? なぜあなたが?」

 ――シリウスかしら

 すぐにそう思いつく。なんだかんだで聡いのだもの。冷静になれば気づくかもしれない、あたしが記憶を読んだ事。

 そうであれば……今頃必死で謝ろうとしているのは目に見えていた。きっと探してる。この人はそれに巻込まれたのかもしれない。じゃあ、あたし、急がなきゃ。彼に見つかったらもうここから逃げられない。きっと。

「あたし……今誰とも会いたくないの。だから、放っておいて欲しいの」

「そうだとしても……そのお姿は少々ひどいですね。誰かに見つかれば要らぬ噂になります。こちらで直しましょう」

 その声は暖かかったけれど、有無を言わせない強引さを含んでいた。

 言われて、思い当たる。確かに、今のままでは人目につきすぎる。

 万が一この姿を父に見られたりしたら…………ひょっとしたら城に火がつくかもしれない。少なくともシリウスは無事ではないはずだった。そうなると、当然父の命もなかった。

 そんなことになったら、目も当てられないし、なるべく父さんには心配も迷惑をかけたくない。

 そう思ってあたしはおとなしく後ろに続いた。前を歩く黒い影はなぜか西の外宮に入って行く。

 あたしは不思議に思いながら付いて行く。確か……この建物は使われていないはずなのに。警備も手薄で、背の高い守衛もこちらを気にせずにぼんやりと月を見つめていて、あたしたちを気にする様子も無い。あぁ……人目が無いから着替えには丁度いいのかもしれない。そういうことかしら?

 働かない頭でぼんやり考えながら廊下を進んでいたけれど、途中なんだか嫌な気分になって来た。

 理由は分からない。

 ただ、なにか、とてつもなく嫌な事が待っているような、そんな気分。


 奥に進むと、ふと妙な臭いを感じて、あたしは思わず立ち止まる。

 これは――?

 錆びた金属の匂い。血の臭いだった。


 月光に照らされたその顔には笑みが浮かんでいた。痛々しいくらいはかなげで、それでいて、奥に秘めたものを感じさせる笑み。あまりに雰囲気にそぐわなかった。

 そして、突然のようにその口が開く。

「あなたは幸せ者です」

「……しあわせもの?」

 その言葉は、今のあたしにはあまりにも似つかわしくなかった。

「そう。愛するものに愛されて……いろいろな人に求められて」

 思わずカッとなる。――あんな風に、心を全部否定されて体だけを愛されても、それは愛されてると言えるというの? それでも……彼の役に立てて幸せだと、喜ばなければいけないの?

 そう思って立ち止っていると、先を行く足音も止まる。廊下には静寂が広がった。

 ここには他に全く人の気配がしなかった。それはそうかもしれない。この場所のあるじには今、側室どころか妃自体がいらっしゃらないのだから。

 目の前の人物はそんな事を考えるあたしをじっくりと見つめ続けた後、再び口を開く。

「――その上に、あなたは特別な力を持っていらっしゃる――――なんでも心が読めるとか」

「……なんで知って……?」

 あたしの問いは無視されて、代わりに部屋の扉を開ける音とともに、言葉が投げかけられる。

「なぜそれを有効に使おうとしないのですか? 皇子のために。……私でしたら、愛する人のためなら、自分が持っている全てのものをその人のために使います。たとえその想いが報われなくても。それとも……あなたは、もう皇子のことを愛するのは止めたのですか?」

 その言葉はあたしの心を鈍く抉り、少し前のあたしを思い出させた。


 見返りも何もいらなかった、彼の傍に居られるだけでそれだけで良かった、あたし。

 失うものがなかった、あの頃のあたし。


 気が付くと目の前に部屋の扉があった。ただ少し古びているだけで、あたしの部屋とまったく同じ形の扉だった。目の前で扉が僅かに開かれる。不快な鉄のような匂いが一気に強まる。

 部屋の中へと消える顔はあたしを誘うように微笑んでいた。

 ――見てはいけない、ついていってはいけない!

 心の中で何かが叫ぶ。それでも足は進んでしまっていた。その背中に過去のあたしの幻影が映っている気がして、引き寄せられるようだった。

 一歩踏み出すとずるりと足が滑る。足元がひどく悪かったけれど、暗くてその原因が分からない。

「今はあなたにとっても、都合が良いのではないですか? これで皇子から逃れられるでしょう?」

 扉を抜けると、後ろからそう声がした。

 目の前には誰もいないし、想像していたような――特に変わったものは見当たらない。目の前の寝台が、月明かりに白く光っているだけだった。

 なのに臭いだけは他の感覚を妨げるくらいに強くなっていた。

 どうしようもなく気分が悪く、酸っぱいものが上がってきて、口の中が粘ついた。吐き気を押さえつつ後ろを振り向く。

「ど、どういうこと……?」

「予定外に完璧な仕上がりになりそうです。〈これ〉はもう必要ありませんね」

 掲げられた手には金色の髪の毛が光っていた。それは無くしたはずのあたしのかもじに酷似している。部屋に響く口調には妙な達成感を感じ取れた。あたしは嬉しそうに微笑むその顔を見て、そしてその視線の先の足元を見た。

「――――っ!」

「起きた時には…………きっと皇子から逃れられていますよ」

 ――〈それ〉が何かに気がついた時には、もう意識が薄れるのを感じていた。

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