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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第5章―5

 なんでこんなことに。――スピカ……なぜ?

 体に残る熱が、苛立ちを増加させる。

 確かに早急過ぎたかもしれないけど、我慢できなかった。すぐにでも体を合わせて確かめ合いたかった。

 彼女もそうだと思ったんだ。

 でも……焦がれていたのは、どうやら僕だけで。


 あんな風に泣くなんて。あんな目をするなんて。

 ――裏切られた気分だった。


「あらまあ! 駄目ですよ、そんな格好でウロウロされては」

 セフォネが、暗い廊下を呆然と歩く僕を見つけて、急いで近づいてくる。部屋にいないのに気づいたようだ。散々探しまわったのか、息が上がっている。目尻はつり上がり、目の間に縦皺を寄せていた。

 周りを見回すと、自分の部屋とは反対側――謁見の間に向かって歩いていた。よく見ると見張りの兵が僕を不審そうに見守っていた。

 セフォネの言葉を思い出して、ふと自分を見おろすとボタンが掛け違っていた。おそらく慌てて出てきたから、うまく服を着れていないのだろう。今思えば……ほとんど逃げるようにして出て来ていた。

「――いいんだ」

 何もかもどうでも良かった。

「よくありません。夜中と言えど誰が見ているか分からないんですから。お立場を考え下さいませ。――あら? いい香りがしますけど」

 セフォネはそう言いながら鼻をひくひくと動かした。

 香り?

「スピカ様ですか? ようやく伽を? それでまた勝手に抜け出されたのですね!?」

 セフォネの少々呆れ気味な声が響く。

「……いや」

 香りって……まさか。

 僕は、袖を鼻に近づけるけれど、鼻が詰まっているせいか何も感じない。

 でもスピカは……香を使わない。ということは――

「――また、あの娘は拒んだのですか!?」

 呆然とする僕の隣で、セフォネは何を取り違えたのか唐突に憤慨した。

「あれだけ言って聞かせたのに。絶対に嫌がるな! 自分の役割を考えろと」

 ――なんだって?

「嫌がるなって……言ったのか」

 決して嫌だと、やめろと言わなかった、スピカ。僅かに抵抗したのも最初だけで。だから……強引と思いつつ進めたのに……

『泣くほど嫌だったら、そう言えよっ』

 自分の放った言葉が、胸を深々と抉る。


 僕は、エリダヌスの身体から微かに漂っていた花のような香りを思い出す。あの香りは、彼女を特徴づけるくらいに強烈なはずだった。スピカも、一度嗅げば忘れないに決まってる。

 つまり、エリダヌスとのこと、感づいた? それで、あんな風に……聞きたい事があるって……。それを、僕は――

 一気に身を翻して、先ほどの部屋に走った。


「皇子!」

 背中にセフォネの必死な声が響いていた。


 ごめん。

 ごめん……! スピカ!


 手折られた花のように横たわる彼女がまぶたの裏に浮かび上がる。

 彼女は抵抗しなかった。それは受け入れたのではなく――権力に逆らえずに諦めていたのだ。それを僕は……。

 ――スピカ。君はいったいどんな気持ちで……

 あんな香りを身に纏っていたんだ。僕がエリダヌスを抱いた後で、彼女を抱いたと思ったかもしれない。


 そうだとしたら。――もしかしたら、彼女は、記憶を。


 そう考えれば彼女の態度が急に腑に落ちた。

 彼女は僕を信用して、その力を封印していたはずだった。でも、あれだけ頼まれたのに、話をしなかったから。読んだとしても、おかしくないし、それを責めることなんて出来ない。

 きっと彼女は僕の気持ちを聞きたくて仕方が無かったんだと思う。僕はそれに言葉じゃなくて――体を合わせる事で答えようとしてしまった。それで分かってくれるって勘違いして。言葉で伝えなければいけなかったのに、――なんて、なんて馬鹿なんだ。

 僕は思い出す。あのとき僕は何を考えていた?

 エリダヌスとの事を棚に上げて、ルティのこと、イェッドのこと。彼女の過去も現在も未来も……疑って責め続けた。

 何もかもに絶望したようなあの瞳が蘇り、ぞっとした。彼女の心は戻って来ないかもしれない。


 どうしよう。どうしたらいい。


 部屋に駆けつけて扉を開いたけれど、そこにはもう誰もいなかった。微かに残った熱と乱れた寝台だけが、あれが夢ではなかったと僕に告げている。


 セフォネが、後ろから必死で追いかけて来て、呆然とする僕を捕まえる。腰を伸ばしながら、息を整え、僕を睨みつける。

「さあ。皇子。部屋にお戻りください。もう少し仕えてるもののこともお考えくださいね。私などかなり歳なのですから」

「……スピカを……」

 声がかすれ震えていた。スピカを……どうする気なんだ、僕は。捕まえて、囲って、それから――?

「ええ、分かっております。探させますから。まったく、手がかかるったら……」

 ブツブツ言いながら、セフォネは僕を部屋に引っ張って行く。

 急激に熱が上がっているのを感じた。先ほど僕を襲った熱とは別の、体を蝕む熱だった。体に力が入らず、セフォネの力にさえ抗えない。

 何もかも歪んで見えた。廊下も天井もぐるぐると渦を巻き、足はずぶずぶと堅いはずの石の床に埋れて行くような気がした。重たい。体が沈む。壁と天井が急激に迫ってきて、僕を押しつぶす。

 自分の部屋の扉が目に入ったとたん、急に目の前が真っ暗になった。僕は耐えきれず、廊下に膝をつく。

「皇子!!」

 セフォネの悲痛な叫び声だけが耳に残った。


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