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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第5章―4

 何がきっかけだったのだろう。ああ、そうか。香り。さっき彼から漂う香りに理性の糸が切れてしまったのだ。

 何かをごまかすように口づけを続ける彼に我慢が出来なくて、尋ねる代わりに彼の心に忍び込んだ。そうして見たのは、――彼の裏切りだった。



 体の上には愛しかった人が居た。

 熱い肌をあたしの肌の上に重ね、ただ闇雲にあたしのすべてを奪う。胸には彼の声が直接響いていた。けれど、それはあたしの聞きたい言葉とはまったく異なるものだった。

『――前は、こんな風な反応だった? あのときは……? その前は?』

 彼は思い出していた。

 口づけしているシリウスはいつの間にかルティに入れ替わり、あたしはそれがあのときのことだとすぐに分かった。

 一気に流れ込む記憶が現実と混じり合い、あたしは一体自分が誰なのか、それさえ分からないような気がしていた。

 彼の記憶の中のルティはシリウスの体を乗っ取ったかのように、あたしをその彫刻のような体で翻弄していく。

 そして、体の上にいる男は目紛しく入れ替わる。

 彼の頭の中で、あたしは、ルティやイェッド先生、近衛隊や侍従など様々な男の人に抱かれていた。しかも、それを抵抗もせずに受け入れていた。

 ――つまり、シリウスはあたしがそうするのではないかと疑っているということ。あたしがシリウス以外の人を受け入れるんじゃないかって。

 彼の腕の中で、彼以外の男に抱かれている――自分の身に起こっていることをとても受け入れられず、人ごとのようにその状況をどこか遠くから見つめていた。

 嵐に翻弄される木の葉のように、いろいろな腕から腕を渡ってくるくると舞い、やがて地に落ち、粉々になる。


 ――こんなのって、ない。

 あんまり、だ。


 嵐が過ぎるのを待つように、あたしは、目を閉じ、心を閉ざしてその時間を過ごした。

 涙だけがただ、枕にしみ込んでいった。

 それと共に僅かに残っていた希望が流れ去り、後には絶望だけが広がった。



 ***



 小さな摩擦音を立て、扉がそっと開かれる。

 あたしは、その微かな音にようやく少しだけ反応できた。

 まるで成人の儀の時ように、下腹部は重く、体の節々が痛んだ。――あのときはそれさえ嬉しかったのに、……今はただ辛いだけだった。

 鈍い痛みが手首に走り、月明かりを照らすと少しだけ痣が出来ていた。ずっと押さえられていたから、うっ血してしまったらしい。

「あ、の……今大きな音がして、人がこちらから出て来られて……そして、泣き声がしたので……」

 幼い高めの声が控えめに投げかけられた。

 あたしは自分がまだ泣いている事に初めて気がついた。シリウスがあたしを置いて出て行った後、嗚咽を堪えられなかったのかもしれない。

 扉の方を見ると、小柄な影が切り絵のように浮かび上がる。逆光で顔は見えないけれど、声から察するに少女のもの。聞いたことのあるような、無いような。あたしにはもう考える力がほとんど残っていないみたいだった。

「……大丈夫ですの?」

「……」

 大丈夫とは言えなかった。

 少女の方から見れば廊下からの照明で、あたしが今どんな様子なのか分かるだろう。

 あたしはほとんど何も身に纏わない状態で、呆然とベットの上に座り込んでいた。

 相手が同性だからというのもあったけれど、それ以上に、隠す気にもなれないくらい消耗していた。

 少女は明らかにおびえていた。

「……乱暴されたのでしょうか」

 心細そうな声が部屋に響く。かすかに震えの混じった幼い声。

 あたしは肯定も否定も出来ず、涙を拭うと黙って服を纏い出す。

 ――乱暴された?

 あたしたちの関係は、そういうものではないはずだった。そんな一方的な言葉で表わされるものではなかったはずだった。

 でも、さっきのシリウスは、優しさの欠片も何も無く、ただあたしの体を求めていた。

 彼はやっぱりあたしがルティと寝たんじゃないかって疑っていた。その上、この宮についてから、誰かとそういう仲になったんじゃないかって疑っていた。彼は〈自分のもの〉が壊されていないか、点検していただけだった。乱暴よりもっとひどいかもしれない。

 あたしは……ものじゃないのに。

 セフォネの言った言葉が今更のように胸の中をかき回す。

『なんでこの城に置いてもらっているか、もう一度良く考えてみることです』

 ふと笑いがこみ上げてくる。

 彼女の言った事は正しかった。あたしは……一体何を信じようとしていたんだろう。

 今まで心の中を暖めていたものは、全て幻だったように思えた。

 そう思ったとたん、ふいに肌寒さを感じた。服を着ようとしたけれど、なかなかうまくいかなかった。その様子を見て、少女は手伝おうと思ったのか、部屋に一歩進み出る。

「――近づかないで」

 あたしは自分でもびっくりするくらい冷たい声でそう言った。

 さすがに近くでは見られたくない。そう思った。きっと色々な痕が残ってる。

 半ば無理矢理に服を着てしまうと、あたしは乱れてしまった髪を簡単に纏める。きっちり纏め上げていたそれはほとんど崩れてしまい、その中途半端な長さの髪がほつれて体に落ちていた。

 きっと今のあたしは、ボロボロの雑巾のよう。こんな姿はこれ以上誰にも見られたくなかった。

 あたしは少女の隣を何も言わずに横切る。

 少女はあたしを避けるように道を開け、心配そうにあたしを見つめた。

 廊下の照明ではじめてその姿が露わになる。

 ――ああ……

 その姿を見てやっと誰だか分かったけれど……今更だった。

 逃げるように背を向けると、廊下を音を立てないようにひっそりと駆け抜ける。

 入り口にいた守衛が見てはならないものを見たという表情を浮かべ、目を逸らす。

 ……それが今はありがたかった。


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