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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第5章 裏切り―1

 朝起きると頭と喉が痛かった。鼻も詰まっている。どうやら風邪をこじらせたらしい。

 ただでさえ……忙しいのに……。

 ふとテーブルの上を見ると、昨日書いただけで渡しそびれた手紙がそのまま置いてある。

 ……セフォネに渡すのを忘れていた。

 昨日は頭に血が上って……それどころじゃなかったからな。

 今日、これだけでも先に渡してもらおう。ドレスが仕上がるのはいくらお針子を総動員しても三日はかかるそうだし。


 僕はベッドから起きあがると、用意されていた水桶で顔を洗う。

 異常に水が冷たく感じる。背筋がぞくぞくしていた。

 ……まずいなあ。

 確か今日は貴族の娘たちの相手をすることになっているはずだ。

 南部ガレのエリダヌスと、北部ケーンのシェリアと大臣の娘、タニア。

 タニアと言う娘は結局まだ一度も顔を見ていない。

 どうやらあのメサルチムの娘らしいのだけれど……それだけでいい印象は抱けなかった。

 確かにメサルチムも必死だとは思う。あいつは義母があんなことになってから、一気に権力から遠ざかったのだ。もとの栄華を手に入れるためには、誰かに取り入る必要があるけれど、そんな相手はもう僕しかいないのだ。

 同様の理由で、今までいずれミルザが皇嗣となると決めてかかって、娘の扱いに困っていた貴族――南部のガレなどはその典型で、北部出身貴族の血をひく僕と母とは疎遠だった――が后妃の事実上の失脚を機に一気に娘を差し出しているのだろう。その手のひらを返したような態度が不愉快だった。それにはた迷惑でしかない。

 散々女性との交渉を避け続けた結果、宮の中では僕が女嫌いだと知れている節があったけれど――そしてそれはまあ都合がよかったのだけれど――、スピカを娶った後にその言い訳は通用しないらしい。

 政略結婚――確かに強い結びつきには違いない。それはわかってはいるけれど、この方法だけはどうやっても受け入れるわけにはいかなかった。


 嫌なことはさっさと終わらせよう。……どうせ避けられないのだ。

 それにしても――僕はふと部屋を見回した。

「セフォネは?」

 めずらしく彼女の姿が見えなかった。

 僕は傍にいた侍従に尋ねる。見たことがない男だった。

「アレクシアに呼び出されて打ち合わせに行っております」

 アレクシア?

 不審に思って眉を寄せると、侍従は補足した。

「外宮の管理官です」

 外宮管理? つまり……外宮の部屋を割り振ったりするってことか? それなら、僕も一言文句を言いたい。なんでスピカの部屋があんなに遠いんだって。もっと近くにしてくれって。

 僕がそんな風に考えていると、侍従が意味ありげに微笑む。

「今日の伽の用意でしょう」

「は?」

「その……不公平があるといけないので、アレクシアが妃たちの体調などを考慮しながら、順に割り振るのです」

 そう聞いて一気に不満が噴き出しそうになる。そういうことなら……僕の妃はスピカだけだから、そんな役職いらないと思うんだけど。いったいセフォネは何をしに行ったんだ。

 僕のむっとした表情を照れていると取り違えたのか、侍従は笑みを強める。

「いや、羨ましい限りで」

 僕はこの侍従をクビにしたいななどと考えながら、食事を進める。鼻が詰まっているせいで、殆ど味を感じない。

 侍従の反応は一般的なのかもしれない。けれど……スピカに、僕もそうだと思われるのがひどく嫌だった。


 それ以上彼と話をしたくなくて、僕は頼みごとをすることにした。

 例の手紙だった。

「あのさ、これ。スピカに届けて欲しいんだけど」

「スピカ様のですか……あいにく、部屋を知らないのですが……教えていただけるのでしょうか?」

 その窺うような声色に、僕は急に彼女の侍女時代のことを思い出す。彼女のことだ、手紙を持ってきたこの男を、何も考えずに部屋に入れてしまうかもしれない。

「そうか……じゃあ、いいや」

 惜しそうに眼を伏せる侍従を見て、冷や汗をかく。そうして、まだお披露目はまだだということを思い出し、それまでは彼女は名も地位もないただの娘だということを思い出す。名が無いということは……替えがきくということ。宮中での犯罪は大罪だし、レグルスがついているから大丈夫だとは思うけれど……。なんだか妙な胸騒ぎがして――彼女の警護を固めよう、僕はそう気を引き締めた。



 午後になると、娘たちが華やかな衣装を身に付け、僕の部屋を訪ねてきた。赤い花と青い花が暗い廊下に彩りを加える。

 ……あれ? 二人?

 僕が首を傾げると、彼女たちを連れてきた侍女がこっそりと言う。

「タニア様は具合が悪いということで、今日はご遠慮したいとのことです」

 今日はって……最初からずっとだけど。……まあ、いいか。そっちの方が気楽で。

 僕はそう思うと口元だけで笑顔を作り、彼女たちに向き合った。

「今日は、庭を案内しましょう」

 午後だけの予定だったので、今日は遠出はなしだった。

 本宮の裏には、大きな池があり、そこで飼っている魚や、集まってくる鳥を見せるつもりだった。

 外はあいにくの曇り空。少し肌寒いくらいだった。娘たちの襟刳が寒々しく映り、僕は失敗したかなと一瞬考える。けれど彼女たちはどこからかショールを取り出すと、肩にかけた。それが妙に暖かそうに見えて正直羨ましい。風邪のせいか着込んでいるくせに寒かった。

 本宮を出ると、外宮へ続く渡り廊下から外に降り、外宮沿いに裏に回る。外宮沿いにはずっと植え込みがあり、新芽が顔を出してほんのりと赤く花のように色づいていた。

 池の周りを散歩しながら、おそらく女の子にはつまらないような類の話をわざわざ選んで口にする。

「僕は弓をひくのですが――」

 僕はひたすら弓の話をした。弓を引くときにどれだけ精神を集中させるのかとか、意外に足の力が要るのだとか、呼吸法がどれだけ大切なのかとか……はっきり言ってこの際どうでもよい話題だった。スピカならきっと喜んで聞いてくれるだろうけれど。


 ――しかし。


「皇子」

 退屈したエリダヌスは突然僕の腕に抱きつくようにもたれかかり、その胸を押し付けてきた。

 微かに花の甘い香りが漂い、僕は頭がくらくらした。思わずその感触を比べそうになってしまい、慌てて頭を振る。

「皇子は今夜の予定はどうされるのです?」

「そうですわ。……そろそろ、わたくしたちもご一緒に過ごさせていただけないでしょうか」

 単刀直入だった。

 彼女たちもそれなりに覚悟を持ってこの地に臨んでいるのだ。当然といえば当然だった。

 僕は態度を改める。回りくどいのはやめなければ伝わらない。

「僕は、今の妃だけで十分なんだ。君たちが背負うものも分かるけれど、こればっかりは受け入れられない」

「皇子、そんなことおっしゃらないで」

 エリダヌスが余計に体を寄せてくる。

 それを止めるかのようにシェリアが彼女をちらりと睨む。

「……彼女、本当にお披露目までここにいるとお思いです?」

「どういう、意味だ?」

「彼女にはほかに恋仲の男性がいらっしゃるのでしょう? 今日わたくし、聞きましたの。彼女が父親と……ここを出る計画を話しているのを」

 ……なんだって!? レグルスと?

 恋仲の男性……ってのは、例の噂だと思うけれど、レグルスが動くとなると……それはスピカが相当参っているということだ。

 手紙を出さずにいたことが悔やまれる。昨日怒っていてもセフォネに頼むべきだったのかもしれない。

「イェッド先生にも泣きついていらして。お可哀想だと思いましたわ」

 彼からそんな話は一言も聞いていなかった。様子がおかしければ言ってくれと頼んでおいたのに。

 スピカが他の男の前であの泣き顔を見せていると思うだけで、ものすごい不安が湧いてくる。

 あんな顔されたら、抱きしめずにいられない。たぶん男なら誰でも。

 ――イェッド先生と抱き合っているのを見た――

 ミネラウバの語った噂が頭の中に蘇る。

 僕にスピカのことを何も言わないのは……やましいことがあるからじゃ……。


 そう考え付くと、次第にいても立ってもいられない気分になってきた。

 たしか……授業は今、あの本宮の中央の部屋であっているはずだ。決して二人っきりにはさせないよう、出入りが多く、見通しがよいあの部屋を選んで。でも、人払いをすればいくらでも二人きりになれるのだ。カーテンを閉めれば人の目も遮ることができるのだ。

 気になって仕方がなくなり、僕は二人を半ば無視して、さっさと本宮の南側へと足を運ぶ。

 部屋についているテラスから窓越しに人影が見え、僕は思わず木の陰に隠れる。

 じっと覗き込むと、スピカとイェッドがテーブル越しに向かい合って熱心に授業をしているようだった。

 久しぶりに彼女の姿を見てホッとした。ひょっとしたらいないんじゃないか――そんな事も考えたから、余計にだった。それに――普通に授業をしているだけだ。

 しかし次の瞬間、スピカがイェッドに向かって花が綻ぶように微笑んだ。

 その妙に晴れやかな笑顔が目に焼きついて……僕はなぜかものすごく気分が悪くなった。

 ――平気そうじゃないか。

 スピカが嬉しそうなのは、僕だって嬉しい。そのはずなのに……。

 なんだかひどくもやもやした。だって、まだ手紙は届いていない。僕の妃候補の話は当然聞いているはずだ。

 僕が誰と寝ようと、傷ついてないっていうこと? 嫉妬のひとつもしないってこと? あんなふうに笑えるほど些細なことなのか?

 

 ――もしかしたら、スピカは……僕が彼女を想うほどには……僕を好きじゃないのかもしれない。


 彼女の気持ちを疑ったことなんか、なかったけど。

 僕が必死で求めて、それに応えるようにして彼女は頷いてくれた。あのプロポーズの時も、よく考えたらそうだった。

 僕が……断れないようにしたからか? だから……


「あら……楽しそうですわね……?」

 追いついて来たシェリアがのんびりとした声で不思議そうに言う。

「先生に慰めて頂いたのかしら……」

 その聞こえるか聞こえないかのつぶやきが気に障る。

 ふと見ると、――部屋の中には二人しか居なかった。


 *


 僕は一気に体調が悪くなっていた。それを理由に散歩を切り上げる。

 胸がムカムカしてどうしようもない。風邪のせいもあるかもしれないけど、さっき見た光景のせいなのは間違いなかった。

 僕はイェッドと顔を合わせる気にならず、体調のせいにして授業を休んだ。どうせ、今授業をやっても頭に入るわけがない。

 スピカのことを聞くのも怖かった。何か聞くのなら……スピカが先だ。


 いろいろな感情が渦巻いて、頭が混乱していた。

 皮肉なことに……あの笑顔が一番僕を苛んでいるようだった。泣き顔を見るよりも取り乱すなんて……。

 シェリアの話を信じると、スピカはイェッドに慰められて元気を取り戻したことになるし、信じないとすると、もともと僕の妃候補のことなんか気にしてないということになる。

 他にどんな理由付けをしても、どうしても気分が悪い結果しか出ないのだ。



 とりあえず、夕食後、すぐ横になった。眠れるはずもなかったけれど、とにかく体の不調をなんとかしたかったのだ。

 セフォネが僕の不調に気がついて、薬を用意した。

「なぜ、こんなになるまで放っておくんです! 言って下さらないと分かりませんよ!」

 ものすごく怒りながら、苦い薬湯を有無を言わせず突きつける。

 吐きそうに苦いそれをなんとか飲み干すと、言った。

「すまない」

「今日は、ゆっくり休んで下さい」

「……いや。夜に、スピカを」

 セフォネがあっけにとられた顔をする。

「そ、そんな体調で――」

 誤解を招く前に遮るように言う。

「話をしたいんだ。……予定が終わってからでいいから、必ず呼んでくれ」

 今日はもう、何が何でも会わずにはいられなかった。

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