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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第4章 父の覚悟

「スピカ様」

 うきうきと弾んだ声に振り返ると、シュルマがニコニコして立っていた。

「どうしたの?」

 このところ暗い話題ばかりだったので、なんだか救われるような笑顔だった。つられて頬が緩む。

「今日の午後、ドレスの採寸をしましょう」

「え? ……でも」

 そんなことしても新しく服を作る余裕なんてない。父は貯金をつぎ込んで今の服を用意してくれたのだ。

 あたしの不安げな表情を見てシュルマが慌てて言う。その顔は興奮して上気していた。

「皇子が! スピカ様のために作って下さるんですって!」

「え……シ、いえ、皇子殿下が?」

 びっくりした。あのシリウスがそんなこと。

 だって彼は……正直そういうのって無頓着だから。ヴェガ様の差し金かしら? それなら分かるかも。

 あたしがそんなことを考えてると、シュルマが不審そうにあたしを見つめる。

「嬉しくないんですかぁ?」

「いえっ、嬉しいわ!!」

 嬉しいより先にびっくりしてしまっただけ。改めて考えると、すごく嬉しかった。

 今までにシリウスに貰ったものは、彼の名前だけだった。それが一番の宝物で、それ以上の贈り物なんて考えられないけれど。

 でも、嬉しい。

 あたしのこと、ちゃんと考えてくれてるんだ。

 多分、彼なりに一生懸命考えたんだろう。その様子を思い浮かべるだけで、心が温かくなる。

 またもや頬が緩み、それを見ていたシュルマは安心したようだった。


 昨日の夜はやっぱり会えなくてがっかりしていたし、今朝の朝食の席では、誰にも会わずほっとした反面、侍女たちのうわさ話を聞いて心が沈んでいた。


 『あの方、覚えてる? ……ルティリクス様って。……そうそう、あのすごく素敵な。剣術大会のこと覚えてるでしょう? あのとき、優勝して所望されてたじゃない。ってことは、そういう仲だったってことなのよ、きっと。その上に皇子までたぶらかすなんて……いい根性してるわよね』


 わざわざあたしに聞こえるように言ってるのだ。

 誰が流してるのかは知らないけど、そういう噂が流れるのは覚悟していた。

 剣術大会の表彰式――あれは、シリウスのその後の態度と同じように目立ちすぎた。


 ルティは、決してあたしのことが好きだったわけじゃない。単にこの力が欲しかっただけだ。力を持たないあたしには用がなかった。

 力のことは……宮では伏せられている。政治利用されるのを防ぐために、シリウスに言われてそうしている。

 なんにも取り柄のない平民の娘がそんな風にあちこちから求められたりすれば……やっかみを受けるのは当然だ。だから、いくら傷ついても……これは受け入れるしかないと思っていた。シリウスの隣に居るためには我慢しなければいけないことだった。

 そう思ってはいたけれど……今の状態では、厳しかった。

 理由は分かっていても、嫌がらせを受けるのはやはり堪える。

 エリダヌスもシェリアも館の廊下ですれ違う度に、あたしのドレスや髪型についてこそこそ笑ったり、立ち振る舞いが下品だとか、そういう陰口をわざわざ聞こえるように侍女と話していた。

 そんなこと、分かってる。なんとか出来る事は必死でやろうと思っていた。

 でも……どうしようもない事はある。髪は伸びるまでどうしようもないし、服なんて、もう父さんに頼んだりは出来ないんだもの。


 だから、シリウスから、そんな風に贈り物――しかもあたしが欲しかったものをもらうなどと聞けば、当然舞い上がってしまう。これで、また我慢できそう、そう思った。


 *


「採寸のとき……少しだけ嫌なことがあるんですけれど」

 渡り廊下を本宮に向かう途中、シュルマが言いにくそうに切り出した。

「何?」

「セフォネが同席したいそうです」

「え……」

 それは、嫌だ。

 あたしは思わず眉を寄せる。彼女に言われた言葉を思い出すと胃がキリキリと痛くなりそうだった。

「あたし、あの人少し苦手なの」

 あたしがおそるおそる言うと、シュルマも鼻にしわを寄せる。

「……私もです。融通が利かないっていうか」

 昨日の夜も、課題がもう少しで終わるから待って欲しいと言ったのに、「今すぐでなければ!」と急かしたあげく、終いには「あと十数えるまでに!」などと、数を数え出したのだ。

 子供のいたずらの方がまだ可愛いかもしれないと、唖然としている間に、彼女は数を数え終わり、誇らしげに微笑んで去って行った。

 あのあと、シリウスに何と言ったのだろうと思う。

 そのまま伝えたのだったら、彼はきっと怒るに決まっている。彼だけじゃない、誰でも怒るだろう。

 セフォネの宮仕えは長い。暗殺事件の時は帝の命で任を解かれていたらしいけれど、その前はシリウスが幼い頃からずっと彼の傍付きだったと聞いた。侍女として働いていた時も悪い話は聞かなかったし。……だから、たぶんシリウスが可愛いから、あたしにもっと妃らしくして欲しいのだと思う。そう善意的に解釈してみるけれど。うん……やっぱり……行き過ぎているかも。

「……どういうつもりなのかしら」

「ドレスの要望を皇子から預かっているとか……本当はどうだか知りませんけど」

 シュルマの顔が翳るのを見て、空を見上げると、鼠色の重そうな雲が日の光を遮って泳いでいる。嫌な予感がしていた。でも断るともっと面倒な気もして、あたしは渋々、その要望を飲むことにした。


 *


 採寸はいつもあたしが勉強をしている部屋で行われた。

 硝子窓から差し込む光が綺麗で、見ているだけで気分が明るくなる。本宮の中でも唯一と言えるかもしれない、重い空気を纏わないこの部屋が、あたしは好きだった。

「スピカ妃殿下、お待ちしておりました」

 セフォネが恭しく頭を下げる。

 この態度が、くせものなのよね……。

 彼女の普段の物言いからすると絶対蔑んでるはずなのに、その目に浮かぶ光に敬意などかけらもないのに、必要以上に丁寧なのだ。

 ここまでやられると逆に不愉快だった。それを狙っているのかもしれないけれど。

 部屋の中央のテーブルには、若草色の絹の織物が置いてあった。

 陽光に照らされ、ところどころ艶やかに波打つようで、とても綺麗――

 あたしが思わず見とれていると、セフォネは慇懃に微笑みながら言う。

「皇子が、この色が似合うだろうと言われまして」

 あたしはただ感激していた。

 これは――春のツクルトゥルスの色。

 白い色が徐々に消え、大地にこの色の若葉が芽吹く季節があたしは一番好きで、この色が本当に好きだった。

 シリウスのことだもの。そんな事知らずに、何も計算せずにやったんだろうけど……あたしはすごく嬉しかった。

 時が、二人で野を駆け回った、十年前に戻ったような気がした。


 しばしその感動に浸っていたあたしだったけれど、セフォネの淡々とした言葉に、その喜びは脆くも崩れ去った。

「この度、皇子のもとに新しく四人の〈妃〉が来られます。その歓迎の宴が開かれますので、そのときに今から作るドレスを着て頂きたく存じます」

 あたしは耳を疑った。今、セフォネは〈妃〉とはっきり言った。候補ではなく。しかも〈歓迎〉の宴だと。今から作るドレスは……そのためのものだと。

「それは……決定なの」

 震える声にセフォネの冷たい言葉が被る。

「皇子にお断りする理由がございませんでしょう。もちろん、最初の妃としてお披露目されるのはスピカ様ですので、妃として失礼の無いよう、よろしくお願いいたしますね。宮に不慣れな方も多いと思われますし、先輩として皆様を纏めていただかないと」


 どんなデザインを選んだのかも覚えていなかった。

 いつの間にか採寸と仮縫いが終わり、部屋が片付いた後もあたしはぽつんとその部屋に残っていた。

 イェッドとの授業があるのだ。


 外宮の自分の部屋を出る前は期待で膨らんでいた胸も、一気にしぼんで、あたしは自分が抜け殻になったような気がしていた。


 ……約束を守らなくていい、なんて……。

 あたしが言うようなことではなかったのかもしれない。そう言う前に、それは破られてしまったようだ。


 あたしは、これから自分がどうするべきなのか……考え込んでいた。

 このままここに留まって……彼がたくさんの妃と仲良くしているのを見続けるの? でも、その妃たちと仲良くしなければならないのよ? 仲良く? シリウスとそういう関係のある女性たちと?

 どう考えても無理だった。話すことすら目を合わせる事すら出来ないに決まっている。

 嫉妬で狂ってしまいそうだった。きっとシャヒーニ妃のように……。

 そうなってしまってからでは遅い。二代続けてそんな不祥事はジョイアにはもう許されないのだから。


 あたしは……ここにいるべきではないのかもしれない。彼の笑顔を見ることだけで満足できないようなら、どこか遠いところでそっと彼の幸せを願うのが、あたしに出来る一番のことなのかもしれない。

 いままで力のせいでいろんなことを諦めて来たけれど……彼を諦めることは今までで一番辛い気がしていた。


 

「スピカ」

 聞き慣れた声に、思わず顔を上げる。扉の前にいつの間にか父が立っていた。

「……父さん」

「辛そうだな」

 あたしは思わず俯く。どうやら父にだけは見られてはいけない顔をしていたらしい。

「逃げてもいいんだぞ。皇子がいくら駄目だと言っても、いざとなれば俺が連れ出してやる」

「大丈夫よ。父さんを無職にさせるわけにいかないし……せっかくここにも馴染んで来たんだもの。きっと……大丈夫」

 そう言うと、あたしは無理にでも笑おうとする。まだ、父に泣きつくわけにはいかなかった。

 それは、本当に最後の最後まではやるわけにいかない。少しでも泣き言を言えば、次の瞬間には、あたしはここから連れ出されてしまうに決まっているのだ。そうして、もう二度と宮に戻ることはないだろう。

 あたしにはまだ、シリウスと完全に離れてしまう覚悟はなかった。

「立太子の儀の前までにどうするか決めておけよ。それ以降は逃げるのも苦労するからな」

 父は、相当の覚悟をしているようだった。

 あたしを攫ってでも、守ろうと。それは、自分が罪を被ると言っているようなもの。

 あたしは、それを思うと、胸が詰まって息が出来なくなる。

「お前はもっと平凡な幸せを手にすることも出来るんだからな。……母さんみたいに」


 母さん……か。

 本当にそうだ。あたしは母さんと同じ道を行こうとしている。

 母さんはアウストラリスの王子と恋仲だったけれど、引き裂かれて、――でも、その後父さんと幸せになった。

 最初の恋人と添い遂げられなくても、あたしの記憶の中の母さんは十分に幸せそうだった。

 あたしの育った家庭は平凡だったけれど小さな幸せがそこら中に溢れていた。きっと、今みたいな身を切るような想いをすることはないだろう。

 あたしはそんな家庭を想像してみる。

 騒々しい通りに面した粗末な家。風に煽られた埃っぽい洗濯物。質素だけれど暖かい食事。ぐずる小さな子供をおぶって子守唄であやしながら、夫の帰りを待ちわびるのどかな夕暮れ。

 でも、そのあたたかな家庭で、あたしの視線の先にいるのは、シリウスでしかあり得なかった。


「……シリウスを……忘れるなんて、出来ない」

 あたしはお腹のそこから搾り出すように言う。

 父はやれやれといった調子で息をつくと、柔らかい色をした瞳であたしをじっと見つめた。

「もっといい男はたくさんいるぞ? 世の中は広いんだからな。お前は、視野が狭すぎるんだ。もっと周りを見ろ。……大体、アレのいったいどこがいいんだ。前から不思議でならないんだ、俺は。顔か? 男は顔じゃないぞ?」

 誰が聞いてるか分からないのに、父は急に不機嫌になってそんなことを言う。

 あたしはさすがにその言葉に少し腹が立って、父を睨む。

「小さい頃からずっと一緒のくせに、シリウスのいいところが分からないって言うの」

「甘ったれで、心配性で、堪え性がなくて、行動力も決断力もない。そのくせ、欲張りで何もかも手に入れたがる」

 ムカっときた。確かにその通りだけれど、それは全部彼の長所の裏返しだった。違うの。シリウスは人の何倍も優しいだけ。

「まあ、外見だけだな、手放しで褒められるのは。俺も、あれほど綺麗な男は見たことがない。でも――」

「ちょっと!!!! それ以上言ったら、許さないから!!」

 あたしは父に詰め寄って、顔を上げて、見た。――父がしてやったりという感じでにやりと笑うのを。

「お前が……一番あいつのことを分かってるはずだろう? あいつがどんなやつか。考えれば分かるはずだ。周りに惑わされるな。お前の目で見て、耳で直接聞いて。そうして判断しろ。それで駄目なら、俺のところに来い」

 父はそう言うと、勤務に戻ると言って、部屋を出て行った。


 あたしは大きく息を吐く。そして軽く伸びをした。肩の力が抜け、体が妙に軽く感じた。

 ――やられたわ。

 さすがだった。父さんはあたしのことをよく分かっている。下手に慰めても無駄だって。

 あたしは怒ったせいで、変に元気が出てしまっていた。

 宮に来て色々な人の言葉に惑わされて忘れていた、自分らしさを少し思い出した気がする。


 もう一度ため息をつくと天井を仰ぐ。

 ――父さんの言う通りよ。あたしは、まだ、シリウスからは何も聞いていない。

 諦めるのはまだまだ早いのだ。

 部屋は知っている。もし今日も会えないなどと言われたら……忍び込んででも。

 誰に何を言われようと気にしない。あたしはシリウスの目を見て、シリウスの言葉を聞いて、そして判断する。もう宮中の決まり事など無視しよう、そう思っていた。

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