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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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第3章 たどり着けない部屋―1

 僕は、昨日に引き続いてスピカの部屋で夜を過ごした。

 一応彼女を呼ぶようにセフォネに頼んだけれど、授業が長引いていつ終わるか分からないですしと無下に断られてしまった。

 しかし、僕はあきらめきれずにセフォネの目を盗んで部屋を抜け出した。

 昨日と同じで、ひどく部屋は冷えきっていて、火を持って来ていなかった僕は、かなり後悔した。

 今度は起きて待っていようと、寒さにも耐え、毛布を被って椅子に座っていたけれど、いつの間にかやはり眠ってしまっていた。

 彼女は、戻ってこなかった。



 朝の冷気に震えながら目が覚めた時、体の怠さに気が付いた。ひょっとしたら風邪を引いたかもしれない。

 ――こんなことセフォネにばれたら、またスピカが咎められる。

 明け方の露を含んだ冷たい空気をかき分けるようにして、慌てて自室へと戻った。



 自室の前では衛兵がそしらぬ顔で僕をむかえいれる。昨夜見逃してくれたのも同じ宿直の衛兵だった。最初渋っていた彼も、昨日からの僕とセフォネのやり取りを哀れに思っていたらしい。懇願すると、急に腹痛を起こして厠へと走って行った。

 部屋は静まり返り、暖炉の火は小さく燻って辛うじて部屋の温度を保っている。人気のなさに胸をなでおろしつつ考え込む。


 ――それにしても、どういうことだろう。

 スピカは……いったいどこで夜を過ごしている? あの部屋でなければ、一体どこなんだ?

 セフォネの持っていた外宮の見取り図をこっそり見てみたけれど、城門側から九つ目の部屋で間違ってはいなかった。見取図自体は書庫でも手に入るし、そちらも確認してみたけれど、かなり正確に写されているように見えた。

 そしてセフォネの見取図には名も書き込まれて居たのだけれど、多くの妃候補や彼女達の侍女達の並びの最後――本当に端っこに――最初に案内されたとおりの場所にスピカの名が書き込まれていた。

 調べるまでこの見取り図自体が間違っているのかもしれないと期待していた僕は、どうしたらいいか分からず、途方に暮れた。


 いくらなんでも、二日続けて、避けられるとなると落ち込む。

 もしそうなら理由が知りたい。

 単に忙しかったのか。

 僕に幻滅したのか。

 言い訳くらいさせて欲しかった。約束を守るからと言わせて欲しかった。

 会えないとその一言も伝えられない。



 そんなことを考えながら、ベッドの上でぼんやりしていると、ようやくセフォネが出仕してきた。

「皇子、おはようございます。ずいぶんお早いのですね」

「おはよう、セフォネ」

 いそいそと食事を運び込む彼女に声掛ける。ついでに一応、聞いてみることにした。

「あのさ、朝一番から悪いんだけど……セフォネは、スピカの部屋、間違ったりしてないよね?」

「なんです、朝から」

 セフォネはさすがにあきれている。朝一番の話題がスピカというのが気に食わないらしい。

 しかし、僕にとっては一大事だ。

「……まさか、皇子、勝手にお渡りになったんじゃないでしょうね?」

 鋭い。

 さすがにベテランだけあって、空気を読むのには長けているらしい。

 僕が慌てると、セフォネは大きくため息をつく。

「そんなことなら、昨日無理にでも連れてくればよかったですわ。……皇子、お風邪を召してるんでは……? どうして……」

 セフォネはその原因にあっという間に辿り着いたらしく、例によってまた憤慨する。

「また、戻らなかったのでは? ……そうなのですね? あの娘!」

 僕が答えられずにいると、セフォネの顔がどんどん熟れていく。

 もう歳なんだから、あんまり怒ると頭の血管が切れそうで怖い。

「だから、それはいいから、部屋の話!!」

 僕はそう言って話を元に戻す。

「ええ、ええ、間違えませんよ。わたくしは今上陛下が皇太子であられたときからこのお役をやらせていただいているのです! スピカ様の部屋は、リゲル様が正妃になられるまでいらした部屋です。間違えようがありませんわ!」

 セフォネは憤慨したままで、一気にまくし立てる。そうして息をつくと、彼女は少し落ち着いたようだった。

「え? 母上と?」

「帝が部屋の位置をお計らいになったそうですわ」

「父上が……」

 どういうことだ。あの父上が口を出すなんて。

 しかも母上と同じ部屋? あんな通うのに遠い部屋を?

 謎だらけで、頭が混乱してきた。

 僕はとりあえず食事を用意してもらい、落ち着いて考えることにした。


 しかし目の前の豪勢な食事にも、食欲が湧かなかった。昨夜もあまり食べていない事を考えると、空腹のはずなのに。

 ……やはり風邪を引いたらしい。

 僕は結局軽く果物をつまんだだけだった。

 食後のお茶を飲んで、改めて考える。

 セフォネがあれだけ言うんだ。部屋は間違えていない。しかも、母上と同じとなると、間違えようがない。

 じゃあ、なぜスピカが居ないのか。やはり、僕を……避けてるのか。

 僕の部屋には来ないし、訪ねても部屋に居ない。大体、彼女は本当に宮にいるのだろうか?

 立太子の儀まで……このまま? まさかそんなことはないだろうとは思うけど、……もしお披露目にさえ現れなかったら、どうすればいい。それこそ、もう、彼女を妃にすることは不可能だ。

 あまりの不安に、僕は泣きたくなってきていた。



 その日僕は、アリエス王女の相手をすることとなっていた。

 王女なので、さすがに他の娘と同格に扱うわけにはいかない。そのあてがわれた部屋も、他の妃候補と分けられていて、本宮の来賓用だった。

 本宮は、大きく分けて、北側が皇室、つまり僕や叔母――叔母は僕の母親代わりなので――など帝の親族の住処となり、南側が主に来賓用となっていた。

 南側の外宮に近い部分には、中庭を望める広い部屋があり、そこは多目的に使用されていた。

 今は、……スピカがそこで授業を受けているはずだった。

 僕の場合のようにイェッドがスピカの部屋で授業をするわけにはいかないからだ。密室に二人きりなど、他の誰が許しても、僕が許さない。

 いっそのことイェッドと変わりたい。僕よりも長い時間、スピカと一緒に居るのだから。せめて、学ぶ内容が同じであれば、一緒に授業を受ける事が出来るのに……。僕と彼女の役割が違う事を考えれば、その事に不満を抱いてはいけないのかもしれないけれど、多少被る部分は一緒にした方がイェッドも楽なんじゃないかななどと空想が膨らんだ。

 僕はふとスピカと一緒に勉強をしているところを想像して、ため息をつく。彼女が居れば……僕は授業そっちのけで彼女に見とれてしまうかもしれない。多分、皆それを分かっているのだ。



 アリエス王女を訪ねる前に、ミルザの部屋を訪ねることにしていた。

 妹は、あの騒動で前にも増して不安定になっていたのだが、僕とスピカが無事に戻ったことで少しだけ落ち着きを取り戻したらしい。彼女は叔母と意外に相性がいいらしく、僕がアウストラリスへと行っていた間は、話し相手をよくしてもらっていた。

 そんなこともあり、離宮を出て、叔母の部屋に近い本宮へと戻って来ていた。

 北側の部屋は暗いため、昼間部屋で過ごすことが多い彼女には不向きだった。そのため、例外的に南側の明るい一角に彼女は居住を構えていた。


 ミルザを訪ねた理由は――ひとえに、王女と二人きりにはなりたくなかったからだった。そんなこと噂にされたくない。隙を見せるわけにはいかなかった。

 あくまで彼女たちは〈遊学〉に来ているだけだ。僕は彼女たちとそれ以上の関係になるわけにはいかなかった。同年代のミルザを交えれば、国と国の交流なのだと口実が出来るし、実際彼女達が仲良くなることはジョイアにとってもティフォンにとっても良い事だった。

「ミルザ、居るかい?」

 部屋に入ると、そこは僕の部屋とは違いかなり明るかった。そしてその明るさも手伝って部屋は暖かい。南側の部屋というのもあるが、作り自体が違う。窓の大きさと、窓にはめ込まれている硝子のせいだった。

 ジョイアでは硝子が生産されていない。隣国アウストラリスからの輸入に全て頼っている状態だった。そのため、硝子は非常に貴重な品だ。本宮でわずかに使用されているだけで、外宮の窓は外気と光を遮るための木で出来た扉、その内側に風を遮るためだけの油を塗った紙や厚い布の二重の窓だった。スピカの部屋も例外ではなく、冬は木戸まで閉じてしまうため昼でも暗い。今の時期も晴れた日の真昼でない限りは同じだろう。


 僕が外宮にもガラス窓を入れたいなと思いながら、日の光にきらきらと輝く窓に見とれていると、ミルザが微笑んで僕を迎える。

「お兄様。お元気そうで何よりですわ」

 その明るい声にほっとする。

 よかった。ずいぶん落ち着いている。以前見た時よりも、頬がふっくらともとの柔らかさを取り戻しているように感じた。

 僕は頷いて、早速用件を切り出した。

「今日、一緒にアリエス王女の相手をして欲しいんだけど」

 ミルザは、おとなしく頷くとにっこり笑って僕を見つめた。

「わたくし、着替えて参ります」

 僕はミルザの頭を撫でると、顔を上げた。


 見ると窓の近くのテーブルには叔母が座っていた。

 ちょうど良い。叔母に話を聞いて欲しかった。そう思って僕は叔母の方へ近づいた。

「シ リ ウ ス。――話があるのだけれど」

 逆光になっているせいで叔母の表情が読めないが……あきらかに声色が怒っている。

 ……なんでそんなに怒ってるんだ……?

「そこに座りなさい」

 僕は言われた通りに叔母の目の前の椅子に腰掛ける。

 顔を上げ、その顔を見るなり、恐怖で体が強張った。目が吊り上がって、秀でた額に青筋がたっていた。

「あなたねえ、帰ってくるなり早速スピカを裏切ったのね」

「え?」

「侍女の間でもうすごい噂になってるわ」

「何のことだよ」

 僕は話が見えずに戸惑う。

 ……裏切ってない、まだ。崖っぷちではあるけれど、踏みとどまってるはずだ。

「昨日もその前の日も……外宮で過ごしたとか。スピカ以外と」

「ええ!? ……そんなことしてない!!」

 なんだよ、その悪質な噂は!

「ただでさえ……ひどい噂が流れているというのに! あなたまでそんなじゃスピカが報われない!」

「だから、僕は潔白だ! そんな事するわけない! だいたい、ひどい噂って何だよ」

 叔母は大きくため息をつくと、隣に居た侍女に聞く。

「ミネラウバ。あなたが聞いた噂を教えてちょうだい」

 ミネラウバって……これがあの?

 ミルザ付きの侍女なので、はじめて見る顔ではなかったけれど、名は知らなかった。改めて見ると、かなり美しい侍女だった。

 綺麗な卵形の輪郭に、バランス良く大きくも小さくもな目や鼻、口が並んでいる。瞳はミルザよりも少し濃いくらいの青。髪は色身の薄い金色。人形のようだった。ミルザと並ぶと、まるで姉妹のようにも見える。その華やかさには侍女の灰色の制服がまるで似合わない。

 ルティと繋がってスピカの誘拐に関わっていたこの侍女を前に、一瞬、思い出したくもないあの光景が頭に浮かび、カッとなる。

 僕の鋭い目線に戸惑ったように彼女は目を伏せた。

「ほら、シリウス。そんな顔しないの。……過ぎたことでしょう。彼女も騙されていたのよ」

 ミネラウバは気まずそうに俯いたまま、微かに頷いた。

 騙された、確かにそうだったんだろう。世間知らずのどこぞのお嬢様がたちの悪い男に引っかかって、彼のために尽くした。その後、捨てられたのだ。そう考えるとむしろ憐れむべき対象だった。――そうは分かっていても、気持ちはついて行かなかった。彼女がやった事で、僕とスピカがどれだけ苦しんでいるか。

 しかし、今は他の問題が優先だった。

 彼女は僕をちらりと見ると、恐る恐るか細い声を出した。

「あの。スピカ様についてですけれど。皇子の前にその、側近と関係があったとか……まだ続いてるとか……、イェッド先生と抱き合っているのを見たとか、近衛兵の部屋に入って行くのを見たとか……そういう類いのものです」

 僕の顔色が変わるのを見て、語尾がどんどん小さくなった。おそらくそれでもほんの一部なのだろう。

「誰がそんなこと」

「分かればすぐに捕まえてるわよ。スピカに妃になって欲しくない人間なんて、あまりに居すぎて、噂の出所なんて……。とにかく。悪質過ぎて気分が悪いの。――それなのにあなたときたら」

 まだまだ続きそうな僕への叱責をとりあえず遮り、僕は尋ねた。

「スピカは……知っているのか、その噂」

「さすがに面と向かっては言わないでしょうけど……耳に入るのも時間の問題ね。もともとが侍女だったのは明らかだし、その上なぜか平民ということもばれてしまっているようだから、風当たりが強いの。妃として認めない雰囲気が漂ってる」

「『妃』として?」

 正妃どころじゃないということ?

 叔母は頷く。

「このままだと、お披露目までに妨害が入る可能性は大きいわ……というか、すでにもう妨害されてる可能性はあるけれど」

 心当たりは十分にあった。

 僕は叔母の目を見て訴える。

「スピカに会えないんだ。……その上に妃候補が四人も」

「会わせないつもりなのでしょうね。私だったらそうするもの。恋人同士を引き裂くのに一番効果的だから」

 叔母はイライラしたように、持っていた扇でテーブルの端をバシバシ叩いている。

「問題は黒幕候補が居すぎることね……皆が皆怪しい」

「叔母さまは……スピカに会える?」

 叔母は悲しそうに首を振る。

「私もレグルスも……あなたと同じ。スピカ自身が忙しいのもあるんだけど、会う時間を取ってもらえない」

「……どうすれば」

 叔母はしばらく窓の方を見て考え込む。

「……そうね。手紙なんてどうかしら」

「手紙?」

 叔母はその美しい顔を歪めるとにやりと笑う。

「伝えたいことがあるのでしょう?」

 そうか。その手があるか。

「贈り物も忘れずにね」

「贈り物?」

 僕がきょとんとすると、叔母は心底呆れたように息をつく。

「スピカは綺麗な服も、綺麗な宝石も何も持っていないでしょう? 今だって、レグルスが必死で揃えた一着のドレスを大事に毎日着てるんだから……。少しは気持ちを考えてあげて。彼女は決してあなたにそんなものねだらないだろうけれど、肩身が狭い想いをしているのは絶対なんだから。陛下はその辺しっかりされていたわよ」

「スピカも、そんなもの欲しがるんだ」

 意外だった。というか、彼女がどんな格好をしていても、僕は全く気にならなかった。

 騎士見習いの時の粗末な服、侍女の時の制服姿。どんな格好でも彼女は可愛かったから。

「まったく……あなたスピカをなんだと思ってるの……。普通の16歳の女の子よ。お洒落だってしたいに決まってる。女心を何にも分かってないんだから。ただでさえこちらから言わないと何も望まないような子よ。……それはよく分かってるんでしょう?」

 そうだ。スピカは何も望まない。僕の幸せのためなら、その気持ちでさえ……諦めてしまうような、そんなところがある。


『あたしは……あなたの側にいられること、それだけで喜ばなきゃいけなかったの』


 スピカの言葉を思い出す。

 いくら言い聞かせても、未だに分かってもらえない気がする。

 僕が……彼女の幸せを心から願っていることを。

 その幸せは、僕の手で与えたいと思っていることを。


「ありがとう、叔母さま」

 ……夜にでも、手紙を書こう。少しでも気持ちが伝わるように。



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