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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第一部 闇の皇子と世界の始まり
54/124

終章 夜が来て、また朝が来て

 僕たちは、その後、必死で馬を飛ばして、ハリスへと向かった。

 早く軍医にスピカの傷を診せたかったのだ。


 一日駆け続けて、ようやく辿り着いた砦でスピカは手当を受ける。腕のいい軍医によって、彼女の傷は縫い合わせられ、化膿止めを施され、ようやく一心地着いた。

 軍医には、スピカの手は幸い腱が切れてはおらず、回復すれば日常生活にさしさわらない程度には動かせるようになるだろうと言われた。でも、もう剣を握ったりすることは出来ないし、一生涯鈍い痛みと醜い痕が残るとも言われ、僕は彼女の綺麗な白い手を思い出し、心が痛んだ。

 その後、スピカは怪我のため、酷い高熱を出した。そしてあまりにそれが続くので、しばらくツクルトゥルスのアルフォンスス家で療養することとなった。

 ハリスは騒がしくて療養に向く場所ではないし、僕の立場もあり、何かと落ち着かない。その点ツクルトゥルスは静かで、その上温泉もあり、それが傷にとても良いということだったのだ。


 叔母という主が居なくなったこの屋敷は、今は僕の別荘として管理していた。

 一人管理のために住み込んでいた侍従が飛び出してきて、眠ったままのスピカを受け取ろうとしたけれど、僕は彼女を自分で部屋まで運ぶ。もう誰にも触らせたくなかった。


 僕は彼女の熱が下がるまで、寝食を忘れ、つきっきりで看病を続けた。

 侍従は皇子にそんな事をさせるわけにいかないと、変わってくれと泣いて頼んだ。でも、この役目を誰にも譲るわけにいかなかった。

 医者はこの熱で命を失うことは無いと言ったけれど、僕は心配で堪らなかった。僕が見ていない間に、彼女が消えてしまうのがとても怖かった。

 どんな形であれ、もう彼女を失うのは嫌だった。

 病気であれ、事故であれ、誘拐であれ――

 まだルティが諦めたかどうか分からない。彼の傷がそんなに早く治るとも思えないけれど、もう油断するわけにはいかない。


 スピカが起きない日々が続き、僕は日中は張りつめて、夜中は悪夢を見て、ついには精神の糸が切れそうになっていた。医者はスピカより僕を心配し始め、いくつか薬を出されたけれど、僕はそれを飲みもせずにスピカの横に張り付いていた。

 レグルスは、そんな僕の扱いに困り、僕らの護衛のためハリスから数人の兵を呼び寄せると、一度報告もかねてシープシャンクスへと戻り、帰りに叔母とスピカの世話をする侍女を連れてきた。


 叔母が僕を見るなり事情を察して、なだめる。

 どうやら、見ていられないくらいに僕は窶れてしまっていたらしい。

「私たちが見てるから。あなたは少し休みなさい。そんな顔していたら、スピカが起きた時にびっくりするでしょう?」

 スピカが――

 その言葉で、ようやく僕は休む気になって、隣の部屋で泥のように眠ったのだった。

 

 ――どれくらい眠ったのだろう。

 昼も夜も無い生活をしていたため、何時眠りについたのか覚えていなかったけれど、ずいぶんと体が軽くなっている気がした。

 起きてみて、眠る前に、かなり心が病んでいたのが分かる。本当に、僕は疲れきっていたみたいだ。

 ――体が病むと心も病む、か。いや、先に心が病んでたのかもしれないけれど――

 ともかく身体が疲れるとろくな事を考えないことは確かだった。僕はそれに気がついて、しっかりしようと思った。

 スピカが起きた時に、こんな情けない姿を見せたくない――僕はただその一心で、食事をとり睡眠も取るように心がけた。


 そうして、何日かすぎた頃、ようやくスピカの熱が下がり、話が出来るくらいに回復した。

「シリウス……痩せた?」

 彼女の第一声はそれだった。

 僕は苦笑いをしながらそれに答える。

「ちょっとね。ちょっとだけだけど」

 それを言うなら、スピカの方がずっと痩せてしまっていた。僕は彼女の左手を握ると、その甲を親指で撫でる。

 スピカは心配そうに僕の頬に右手を伸ばしかけ、苦痛に顔を歪める。

「あ、そっちの手は……」

「そうだったわね」

 スピカは申し訳なさそうに、僕を見た。

「いろいろ心配かけてごめんなさい」

「……ほんと、無茶するんだから。命が縮んだよ。もう二度とやっちゃ駄目だ、あんなこと」

 僕が諭すとスピカは少し膨れた。

「……だって……あれしか方法思いつかなかったんだもの」

 ふいにあの光景が目に浮かびかけて、慌てて頭を振る。

 ――この思い出は一生僕を苛むだろう。

 でも……忘れてはいけない。二度とあんなことにならないために。あの時の自分の情けなさを忘れないために。自分への戒めだった。


 それから2、3日で、スピカは起き上がれるようになり、僕は彼女と長い話をした。

 ルティとシトゥラについてだった。

 彼らが僕を手に入れるために、母を弑すようにけしかけた話を聞き、僕は心底腹を立てた。

 ただ……本当に10歳の子供にそんなことが出来たのかという疑問は残る。

 僕の暗殺に関しても、結局は未遂な上、后妃が眠る今、彼が関わった証拠は無い。スピカの誘拐にしても、彼のやったことを詳らかにすれば、国交に支障が出る上に、ミルザまで傷つくことが分かっていた。ミルザを巻き込んだ事は、戦を起こさないための彼の最大の保険だったのだろう。

 ――おそらく誰も真実を明らかにする事を望まない。

 結局、それらは、闇の中に葬るしかなさそうだった。


 ルティは、酷い嘘つきだ。彼の言ったことがどこまでが本当かなんて、本人でない限り分からない。

 しかし、言葉の端々に出る本気の言葉も、僕は覚えている。

 彼は「一族が大事」と言っていた。

 きっと、彼は、シトゥラによって傷つく自分の大切な人たちを見ていられなかったのだ。父母や、従姉妹、そして彼自身。だから力を手に入れて、その原因である国を変えようとした。

 確かに方法は強引で間違っていたと思う。

 しかし、その情熱だけは僕も見習わなければならない。


 ――皇太子として


 ジョイアは確かに平和で富んでいる。しかし、その現状に甘えていてはいけない。

 今、平和だということが、これからもそうであるということとは必ずしも繋がらないのだ。

 僕はもっと世界を知らなければならない。もっと広い世界を見て、何があろうとも、自分の国を、自分の大切な人たちを守れるように。

「スピカ。僕は、もっといろんなことを知って、国を守ることを考えなければならない。……僕はもうすぐ皇太子になる。今までのようにのんびりとはしてられない」

 スピカは静かに微笑む。

「分かってる。……外の世界を見に行くのでしょう」

 僕は頷いた。

 今まで父や臣下に任せきりだった外交も、これからは積極的に出て行く必要がある。

 僕は初めてこうして外に出てみて、自分の目で見ること、経験することのすごさを知った。本を読んだり、人に聞くだけでは分からないものがそこにはあった。

 スピカを正妃にするということは、彼女にも同等のことを求めなければならないということだ。

 それは、国内にいるよりもずっと危険が伴うことだった。――それでも、僕は彼女に隣を歩いて欲しかった。

「僕は、これから全力で君を守る。だから……僕にずっと付いて来てくれるかい?」

 彼女は頷き、そして、その顔にとびきりの笑顔を浮かべた。


 *


 スピカの傷が塞がり、僕の立太子も迫ったある日のこと。

 とうとうツクルトゥルスを発つ日がやって来た。

 僕とスピカが墓参りに行くと言うと、レグルスが大きな包みをスピカに手渡した。

 スピカは、中身を見てびっくりしていたけれど、僕に少し待つように言って、部屋の中に入っていった。

 しばらく後、出て来たスピカを見て、僕は思わず感嘆のため息をつく。

 彼女は、青い異国の衣装を身に纏っていた。身体にぴったりと合ったその服は、彼女の細さと柔らかさを同時に強調していた。

 ――それは、僕が今までで見た中で一番綺麗なスピカだった。

「きれいだ……」

 思わず僕はつぶやく。

 スピカがそれを聞いて嬉しそうに少し頬を赤らめた。

「ラナが唯一国から持って来たものです」

 レグルスがそう言って、スピカを見て満足そうに微笑む。

「――アウストラリスの花嫁衣装ですよ」

「どこかで見たことあると思っていたのよ。……家にあったのね」

 スピカがひっそりとつぶやく。

「この子が結婚する時に出してあげようと思っていたんですが……。宮ではさすがに着れませんからね。ラナに見せてあげて下さい」

 思わずレグルスの顔を見上げる。――ねえ、それってさ。僕たちのこと少しは認めてくれたって事?

 彼は僕の視線に答える事は無く、幸せそうなスピカを見つめて、仕方なさそうに微笑んでいた。


 *


 ツクルトゥルスにも遅い春がやって来ようとしていた。

 雪解け水が、小川に流れ込み、チロチロと小さな音を立てている。雪の中から小さな青い芽が覗き、所々、黄色い花を咲かせていた。

 僕は雪を掻きながら、少しずつ小さな道を造り、スピカを墓の前まで連れて行った。

 そこには二つの小さな墓があった。

 僕の母の墓と、スピカの母の墓。

 母の墓は本人の生前の願いで、この故郷に置かれていた。そして、ラナの墓は、彼女の希望で、帰る故郷のない彼女のことを思った叔母によって、ここに据えられたそうだ。

 墓の雪を払ってしまうと、スピカが途中摘んだ黄色い花を二つの墓の前に供えた。

 僕は母に向かって、一連の事件の解決を伝える。そして少し照れながら大事な報告をしようと口を開く。

「母上は覚えてるよね? ――スピカだよ」

 その声に答えるかのようだった。ふと雲の切れ間から光りが差し込み、辺りがひときわ明るくなった。

 春に向けて少しずつ力をつけた日の光が、真っ白な雪に反射して、目が痛くなるほどにまぶしい。

 目に飛び込む色が白でなければ、真夏とも言えそうな明るさに、僕は一瞬目がくらんだ。

 そして、急激に思い出した。10年前の夏、ここでの出来事を。


  ――母さま……かあさま!

  ――泣かないで、シリウス。あたしが、あたしがずっと一緒にいてあげるから。

  ――本当に? スーは、母さまみたいにぼくを置いていったりしない? ずっとぼくと一緒にいてくれるの?

  ――置いていったりしないわ。あたし、シリウスが好きだもん。だからずっと一緒よ。

  ――本当だね? ぜったいだよ?

  ――ぜったいよ。約束するわ。

  ――わかった。じゃあ、約束のしるしに、ぼくの名前を教えてあげる――


  * * *


  ――いやだよ! スーと一緒じゃないとうちには帰らないよ! ぼくたちは約束したんだ! ずっと一緒だって!

  ――シリウス……泣かないで。あたし、いつかお城に行くわ。今は一緒に行けないけど、きっと行くから。あたしが守ってあげる。シリウスが泣かなくてもいいように。


 ああ………これは。

 僕は、幼い日の誓いの言葉をはっきりと思い出していた。覚えていた言葉の断片が綺麗に繋がり、僕は愕然とした。

 ――なんで忘れていたんだろう。

 きっと僕は意味は分かっていなかったのだろう。でも、これでは、まるで……。

 僕は多分真っ赤になっていたと思う。

 ――まるで、プロポーズじゃないか。


 僕たちは、ちゃんと誓っていた、10年前に、ここで。


 ――しかも、男女の役割がはっきりと逆のような……


 ふと隣を見ると、スピカが吹き出しそうな顔で僕を見ている。

 僕はしっかりとスピカの左手を握っていた。

「やっぱり、忘れてたのね」

「ご、ご、めん」

 これは………全く言い訳できない。

 単純にど忘れしていたのだ。

 というか、都合の悪い部分は忘れていたのかもしれない……。あまりにかっこ悪い。

 僕があたふたしていると、スピカは僕を少し睨んだけれど、やがて堪えきれないように笑い出した。

「いいの。シリウスが忘れっぽいのは今に始まったことじゃないし。でも。……もう忘れないでね」

 ――もう二度と忘れるもんか。

 僕は答える代わりに、いたずらっぽく笑うスピカにキスをして、母親たちの前で、スピカに三度目の誓いの言葉を贈ったのだった。



 -fin-

 少女漫画的要素満載な話に、長らくお付き合いくださいまして有難うございました。

 この作品は、私の処女作になりますが、読んでくださる皆様に支えられてなんとか完結まで持ち込むことが出来ました。


 おそらく、スピカの力に関する記述が分かりにくかったと思います。

 あまり書き込みすぎると、物語の流れが悪くなるので、その辺とても苦労しています。

 その辺は加筆修正など行う予定ではありますが、ここまで読んでいただいた方は、何度も読んでいられないでしょうし、まあ、こんなものかとあまり深く考えないのがいいかもしれません。

 力不足で申し訳ないです。

 どうしても納得いかない方、HPの方でそのうち解説ページでも作るつもりなので、そちらをご覧下さい。(といってもたいした内容は書けないかもしれませんが)



 ――傷ついた子供だったシリウスが、自分の殻から飛び出して、外の世界を見て、どう変わろうとするか。

 彼のスタートのお話です。なので、彼が情けなくってもへたれでも、それは仕方ないと思っています。それでも作者は、この情けない男の子が大好きですが。



 この物語は、結局、長い長い物語のほんの一部なのです。

 ただ、私にもその物語の全貌はどうなっているか分かりません。

 これからシリウスがきちんと一人前に成長していくのか、スピカをちゃんと守れるようになるのか、その辺は皆様のご想像に任せたいと思います。


 もしまたその先の世界が色鮮やかに見えてくるようでしたら、そのときは別のお話としてお会いできればいいなと思います。

 

 もしよろしければ、感想を頂けるととても嬉しいです。


 それでは、本当に有難うございました。



 碧檎 拝



2008/05/27

第2部を始めました。

続きに書かなかった訳はいろいろありますが……読んでから推測してみて下さい。

よろしくお願いします。


2009/07/06 全面改稿

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