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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第一部 闇の皇子と世界の始まり
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第9章―4 窮鼠猫を噛む

 建物の表に回ると見張りは、やはり二人いた。

 しかし、いつ、さっきの男たちが戻ってくるかは分からない。さっさと行動に移すべきだと思えた。

 レグルスが、建物沿いに見張りに近づき、あっという間に一人に当て身を食らわして伸ばす。

 僕はもう一人が驚いている隙に、後ろから回り込み、首筋を剣の背で殴る。正直に言うと、宮に囲われてた僕に取って、これが初めての実践。そのため力加減が分からず、焦る僕の前で、どさりと男が前のめりに倒れ込み、僕は一瞬背筋が冷える。

 ま、まさか――死んでないよな?

 崩れ落ちた男の脈を、暗がりの中おそるおそる調べると、首筋にビクリと動く暖かいものを感じた。

 ……よかった、気を失っただけだ。

 僕はホッとすると、レグルスの後について、建物の中に入る。

 この地方の建築物はほとんど石造りだが、この建物も例外なく石で出来ていた。壁を触るとそれはまるで氷のように冷たい。触ったとたんに皮膚がそこに張り付くような感覚を覚える。

 廊下は狭く、気をつけないと足音が酷く響く。僕は急ぎつつも細心の注意を払いながら足を進めた。

 これだけ冷えているのだ。きっと火をたいている部屋があるはずだった。建物は広いが……わざわざ奥を使う事も無いはず。僕はそう予想して、入り口近辺の部屋を重点的に探る。

 僕はいくつもある扉の前で、ひたすら人の気配と熱を探した。


 ふと、立ち止まる。この、声。

『泣くなって……。俺は女に泣かれるのは嫌いなんだ。あいつは来ない。いい加減あきらめろ。すぐ良くしてやるから』

 心底困った様子の声が聞こえる。

『絶対やだ! 今度はもうあきらめたりしないっ! ……シリウスは絶対に来てくれる!』

 くぐもってはいるが、その鈴のような声。スピカの声だった。


 ……ここだ!

 レグルスと目を見合わせる。僕は息を大きく吸い込むと、木で出来た扉を勢い良く押し破った。

 目に入ったその光景。

 僕は一生忘れることが出来ないかもしれないと思った。


 薄汚れたベッドの上。

 ルティが、スピカを後ろから抱きかかえるようにして、首筋に唇を這わせながら、その喉にナイフを突きつけていた。

 彼の左手は辛うじて形を残している服の中に差し込まれ、しっかりとその胸を掴んでいる。

 そして、その目は氷のような笑みを浮かべたまま、待ち構えていたかのように、しっかりと僕を見すえていた。

 

「シリウス……」

 スピカが涙でボロボロになった顔をこちらに向け、すがるように僕を見た。

 ――こんな、こんな顔をさせるなんて!!

 目の奥が真っ赤になった。

 僕が飛び出しかけた次の瞬間、レグルスが僕を後ろから取り押さえる。

「だめです! ナイフが見えないのですか!」

 僕は冷水を浴びせられたようにはっとして、身体を硬直させた。

「……スピカを離せ!」

 僕はやっとのことで声を絞り出す。

「しつこいな。いったい誰が逃したんだか」

 ルティはため息をつくと、挑発するように僕を睨む。その左手がゆっくり動くのを見て、僕はまた頭に血が上りかける。

 スピカに触れるな――!!

 気が狂いそうになるのを必死で押さえる。……今は、まだ、駄目だ。

「どうしてそんなにスピカを欲しがるんだよ。別に君には必要ないだろう? 君は、一人で何でも出来る。それだけの力があれば、継承権だって手に入れられるはずだ」

「シリウス。……お前には分からない。豊かな国で、愛されて育った人間には。………ふん、その顔。俺は、ずっとお前のそんな顔が見たかった」

 そう言うと、ルティはナイフをスピカに突きつけ、身動きできない彼女の唇をその唇で塞ぐ。その目はこちらに向けたまま、僕の表情をしっかりと伺っていた。

 次第にそのくちづけが深くなり、スピカが苦しそうに僅かに開いた唇の隙間から息を漏らす。僕はもう、頭がおかしくなりそうだった。

 堪らず叫ぶ。声が喉を切り裂く。

「レグルス! 離してくれ!!」

 直後スピカの腕が動いたかと思うと、彼女は、右手でいきなりナイフの刃先を掴んだ。ぶちっと鈍い音がして、手とナイフの隙間からあっという間に血が滴る。

「――っ!!!!」

 スピカの声にならない悲鳴が聞こえた。

 ――なんて無茶を!

 苦悶の表情を浮かべたまま、一瞬その目で訴えるように僕を見つめたあと、彼女は身をよじって、ルティの腕から逃れようとする。ナイフがさらに手に食い込み、すでに手の甲から真っ赤にぬめぬめと光る刃先が見えていた。

 ルティが漸くそれに気づき、慌ててナイフを引き抜こうとしたところを、スピカは苦しみながらも、怪我をしていない手で、ねじり上げた。 

 ナイフがスピカの手に残る。

 彼女は、呻きながらナイフを一気に引き抜くと、ルティの太ももに突き立てた。ベッドの上に鮮血がその足からほとばしる。部屋の中は一瞬で真っ赤に染まった。

「ぐぅっ」

 ルティは堪らずスピカを離す。

 二呼吸ほどの時なのに、ひどくゆっくりと時が流れたかに思えた。

 僕ははっとして、レグルスの腕を強引に払うと、ルティに飛びかかり、押さえ込む。そして近くにあった布を裂き、その腕を後ろで縛り上げた。

 スピカは僕を見て苦しげに微笑むと、腕を押さえてかがみ込んだ。

「ご、めんなさい………もっ、と早く、なんとか、したかったけど……隙が、なくって」

「黙って!」

 スピカは痛みを堪えながら、息も絶え絶えに僕に言う。その顔は真っ青だった。

 僕は、スピカの手を見て卒倒しそうになっていた。

 出血が酷い。

 腱が切れてるかもしれない……。僕は止血をしながら、そう思い、青ざめた。

 レグルスが慌ててその手に布をきつく巻く。

「動かせないんじゃないか? もう」

 ルティは一気に気がそがれたかのように、そう言った。

「誰のせいだと思ってる!」

 僕は怒りに任せて叫ぶ。

「窮鼠猫を噛むか……。やはり、さっさと結婚していればよかった。お前たちが再会する前に。そうしたらこんなことには……。その手じゃ、もう俺の役には立たない。治るのを待っていては間に合わないんだよ」

 彼は魂が抜けたような顔をしていた。

 その脚からはおびただしい量の血が止めどなく流れ出している。

 レグルスが、スピカの手当を終えると、ルティの傍らに座り、彼の手当を始めた。

 ルティはおとなしく、壁によりかかり、レグルスに身を任せる。

「――何を言ってる?」

「今月中にもこの国の継承者が決まる。俺は、スピカに全てをかけてたんだ。……わざわざ、お前との仲を成人の儀の前に知らしめさせたのも……スピカの価値を上げるため。分かるだろう? 俺の国では、その奪ったものの価値が高ければ高いほど、それを成し遂げた後の評価は高い。力を持つシトゥラの娘、その上にジョイアの皇子の正妃候補となれば……その女を妃にした後の俺の評価はうなぎ上りだ。……それに」

 レグルスが、ルティの脚をきつく縛り上げる。

 ルティは低く呻くが、話を続けた。

「正妃となったあとも、……この国にとって、ものすごい武器になる。正妃なら……他国の重要人物と接触できる。……その手を使って、俺は、この国を救いたいんだ」

 ルティは、見るからに力を失った茶色の目を空中にさまよわせる。

 血を失ったせいか、顔色が悪い。

「シトゥラを見ただろう? ……あんな闇を抱えるくらい、この国は膿んでる。それもこれも、この国が貧しいからだ。隣のジョイアはあんなに栄えているのに」

 レグルスはルティの手当を終えると、逃げるよう、僕とスピカを促した。

 ルティは、壁に寄りかかったまま、僕たちを見て力なく笑う。さすがに彼の腕でも、今の状態では追う気になれないようだ。

「こんな力に頼っても、……国が良くなるわけがないわ。……いつだって争いの元にしかなっていないじゃない。あたしの母さんだって、あんたのお母さんだって。力のせいで傷ついて、周りの人を傷つける。あたしだって、そうよ。……こんな力、無くなったほうが、いいに決まっている」

 立ち上がりながら、スピカがうめくように言う。

「スピカ、喋るな、傷に響く」

 僕が言っても、スピカは黙らなかった。僕に引きずられるようにしながらも、彼女はその緑灰色の瞳に熱を込めながら、ルティに向かって語り続けた。

「あんたは……もっと別の手段を持ってるはずでしょう……。あたしを使って、腹の探り合いをしなくても……、あんた自身の魅力を使えば、なんでも出来るんじゃない? ――あたし、あんたとジョイアで一緒に過ごしたとき、すごく楽しかったわ。たとえ偽りの姿だったとしても……あれも、あんたの一面なんでしょう?」

 僕たちは、辺りを伺いながら、その部屋を出ていった。

 スピカのその声が、彼に届いたかは分からない。


 ルティは最後まで黙っていた。


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