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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第一部 闇の皇子と世界の始まり
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第1章―4 懐かしい人

 それから2日後の夜。僕たちはようやく北のオリオーヌ州に着いた。

 皇都よりも北方にあるこの土地は、険しい山に囲まれ、冬になると背の高さほどの雪が降る。

 夏は高地のため宮に比べるとずいぶんと過ごしやすかった。

 晩夏の今、夜となると肌に当たる風はずいぶん冷たく感じられ、僕は荷物をあさり上着を引っ掛けた。

「ここ、覚えてる?」

 まばらな家の間をすり抜け、馬を止めると、スピカが目の前の屋敷を指差して言う。

 そこには雪深い土地に特徴的な、傾斜の強い屋根をした大きな屋敷があり、僕は懐かしく思いながら答えた。思い出の中の屋敷より多少古ぼけてはいるが、手入れが行き届いている。

「覚えてる。昔よく遊びにきた」

 母がまだ生きている頃は、母の里帰りについてよく遊びにきていたのだった。

 夏は避暑に、冬は湯治に。

 母が亡くなってからは一度だけ、叔母に会うために来たことがあった。それも6歳くらいの事だったので、もう10年ほど来てないことになる。

 叔母に会いにきた割には覚えているのは頭の上からかぶさってくるような雪の壁とスーという少女の事だけで、ここに来たとたん、その記憶が驚くほど鮮やかになってきた。

 隣にいるスピカを見ると、だんだん記憶の中の少女と彼女の顔が重なってきて不思議な気分だった。

 そうだった、こんな顔してた。

「冷えてきましたし、中に入りましょう。ヴェガ様は、まだ起きておられると思います」

 久々の対面か。僕はちょっと緊張しつつ、屋敷の中に入っていった。


 板張りの廊下を歩くと所々ミシミシときしんだ音が響く。昔と比べてやはり屋敷が痛んでは来ているようだ。壁にかけられた燭台は樟んだ色をしていて、過ぎ去った年月を感じさせられる。

 重厚な作りの扉を叩き、部屋の中に入ると、暖かい空気が頬をなでる。見ると赤々と暖かい光を放ちながら、暖炉の中の火が踊っていた。

「よく来ましたね」

 ふと声のするほうを見ると、肖像の母そっくりの女性がそこに立っていた。

 黒いつややかな髪、照明を反射して強く輝く同色の瞳。

「おばさま。お久しぶりです」

 僕はそういうと、彼女の近くまで歩いていった。

 10年前とあまり変わらない。母が生きていたらきっとこんな感じだったろうと、僕は思った。

 記憶の中の彼女よりも小さく見えたのは、僕が大きくなったからなのか。

「大きくなって。でも相変わらず女の子みたいなのね」

 傷つくようなことを平然と言われて、僕は昔の叔母のことを思い出した。

 叔母の言葉は結構鋭く、子供心に傷つくことも多かった。

 叔母は口癖のように「男の子なんだからもっとしっかりしなさい」と僕に言っていた。

 でも、僕をちゃんと男の子としてみてくれる数少ない人の一人だったので、彼女のことが好きだった。


「でも髪を切ったら、少しは男の子らしくなったかしら」

 そう言うと叔母はちらりとスピカの方を見る。

 スピカは手に持っていた麻袋を叔母に渡した。

「何か見えた?」

「はい」

 スピカは頷くと僕のほうを申し訳なさそうにちらりと見て、叔母に向かって懇願するような口調で言った。

「ヴェガ様、私、シリウスのこと何とかしてあげたいんです」

 叔母はスピカと僕の瞳を交互にじっくり見ると、ため息をついた。

「……まだ、駄目ね」

「ほら言っただろう」

 レグルスが後ろから声をかける。

「だからなんで」

 スピカは後ろを振り向き憤慨した様子で聞いた。

 叔母は静かな声でスピカを諭すように言った。

「スピカ、あなたまだ恋をしていないでしょう?」

 スピカは意外そうな顔をする。

 僕も一緒で、そんなことが関係あるのかと不思議に思った。

 レグルスが少し慌てた様子で、叔母の話を遮る。

「もう、いいでしょう。……今日は遅いし二人とももう寝なさい」

 かなり強引に部屋から出されそうになり、僕は不審に思った。

 スピカを救うはずのことなのに……どうしてそんなにむきになるのだろう。

 突然、叔母は堪えられないといった感じで笑い出した。

「レグルス! 相変わらずの親ばかね。……でも、いつまでもそうはいかないわ。もうスピカも15歳。もうすぐ16よ。たぶんそのときは近い。覚悟しておくのね」


 *


 その日はひどい天気で、朝から雨がすごい勢いで窓を叩いていた。

 山の天気はとても変わりやすく、さっきまで晴れていたのに、なんてことがよくある。

 久々にちゃんとした寝床で眠ることが出来、前日の疲れはほぼ取れていた。――しかも起きてからスピカが抱きついていることも無い。

 スピカは、旅の間、どんなに離れたところで寝ていても、翌日の朝には僕の隣で僕を枕にして眠っていた。

 三日目の朝にはぼくはもうあきらめて、されるがままになっていた。

 僕が眠っている間のことなので、今のところ実害は無い。

 レグルスもこの間の僕の様子を見て多少油断しているのか、放置することに決めたようだった。


 朝食の席に着くと、スープの湯気ごしにスピカの真っ赤な目が見えた。彼女は顔色も悪く、目の下が青くなっていた。

「ど、どうしたの、その顔!」

「眠れなかったの……枕があったのに。変なの」

 スピカが叔母に野宿をしている間の事を簡単に話すと、叔母は何かを思い出したようだった。

「……そういえば、スピカは、シリウスがここに居るときは絶対に一緒に眠ってたわね」

 そういえば、そんな気もする。昔も枕にされてたか……。

「数日で感覚が戻っちゃったのかもしれないわね。昨日は一緒じゃなかったの?」

 僕は叔母を見てきっぱりと言った。

「当然です」

 部屋が同じで寝る前からスピカが隣にいるとなると、たとえ僕でも事情は全然違ってくる。今までだって、野宿で、隣にレグルスがいるから間違いが無かっただけだ。

 その話題で思い出したのか、レグルスが口を挟んだ。

「騎士団に入ったら、二人は同室です。……スピカだけ特別扱いにはできないし、シリウスの身元がばれるのもまずい。不安もあるが、それが一番ましなようです」

「え」

 僕は一瞬固まる。頭に血が上るのを感じながら、隣に座っていたレグルスに詰め寄った。

「そ、それは困る!! だいたい、大事な一人娘を男と同室にするって、おかしいだろう!」

「それは……。さすがに私も悩みました。でも、私はあなたに仕える臣下として、最大限自分の事は後回しにするしか無いのです……。それに、あなたを信用していますし」

 信用というより、僕には手が出せないと思っているだけだろうに……。

 僕は少し悔しくなった。

「ぼくがスピカに何かしたらどうする気なんだ」

「あなたはその度胸があるのですか? スピカの力を知っていて。あとスピカの父親が私だと知っていて」

 僕は言い返そうとしたが、無理だった。その通り、僕にはそんな度胸は無かった。

 言葉を探しながら、パンを食べ、スープを飲み、サラダをかき込んだ。


 苦しげな息に、ふと目を上げると、スピカの顔がさっきよりさらに青くというより、既にどす黒くなっていた。

「スピカ?」

 スピカは口を手で押さえ、立ち上がろうとしたけれど、よろめいて床に倒れた。

 倒れるときにテーブルの上の手が食器をさらい、食器とその上に乗っていたパンや野菜などが床に散乱して派手な音を立てた。

 僕は慌てて立ち上がり、テーブルを乗り越えるとスピカの側に寄って彼女の体を抱きかかえる。

「大丈夫か!?」

 レグルスはテーブルの周りを廻って、少し遅れてスピカの元にやってきた。

 そしてスピカの額に手をやり、手首を掴んで脈を取ると、ほっとしたように言う。

「……寝不足か。……前にもあったな、ずいぶん前だけど。あれも……だったか、ううむ」

 スピカは僕の手を握るとそのまま離そうとせず、仕方なく僕は彼女を抱えると部屋へと連れて行った。

 スピカを寝床に降ろすと、僕は側に椅子を引き寄せて座った。

 しばらくそうしていると、嘘のようにスピカの顔色が良くなってきて僕は驚いた。

「……麻薬みたいなものね」

 後ろから声が聞こえ、振り返ると叔母が心配そうに見つめていた。

「麻薬? なんですか、それ」

「そういう薬物があるのよ。……ちょっと味わうだけなら、気持ちよくなるだけでいいんだけど……。

 常用すると癖になってしまって、それが無いと生きていけなくなるの」

 レグルスが難しい顔をして僕とスピカを交互に見つめた。

「実は、あなたが遊びにきて皇宮に帰ると、スピカはいつもこうだったんです。元に戻るまでしばらくかかって……。ずいぶん前だったのですっかり忘れていましたけれど」

「よほど強い力を出してるのね、シリウスは。早くなんとかしないと」

「力って何です」

 叔母は少し考え込むようにすると、やがて言った。

「あなた、皇宮で感じてたでしょう? 人が自分に寄ってくるって」

 僕は触れられたくない話題に、思わず黙り込んだ。

「姉もそうだったわ」

「母上が?」

「もともと、うちの家系はそういう力を持っているのよ。この私もね。……人を必要以上に惹き付けるの。……あの日姉が帝に会ったのは本当に偶然で、いつもは屋敷にこもっていたのよ」

 そう言って彼女が始めた昔話に、僕は驚きを隠すことは出来なかった。



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