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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第一部 闇の皇子と世界の始まり
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第8章―2 幸せな夢

 あたしは夢を見ていた。

 恥ずかしいくらい生々しい、そして幸せな夢。

 シリウスの手が、あたしの冷えきった氷のような身体をとろとろと溶かして行く。その身体があたしの身体を包み込み、暖かいお湯の中にいる様で、とても幸せな気分だった。

『シリウス……』

 思わずつぶやくと、その腕がびくりと震え、腕の力が緩む。

 あたしが彼から離れたくなくて、彼の胸に頬を寄せると、彼の腕が、ためらうように再びあたしを抱きしめた。

 その暖かさと力強さに胸が軋み、頬を熱いものが伝う。あたしは彼にしがみつく。お願い――もう、あたしを離さないで。

『もう二度と離れたくない』

 ――こんな夢ならずっと覚めなければいい。

 そう思いながら、あたしはまた深い闇の中へ意識を滑らせていった。


 *


 ふと目を開けると、天井が目に入った。

 その天井には見覚えがあった。杯の模様――シトゥラの紋章を彫り込んだ壁紙で埋め尽くされたその天井。――母の部屋だった。


 あたし、捕まってしまったのね。

 気が付いて一瞬絶望的な気分になった。

 でも――生きていて良かった――

 不思議とすぐそう思い直せた。

 

 あのとき、死ぬ間際になって、ようやく自分の本当の願いを思い出した。

 ――あたしは……もう一度シリウスに会わずには死んでも死にきれない。

 たとえ彼があたしのことを忘れていようと、構わない。たとえどんな形でも……側にいられるだけで、それだけでいい。そうやって、また一からやり直せばいい。

 ――どうしたって、あの笑顔をあきらめきれないんだもの。

 そのことが身にしみて分かったのだ。


 久々に心に火が灯ったような気分で、あたしはその原因に思いを馳せ、顔が赤らむのを感じる。

 ――あの夢のお陰かしら。

 あたしはくすりと一つ笑うと、ぐっと体を反らし、ベットから跳ね起きた。

 少し熱があるようだったけれど、体は少々の倦怠感を残すだけでよく動いた。手足の凍傷も思ったほど酷くなく、軽いしもやけになっているだけ。うん、――大丈夫。あたしは、元気だ。


 どうやら、あれからしばらく気を失っていたらしく、辺りは暗くなっていた。

 窓から薄く光りが差し込むところを見ると、完全には日が暮れてはいないようだ。日付が変わってないようだし、きっと気を失ってすぐに見つかったんだと思う。

 さすがに、脱出した時の窓は、出ることが出来ないように木で打ち付けられて塞がれていた。

 部屋の中を再び物色する。

 物が明らかに減っていて、脱走を警戒されていることが分かった。


 ――あの上の窓はどうかしら……。

 あたしは、部屋の隅にあった重たい布貼りの椅子を引きずってくると、手を伸ばしてようやく届くくらいの所にある窓に手をかけた。

 思い切って、外側に押してみると、手応えがあり、それは開いた。

 外は晴れていて、うっすらと星が瞬き出している。冷たい風が窓から忍び込み、あたしはその冷たさにびくりと体を震わせた。


 ――ここから外に出れそう! よーし、逃げるわよ!!

 あたしはうれしくなって、椅子から飛び降りた。 

「何をやってる」

 次の瞬間、後ろから強い力で抱きすくめられた。

 この、声……は。

「……う、ルティ………いつから?」

「さっき。君が椅子に登った時から」

 彼は今までに見たことも無いくらい不機嫌だった。目が充血して、その上顔色も少し悪い。寝不足なのかしら? とにかく脱走を怒っているのは間違いなかった。

「まだ、逃げるつもりだな。……ちょっと目を離すとすぐこれだ。死にかけたって言うのに、懲りないわけ?」

 その鋭い茶色の瞳に射すくめられて、あたしは黙り込む。

 あたしが何も答えないと、彼はあたしの腕を後ろにねじり上げる。

「ちょっ――いたいっ!」

「熱がある間は優しくしてやろうと思ってたけど、これだけ元気なら……仕方ない」

 彼は苛ついたようにため息をつくと、侍従を呼びつけ、あたしを拘束したまま、部屋から出した。

 侍従に連れられいくつか階段を降りる。そうして、暗い廊下を通って、木で出来た小さな扉の前に立たされた。その枠はかなり頑丈な鉄で出来ていた。まるで、――牢だわ。

 扉の下には頭がやっと入るくらいの小さな扉がついている。

 扉の前には力強そうな見張りが二人。少し戸惑ったような表情を浮かべてこちらを見ていた。

「あの――ご報告しなくてはいけない事が。カーラ様が……」

 見張りが何か言いにくそうに切り出す。

「後にしてくれ」

「しかし」

 侍従は切り捨てる。

「――忙しいのだ。カーラ様の事など、後回しだ。ルティリクス様がご立腹なのだからな。ともかく、この娘を閉じ込めておけと。王子から二回も脱走を計るなど、なんと無礼な」

 侍従が怒りをあらわに説明すると、見張りは三つある扉の一つを開け、あたしをその中に投げ込んだ。

 あたしは、勢いで堅くて冷たい石の床に投げ出される。

 起き上がった時には、もう扉は堅く閉じられていた。


「ああ、もう!」

 あたしは、扉をドンドンと激しく叩くと、叫ぶ。

「出してよ! ねえったら! あたしは、シリウスのところに帰るんだから!!」


「……スピカ?」

 その声に、あたしは手を止めて扉の前で、固まった。

 え、何かの聞き間違い……?

 おそるおそる、後ろを振り向く。


「う、そ」


 *


 そこには居るはずのない人が居た。

「どうして……」

 呆然と目の前の黒髪の少年を見つめた。

 ありえない、こんなの。こんなところに彼がいる訳が無い。

 彼は、静かにあたしの方へと歩み寄ると、目を見開いて、あたしの瞳を穴が開くのではないかというくらいじっと見つめた。その黒い瞳に、あたしの顔が、瞳が映し出される。

 その顔に次第に愕然とした表情が浮かび、漆黒の瞳の中の熱がだんだんと増してくる。

「ほんもの……なの? 夢じゃなくって?」

 尋ねるあたしの声は震えていた。

 あっという間に視界がぼやけて、目に映る像が霞む。

「シリウス――」

 あたしは彼の胸に飛びこんだ。

 彼があたしのことを忘れていると知っていても、我慢できなかった。

 体が触れ合ったとたん、彼の体が大きく震え、次の瞬間、あたしはものすごい力で抱きしめられた。

「――」

 彼は何か言おうと口を開きかけたけれど、あたしは彼の首にしがみつくようにして、夢中でその唇に自分の唇を押しつけ、それを遮る。

 ――夢じゃない。……夢じゃない!!

 その熱くて柔らかな唇は、確かにシリウスのものだった。

 ――来てくれた。彼があたしを迎えに来てくれた……!

 あたしは、胸が痛くて、苦しくて、しょうがなかった。その痛みを少しでも和らげたくて、ひたすらにシリウスの唇を求め続けた。

 いつの間にかシリウスも何かに取り付かれたように口づけに夢中になっている。

 お互いに呼気を奪うように唇を重ねるうちに、いつしかあたしたちは、縺れ合う様にベッドに倒れ込んでいた。


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