第7章―3 シトゥラの闇
僕が焦りに焦っていると、メイサは突然吹き出して、コロコロと笑い出した。
「カワイイわ」
――な、なんだ?
さっきまで漂っていた妖艶な雰囲気を一気に吹き飛ばすように、あっけらかんと彼女は笑い続ける。
「冗談よ、冗談! アハハハ、純情ねえっ……!」
ぼくはあっけにとられて、彼女を見つめる。溜息のような声が出た。
「どういうつもりだよ……」
「私、ちゃんと好きな人がいるの。誰にも内緒だけどね。だって言ったら引き裂かれるに決まってるもの。……だから、あんたみたいなお子様相手にそんな事したくないわけ」
「お子様」
確かに年下なんだろうだけど、……それは無いんじゃないか。
僕が少々ふくれると、メイサはよけいに笑みを深める。
「……でもどうせ一晩は出してもらえないみたいだし。あなたもどうせそんな気無いんでしょう? 暇だから、世間話でもしましょうか」
そう言って、メイサは再びベッドに腰掛けた。
「君は彼らとどういう関係があるんだ?」
疑問に思い、聞いてみた。
「ルティリクスは……私の従弟。私の母がルティの母の姉なの。ルティの母は王家に嫁いで、私の母は誰にも嫁いでいないから、私と彼の身分は雲泥の差だけどね……」
「誰にも嫁いでいない……?」
「まさか、結婚しなければ子供が出来ないなんて思ってる訳じゃないんでしょう?」
面白そうに眉を上げると、メイサは僕を覗き込む。
それを知らないほど子供に見えるんだろうか。これでも一応妻帯者なんだけどな。全く自覚はないけれど……。
僕はげんなりしながら、尋ねた。
「父親は?」
「………分からない。……っていうのが表向き。でも、実際は違うわ」
「表向き?」
「――母の実の弟、よ」
僕は愕然として言葉を失った。
……どこまでこの家の闇は深いんだろう。これ以上知るのが怖いほどだ。
メイサは深々とため息をつくと、話を続ける。
「この家、力を独り占めしたいあまりに近親者同士の婚姻を繰り返して……そのあげく、力の強い子供が減ってきたの。本末転倒よね。それに気がついた時にはもう遅くって。だからスピカを見つけた時は、みんな飛び上がって喜んでたわよ」
「君は力を持っているの?」
「一応はね。ただ、全く役に立たないの。だって、必死で集中して名前とか家族とかそういう当たり障りの無い情報を読む、そのくらいの力しかないんだもの。そんなの普通の間者でも出来るわ」
メイサはカラカラと笑いながら話していたけれど、急に顔を曇らせた。
「だけど、スピカは違う。あの子は、ラナの力を遥かに超えるものを持っているわ。おばあさまに聞いたけれど、自分で読みたいと意識しなくても、触るだけでその人の事が分かるなんて……ぞっとする。おばあさまや、ルティが欲しがるのも無理は無いの。あの子、今継承権争いの真っ最中だから。きっと敵陣に忍ばせるつもりなんだわ」
「でも、王妃にするって言ってたけど……。それなのにそんな危険なことさせるか?」
僕だったらきっと好きな女の子にそんなことはさせない。
「それが?」
きょとんとした顔に、僕は戸惑う。僕、変な事言ったか?
「だって……普通、好きだからとかそう言う理由で娶るだろう?」
「はー……あきれるくらい真っ直ぐなのね……」
メイサはため息をついた。しかしその顔には優しい微笑みを浮かんでいる。
「確かに、ルティはスピカを気に入ってる。でも、もしスピカが力を持っていなければ、気にかけなかったと思うわ。力が利用できるからこそ、側に置こうとしているの。あの子、凄まじくねじ曲がってるから……。本当の意味で人を愛することなんて出来ないんじゃないかしら」
メイサは、その茶色の瞳を翳らせて心底悲しそうに続けた。
「あの子の母親も父親も、彼を利用することしか考えなかったわ。彼が優秀であれば優秀であるほど、母親は次期王位を望んだし、父親は優秀な手駒として彼を利用した。ジョイアに潜入したころ、彼まだ10歳だったのよ? ルティは文句も言わずに行ったけれど……そりゃあ寂しいし傷つくわよ。彼が愛情を知らなくても……だれも文句は言えないわ」
静かな怒りがその瞳の中に沸き上がるのを見て、僕はふと気が付いた。ああ、この人――
「……君はルティが好きなんだ?」
メイサは、目を丸くした。
「あれ? あなたって意外に鋭いのね?」
「さすがにそれだけ顔に出てれば……僕にだって分かるよ」
僕はあきれて言う。
「じゃあ、君はスピカが邪魔なんだよね?」
「そうよ。最初はさっさと消そうと思ったわ。だから、密かに様子探ってたの。でも、彼女見てると、可哀想になってきてね。絶望して、生きていく気力も無いっていうか……ルティにされるがままだし、まるで人形のように抵抗もしないの」
想像して一瞬胸がぎゅっと締め付けられた。
ルティにされるがまま……だと?
僕の様子が変わったのを見て、メイサは意外そうに僕を見つめた。
「……覚えてるの? スピカのこと」
僕は弱く首を振った。
「覚えてない。でも……たまにすごく苦しくなる」
「ああ、感覚のほうは残ってるからか……。可哀想ね、その状態は」
メイサは目を細めて気の毒そうに僕を見た。その後、しばし悩んだ様子だったけれど、やがて口を開く。
「あのね。これ内緒だったんだけど。スピカ、この屋敷に今は居ないのよ。……昨日の夜、逃げちゃって」
「……この雪の中をか!?」
僕は仰天した。
昨夜は確か……かなり冷え込んでいたはずだ。下手したら凍死しかねない。死――。考えたとたん、身体の力が抜け、その場にしゃがみ込んだ。
そんな僕を見て、メイサは慌てて付け加える。
「……大丈夫。ルティが必死で探してる。あれでも王子だから、兵をたくさん使えるのよ。女の子の足じゃそんなに遠くにも行けないし、すぐに見つかるわ」
――ムフリッドのあの騒動はそういうことだったのか。
僕は、納得し、少しだけ安心した。確かにあの人数で探せば、もし万が一行き倒れていても見つからないことは無いだろう。
本当は、どこかにちゃんと逃げ切れるのが一番いいのだけれど……。
メイサはベッドから投げ出した足をぶらぶらとゆすりながら、じっと床を見つめていた。
「自殺行為よね。……でも、気持ちは分かる。今日ルティと結婚させられることになってたみたいだから」
「結婚……だって」
胸に何かがつかえたようになり、声がかすれた。
メイサは悲しそうに眉を寄せると、頷いた。
「どうせおばあさまの差し金よ。あの人、権力に目が無いから。そのためには何でも利用するの。たとえ実の娘でも、孫でもね。……歳を取るって嫌ね、昔はあの人もあんなじゃ無かっただろうに」