第6章―5 正体
しばらく考え込んでいたけれど、ふと顔を上げると、壁の肖像が目に入った。
あれ……?
「……あの人、誰ですか!」
気がつくとあたしはそう叫んでいた。
多少、歳がいっていたけれど、それは部屋で硝子を触った時に見たあの少年の顔だった。
「……ああ、アウストラリス国王陛下だよ」
へ?
「こ、国王陛下……」
あまりに意外な回答にあたしは固まった。
国王と母さんが……恋人同士だった……?
あたしの様子に、カーラは何か思うところがあったのか、ゆっくりと口を開いた。
「お前は部屋で見たんだね。ラナと王子だった頃のラサラス王を」
あたしは何も言えず、ただ頷いた。
「ラサラス王は、ラナを好いておってな。どうしても自分の妃にと思っていた。……でもな、ラナはシトゥラで一番力の強いおなごでな、王家もシトゥラ家もラナを間者として、そして次期当主として育てる事に決めておったんだ。……王家に嫁げば、その娘を間者として育てる事は難しくなるからね……。
ラサラス王子は王位を継ぐ事がすでに決まった王子だった。それが仇となったな。彼はどうしてもと無理強いをしたがために、自分で自分の首を絞めたんだよ。そして、ラナはその後、訓練を受け、優秀な間者となった。そしてジョイアに潜入中に、お前の父親に出会って……後は知っての通りだ」
「王は、……母さんを忘れたままだったのですか」
聞くのが怖かった。でも、聞かずにいられなかった。
「ああ。ラナの従姉妹、つまり私の娘を妃に迎えた。それがルティの母だよ」
やっぱりそうなんだ……。
――え?
――ええ!?
待って、それじゃあ、ルティの父さんって、つまり。
「ルティの父さんが国王なら、ルティは……」
あたしは自分の言っている事が嘘であって欲しいと思った。
「ルティリクス・サディル・アウストラリス。それが俺の名前だ」
それまで静かだったルティが口を開いた。
あたしは呆然とルティを見つめた。
――ルティが……王子だなんて。あり得ない。何かの間違いだわ。
だって、父さんが連れてきたんだし、国の事何とも思っていないような発言していたし、っていうか!
「一国の王子が自ら外国に潜入するってどういう事よ! それも何年も!」
「ジョイアには俺が好んで行ったんだ。俺って継承権も低いし、結構気軽に動けるんだよ」
「なんでわざわざ……」
「君の母さんに会いに」
「え?」
「祖母はああ言ってるけど、父は完全にはラナを忘れていなかった。少なくとも俺の母はそう思っていた。母は、ラナにそっくりだったらしいけど……父が自分を通してラナを見ていると、ずっと嘆いていた。……だから見てみたくなったんだ、ラナという女を。……だけど、俺がジョイアに行った時には、もうラナは居なかった。でもレグルスと君を見つけたんだ」
ルティはその目に暗い影を浮かべて話していてた。
確か出会って間もない時だった。ルティのこの目を見たのは。
……そうか。あのとき、彼は自分のお母さんの事を考えていたんだわ……。
「そしてその情報は、王家やシトゥラ家にとって、すごく重要なものだったんだ。なにしろ、シトゥラの娘にはもう実践として使えるだけの力を持った者はもう居なかったからね。――それから、俺が伝えたもう一つの情報。それがアルフォンスス家の子供の情報だよ」
「シリウスのこと?」
「シトゥラ家では代替わりする度に、力の制御が難しくなってきていたんだ。子供が減ってね。君の儀式をしないと言ったけど、本当を言うと『出来ない』が正しい。相手をして記憶をなくさない人間、つまりシトゥラの血を引く男がほとんどいないんだよ……。今居るのは俺と……あと叔父の二人だ。叔父はもう引退してしまったから、実質俺しか儀式を出来る人間が居ない。そして、今いるシトゥラの娘は、俺と血が近すぎてね……。だから、俺たちはいっそのことシリウスを手に入れたかったんだ」
あまりの話に、あたしはしばし呆然とした。
シリウスが狙いだと……?
「だが、あのあと……シリウスが皇子だと知ってね、一度はあきらめようとしたんだ。だけど、あまりに惜しかったから……シトゥラは考えた。『皇太子でなくなればいい』とね。そうであれば、アウストラリスへの婿入りも可能だろう? ……幸い、妹姫の後ろ盾は強力だったし、ジョイアでは女王を推す動きも大きかった。だから、まずは、完全に皇子を孤立させようとした」
まさか。
「まさか、それで……シリウスのお母さんはっ……!」
「そうだ。影で側室をそそのかしてね」
「ひどい……!!」
「シトゥラが手を出さずとも、あの后妃はいつかやったと思うけどね。……誤算は、ジョイア帝がそれでもシリウスを推したということだ。その時点でシトゥラは皇子のことはあきらめた」
あたしの頭にある考えがひらめいた。
……なんでルティはこんなに詳しく知っているのか。その答えは一つしか無いような気がした。
「……まさか、后妃をそそのかしたのって」
「ああ。俺だよ」
あたしは目の前が真っ暗になるような気がした。
ずっと前から后妃とルティが繋がっていた……ということは。
「シリウスの暗殺をそそのかしたのもあんたってこと!?」
あたしは怒りがお腹の底から湧いてくるような気がした。
「そんなわけないだろう? 殺してどうする。その逆だ。暗殺なんかし出したから、俺は后妃を見限ったんだよ。邪魔をしてもらっては困るからね。俺たちは皇子をあきらめた――そのかわり、君だけは『力の制御をできる状態で』手に入れようと思ったんだ。だから、皇子が早く君を抱いてくれないかと待っていた」
ルティは大きなため息をついた。
「――なのに君たちときたら、それどころじゃないとかなんとか言っていつまでたってもそうならない。だから、さっさと皇子に安全を渡してやったのさ。あの林檎を使ってね」
あの林檎――。
「あんたが……用意させたのね」
「そうだ」
ルティは悪びれること無く頷いた。
「お陰で、犯人がさっさと分かって良かっただろう? 言っておくが、俺は何もしていない。やったのは后妃だ」
「よくもそんなこと言えたわね」
「それが俺たちのやり方だ。手段は選ばないんだよ」
ルティのことが許せなかった。
一人の人間の人生を踏みにじっておいて……それを何とも思わない。その冷たさが我慢できなかった。
ルティはあたしが睨んでもまったく何も感じていないような様子で、肩をすくめる。
「さて、じゃあ、そろそろ力の制御について、祖母に聞いてもらおうかな。……それが済んだら、あとは俺と例の『儀式』だ」
「……え? 儀式はしないって……」
あたしは話の展開にびっくりしてルティを見上げた。
「『儀式』にも2種類あるって聞いていないか? 君は『力の移動の儀式』については修了だが、人相手に使いこなせるようになるには『力を制御する儀式』が必要なんだ。これはおまけみたいなものだけどね。それなら俺一人で十分だから。まあ、俺相手だったら、儀式でもなんでもないけどね。なんたって俺と君は結婚するんだから」
ルティは唖然とするあたしを見つめて微笑む。
「ちょ、ちょっと冗談じゃないわ! あんな酷い話を聞いて、あたしがあんた相手にそんなこと出来るわけないでしょ!」
「君の意思はもう関係ないんだ」
ルティはあたしの反論をばっさりと切って捨てた。
「ルティ、それはスピカが身籠っていないと分かるまでは待つんだ。どちらの子か分からないようなことでは困る。ジョイア皇家の血が流れる者を、そんな形で王家に入れるわけにはいかないんだからね」
黙って聞いていたカーラが口を挟んだ。
「分かっている。それは気をつけるつもりだ。……でも俺には時間が無い。それはあなたにも分かってるだろう?」
ルティは少々げんなりした様子で答えた。