第6章―4 当主との対面
――これからどうしようかしら。
ぼんやりと夢想していると、扉が叩かれた。見るとルティが入ってくるところで、先ほどのことがあったので、気まずくて目を逸らす。
「食事にしよう」
彼はさすがに慣れているのだろう、特に変わった様子もなくそう言うと、あたしを食堂まで案内してくれた。
なんだかそれどころではなかったので忘れていたけれど、気がついてみると、あたしは結局さっきの林檎しか食べていなかったので、酷く空腹だった。あんな事があったのにお腹が空くなんて――あたしって、図太いのかもしれない。そう思って自分のことが嫌いになる。
食堂に着くと、香辛料の爽やかな香りが漂っていた。見ると、広々とした丸い大きなテーブルの上には、香草をまぶした鳥の肉が丸ごと中央に置いてあり、侍女がそれを切り分けている。様々な種類のパンとサラダも同様にテーブルの中心にまとめて置いてある。どうやら好きなだけ取って良いらしかった。
こんな形式もあるんだ……。あらかじめ個々に盛りつけられているジョイアとは大違いだった。
あたしがそんな風に珍しそうに見ていると、侍女はどんどんあたしの前に料理を置いて行く。
いつの間にか凄い量の料理が並び、あたしが目を丸くしていると、ルティがあたしに声をかけた。
「無理して食べるなよ? 胃がびっくりするから。……おい、俺と違ってスピカはそんなに食べない。程々にしておけよ」
侍女にも注意する。
見ると目の前のルティの席にはあたしよりもたくさんの料理が積んであった。彼は涼しい顔でそれをどんどん詰め込んで行く。
あんなに食べるんだ……。知らなかった。道理で大きくなるわけだ。
あたしは冷や汗をかきながら、それをじっと見つめた。
……とりあえず、あたしも食べよう。
目の前にある赤いスープを飲む。それは酸味と辛みが強く、空腹の胃がピリつくような気がした。
うーん、何を食べていいやら……。
悩んでいると、ルティが皿をこちらに差し出す。
「これがいいだろ」
皿には芋で出来たサラダが入っていて、一口食べると、かなり胃が落ち着いた。
あたしが思わずため息をつくと、ルティは甘く微笑んでまた自分の食事を続けた。態度が変わろうと、ルティが女の子に優しいのは相変わらずだった。いや、もっと優しくなってるかもしれない。
……やっぱりルティの事嫌いにはなれないわ。
せめてあの顔がもう少し崩れてたら……。
最初の印象と違い、端正な顔に、軽さが抜けた落ち着いた性格がぴったりで、文句のつけようが無い。十人が十人いい男だと言うだろう。このままずっと一緒だと、いつか不覚にもときめいてしまうかもしれない。そんな事になったら、あたし、自分が嫌いで死にたくなるかも。そう思うと、ひどく憂鬱だった。
食事を済ませると、あたしは部屋で着替えさせらる。
一度も着た事が無いような形をした服だった。鮮やかな青い色をした、体の線を強調させるような細身のドレス。素材はおそらく絹。所々に丁寧な刺繍が入っていて、全体的に派手な印象だった。
髪も頭の高い位置に結い上げられた。
……ルティの趣味かしら……。
こんな感じのものをどこかで見たことがあったのだけれど、思い出せない。この国の民族衣装なのかもしれなかった。
侍女に付いて蝋燭だけに照らされた暗い廊下を歩いて行く。階段を上ったり下りたりしてようやくたどり着いた場所は屋敷の奥の部屋。
重厚な作りの扉を開けると、入り口の脇に立っていたルティが手を差し伸べた。
ルティも着替えていたのだけれど、あたしは思わずその姿に目が釘付けになってしまった。
「な、何? その格好……」
「当主に会うんだから、これくらい当然だろう?」
ルティは襟の詰まった濃紺の軍服を着ていた。
おそらく、実践向きではなく、正装だ。胸に勲章らしき物が付いている。
こんな格好をしたルティを見るのは当然初めてで、あたしはついつい見とれてしまった。
異常に似合っている。いやに着慣れている感じがした。これは――どう考えても只者ではない。
不思議でしょうがなくて、あたしは思わず尋ねる。
「……あんたって何者なの?」
ルティは、それには答えずに黙ってあたしの姿をじっと見つめていた。こちらが照れくさくなるくらいに上から下までじっくりと観察して、やがて満足げに微笑み、あたしの手をそっと取る。
その顔がちょっと幼く見え、ふとあたしはさっきの硝子の事を思い出した。
あの男の子……ルティに似ていた? 気のせいかしら。
ルティに連れられ、部屋の奥に向かうと、そこには一人の小さな女性が座っていた。赤い髪を見てはっとする。――あの人……お風呂で世話をしてくれた……で、でも……侍女かと思っていたのに……。
あたしは急に申し訳なくなる。
それに、ルティにされるままになっていた、あんな姿を見られたというのも、恥ずかしかった。
あれを見られているのだったら、今更こんな風に着飾っても無意味だ。
「スピカと言ったな。……先ほど見せてもらったが、顔立ちも体つきもラナに良く似ておる。さすがにいい素質をしておるな」
「あ、あの……」
あたしが戸惑って目を白黒させていると、ルティが説明してくれた。
「この人は、シトゥラ当主で、俺の祖母のカーラ。君の大伯母で、君の母さんはこの人の姪にあたる」
あたしは頭の中で家系図を一生懸命思い浮かべた。
……ってことは、ルティは再従兄ってことになるのかしら。遠い親戚って言ってたけれど、意外に血のつながりが濃かったのね。
「お前の母さんがあの男と、――レグルスと言ったかね、ジョイアに逃げてからね、このシトゥラは散々だったよ。王家の信頼は失うし、大事な跡継ぎを失うしで……。だからお前の存在を知った時は、本当に嬉しかったよ。これで、シトゥラもアウストラリスも安泰だとね」
カーラはそうつぶやくと大きなため息をついてあたしを見つめた。
射すくめられて、怯んだが、あたしは思い切って聞く。
「あたしをどうするつもりなんですか」
「ルティリクスと結婚してシトゥラを継いでもらう」
予想はしていたけれど、一瞬声が出なかった。
その横でルティが驚いたように声を上げる。
「話が違いますよ。俺は、この家を継ぐつもりは無い」
「お前に継げと言っていない。スピカに継げと言っている」
「しかし、スピカは俺の……」
「それも分かっている。別にシトゥラの当主と兼ねても良いだろう? ……シトゥラには強い力の跡継ぎが必要なんだよ。この国のためにもね。そのためにはもう手段を選んでいられない。それはお前にも分かっているはずだ」
有無を言わせぬ口調で言いくるめられ、ルティは口ごもる。
「……あたしは、ルティとは結婚できません」
勝手に話が進んで行くのをそれまで黙って聞いていたけれど、やっぱり不毛だった。あたしははっきりとそう言った。
「ジョイアの皇子に惚れているからか。……ルティから聞いたが、皇子はおぬしの事を忘れていると言うじゃないか」
シリウスの事を聞くとどうしても胸が痛んだ。でも、それを心の中に押し込めるようにしてあたしは答えた。
「……それとこれは話は別です。あたしは、ルティのことは友人としか思えませんし」
カーラはその顔にうっすらと笑みを浮かべると、言った。その目はあたしの揺れる心を見透かしているように見えた。
「嫌いではないのだろう? ……おなごでこの男を嫌うような者は滅多にいないからな。……大丈夫だよ、一緒に過ごすうちに情も湧く」
そんなものだろうか……。
嫌いになれないという事が、好きになれるということに結びつくかどうか、――あたしにはどうしても分からなかった。