第1章―3 君の枕と僕の夢
微かな鳥の声で眼を覚ますと、なんだか柔らかいものに体が包まれていた。
暖かくて気持ちよくて、僕はしばらくその心地よさを味わう。こんな気分はなんだか本当に久しぶりだった。
まだ重い瞼を開くと、目の前に鋼色の長い睫毛が見える。え、これって……
「う、わ――!!」
ぎょっと眼を剥き、身じろぎして体を起こそうとすると、スピカの細い腕が首に絡まってきた。
スピカの柔らかい体が、服越しにしっかりと僕の胸に押し付けられる。
「寒い」
スピカはそう言うと、一瞬眼を開いた。でも、直後、むにゃむにゃと何かを呟き、再び眠りに落ちていく。
当然のようにその体に触れたいと衝動が浮かび上ってきたけれど、それと同時にじわじわと湧いてくる恐怖に僕は体が固まってしまった。
――あれ、が来る。
脳裏に、いくつもの何かにとらわれたような瞳が浮かんでは消えた。それらがぐるぐると渦巻いて僕を飲み込もうとする。
かろうじてかすれた声が出た。
「スピカ、やめてくれ」
その声にスピカの体が反応した。
「え……。ああああああ、ご、ごめんなさい!」
最後はほとんど叫ぶように言うと、スピカは毛布をはねのけて起き上がろうとした。
その声でレグルスが眼を覚まし、こちらを見て仰天する。
「す、スピカ!! お前っ」
レグルスが仰天するのも当然で、スピカは僕の上に馬乗りになる形でいたのだった。
彼は慌てて僕たちの側にやってくると、スピカの腕をつかんで、僕から引き離した。
僕はようやくまともに息ができるようになり、大きく息をつく。
そしてレグルスの様子を恐る恐る伺った。だって、今のは、まずいんじゃあ……
レグルスは僕に構わずスピカの頭を思い切りげんこつで殴っていた。
「――いったあ!」
「すみません、シリウス。この娘の悪い癖がでてしまって……すっかり忘れていました」
「癖? 抱きついて寝るのが?」
「……枕がなかったんだもの……」
スピカはげんこつで殴られた部分をさすりながら呟いた。
「昔から、何でかそうなんですよ……」
レグルスが申し訳なさそうな顔で、僕を見て言い訳した。
スピカもばつの悪そうな顔をして、僕を見ている。
「枕が無いと落ち着かない気持ちになっちゃうのよ。でも、なんでかなあ? しばらく毛布とかで平気だったのに」
「抱きつくなら俺にしろ」
レグルスはなかなか怒りが収まらないようで、ぶつぶつと言っていた。
スピカはあきれた様子でそれを無視すると、僕を見て神妙に切り出した。
「……シリウス、触れないと言ったのに、ごめんなさい」
その一言で、ようやく謝られる理由をもう1つ思い出し、僕はぎょっとした。
そうだった、心を読まれるんだった……。僕はがっくりと肩を落とす。
「もう二度としないでくれ。心臓に悪い」
怒る気力も無かったので、それだけ言ったけれど、何が見えたかは結構気になってしまった。
あのとき僕は何考えてた? 思い出して蒼白になった。
「ま、さか。スピカ、あれ見ちゃったのか?」
スピカは見るからに動揺して黙り込む。そして、やがて言葉を選ぶように言った。
「うん。でも、寝ぼけてたし、直接触れてないからはっきりは見てない。良くないものと言うのはわかった。でも……あんまりにシリウス辛そうだったから……あたしの力で消してあげられたらいいのにって思った」
見られたのか、やっぱり。
ショックを受けつつも、最後の言葉が心に引っかかる。
「え? ――消せる? あの記憶をか?」
スピカはレグルスの方を意味ありげにちらりと見る。
「消せるんでしょう? 力をコントロールできれば」
レグルスは触れてほしくないといった感じでそっぽを向く。
「お前にはまだ早い。……さあ、もう出発だ」
吐き捨てるように言うとレグルスは自分の馬の方へと去っていった。
「なんでか、その話になると『まだ早い』の一点張り」
スピカはため息をついたけれど、気を取り直した様子で、馬の手綱をとった。
「くっつくときは集中してね。……なるべくあたしも他の事考えるから」
スピカはそう言ったけれど、何か思い出したようで、途中で妙な顔をした。
「……あ、今日、まだ布巻いてなかった。……でもまあ、もうばれてるし、いいか」
僕はぎょっとして、スピカを説得する。
……それに抱きつきながら何も考えないのは絶対無理。
「でも馬に乗るときは巻かない方が楽なんだけどなー。暑いし」
ぶつぶついいながらスピカは木陰で体に布を巻き、出てきた。
ただ、昨日のように厚い上着も着ず、そのほっそりした腕のラインがむき出しになっている。
昨日より薄着だ……。だいたい、昨日は女の子って知らなかったから何も考えずに済んだのだ。……大丈夫かな。
結果全く大丈夫ではなく、僕はスピカの体の事ばかり考えることになってしまい、他の心情を読まれる事は無かったけれど、馬を下りた後、さんざんスピカに変態扱いされたのだった。