第5章―2 捜索の手がかり
確かに、彼はあの若さとしては剣が立ちすぎるし、物腰が上品すぎる感はあった。特殊な教育を受けていたと考える方が自然だった。ひょっとしたら、それを隠そうとしてあんな風に軽く振る舞っていたのかもしれない。
所々不自然だったあの態度も、そう考えると腑に落ちた。
燭台の光が扉から流れ込む風に揺れ、おのおのの顔を照らし出す。
レグルスが眉間に深いしわを寄せたまま、深刻そうに口を開いた。
「ルティが王子だとすると……ことはかなり厄介です。もし、彼がスピカを拐したのなら、一国の王子が、皇太子妃を攫った問題で外交に影響する。あなた次第では戦になってもおかしくない」
「戦……」
実感が湧かなかった。
「だめね。今のこの子じゃ、お話しにならないわ。取り返すつもりも無いみたい」
「……」
幼馴染みと言っても、10年以上会っていない。その女の子を攫われたと言われても、湧いてくる感情は戸惑いだった。
確かに重大なことだ。僕の妃という実感は全くないけれど、レグルスの娘だし、おぼろげながら懐かしい思い出もある。
しかし、皇太子妃だと言っても、まだ正式に披露もしていない妃を助けるために、国を巻き込んでまで事を荒立てるというのはさすがにやりすぎな感じがしていた。
冷たいかもしれないけれど、彼女を助けるために皇太子の立場をそんな風に使うことは僕には出来そうになかった。
そんな思いが顔に出ていたのか、レグルスは突然立ち上がり、僕に向かって言い放った。その目が据わっている。
「分かりました。……私一人でも娘を取り返してきます。でも、取り返したとしても、もうここには戻りません」
「え、ちょっと待ってくれよ。それは困る。レグルス、君は僕に生涯仕えてくれると誓ってくれたじゃないか」
僕は焦った。
ルティが居ない今、レグルスまで居なくなってしまったら、本気で困る。
「気が変わりました」
彼はあっさりと言うと、今にも部屋を飛び出して行きそうだった。叔母が焦って引き止める。
「レグルス。気持ちは分かるけれど、冷静になりなさい。一人で行ってもしょうがないでしょう。それにスピカの気持ちはどうなるの」
「――この状態の皇子に会わせるなんて、酷なことが出来ますか!」
「会えば思い出すわよ。……シリウスがこの状態という事は、スピカの方も力の制御が出来るようになってるはずよ? ……この状態になったのも……たぶん、シリウスがスピカの事をそれだけ想ってるから、だから、そこだけ綺麗に消えてるんだと思うわ。そうじゃないとスピカの事だけ忘れるなんて不自然でしょう? そのくらい強い気持ちだったという事よ。それなら……きっとどこかに何か残ってるはずよ。そう信じましょう?」
叔母の言葉に、レグルスは少しだけ聞き耳を持つような気分になったようだった。
「……とにかく、スピカを探すのが先決です。皇子が動かれないのであれば、私はお役目を返上するしかありません」
確かに、僕のために近衛隊にいる彼は、僕の警護をおろそかには出来ない。勝手な行動は許されなかった。
僕はレグルスが気を変えてくれた事にほっとした。ともかく、……よかった。
「……それは分かってる。僕もレグルスと行くよ。仮にも僕の妻だし」
「仮にもではありません!」
「――ご、ごめん」
レグルスの頭から湯気が見えそうで、僕は自分の失言を反省した。
……でも、実感が無いんだよ……。
「シリウス、もうちょっと気を使いなさい……殺されるわよ」
叔母が肩を落としてそう言った。
*
「ルティはどこへ行ったんだろう」
僕は悩んだ。今のところ、彼だけが捜索の手がかりだった。
「おそらくアウストラリスのどこかでしょうけど……可能性としては、王都エラセドか、シトゥラの本家があるムフリッドでしょう。手紙の差出人は、杯の紋章が入っていましたから、おそらくシトゥラ家のものです。……なので、可能性としてはムフリッドが高いと思いますが……」
レグルスは落ち着きを取り戻し、手紙の切れ端を丁寧にテーブルに並べながら言った。
僕のことは病気と思って割り切ることにしたらしい(失礼な話だけど、もう文句は言えない)。この辺の切り替えが彼の大きな美点だろう。
「そういえば、あいつって、シトゥラ家の者じゃなかったのかな」
僕はふと不思議に思った。
レグルスが信用するという事は、それなりに根拠があるはずだった。
「母親がシトゥラ出身のはずです。ラナのことをよく知っていましたので。……それで油断してしまいました。まさか王族とは。しかも私が彼と出会ったのは10年前です」
「どういうことだ?」
「ある日、ハリスの騎士団に10歳くらいの少年が入団を志願してきたんです。彼は、父母に追い出されて家を失って、ラナを頼ってこの国に来たと言っていました。そして、彼女を追っていたら私に辿り着いたそうです」
「10歳……。そんなに長い間潜入していたという事なのか? ……一国の王子が?」
「どういう理由かは分かりませんが、おそらく……かなり皇位継承権が下なのではないかと。あの国は王子がたくさんいると聞きましたし」
確かに、隣国は10人以上の皇位継承者が居ると聞いている。――あのルティがそうだとは夢にも思わなかったけれど。
「――私ねえ、ミルザ姫に話を聞いた方がいいと思うのよね」
それまで黙っていた叔母が、突然そう言った。
「ミルザに?」
「ええ。昨日、不吉な事を口走っていたし、それに侍女がおそらくルティとなんらかのつながりがあったはず」
「不吉な事?」
僕にはその辺の記憶が残っていなかった。確かに、ミルザと何か揉めたような気はするけれど……なんでそういうことになったのか思い出せない。自分が自分じゃないみたいで妙に気持ちが悪い、そう思う。
「『後で後悔しても知らないから』って。何か知っていたと思えないかしら?」
何か一つでも手がかりがあればいい。とにかくこの状況は早く打開したい。
僕は立ち上がる。そして叔母とレグルスを交互に見つめると、言った。
「――行ってみよう、ミルザの離宮へ」