第4章―4 ご褒美
あたしは顔を真っ赤にしたまま、ヴェガとともに剣術大会の決勝を見に会場へと向かった。
剣術大会は、武芸大会の中でも花形で、この種目だけは毎年のように大会が行われていた。
それだけあって参加者も多く、多種目と比べ競技が長引いていて、日暮れとともに会場には松明が灯されている。
――寒い。
忍び込む冷気を嫌い、あたしは厚い外套の襟元をぎゅっと掴んだ。
吹きさらしの渡り廊下から外へ降りて、競技場のある中庭へと向かう。足下で新雪がきゅっと音を立てる。空を見上げると、夜へと向かう薄い闇の中、雪が照明に照らされてキラキラと舞っていた。
先ほど、父も決勝戦まで残ったと知らせが来た。
つまり、ルティと父というのが決勝戦のカードだった。
それを聞いたら、さすがに見学に出かけないわけにいかなかった。
あたしはもう、夜の事で頭がいっぱいだったのだけれど、ヴェガに引きずられるように会場へと連れて来られていた。
「夜までウジウジするよりいいでしょう。それにルティの事も気になるでしょう?」
そうヴェガは言うけれど、あたしは部屋でウジウジしながら、心の準備をしたかった。
ルティの事はおそらく冗談だろうと思っていたので、もうどうでもいい気がした。
でも会場についてみると、父が優勝すれば、それならその方が安心だしと、開き直れた。――うん、とりあえず、おとなしく父を応援する事にしよう。
空いていた席に腰掛けて、辺りを見回す。
闘技場は活気に満ちており、雪など溶かしてしまいそうだった。もうけられた観客席の奥、一段高い場所には、帝とシリウスが並んで座っている。
その光景に、あたしは心からホッとした。
――良かった。あんなに穏やかな顔してる。
あたしはシリウスが、あの闇を乗り越えたのを感じて、本当に嬉しかった。
これで、きっとあんな風に闇を怖がる事も無い。もとの明るい彼に戻ってくれるはず――
そんな風に思いながら彼をじっと見つめていると、ふとシリウスがこっちを見た。
一瞬だったけれど、目が合うと、彼はその綺麗な目を細めて、花が開くように微笑んだ。
――う、わぁ……
今まで見た事の無いような最高の笑みに、あたしは顔から火が出るかと思った。
慌ててうつむいて、頬を両手で包む。
「我が甥ながら、凄い色気。……あんな目で見られたら、たまらないわねぇ、スピカ」
隣でヴェガがあたしをからかい、あたしは余計に赤くなる。
ああ、目をそらしちゃった……でも、あんなの直視できない。
心臓が暴れすぎて、どうにかなりそうだった。
あたし、こんなことで、彼と夜を過ごす事なんて出来るのかしら?
あたしは胸を抑えながら、目線を競技場へと移す。とにかく、気を散らしたかった。
視線の先では、軽く装備を整えた父とルティが、ちょうど試合開始の礼をしているところだった。
ルティは不敵に微笑んでいて、体中から自信がみなぎっている感じがした。父も気迫は負けておらず、木刀の剣先を中段に構えてルティを睨んでいる。
やがてルティは剣を上段に構えると、一気に父の頭に向かって切っ先を振り下ろす。
父はそれを首を振って避けると、ルティの右手を狙い打ち込んだ。
ルティは身を引いてそれを避ける。そして、剣を自分の剣で払うようにして、再び頭を狙う。
父が腕を上げ、剣でそれを受けようとしたところ、ルティが飛び込むように胴を払った。
「――うぐぅ!」
それは本当に一瞬だった。
父は、腹を抑えて呻き、地面に膝をつく。
「勝負あり!」
審判が声をかけ、辺りは一気に湧いた。
あたしは呆然とする。父は決して弱くないのに――うそみたい。
実力差が歴然だった。
初めて見る、ルティのそんな姿に、あたしはただただびっくりした。今まで見ていた彼との差異があまりに酷く、別人を見ているような気がしていた。
彼は父に手を貸して立ち上がらせる。そうして試合終了の礼をすると、あたしをちらりと見て、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
その目の鋭さと甘さに射抜かれて、あたしは不覚にも赤くなる。ちょっと待って――こういうの、反則だと思う!
「あらあら……これは、驚きね。あの坊や、普段から考えられないくらい素敵じゃない。いっその事一生口を開かなければいいのに」
まったく同感だった。去年卒倒者が出たと言うのも納得できる。
そして、ふと以前感じた違和感が頭をもたげた。
――この男は本当にあたしの思っているような人物なのかしら?
*
ルティの表彰式が終わり、各競技の優勝者が一同に帝の前に並ぶ。
帝は各優勝者に順に褒美に何が欲しいか問い、とうとうルティの番になった。
――まさか、本当にあれを言わないわよね。
ふとさっきの彼の笑顔が瞼の裏に蘇り、忘れかけていた不安が頭をもたげた。
「そなたは、何を望むか?」
ルティはその低い声で、力強く言った。
「――ヴェガ様の侍女のスピカを」
辺りが一気にざわめいた。
視線が身体に突き刺さる。
「う、そ……」
――本当に言ったわ。いったい何のつもり……!?
血の気が引き、ふらつくあたしをヴェガが横から支える。
「お待ちください」
中庭に暖かい声が響いた。
声の方を見ると、シリウスがこちらに向かって歩いてきていた。そしてあたしの前に立つとあたしの腕を掴んで、自分に引き寄せる。
「――皇子」
「人を物のように取引するなんて、論外です」
ルティもあたしの側に近づくと、シリウスを睨むようにして、言った。
「あなたがそれを言いますか? あなたに言われれば、誰もがあなたの物になるしかないのに」
いつになく真剣な口調のルティに、あたしはびっくりして、まじまじと彼を見つめてしまった。
「僕は、強要するつもりはない」
「――本当にそうかな?」
「何が言いたい」
シリウスはイライラした様子で、ルティを睨み返していた。
「私が、陛下にお許しを頂いたら、あなたも同じ事を望まなければならないのでしょう? それとも臣下の物であれば、奪っても構わないとおっしゃいますか?」
「陛下は」
シリウスは何か言いかけたが、その声にかぶさるように帝の声が響いた。
「もうよい。認めよう。過去に例がないわけではない。……そなた、隣国出身であったな。たしかかの国では、力で手に入れることが美徳とされるとか」
「はい。ありがとうございます」
ルティは勝ち誇ったようにあたしを見つめると、あたしの腕を掴んだ。
「陛下。お待ちください。それならば、私にも望みがあります」
シリウスの声が辺りのざわめきを押さえ込む。
「なんだ? そなたも、その娘を所望するのか?」
帝はそう冷たく言い放つ。
ルティは意地悪そうにシリウスを睨んでいた。
「いいえ。――彼女に選ぶ自由を。拒絶する権利を」
帝もルティも一瞬あっけにとられたような顔をした。
「……ふむ。それは、この男だけでなく、すべての男についてか?」
帝は意味ありげにシリウスを見つめていた。
シリウスは、少しひるんだけれど、やがて力強く頷く。
「たとえ、皇族からの所望であっても、です」
あたしはその時分かった。
シリウスは、……あたしに断ってもいいと言ってくれてるのだと。
あたしの怯えが分かったのかもしれない。
シリウスの腕が動き、あたしの手にその手が少し触れた。
――断られてもあきらめないけどね。君が納得するまで待つよ。
そんな想いが指先から伝わってきた。
あたしはありがとうと言う代わりに、その手を一瞬ぎゅっと握った。
「おにいさま! ……その娘は」
その時、息を上げてミルザ姫が駆けつけてきた。
いけない……! あたしは息を飲んだ。
今まで彼女と接触しないように心がけていたのに、こんな時に。
ルティのせいだわ。あたしを目立たせるような事をするから……!
あたしは思わず彼を睨んだ。
ルティは素知らぬ顔であたしたちの様子を見守っている。
「嘘つき!!」
ミルザ姫はあたしに向かってそう言い放った。
そうかと思うと、あたしに向かって手を振り上げる。
ぶたれる!
あたしは覚悟して目を閉じる。
パシッと軽い音がして、目を開けると、あたしの前にシリウスが立っていて、ミルザ姫の手首を掴んでいた。
「ミルザ、やめてくれ」
「おにいさま……あくまでその人を庇うのですね! ……その人なのでしょう? 今日のお相手は!」
周りが一気にざわめいた。
ああ、この子にごまかしはきかない。
「相手の事は秘めておくんだよ。知っているだろう?」
シリウスは静かにミルザ姫に言い聞かせる。
「それでは、相応しくないお相手が選ばれるのを防げませんわ」
彼女は不敵に笑うと、あたしを睨んだ。
「嘘つきの泥棒猫なんかに、おにいさまをわたすわけにいきませんわ。あなた、わたくしに言われたでしょう? 女として仕えるつもりはありませんって。忘れたとは言わせませんわよ」
あたしは何も言えず、黙り込む。
確かにあたしはそう言った。あたしは、嘘つきだった。
「もちろん、お断りするのでしょう? おにいさまから、指名されたとしても。先ほどその自由も手に入れたのですし。……さあ、約束なさい、断ると」
「ミルザ、いい加減にしろ!」
シリウスがあたしとミルザ姫の間に立つと、あたしをその背中に庇った。
「彼女を女性として扱ったのは、僕だ。そのことで彼女を侮辱するのは許さない」
彼ははっきりとそう言った。
「……やっぱり、おにいさまは、その人が特別な存在になってしまったのね。今まで、そんな風に庇った事など無かったのに」
ミルザ姫は、ひどく憤った様子で、そうつぶやいた。
「分かったわ。お好きになさるといいわ。後で後悔しても知りませんから!」
そう不吉な言葉を残すと、ミルザ姫は身を翻して、会場を出て行った。
周囲のざわめきはなかなか収まらなかった。
シリウスの態度は、あたしが今夜の相手だと言っているようなものだった。
「……困ったな」
シリウスが頭を掻く。困ったと言う割りには、その顔は全く困っておらず、どこか満足げだった。
「もう部屋に下がりなさい。騒ぎが大きくなるだけでしょう」
ヴェガはあたしたちに冷静に指示すると、帝の方を見て、目で了承を得る。
あたしは、ルティに向かってどうしても一言文句が言いたくて、振り向きざまに罵った。
「バカ、あんたのせいよ」
「……分かってる。わざとだから」
わざとですって?
驚いて見上げると、彼は全然反省の色を見せず、不敵に笑っていた。
……不自然すぎる。なぜ笑えるっていうの? 求婚して、断られて、なぜ?
ルティがどういうつもりなのか、あたしにはさっぱり分からなかった。
冗談にしては事が大きくなりすぎているし……。
あたしは不可解に思いながらも、人目を避けるために、ヴェガとともに部屋に戻った。