第4章―3 求められるモノ
シリウスは、次の立ちから急に調子を取り戻し、予選の時のように淡々と的中を重ねた。
決勝で残っているのが3人になったけれど、誰も外さなくて、なかなか勝負がつかずにいた。
日も暮れ出し、辺りが急激に冷えてきたので、審判が相談して、勝敗の決め方を変更した。
――近的勝負となったのだ。
同じ的に向かって矢を放ち、誰が一番中心に近いかを競う。今度は的に中るだけでは駄目だった。
今まで以上の集中力が試される。
今までの競技では中心に黒い円が描かれているだけの白い的だったのだけれど、距離が測れるよう、中心から幾重にも円が書かれた的に変えられていた。
シリウスは射位から数歩下がった場所で椅子に座って、準備が終わるのを静かに待っていた。
彼の順番は三人中三番目。くじで決まったらしい。
あたしはハラハラしながら、その行く末を見守った。
一人目は割と歳の行った熟練の騎士で、あご髭の良く似合う渋い男性だった。
弦が音を立て、矢が飛ぶ。矢はパシッと心地よい音を立てて、的に刺さる。中心から三番目の円に刺さっていた。さすがに外さない。
二人目は、トリマンだった。騎士団で一番の腕の彼はさすがにここまで残っていた。実践で鍛えたその集中力は競技でも有効だった。
シリウスは、彼の様子を静かな目で見つめていた。
落ち着いてるみたいだったけれど、先ほどのように枠ギリギリでは今度は勝てないのだ。
あたしはドキドキしながら、トリマンが弓を引き絞るのを見ていた。
トリマンの弓は、シリウスの弓と比べて力強かった。シリウスはとてもしなやかに引くけれど、トリマンは力でねじ伏せるように引き絞っている。おそらく弓自体強いものなのだろうと思う。あたしじゃびくともしないくらいに。
やがて放たれた矢は、凄い勢いで、的に突き刺さった。あ――真ん中の円のなか……!
見守っていた観衆も思わずため息をつくくらい、決定的だった。中心まで、わずかに指の先ほどの距離しかない。勝負はついたんじゃないかと誰もが思っている様子だった。
シリウスは、その様子をしっかりと見ていたけれど、集中力が落ちることも無い様子で、静かに射位につく。
穏やかな目で的を見る。そしてふっと肩の力を抜き、弓を打ち起こすと、左右に慎重に引き分ける。
――そうして、会。
あたしは思わず呼吸を忘れた。
パシッと的に矢が刺さる音がして、あたしははっとして的を見た。
矢は、見事に的の中心を射ていた。
シリウスは静かに微笑むと、射位を下がる。
「……本当に優勝しちゃった……」
思わずつぶやくと、隣にいたヴェガにからかわれた。
「さっきのが効いたみたいね」
あたしは、今のシリウスの弓に感激して忘れかけていたそのことを、一気に思い出し、頭に血が上った。
「ヴェガ様……あたし、どうしよう」
ヴェガは、動揺するあたしを見かねて、一度部屋へと戻らせた。
表彰式を見たい気もしたが、それどころではなかった。
「シリウスになんて言われたの?」
ヴェガはお茶の用意をしながら、あたしに静かに尋ねた。
「……夜までに、覚悟しておいてって」
「そう。あなたを選んだのね。まあ、分かっていた事だけど」
「知ってらしたんですか?」
「知ってるも何も、あなたが一番分かってるはずでしょう。プロポーズされておいて。……それに、あなたたちの事を知ってる人なら誰だってそう思うでしょうよ。あのシリウスが、あなた以外選ぶなんて考えられない」
「……でも、ミネラウバとの噂は……」
あたしが口ごもりながら言うと、ヴェガは笑った。
「彼女が誰の侍女か覚えてる?」
「……ミルザ様の……。あ」
「ミルザ姫の侍女が、そんな恐ろしい真似をするかしら」
そうだった。あの姫が、そんなこと許すわけが無かった。
じゃあ、何のために?
「私はねえ、あのルティって坊やが、何か企んでるんじゃないかって思ってるのよ。今日も変にシリウスに絡んでいたし。シリウスに聞いたら、そんな侍女知らないって言ってたわよ。その侍女は、シリウスでなく、ルティに用事があったんではないかしら」
……確かに、シリウスの部屋にはいつもルティが控えている。そう考えた方が気分が楽だった。
でも企みって言うのは……穏やかではない。
「ルティが? 何を……」
「あなたも何か言われたんでしょう? さっき私がいない時に」
あたしはそれを思い出し、思わず顔をしかめた。
「剣術大会で優勝した褒美に、あたしを貰うっていうような事を……」
「やっぱりあなた絡みなのね……。それにしては変だわ。今までチャンスならいくらでもあったのに」
「あたしも変だと思います。なんで今頃になってそんなこと言うのかって」
「彼も今夜シリウスがあなたを妃にするって、分かっていたのでしょうね。……だからその前に奪おうとしたのかしら。……でもねえ。なんだかしっくり来ないわよね。だってシリウスが優勝したら、そんなこと出来なくなってしまうし……優勝するなんて思ってなかっただけかも」
「でも……熱心に練習をしていた事は知ってるはずですよね」
「まあ、努力すれば優勝出来るって言うわけでもないけれど。実際私もびっくりしたし」
「……あたしもびっくりしました」
あたしは弓を引いていた時のシリウスを思い出して、思わずぼうっとなった。
「まあ、ルティが火をつけてくれたんだろうけれど。あなたに会った後のあの子の顔ったら。甥だと分かっていてもちょっとときめいちゃったわ。……あの子の今夜の相手、あの場にいた女性なら誰でも勤めたいと思うんじゃないかしら。ねえ、スピカ」
からかい混じりに当初の話に戻されて、あたしはどぎまぎした。
「何をそんなに怖がっているの。以前はそんなこと無かったでしょう?」
「あたし……何も知らなかったんです。……この間、シュルマに、その、いろいろと聞いて。彼が求めてる事がどういう事かって……。それなのに、今日突然そんなことを言われても、心の準備ができないです」
ヴェガは赤くなってそう言うあたしを、微笑ましいものを見るという感じで見つめていた。
「怖じ気づいちゃったのね。以前は一緒に寝ちゃうくらい積極的だったのに」
「そ――その事は言わないで下さい!」
触れられたくないところに触れられた気分で、あたしは思わず叫ぶと一気に続けた。
「そ、それに、あたしたちの力について、まだなにも解決して無いじゃないですか。彼はもうあたしの力を使って傷を治す必要は無いみたいだし、むしろ、記憶を消してしまう危険性があって。……あたしは何の役にも立たないどころか、シリウスに害をなす存在なんです」
「でも、それを全部分かっていて、シリウスはあなたを欲しいと言っているのよ?」
「……」
あたしがそれでもうつむいて戸惑っていると、やがてヴェガは冷たい声で言った。
「そう、じゃあ、断ればいいわ」
「え」
「『どうしても嫌です』って言えば、あの子だって無理にそうはしないでしょう。今日はとりあえず、他の娘を選ぶんじゃないかしら。代わりになりたい子はいくらでもいるんだから」
その言葉にあたしは動揺した。
――それは、嫌だ。
「シリウスは今日の儀式は避けられないの。しきたりなんだから。うーん、それじゃあ、誰か他の子を手配するように言ってこようかしら。時間がないから急がないとね」
そう言って、ヴェガはいそいそと準備をし出した。
扉を出て行こうとする彼女の腕を、あたしは思わず掴んでいた。
「ま、待って下さい!」
「あら?」
ヴェガは意地悪そうに微笑んでいた。
そういえば、この人は可愛い甥のためなら何でもするのよね――。その顔を見てあらためて気がついた。
……はめられたのは分かっていた。でも――
「あたし、あたしがシリウスの相手、やりますから!」
――あたしはしっかりとそう叫んでいた。
会というのは、引分けが完成(弓を引き切った状態)され、矢は的を狙っている状態のことです。