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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第一部 闇の皇子と世界の始まり
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第4章―1 お妃選び

 新しい年が明け、渡り廊下から見える宮の中庭は、降りしきる白い雪に覆われていた。あたしはそれを横目で眺めつつ、寒さに追われるようにして暖かい室内へと駆け込んだ。

 宮での務めを始めて、もう五ヶ月が経とうとしていた。あたしは侍女の仕事には慣れたものの、未だ自分の居場所を見つけられずにいた。

 もともと侍女としての教育など全く受けていない。父を倣って騎士のまねごとならしたことはあったけれど、侍女という仕事はとことん向いていないと自分で思っていた。

 何が一番苦手かと言うと、女性特有の派閥。これについていけないのだった。

 友達がいない時期をずっと過ごしてきたものだから、人との距離を測れない。

 そんな中、突然、人間関係の複雑さで最たる場所に投げ込まれたものだから、あたしは、最初訳が分からなかった。

 どうしてシリウスの側にいられないのか分からなかった。

 いっそのこと彼の部屋にいるルティと変わって欲しくて、交渉しようとしたけれど、あっけなく却下された。父とヴェガが大反対したのだ。

 反対される理由もよく分からず、あたしは不満だったけれど、当のシリウスが文句を言わずにいたので、あたしにはそれ以上どうにも出来なかったのだ。


 ヴェガの部屋に出仕する途中、侍女の詰め所の前を通ると、侍女達のはしゃいだ声が聞こえて来た。

 シリウスの成人の儀が3日後と近づくにつれ、宮の中は次第にそわそわとし始めていた。お祭りだからかしらとあまり気にしていなかったのだけど、女性たちの華やぎようというのが日に日にひどくなっていき、あたしは何事だろうと、不思議に思っていた。

 ヴェガに尋ねてみても、「さあ」としか答えてもらえなかったし。

「あ」

 ――そうだわ。シュルマに聞いてみよう。

 あたしはふと思いついた勢いで、詰め所に飛び込んだ。


 詰め所の中は朝の喧騒のまっただ中だった。皆おしゃべりをしながらもしっかりと手を動かし、支度が済むとそれぞれの主人の元へと飛び出して行く。あたしは目当ての侍女を見つけると挨拶もそこそこに尋ねた。

「――ねえ、シュルマ。なんで皆このごろ華やかな格好をしているの?」

 彼女は褐色の髪に同色の目をしていて、鼻の上のそばかすが愛嬌のある、一番話しやすい同僚だった。誰に対しても裏表なく、感じが良い。歳は20だと言う。

 そのシュルマも髪からいい香りがしていた。すぐに香油を変えたのだと気がつく。

「あら、めずらしいわね、スピカがなにか尋ねるなんて」

 シュルマはそう言って微笑むと、手を止めてこっそりと教えてくれた。

「成人の儀があるでしょう?」

 あたしは頷いた。

「それで?」

「あら、スピカは何にも知らないのね。……成人の儀と言えば、皇子殿下の初のお妃選びじゃない」

「おきさき……って、ええ!?」

「その日にならないと、分からないのよ、どの娘が選ばれるか。……おそらく出来レースだとは思うけれど。それでも、可能性がないわけじゃないわ。皇子が当日気まぐれを起こされるかもしれないじゃない? だから、みんな気合いが入ってるというわけ」

 あたしは愕然とした。

 ……そんなこと一言も聞いていない。

 シリウスからのプロポーズを受けてもう五月経つけれど、実際の細かい話などは何も無いままだった。

 あれは夢だったのではないかと思うくらい、まったくそんな話が出なかった。


 シュルマは呆然とするあたしの様子に気づかずにおしゃべりに夢中になっている。

 若い侍女はシリウスの話になると、皆饒舌になった。

「ああ、でも皇子様と言えば、戻ってこられてから、ずいぶんと感じが変わられたわね。前はなんというか艶かしい女性的な美しさが強かったけれど、なんというか、毒気が抜けて爽やかなきれいな青年になられて。このごろ武芸に熱を入れられてるせいか、お体も逞しくなられて、うっとりしてしまうわ……。あと、以前は侍女なんて寄せ付けなかったというのに、戻られてからはかなりお盛んだそうよ。あのミネラウバなんて、なんど皇子のお部屋に通ったことか。多分今度の本命は彼女よね」

 止まらないシュルマのおしゃべりを一旦遮る。

「……お部屋に通って、お盛んって……どういうこと? ミネラウバが……本命?」

 ミネラウバというのは、侍女の中でもかなり美しい侍女でミルザ姫に仕えている。確か親はかなり高位の貴族のはずだった。基本的に宮では侍女の家系は伏せられているけれど、そう言うものは伏せておいても伝わるものだった。

 あたしが戸惑って聞くと、シュルマはあきれたように肩をすくめた。

「あらまあ。スピカは、とんでもなくお子様なのね。……もしかして、まだキスもしたことがないとか?」

「え」

 ――キス。

 それが今の話と関係あるのかしら。

 あたしはシリウスとのキスを思い出して、いつの間にか唇を触っていた。

「あら? 一応経験あるんだ。……意外ねえ。いえ、あなたくらい綺麗な子だったら、そりゃ言いよる男も多いだろうけどさ、なんていうか、あなたの男のあしらい方見てると興味ないのかしらって思ってしまって。この間だって、あの側近のルティリクス様? あの素敵な方をあんな風にあしらうなんてびっくりしちゃったわ。……とにかく、それじゃあ、ある程度分かってるでしょう? 男女の契りについて」

 あたしはさっぱり分からなかったので、首を横に振った。

「あなた、年が明けてもう16なのでしょう? その歳になってそれは問題ね。誰も教えてくれなかったの? そんなことで……いざそうなった時にどうするの。ああ、もう……仕方ないわね。あたしが教えてあげるわ」

 シュルマはあきれてそう言うと、戸惑うあたしに、かなり丁寧にそれらのことを教えてくれたのだった。




 侍女部屋からヴェガの部屋に行く途中、あたしは3回ほど転んだ。

 ――頭が爆発しそうだった。

 シュルマが語ったその男女の契りについてもだけれど、それ以上に、シリウスがミネラウバとそういうことをしているという事実にひどく衝撃を受けた。

 キスをして、体に触れて……それから。

 途中までの経験があるだけに、その先がなんとなく想像できてしまい、あたしは涙が出そうになった。

 あたし以外の女の子にあんなことをするなんて……。


 そう言えば、以前聞かれたことがあった。

『君は、僕が誰か他の女の子を抱くと考えてみて、何も感じないのか?』

 抱くというのは、ただ抱きしめるという意味ではなかったみたい。

 あの時は意味も分からず、そこまで大した事ではないとも思ったのだけど……それでも嫌だと思ったのに。………キスをしたりなんて、想像するだけで頭がおかしくなりそう。

 でも――やっぱり、シリウスは皇子だもの。

 そんなことは当然ある話だった。たとえシリウスが、あたしを妃にしてくれると言ったとしても、それは数多くの妃のうちの一人にすぎない。

 そう思うと、とてもいたたまれなかった。

 そんなことは父に言われていたし、覚悟していたはずだったのに、彼を独り占めしたい気持ちは抑えられそうに無かった。

 ――いつからあたしはこんなに欲張りになってしまったの。


 后妃の気持ちが今になって、よく分かる気がした。

 あたしは……耐えられるの? 彼の腕の中で、彼が他の女性を思い描くのを感じることがあっても――后妃のようにならないで済むのかしら――



「どうしたの、浮かない顔をして」

 部屋に戻るとヴェガがあたしを心配して、声をかけてくれた。

 あたしが黙っていると、彼女はあたしに椅子を勧めて、自らお茶を入れてくれた。暖かいお茶を飲むと少しだけ落ち着きを取り戻せた。

「……ヴェガ様、あたし、前にシリウスに言われたんです。妃になって欲しいって」

 初めて人に言う話だった。ヴェガは黙って頷いた。彼女は知っていたような顔をしていた。

「でも、いっそのこと断った方がいいのかもってこのごろ思うんです」

 断る事なんて出来ないのは知っていたけれど、あたしが言えば……シリウスは名を教えてくれた事、無かった事にしてくれるかもしれない。

「……どうして? シリウスのこと嫌いになったの?」

 ヴェガは意外そうに眉を上げると、あたしを見つめた。

「……そうじゃないんです。その逆で。あたし、もし本当にお妃にしてもらえたとしても、后妃様のようになるんじゃないかって心配なんです」

「そうね、あなたとても一途で情熱的だから。后妃と同じね。……でもね。あなたは、后妃と大きく違うところがあるのよ、分かる?」

「……」

 あんなに美人じゃないとか、貴族じゃないとか、力があるとかそういうことは思いついたけれど、どうも彼女の目を見ると、言われている意味が違うような気がした。

 あたしが首を振ると、ヴェガは優しく微笑んだ。

「シリウスはあなたが好きなのよ。それは分かっているんでしょう?」

「でも」

 確かに彼はそう言ってくれた。でも、それはあたしだけかどうか分からない―――

 あたしの言葉を遮るように、ヴェガは言った。

「陛下は、姉様に名を名乗ったわ。シリウスもあなたに名を名乗った。それがどういうことか分からないの?」

「お妃になる人には、名乗るのではないのですか?」

 あたしはてっきりそうだと思っていた。

 ヴェガはゆっくりと首を振った。

「『自らが見つけた妃』にだけ、名を名乗るのよ。……シリウスは、幼い頃はもちろんそんなこと知らなかったでしょう。でも、今はその意味をちゃんと知っているの」

 彼女はそこで言葉を切ると、困ったような顔でため息をつく。

「――あなたは、シリウスの心を読んでいるのに、彼の心が少しも分かっていないのね。どうして?」

 どう説明すればいいのかしら………。

 確かにあたしはシリウスのあの激情を自分のことのように感じることができる。

 手や唇から流れ込む気持ちに何の偽りもないことははっきりと分かる。

 ただ、それは、あたしの感じているものとは似ているけれど確かに違っていて、どう解釈すればいいか戸惑うのだ。


 ――滅茶苦茶にしてしまいたい


 そんなことを思われたら、どうすればいいか分からなくなる。

 シリウスが怖くて仕方がなくなってしまう。

 その破壊的な衝動は、あたしの気持ちとあまりにかけ離れていて、それを「好き」ということに本当に結びつけていいのかどうか、あたしには分からないのだった。


 それに――

「……シリウスが考えてることって、あたしにはよく分からないんです……。あたし、彼が怖くて」

「怖い?」

「……普段はそんなこと無いんです。でも、キスをしたり、抱きしめられたりしたときは……」

 先日の一件を思い出し、あたしは急に顔が赤らむのを感じた。

 あの日、シリウスが陛下と対面すると聞いて、励まそうと思ってキスをしたら、激しい反応があって酷くびっくりしたのだった。

 彼がそういうことをするのは、いつも突然で、普段の穏やかな彼からは想像できないほど激しくて、あたしはいつも驚かされてしまう。

 しかもこのごろ彼はもう気持ちが伝わるのを全く気にしていないのだ。

「ふうん……なるほどねえ。……男の本能をそのまま感じてしまうわけね……。そうね、言われてみれば、あなたがそう思うのも当然だわ」

 彼女のあけすけな言葉に余計に顔が熱くなる。シュルマから聞いた話が頭に浮かびそうになって慌てて打ち消した。

「……それに、その想いが、あたしだけに向けられてるかどうかなんて、あたしには分からないんです」

 あたしはミネラウバのことを思い出して、そう付け加えた。

 そうなのだ。シリウスは、彼女にも全く同じような想いを抱いているかもしれないのだ。いくらなんでも、別の人と彼がどうこうしている時の心は読めない。それは、本人に聞かない限り確かめようもなかった。

「あら? なにか疑ってるの?」

 伺うような視線に、あたしは我慢できずに、ミネラウバのことを話した。本当は、誰かに聞いてもらいたくて仕方が無かったのだ。


「……あの子がそんな器用なことすると思えないのだけどねえ……。でもそう言う噂が確かに流れてるのね?」

 ヴェガはあたしの話を聞いてしまうと、難しそうな顔をして言う。

 あたしは、ぐっと手を握りしめると、とうとう一番聞きたかったことを聞いた。

「……成人の儀でシリウスが妃を娶るって……本当ですか? 噂では、そのミネラウバが召されるんじゃないかって………」

 顔を見られたくなくて俯く。あたし、――ミネラウバに嫉妬してる。きっと醜い顔してる。

「ああ、妃を娶るのは、本当よ。最初の妃をね。まあ、誰が選ばれるかは、その時のシリウスの気持ち次第だけど」

 そう言うと、ヴェガはあたしの髪を優しく撫でて、くすりと微笑んだ。

「あなたも、自分が選ばれてもいいように、しっかりと準備しておきなさいね」

 ヴェガはそう言うと、急に何か思いついたように立ち上がった。

「……私は、ちょっとシリウスと話してくるから。心配事は、もう私に任せて、あなたはゆっくりしていなさい」


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