第2章―8 力の使い道
行きと同じように帰りも父が付き添ったので、部屋には3人が残された。
シリウスはうつむいて深いため息をついていた。その疲れた様子に、あたしは気になっていたことを尋ねる。
「ミルザ姫の想いって、どうも、兄を慕うっていうレベルじゃなかったんだけど……どういうこと?」
シリウスは多少げんなりとした表情であたしを見た。
「……さすがに恋愛感情ではないと思う。ただ、彼女の場合は、僕を所有物だと思っている節があって……おもちゃを取られるのが嫌なんだろう。今までも、僕のところに縁談みたいなものがあると、彼女が必ずぶちこわしてたよ」
あたしは何となく分かった気がした。確かにミルザ姫のあの想いは、そんな感じだったから。
そう納得しつつ、でも、あたしはシリウスの言葉の別な部分に気を取られてしまった。
……縁談、か。そうよね。皇太子なら、そう言う話いくらでもあるんだわ。
分かっているつもりだった。でも、なんだか落ち着かない……。
気がつくと、あたしは無意識に髪の毛にそっと手を伸ばしていた。そして手は空を切り、余計に落ち着かなくなる。
「強烈なお姫様ですねー。そこまでの愛情は遠慮したいっていうか」
それまで沈黙を保っていたルティが口を開いた。お陰で部屋に流れていた変な沈黙が消え、あたしは少しホッとした。そういえば、こいつにしては、居ないかのように静かだったわ……。
「どうしたの、猫かぶっちゃって」
「だって、あの子、やたら鋭いんだもん。入れ替わってたのばれちゃうかと思ってさあ。皇子不在中もよく見舞いに来てたけど、なんだかやばそうで、いつも寝た振りしてたし」
「たしかに……女だとばれるとは思わなかったわ。うーん、これからどうしよう」
「あの子が鋭すぎるだけだと思うけどねー。俺だって、最初は分からなかったし」
あれ? あたしはふと思い出す。
「すぐ分かったみたいなこと言ってなかったかしら?」
「ああ、だって知ってたから、レグルスに娘さんいること」
なんだ。じゃあ、あれってからかってただけなのね。そうよね、シリウスだって最初は分からなかったし。
「でもなあ……もうそろそろ無理なんじゃないかなと思うけど。なあ、皇子様?」
それまでぼーっと考え事をしていたシリウスが、突然話を振られて顔を上げた。
「え?」
「とぼけちゃって。女の子はいつの間にかきれいになるからなあ。その唇とか、食べちゃいたいくらい美味しそうに見えるけど。皇子様もそう思うでしょ?」
あたしはあまりのきわどい表現にぎょっとした。
――な、何を言ってるのよ、こいつは!
唇、と聞いて、あたしの頭の中にも嫌でも昨日のことが蘇ってきた。ああ! もう思い出さないようにしてるのに!
一気に顔が熱くなるのが分かる。
見るとシリウスも顔を真っ赤にしてルティを睨んでいる。
「あれれ? 二人してそんな顔して。……ひょっとして皇子様、もう食べちゃったの?」
そ、その話題には触れないで欲しいわ!!
昨日散々もめたんだから!
「シ、シリウスがそんな事するわけ無いでしょっ! あ、あたし達そんなんじゃないんだものっ! そ、そんなことよりっ、えと、そうよ、ミルザ姫の話!」
あたしは慌てふためいて、とにかく話題を変えにかかった。もう! シリウスの顔が見れなくなるじゃない!
「図星か」
ルティはぼそっとつぶやいて、もうその話題に触れようとはしなかった。
*
「ミルザの話から、鏡を手に入れるのが一番良さそうだ」
シリウスが髪の毛をくしゃくしゃとかき回すと、気を取り直したように言った。
「……ずっと昔から置いてあるんですものね。もしかしたら、10年前のことも分かるかもしれないわ」
あたしは憂鬱になりながら言った。
――先ほどの毒の話を思い出したのだ。
父は黙って考え込んでしまった。それもそのはず、父は未だに10年前の犯人を捜しているのだから。
こんなところで繋がるとは、考えもしなかった。
同じ手口となると、どうしても同一犯が疑われる。10年前と今回の件、動機があるのは……后妃だった。
今回の動機ははっきりしないけれど、……10年前は正室の座を狙っていたと考えられる。
どちらにせよ毒を見つけない限り、彼女を弾劾することは出来ないのだけど。
「少々強引な手を使っても手に入れよう。どうせ取り返さなければならないんだし」
「取り返す?」
シリウスの言葉に、ルティが不思議そうに尋ねる。
「后妃の鏡は、僕の母の形見なんだけど、……僕の力を抑えることが出来るらしいんだ」
「皇子の力?」
シリウスは簡単に彼の力について説明した。
「ふうん。そりゃまた厄介な。……今は何で平気なの?」
「……スピカから力を貰ってるから。僕の力が中和されるんだ」
「じゃあ、鏡が手に入ったら、スピカちゃんはいらなくなるんだ?」
「……そんなことはない。スピカにはずっと側に居て欲しい」
ルティの意地悪な言葉に、シリウスは少々むきになってるようにみえた。
「側近として? 皇子様、それは残酷だよ。スピカちゃんがそんなこと本気で望んでると思ってるの? さっきから聞いてりゃ、彼女のこと彼だとか友人だとか……」
「あれはミルザが居たからっ……。――残酷って、どういうことだ?」
シリウスはちょっと慌てたようにそう言い、あたしはさすがに焦って二人の間に割って入った。
「ちょっと、ルティ、何言い出すのよ!」
「だってさ、あんまりにひどいんだもん、皇子様。君の気持ちも、それに――君の価値も知らないで」
ルティの口調と態度が一瞬にして変わったのを感じ、あたしは部屋の空気が少し冷えた気がした。
なに? また別人のようになっちゃって……。
「どういう意味だよ」
シリウスが少々苛立たしげに言う。
「少しは自分の頭で考えたら?」
シリウスは明らかにむっとした表情をしたが、一瞬後には何かを考え出した。
そうしてしばらく後、口を開いて言った。
「スピカの力の使い方?」
「……分かってるじゃないか。彼女の力は、俺の国ではものすごく重用される。何しろ握手一つで、相手の考えが包み隠さず読めるんだからな。……この国では考えが違うらしいが」
あたしはびっくりしていた。――この厄介な力、隣の国でそんなに重宝されているなんて。
シリウスはさらに少し考え込んでいたが、やがてハッとした顔をした。
「……スピカのお母さんって、まさか……アウストラリスの間者だった?」
え?
「……そこまで回るのか、これは意外」
「どういうこと………」
あたしは二人が何を話しているのか理解できずに呆然としていた。
「……母さんが、アウストラリスの間者? ……じゃあ、なんで父さんと?」
あたしは思わずルティに詰め寄った。
「さあ。詳しいことは、本人に聞くしかないよ。――なあ、レグルス?」
ルティが扉に向かって問う。ためらったような沈黙の後、ドアが静かに開き、父が入ってきた。
「――父さん」
父は厳しい顔をして、ルティを睨んでいた。
「おしゃべりのしすぎだ」
「スピカの母君の話なのに? 本人が知らないって言うのは、どうかと思うよ。どうせ、いつか知ることになる。スピカはもう立場を決めなければいけない。だいたい、この宮での身分だって、まだ決めていないんだ。今のままでどうやって彼女を宮の者に紹介する? ……彼女は力を持っているものとして、自分の生き方を、すべてを知った上で自分で考えて選ぶべきだ」
ルティは妙に真剣にそう訴える。あたしは、その姿にただ驚いていた。――これは、いったい誰?
「あいつの生き方だけは……何があってもスピカには辿らせるつもりはない。だから知らなくていいんだ」
「知らずにそう利用されてもいいのか?」
ルティと父はぎりとにらみ合い、部屋には膠着した空気が漂った。あたしの事なのに、会話に加われ無い事がひどく悔しい。
「――ねえ、ちょっと! あたしに分かるように話して!! あたしのことでしょう? 自分のことで知らないことがあるのなんて嫌だわ。父さん! これ以上あたしに秘密を作るなんて許さないんだから!」
父が黙っているので、あたしはルティに向かって問いただした。
「あんたも何か知ってるんでしょう? 教えてよ!」
「……想像でしか無いけど。君の母さんは間者として、レグルスに近づいた。しかもただの間者じゃない。心を読むその力を最大に使ったんだろうよ。そして、仕事中に情が移ったんだろうな。だから国に帰らず、ジョイアに残った。――そして君を産んだんだ」
「……力を最大に使う? 仕事中?」
「まあ、その、つまり……」
めずらしくルティが言いよどむ。
あたしは不思議に思い、再び父を見た。
父はじっと壁を見つめていた。眉をひそめ、そのあたしと同じ緑灰色の瞳は何も映していないように見えた。
「俺は……あの仕事から足を洗わせたかったんだ。あいつは、そのことに何も感じていなかった。仕事だからと笑ってたんだ。そんな風に育てた奴らには、お前を渡す訳にはいかなかった……。だからあいつらとは完全に縁を切ったんだ。そして、お前にも何も話さなかった」
言いながら父はあたしの方を見て寂しげに微笑んだ。
「お前が、シリウスのためにそうすると言った時に、俺は、あいつを思い出したよ。大事なもののためには何だって差し出す……あの時のお前の目はあいつにそっくりだった」
そうして、父はシリウスの方へと視線を移すと、静かに尋ねた。その口調には、何か、覚悟を問う響きがあった。
「スピカは……あなたがそうしろと言えば、敵陣に間者として潜り込んで……情報をいとも簡単につかんでこれます。尋ねる必要は無い。ただ重要人物と寝屋を供にすればよいのです。この子は、あなたのためならおそらく何でもします。……あなたは、そういう風にスピカを使いますか?」