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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第一部 闇の皇子と世界の始まり
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第2章―5 赤い髪の男

 宮に潜入といっても、当然そう簡単ではなかった。

 まず、シリウスを逃がす時は下りだったが、今度は上りなのだ。宮は山頂にあるから、侵入するためには、当然のように山登りが待っていた。

 城までたどり着くには、大人の足で急いでも麓から一刻ほど坂道を登らねばならなかった。

 道はなだらかで舗装はされているので、登りやすい。でも、闇にまぎれてなので、足元が見えず、昼間に登るよりさらに消耗する気がしていた。それに、なんだか朝からやたらに眠いし、余計に辛い。この頃の寝不足で身体がもう限界なのかも。

 男二人に続き、必死で足を動かす。シリウスは普段歩かないはずなのに、意外に体力はあるようだった。この坂道にも息を上げる事が無かった。

 汗が額に浮かび、腕で拭う。少し立ち止まると、干上がった喉を水で潤し、乱れた呼吸を整える。

 宮に仕える大半の人間が、麓の城下町から毎日こんな風にここを登って勤めに出ている。もちろん、皇子に近しい人物は宮に部屋を与えられるけれど……。

 あたしはきっと毎日通勤組だわ。分かってはいても、少し寂しくて、げんなりした。


 シリウスは女装するかと思いきや、あたしや父と同じくかっちりと襟の詰まった紺色の軍服を纏って、深く帽子を被っていた。いつもとは違う凛々しい姿に、どうしてもときめいてしまう。目のやり場に困って、あたしが理由を聞くと、彼は唇を綻ばせて微笑んだ。

「宮ではひらひらの服ばかり着てたから、こっちの方が多分バレない」

 夜の闇の中、彼の黒い瞳が煌めいて、そこに夜空の星があるようで、あたしは吸い寄せられるようにその瞳に釘付けとなる。

 目が離せなくて、じっと見ていると、シリウスは困ったように瞳を伏せ、先に進み出す。

 そのあたしよりも少しだけ大きくて広い背中を見ながら、あたしはため息をついた。

 この間、父さんと何を話したのかしら……。あの親ばかのことだから、変なことを吹き込んでるんじゃないかとあたしは心配だった。

 あたしが止められないからって、シリウスに釘を刺すくらいはきっと平気でやるはずだ。

 その父は、城までの道を半分ほど登ったところで、辺りを見回すとシリウスに向かって言った。


「この辺です。……まだ来てないのか、あいつは」

「いーえ。もう着いてますよ」

 ――え、この声って!? あたしはかなりびっくりして、シリウスを見た。

 シリウスも同様に驚いたようで、辺りをキョロキョロ見回している。

「……今のシリウスじゃないの……」

「ちがいますよー。……おや、これはこれは、可愛らしいお嬢さんだ」

 どうやら木の上にその人物は居たようだった。突然頭上からばさっと音がしたかと思うと、目の前に黒い影があわられた。

 ずいぶんと、背が高い。あたしの頭がその影の胸の辺り、シリウスの頭が肩の辺りに来る。父さんと同じくらいかしら。

 その人物は静かにこちらに近づき、月明かりに照らされて、はじめてその顔が見えた。

 あたしは唖然とした。


 ――確かに、この声の主は、こういう容貌がぴったりだろう。

 赤い髪、鋭い茶色の目、濃い眉に、通った鼻筋、高い頬に、少しだけ甘い唇……かなりの色男と言って良い風貌だった。――なんていうか、きっと女の子が一番憧れる類いの男……だと思う。

 歳はおそらく20歳前後。体もしっかり出来上がっていて、肩幅などあたしの二倍ほどありそうだった。

 うわぁ……目の保養になる。シリウスとは別の意味で。

「そんなにまじまじと見られると恥ずかしいなあ。レグルス、こんな可愛い娘さん、隠しておくなんてずるいですよ。はやく紹介してくださいよー」

 ……その声で、そんな軽い台詞を吐くのは辞めて欲しいわ……。心臓に悪い。

 どうも目の前の人物は、見た目以上に軽い人物のようだった。

 うぅ……外見は素敵だけど、中身が……。

「お前になんか紹介するか」

 父もあきれたように男を見ている。

「……こいつが例のルティリクスだ。見た目も中身も軽いが、仕事は出来る」

「ひどい紹介だなあ。はじめまして。ルティリクス・シトゥラです。ルティと呼んでください」

 明らかにあたしの方だけ見て挨拶をするその男に、あたしは腹が立ってきた。

「ちょっと、シリウスが横に居るっていうのに、あたしに先に挨拶は無いでしょう!」

「え? ああ、皇子様ね。……よろしくお願いします」

 男は素直にシリウスに向き合うと、片膝を付いて、頭をたれた。

 しかし次の瞬間にはあたしのほうに向き直って、笑顔を振りまいた。

 こ、こいつ……。

「俺、男の子には興味ないんで」

 頭に血が上る。いや、そういう問題じゃないでしょう!! っていうか、あったらシリウスに近づくの、許さないんだから!

「お嬢さん、お名前を伺ってもいいですか?」

 ああ、もう。鬱陶しいったら! ちっとも懲りずにあたしに話しかけてくる彼に、あたしは顔をしかめて答えた。

「スピカよ。そういえば……よくあたしが女だって分かったわね……こんな格好なのに」

 あたしはふと気になったことを聞いた。

「こんな可愛らしい男の子が居てたまるものか。スピカちゃんね。――豊穣の女神にまつわる名……君にピッタリのいい名前だね」

 歯の浮くような台詞を次々に吐いたかと思うと、彼は手を差し出した。

「何のつもり?」

「握手だよ、握手」

 あたしはしぶしぶその手を握った。あーあ、出来る限り男の人には触らないようにしてるのに。

 だって……どうせへんなこと考えてるんだもの……。


「!?」


 ……読めない。何も流れてこない。

 こんなことは初めてで、あたしは心底びっくりした。

 あたしの表情を面白そうにながめると、彼は手を離す。そしてにやりと笑った。

「新鮮だろう?」

「どうして……」

「強いて言うなら体質かな」

「こいつは、お前の母の遠い親戚に当たるんだよ……」

 父が仕方なさそうに傍に寄ると、説明しだした。

「詳しくは知らないが、同族だと、読めないらしいんだ。お前も母さんの心は読めなかったろう?」

「……あなたも、心が読めるの?」

 あたしは気になって尋ねた。

「いや? その力があるのはなぜか女性だけなんだ。力を持った母から娘にしか継がれない。スピカちゃんは直系の癖に何も知らないんだなあ」

「――直系?」

 首を傾げ、父を見上げる。父は不愉快そうに言い放った。

「やめろルティ。そいつはもう関係ない話だ」

「なーにが関係ないんだよ……皆待ってるのに」

「あいつが俺と結婚したときに、縁は切ってるだろう。もう放っておけよ。――さあ、時間が無いんだ、さっさと行くぞ」

 ルティは父に背中を押されるとしぶしぶあたしのそばを離れて行った。

 途中振り返りながら、あたしに向かってウインクをとばし、あたしはそれを見てげんなりした。

 なんだかよく分からないやつだわ。変な事言ってたし……。直系? 父さんが言ってたあいつって、もちろん母さんの事よね? そういえば、あたし、母さんの実家の事、何も知らない……。

 ふとシリウスを見ると、彼は彼で何か思うところがあったのか、ルティの背中を睨みつけていた。

「シリウス?」

 あたしが声をかけると、彼ははっとしたように表情を和らげた。

「なんだか失礼なやつだったわね」

「……う、ん」

 生返事をすると、シリウスは父たちの後を追って行った。

 ……どうしたのかしら。

 あたしは不思議に思いながらも、一人置いてけぼりをくらったことに気づき、皆の後を追いかけていった。



 ジョイアの皇宮。

 それは、全て石造りの本宮と木造の外宮とが組合わさった、変わった造りとなっていて、本宮には、帝、妃、皇子、皇女が住み、外宮には、今はいないが帝の愛妾、側近やその家族が住むこととなっていた。シリウスの剣の師匠である父の部屋も、外宮に一室与えられている。

 本宮は外宮に囲まれるようになっているため、あたしたちは、外宮入り口にて父の新しい配下として宮に入り込み、その回廊を目立たぬようくぐり抜け、本宮へと向かった。

「部屋の前の衛兵に薬を盛っています。おそらくもう寝込んでいるはずです」

 ルティがそう言って、部屋の前の廊下を覗き込む。

 石造りの本宮は、廊下に窓が無く、月明かりさえ入らない。そのため、蝋燭の光だけで照らされていて薄暗かった。カツカツと言う音に振り向くと衛兵が所々歩き回っている。当然だけど、警備は手厚い。

 あたしは緊張してるくせに眠くて仕方なくて、あくびを噛み締めていた。それに気がついた父が、あたしの頭をげんこつで殴る。

「〜〜〜〜!」

「おい、しっかりしろ。お前のせいで皇子に何かあったらどうする気なんだ」

 ――分かってるわよ、分かってるけど!

 涙目で睨みながらも、おかげでひとまず目が覚めていた。


 さすがに皇子の部屋に侵入しているところ見られるのは怪しいので、入り口の衛兵だけには注意していた。ルティが廊下の角から部屋の前を伺う。

「ああ、良かった、大丈夫そうです。急ぎましょう」

 二人居た衛兵はルティの薬が効いたのか、どちらも椅子に座って眠りこけていた。床には酒の瓶が転がっている。……この人たち、きっとクビね。そんな事を思いながら急いで部屋に駆け込むと、大きく息をついた。

「ひとまずこれで安心ね」

「いやいや、まだですよ」

 ルティはそういうと、シリウスをいきなり担ぎ上げて、ベッドに投げ出した。

「ほら、病人らしくしてくださいよ」

「――うわぁ!」

 シリウスがベッドに沈み、勢い余って床に落ちた。鈍い音が響き、あたしは血相を変える。

 な、なんて……しっつれいなやつ!!

 あたしは慌ててシリウスの傍によると、彼を抱き起こした。無事を確認してルティを睨む。

「ちょっとルティ!! あんた!」

「俺は男は嫌いなんだ」

 彼は堂々と言い放つ。

 あたしはその様子にあきれかえった。

「皇子だって分かってるの!?」

「分かってるけどさあ。俺、もともとこの国の人間じゃないし。刷り込まれてないんだよねー」

「この国の人間じゃない? って、外国人だったの」

 意外な話に一瞬怒りを忘れる。

「うん。隣のアウストラリスの人間だよ」

 へらへらと言うルティに、シリウスが一気に顔をこわばらせる。

「間者か!?」

「そんなわけないでしょう。私はレグルスに連れてこられたんですよ。彼は私の素性を良く知っています。――大体、あの国にもたいした恩はないですし」

 あたしもシリウスもあっけにとられて、思わず顔を見合わせる。

「ねえ、国を大事に思う気持ちとか……全く無いの?」

「愛国心ねえ……。そんなものは感じたことも無いなあ。……俺が大事にするのは一族だけ」

 ルティはそういうと、あたしのそばに寄って来て、あたしの手を握る。

「可愛い子ならなおさら」

 あたしは即座にその手を振り払い、彼を睨みつける。

 ……あたしにはこいつの思考回路がわからない……。あれ? でも一族ってことは……

「え? あたしの母さんはアウストラリス人だったの?」

 あたしが裏返った声で聞くと、ルティは頭をかきながら、父を見る。

「本当に何も話してないんだな……」

「必要ないからな。お前、ぺらぺら喋るんじゃないぞ」

 父に釘を刺され、ルティは不満そうに口をつぐんだ。


「これからどうするの?」

「俺は自分の部屋に行くが、スピカとルティはここに残れ」

 ルティは驚いて、父を見る。

「おやあ、いいのか? 大事なお嬢さんを男二人と同室にしても」

 父は男二人を見つめてにやりと笑うと、どすの聞いた声で言った。

「―― 何 か あ っ た ら 、 命 は 無 い と 思 え よ」


 父が出て行った後、あたしは急激に眠くなった。さっきから我慢してたのが、緊張が緩んで一気に来た感じ。

 ――あ……まずい。この感覚。

 意識が遠のき、まぶたがぐっと重くなり、目を開けていられなくなる。あたしは何も考えられず、側に居たシリウスにもたれかかった。あ、だめ、触ったら余計に、意識が遠のいちゃう。……なんで、こんな大変な時に……

「ご、ごめんなさい、あたし、眠い……」

「ちょ、ちょっと、スピカ!」

 焦ったシリウスの声だけが遠くの方で聞こえ、あたしはそのまま意識を失った。


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