闇の眼 光の手

第一部 闇の皇子と世界の始まり

第2章―4 作戦会議

　結局考えもまとまらず、あたしが外に出ると、父とシリウスが今後の相談をしていた。

「メサルチム……ですか。これまた意外な名前が挙がってきましたね」

「うん。まさかと思ったよ」

「……メサルチムって誰？」

　あたしはシリウスの様子を伺いながら、会話に加わる。

　今はとにかく彼の命の安全が最優先……その他のことはそれから考えようと思った。

　シリウスは左手で頬を隠すように頬づえをついていた。叩かれた痕が痛むのかもしれない。色が白いから……しばらく目立っちゃうかもな。あたしが少し心配して様子を伺うと、彼は目をそらす。そして、先ほどのことなど無かったかのように涼しい顔で、あたしの問いに答えてくれた。

「……大臣の一人だ」

　あたしは彼の態度に少し胸が痛んだけれど、それを無理矢理に無視することにした。

「大臣？」

「今回の場合、大臣という役職が重要じゃないんだ……問題は、メサルチムが后妃の側近だということだ」

　父が渋い顔をして言う。

「え？　でも」

　あたしは、驚く。后妃って……たしか、シリウスに……

「そうなんだ。后妃には………動機が無い」

　あの記憶のせいだろう、シリウスが苦虫をかみつぶしたような顔でつぶやく。

　あたしも、あの記憶を見た後では、妃がシリウスを廃するとは思えなかった。――あの目は、恋する女性のものだった。

「メサルチムが一人で画策してるってことは？」

「后妃は、今の宮廷内では絶対的な権力を持っているんだ。なんたって一人しかいない妃なんだから。彼女に囲ってもらっている分際で、逆らおうなんて馬鹿はいないはずだよ……」

　シリウスは淡々と言うと、大きく息をついて首を振る。黒髪がさらさらと溢れ、彼の瞳に影を落とす。

「分からない……どういうことなんだろう」

　シリウスは悩みに悩んだ顔で、地面にそっと腰を下ろした。

　あたしも父もつられてその場に座り込む。

　長い話になりそうだった。

　いくら考えてもいい考えが浮かばず、あたしは足下に生えている雑草をちぎる。

　草が小さな山を作る頃、父が大きく息をつくと、仕方ないという表情で提案した。

「相手が相手だけに……もう内部から探るしかありませんね。ヤツに頼みましょう」

「ヤツ？」

「今シリウスの身代わりになってる、ルティリクスですよ。今までろくに役に立たずに寝てばかりいたんだ。この辺でしっかり働いてもらわないと」

「……いったいどんなやつなんだ。ぼくの身代わりなんて、なかなか大変なのに」

　シリウスは興味を持ったようで、父に尋ねた。

「いえ、お声がですね、似てるんですよ」

　父は、こみ上げてくるものを我慢できないという感じで、笑いながら言った。

「外見は、全く似てないんですがね。や、シリウスの声だったら、ああいう外見をしてもらわないと困るというか」

　あたしは想像した。シリウスの声にぴったりの外見……中年の渋い紳士という感じかしら。若くても落ち着いた感じの男の人よね、多分。

　シリウスは気にしていることを言われてむっとしたらしく、黙り込んでしまい、父は少々慌てて言い訳した。

「いや、シリウスにもその声は似合ってますよ………」

「今更、いいよ。もう慣れた」

　父は大きく咳払いをすると、ごまかすように続けた。

「ええと、まあ、つまりですね、布団を被って寝てたら、バレないんですよ。まあさすがに日が経って、それも厳しくはなってきましたが。――そこでですね。どうやら敵陣には、シリウスはもう宮にいないと思われてるようですから、いっそのこと戻ってもらおうかと。ルティリクスと入れ替わってもらうんです」

　あ、そうか。オリオーヌまで調査を入れるというのであれば、そういう風に思っていると考えていいんだ……。

「もちろん油断は禁物です。私は当然目を付けられているから、一緒に行動するのは危ない。私は基本的に単独で行動しますから、シリウスはスピカとルティリクスと居て下さい。ルティリクスの腕は信用できますのでご安心を」

「行動って？」

「……持ち物検査ですよ。こっそりくすねてきます。駄目な時はスピカを連れて行きます」

　ああ！　なるほど。

　さすがに今回は本人に触るのは難しいけれど、大臣や后妃の部屋にあるものを触れれば……きっと手がかりになる！

「僕は？」

　シリウスは不満そうに父を見る。

　またこの間のように作戦に加わりたいなんて言うんじゃないでしょうね……。

「もちろん、一日中寝ていてもらいます」

　父は笑顔で言い切った。今回は譲る気はなさそうだ。

　シリウスもその笑顔の迫力に押し切られるように、渋々言った。

「……分かった。さすがに今回は我慢するよ……。ただ……協力を頼めそうな人物がいるんだけど……接触しちゃ駄目か？」

「どなたです」

　シリウスは一瞬目を泳がせる。

「妹だ」

「ああ、なるほど……でも、それは少々危険すぎませんか。仮にも、娘ですよ？」

「う……ん。けど、多分だけど、あの子は、母よりぼくの方に懐いてる気がするよ」

「シリウスは妹と仲が良いの？」

　あたしが思わず聞くと、シリウスはちょっと複雑そうに、眉を寄せ、ため息をついた。

「……かなり一方的にね、好かれてるんだよ」

　――その後、あたしはシリウスに「妹に絶対女の子だとバレないように」ときつく言われたのだが、その意味は、彼女に会うまであたしには分からなかった。

　作戦を詰めているうちに昼時になり、あたしが昼食の用意をしようと、席を立とうとしたら、父がびっくりしたような声であたしを呼び止めた。

「スピカ。……おまえ、背中真っ黒だぞ。どこか転がったりしたのか？」

　あたしはその原因に思い当たり、ぎょっとして、思わずシリウスを見てしまった。

　あの時だわ……。掃除をしていない倉庫の床は、埃だらけで、そこに横になりでもすれば、当然服はドロドロになる。

　シリウスは、焦りを隠せない様子で、青い顔に冷や汗をかいていた。

　……そこまで焦るようなことなのかしら。あたしは首を傾げる。

　父はあたしとシリウスの様子を注意深く観察したかと思うと、急に目つきを鋭くしてシリウスを詰問した。

「その頬、……さっきから怪しいと思ってたんです。手の形ですね。……まさか、あなた、スピカに不埒な真似を……」

　不埒？

「やだ、父さん、違うわよ。シリウスはあたしにキスしただけで――」

　シリウスは目を剥き、父は顔を鬼のような形相に変えた。

　それを見て気がつく。――あたしはどうやらとんでもない発言をしたらしい。

　それでもあまりの父の形相に、あたしは昨日と話が違うと憤慨した。

「ちょっと父さん、なんで怒るのよ!!　シリウスが望めばいいって言ったくせに！」

「……そういう『望む』を言ってるんじゃないんだよ……」

「どう違うのか分からないわ」

　あたしにはよく分からなくて、父を見上げると聞いた。父はひどく難しそうな顔をしていた。

「シリウスが頭で考えて、本当にお前を望んでそうしたんなら、今こんな顔をしていないはずだ……そうだろう？　シリウス」

　シリウスは親に怒られた小さな子供のようにしゅんとして、膝を抱えてうつむいている。父も父で、子供を叱るような口調だった。

　あたしは何がなんだか分からなくて、ただおろおろと二人の様子を伺っていた。

　……ここは、あのとき見たシリウスの気持ちを言うべきなのかしら。

　秘密を知られて、逆上して……って。

　でもそれはどうも火に油を注ぐような発言のような気がして、先ほどの発言を少々反省していたあたしは、黙りを決め込むことにした。

　……シリウスは相変わらず気づいてないから。……表層のその衝動の下に、ちゃんと“ある想い”があったから、あたしは全然嫌だと感じなかったんだけど……。

「おい、お前は昼飯の用意をしてろ。俺はシリウスに話がある」

　二人だけでと、あたしは父に追い払われ、渋々昼食の準備に向かう。

　離れたところで、シリウスが父に何か訴えているのが見えたけれど、その内容はあたしの耳には届かなかった。