第9章―2
この城はジョイアの宮と随分と造りが違っていた。山頂に建てられたジョイアの宮が特殊だったという理由もある。おそらくこのエラセドの城が世界の中では一般的なのだと思った。
エラセドに入るときに見た町を取り囲む厚く高い壁。街の中心の丘にそびえ立つ城は、その中心の本宮がいくつもの塔の中でもひと際高く作られていて、それはまるで白く輝く剣だった。その一振りの剣は、権力を知らしめるかのようにに、天をまっぷたつに突き破っていた。
あたしは塔と本宮を繋ぐ回廊をルティに手を引かれて歩いていた。
歩く度に足下の石が硬い音を立てる。石造りの建物が多いこの地域の例に違わず、城も多くの石を使って作られていた。違うのは石の質。研磨された白い石が敷き詰められた廊下はまるでそれ自体が鏡のよう。壁も同様の石が隙間無く積み上げられていて、所々大きく開いた隙間には色の着いたガラス窓が埋め込まれていた。
太陽の光が窓から色付けされて差し込み、廊下に色とりどりの華を描きだす。
「ステンドグラスだ。この国でもこれだけの量を一度に見れるのはここしかない」
「……」
少し誇らしげなルティの説明にも、何も言わずに床を見つめた。その美しい光景は、あまりに胸に痛かった。部屋の床。映し出された黄色い花達が昨日の事のように瞼の裏に浮かび上がる。
思わず髪に隠れた耳たぶを触る。
あたしは、こうして何かを見て彼らを思い出す度に、身を焼かれ続ける。そしてシリウスを信じなかった事を、一生後悔し続けるのだ。
「何か思い出したのか? 喜ぶと思っていたんだが。なかなか見れる光景じゃないはずだし……」
柔らかい声色に顔を上げると、少し不満そうなルティの顔がある。
「――そういえば、ジョイアから一枚特注があったと言っていたけど……あいつか。色にも絵柄にも注文をつける客は珍しいんだ……くそっ」
急に悔しそうに歪む顔を見て呆れる。馬鹿だわ、こいつ。女心が分かってる様で全く分かってないじゃない。
「あんたに見せてもらっても嬉しいわけ無いでしょ」
強がったけれど、声は力を持たなかった。――特注……その言葉に動揺した。やっぱり。あの黄色の花は――
がつんという音に顔を上げると、ルティが壁を思い切り蹴り付けていた。あたしは不思議に思う。
「何をそんなに悔しがる事があるの」
「なぜそんな事を聞くんだ? 君は、俺が求めているものを知っているはずだ。好きな女の喜ぶ顔を見たがるのは当たり前だろう」
「……あんたは……あたしのこと、好きじゃないわ。だって、シ」
「――誰と比べてる」
怒りの籠った声に遮られる。その冷たさに、背筋が伸びた。
「俺とあいつを比べるな。虫酸が走る」
茶色の瞳に射すくめられる。
比べてる……か。でも、しょうがないじゃない。あたしは、きっと彼を一生忘れられないんだから。
こうして他の男を前にすれば、どれだけシリウスが特別だったか分かる。手放してみて分かるなんて、本当に馬鹿みたい。
あたしは、いつも彼を失って初めて自分の身勝手さに気が付く。いつでもそうだった。
彼の暖かさはじわじわと身に染みついて、その中にいる事を忘れさせてしまう。まるで水や空気みたいに、存在感を無くして、あって当たり前のものに姿を変えてしまう。彼の愛は主張をしない。これだけ愛してるんだからと見返りを求めない。それどころか、与える事だけに満足しているような気がする。あたしをそんな風に愛してくれるのは、彼以外には居ないのだと思う。
「泣くな」
ルティは、そう言うと、あたしの頬を親指で拭う。
「怒って悪かった」
心底困ったような顔が懇願する。――そうだった。この男は唯一女の涙に弱い。泣きそうな顔をするだけでも動揺して、取り乱し始める。なぜか昔からそうだった。その弱みに助けられた事もあったわね……そんな事を思い出す。
「親父が驚くだろう? ほら、泣き止めよ」
おろおろと赤い髪をかきあげるその仕草はどこか少年めいていた。暴君の顔があっという間に消え去り、代わりに迷子になった子供みたいな顔が現れる。抱いていた怒りが溶け始めるのを感じて、焦った。ああ、もう。そんな顔をされると、あたし、だめなんだから。お願いだから、ずっと嫌な男の顔をしていてよ――
あたしはなんとなくその顔を見ていたくなくて、無理矢理涙を飲み込んだ。
あ、あたしって、どうしてこう、すぐにほだされちゃうのかしら……相手はあのルティよ? どうかしてる。
「よし、それでいい」
ルティはようやくいつも通りの顔を取り戻す。そして、目の前で謁見の間の扉が開かれるのを見て、急に思い出したようにあたしに忠告した。
「分かっていると思うが、一応言っておく。――父の目の前で、ラナの名は厳禁だ」
「入れ」
低い、鋭い声が響く。ルティの声によく似た声だった。
「連れて参りました」
ルティが珍しく低姿勢。相手が相手だけに当たり前なのだけど、普段の彼からは想像できなくて、戸惑う。
彼に習い、両の膝を折り、頭を足れた、アウストラリス様式の礼をとる。
――この人が、母さんの……
そう思うと顔を見たくてうずうずとした。ルティに似てるのよね、確か。あたしはシトゥラで見た肖像画を思い出す。あの絵は一色で描き上げられていたから、雰囲気しか掴めなかった。だからあたしは、なんとなくアウストラリスの王がルティと同じ色をしていると想像していた。
「顔を上げよ」
力強い声に誘われ、顔を上げ、――息が止まった。
「え――」
かち合った青い瞳が見開かれる。え、うそ? この人がルティのお父さん?
目の前の、男性は、あたしの予想より遥かに若かった。歳は……おそらくいくら多く見積もっても三十代半ば。四十になろうと言う父よりも随分年下に見える。確かにルティとよく似ていた。だけど、確実に色が違った。それは、シリウスとルキアの色の違いくらいで、親子と言われても一瞬信じられないほど色素が違った。
アウストラリスの王――ラサラス王は、深い青い瞳に、金色の髪をしていた。その髪の色はまるで――蜂蜜のようで。
あたしは思わず自分の髪を握りしめる。
「は、これは驚いた。未来の娘かと思って楽しみに待っていたが――」
ラサラス王は、言葉通りに驚愕の表情を浮かべたまま、慌てたようにあたしの前に玉座から駆け下りて来る。
「これでは、嫁がずともそのままで私の子だ」
「シトゥラの娘ですから、当然かと。母上によく似ているでしょう」
ルティが王の態度に怪訝そうに顔を歪ませながら、王とあたしの間に割りこんだ。
「シトゥラか。誰の娘だと言っていたか」
「母の従姉の一人です」
ルティは名を言う事無く、短く答える。
あたしは、思わずじっと王の顔を見つめる。そしてルティの忠告の意味を理解する。
ラナの名は厳禁って、そうか――
シトゥラで大伯母から聞いた話を頭の隅で思い浮かべる。
『記憶は消えはせんのだよ。ただ心の奥深くに潜り込んで、思い出せなくなるだけだ。きっかけさえあれば、思い出すこともある。……ラサラス王がラナを思い出さないのは、彼が思い出すきっかけを全部封じ込めたからだ』
――きっかけ……。もしこの王が『ラナ』と言う名を聞けば、彼は母さんを思い出したりするのかしら。
そう思ったけれど、あたしは結局それを自分で否定した。彼らが恋仲だったのは20年近く昔の事だから思い出す事も無いだろうと思う。そして、万が一王が思い出しても、今更だ。母さんは居ないのだから。
王は、ルティがせっかく作った距離をすぐに縮め、あたしの手を取る。熱く固い手があたしの手をしっかりと握る。
見つめる目が妙に熱く輝いている様で、あたしが思わず怯むと、ルティが王の手をやんわりと退け、今度ははっきりとあたしを背に庇った。
「父上」
ルティの咎めるような声に王がはっとする。
「お分かりでしょうけれど、……この女は俺のものです」
「……分かっている、もちろん」
そう言いつつも、その声に力がこもらないのが気味が悪い。――コノ目ハ、キケンダ――心の奥で警鐘が鳴り、慌てて目をそらした。俯いた頭の上から低く熱を帯びた声が降る。
「だが……娘、おぬし、前に私と会った事はないか?」
「会うわけが無い! この娘はジョイアの皇太子妃です。生まれも育ちもジョイアで、エラセドには今回初めて足を踏み入れたのです」
思わずのように声を荒げるルティが怖かった。彼は怯えて始めている。そうだ、ここはアウストラリス。『力』で奪う事を美徳とする――そう言っていたのはルティ本人だった。この国で、王位を継ぐ事が決まったルティよりも力を持つのは……この王一人。
「ジョイアの皇太子妃?」
「そうです。報告したでしょう。だから、わざわざ危険を冒して手に入れた。この娘は、力を持ち、その上――皇太子の名を知っています。利用価値を考えても、俺の妃に最適です」
ルティが何かを恐れているのが、その力の入り具合から分かる。まさか――この王は
あたしの心に恐れが染み付いた瞬間だった。
突然、それは告げられた。
「それならば、お前でなく――私の妃にした方がよいではないか?」
まるで、決定事項のようだった。
「――――え?」
思わず放心する。なんて言ったの? この王は、今。
ぎり、とルティの歯が軋む音が聞こえた気がした。
「この女は、俺のものです」
ルティはもう一度力強く言った。
「しかし、お前は『あやつ』を説得できずにいるのだろう? あやつを黙らせぬ限り、お前はこの娘を娶る事が出来ない。私なら、あやつの言う事など気にせずにすむがな。今更側室の一人や二人増えても何も言うまい。それに、利用価値を言うならば、私が娶った方が即戦力となる。――お前はまだ王位を手にしていないのだからな」
「……彼女は渡せません。あなたは――なぜそうやって俺が必死で手に入れたものを奪おうとするのです! 昔からずっとそうだ!」
冷静な王子の顔を剥がすルティに、王はにやりと笑う。
「それは、私が王だからだ。嫌ならば、早く玉座を手に入れるんだな。かつて私がやったように」
「『かつて私がやったように』?」
あたしは思わず口に出していた。吐き気が堪えられない。何? だって、それって――
王がこちらに目を向ける。そして子供に言い聞かせるかのように語りかけた。
「娘。なぜ私がこの若さで玉座についていると思っている? ――アウストラリスの玉座は簒奪によって若返るのだよ」
「簒奪って……」
頭の芯が熱を持つ。アウストラリス人が好戦的な事は学んで知っている。それに、ジョイアでだってそういう事は過去にあったはず。でも頭でそう知っていても心が付いて行かない。目の前の人間が自分の肉親を? しかもこの人は――ねえ、母さん、嘘でしょう? 本当にこの人を愛していたの? ――いや、これ以上考えたくない!
「父は、王位の継承が決まったあと、すぐに前王の政権を倒した」
ルティはただそれだけ呟いた。
「前王って……ルティのお祖父さん?」
吐き気を必死で抑えながら呟くと、王は軽く笑って説明した。
「いや、私の叔父だ。私の父は継承権争いに負けてしまってね。アウストラリスでは父から子にそのまま玉座が継がれる事はまれだ。ルティリクスの場合は……特殊なのだよ。――こいつが他の継承者をことごとく潰してしまったから」
「潰して……?」
「なぜ数多くいる継承者の中で、歳若いルティリクスが継承権を手に入れられたか……娘、そなたならよく分かるのではないか? 異国の地から連れて来られたそなたならば」
「……」
すでに喉が干上がっていた。想像は、ついた。急激に思い出す。ツクルトゥルスであたしを乗せてくれたあの行商人達は一体どこに行ったのか。兵士達は逃げたと言ったけれど――父の状態を見れば、とてもそうは思えなかった。……生臭い臭いがどこからか漂うような気がする。それは――血の臭い? あんたはやっぱり――既に道を踏み外してるの? やり方を変えてっていうあたしの言葉は、全く届かなかったってことなの?
是非を問いたくて見上げてもルティは何も言わず、王を睨みつけている。
「血は争えぬという事だ」
ひっそりと冷たく笑うと王は急に話題を変えた。
「ところで、娘、そなたの名前は何と言う」
「……」
ルティの様子を伺う。彼はあたしに目をくれる事もせず、やはり王を睨みつけたままだった。
答えていいのか判断がつかないまま、結局あたしは口を開いた。
「スピカです」
「ジョイアの名だな――かの地の豊穣の女神か。良いな。アウストラリスはジョイアの女神を手に入れ、――そしていずれジョイア自体も手に入れる」
王がジョイアと口にする度に部屋の温度が冷えるような気がした。この国全体のジョイアへの恨みの元はここから発しているような、そんな気さえした。
「……そんな事――絶対にさせないわ」
あたしは無意識に低く呟いていた。そして王を睨みつける。放心していた心が今の言葉で一気に自分の中に戻ってくるのを感じる。――シリウスを傷つけたら、許さない。
「は、美しいだけかと思っていたが、なるほど、なかなかいい目をするではないか。だが――お前はもともとアウストラリスの人間だぞ? 国のために働くのは――」
そこまで言って王は何か喉に詰まったような様子になる。急激にその表情が固まり、王の目はあたしをすり抜けて壁を見つめだす。さっきまでの威厳のある顔が嘘みたいな、途方に暮れた、子供みたいな顔。――心がどこか遠くを彷徨っているようだった。
あたしは妙な既視感を感じて、王の顔を注視する。――なんだか、この表情をどこかで見たような……
「――『国のために働く』?」
ルティは王の様子に「潮時か」と小さく呟き、あたしの手をとり頭を下げた。
「とにかく……今日はこれで失礼します。俺はスピカを妃にします。貴方がそのつもりならば、俺もそれなりの覚悟をすることにします」
ルティの捨て台詞だけを残して、あたし達は放心する王を置いて部屋を出た。
何かに急き立てられるように、あたし達は塔へと戻った。途中あたしは何度も後ろを振り返った。王が追って来ているような気がして仕方が無かったのだ。
あたしを塔に戻すと、ルティは内側から固く鍵をかける。そしてそのまま扉に凭れ掛かってその目を手で覆う。珍しく息が上がっていた。彼に似合わないその動揺した様子に、あたしの怯えはひどくなる。
「ねぇ……どういうことなの? さっきのあれ、一体何?」
「――親父は……昔よくああなっていて。何かの拍子に、心が過去を彷徨うんだ。原因を探るとラナに関することが多かった。だから父の前ではラナの名を禁じた。もう10年ほどになる」
「……母さんの名を?」
「君を見て――何か思い出したのかもしれない。今さらだと思っていたが……誤算だった」
ルティはひどく焦躁した様子だった。
「こうなったら――」
そういいながら近づくと、急にあたしを抱き上げる。
「ちょ、ちょっと!!!!」
「――早く子を作るしかない」
「な に い っ て る の よ っ !!!!」
――なんでそうなるの!! こいつの思考回路ってどうしてこう、そっちに傾いてるのよっ!!
窓際のベッドに放り投げられる。ルティは上着を脱ぎ捨て、あたしの上に覆い被さった。茶色の目が輝きを失ったままあたしをシーツの上に縫い止める。
うわ! だめ、こいつ目が死んでる!
本気で身の危険を感じて、必死で頭を働かせる。
「だめだって! ねえ、ちょっと! 頭使ってよ!」
一枚一枚身に付けていた衣がはぎ取られ、終いには窓から差し込む日の光のが直に肌を焼きだす。かと思うと、固く滑らかな肌が直接あたしの肌の上に重なり、その体の重みでベッドに押さえつけられる。もうあたしは混乱で頭がおかしくなりそうだった。
いつかこんなことになるとはどこかで覚悟してたものの、いざそうなるとまったく対応できない。どうしたら逃げられるか分からない!
大体、こんな、真っ昼間から!? シリウスは夜しか――いや、そもそも、そういう問題じゃないのかも! どうしよう、どうしよう、――どうしよう!
「無駄だって! 子供なんてそんなに簡単に出来ないんだから!」
「その口でそう言うか? びっくりするくらい簡単に出来ただろ。今度もやってみなきゃ分からない。親父には渡さない。――お前は、俺のものだ」
その言葉で頭の中にひらめくものがあった。
『お前は、俺のものだ! ――ラナ』
そうだ、あの時の、王のあの顔は――
「やだってば! ねえっ! 思い出して。あたしは――『ラナ』じゃないのよっ」
口から飛び出た言葉に、肌の上を滑っていたルティの手が止まる。
「何を言っている? 当たり前だろう?」
怪訝そうに顔を上げるルティにあたしは必死で言い聞かせる。とにかく、今はこの状況を変えたかった。こんなのは絶っ対に嫌。
「あたしは、ラナじゃないの。――母さんじゃないの。王は、多分未だに心の底でラナを求めてる。だから間違ってあたしを欲しがってるのよ!」
「それくらい分かる」
ルティは捕らえた獲物を前にひどく焦れているみたいだった。その茶色の瞳の中で赤い炎がぐるぐる渦巻いている。今にも牙をむきそうなその赤い獣にあたしは一生懸命訴える。
「思い出させてあげて。王に、母さんのこと――そうすれば、間違いだって分かるから! そしたらあたしなんて必要ないに決まってるんだから。――こんな可能性の低い方法より、確実な方法を選びなさいよ!」
ルティは少し心を動かされたようだった。
「確かに、もうラナのことを隠す大きな理由は無いな。既にラナは死んでいるし、親父が不安定にれば、それは俺にとって好都合だ。ただ――」
ルティはそこで何か言葉を飲み込んだ。苦しげな表情にあたしが少し首を傾げると、彼は首を振って話を続ける。
「――でも、どうやって思い出させる? そう簡単じゃないはずだ」
あたしは少し考える。確かに今まで思い出さなかったことを簡単に思い出せるとは思えない。昔、シリウスがあたしのことを忘れたときだって、あの後再会できたからこそ思い出せたのであって、もし彼が追いかけて来てくれなかったら……きっと彼はあたしのことを思い出すことは無かったのだと思う。
あのシトゥラでの夜を思い出すと胸が軋んだけれど、痛みをこらえながら記憶を探る。
……あの時のきっかけは一体なんだったんだろう。――父さんやヴェガ様が言わなかったとは思えないから、名前じゃないだろうし。
「きっかけがあればって、カーラは言っていたわ」
「きっかけ、か」
「あたし、王に話して来る。母さんのこと教えてくるわ。あたしは、娘なんだって」
「だめだ。次会う時は、君は親父のモノになるに決まっている。あのひとは、そういう人だ」
「…………」
手が早いところも父親似なのね……あたしは呆れつつ別の案を放り出す。
「じゃあ、あんたが説得してよ。あたしだって王の妃なんてごめんよ!」
「俺の妃がいいんだろ?」
「それも違うわ」
「ふん……まあいい。でも……とりあえず、やっといた方が安心だな。策は多い方がいいに決まってる」
それとこれは別の話だ――と、あたしの必死のごまかしはさらりとかわされ、再び彼はあたしの肌に顔を埋めようとする。
「い、いまそんなことしてる場合じゃないと思うけど! ほ、ほら! 王が追って来るかもしれないでしょう!」
その言葉にようやくルティは気分を変えたようだった。やはり彼もそんな風に感じていたらしい。空気が変わるのを感じてあたしは心底ほっとした。
「……まあね。確かにここは危険だな――とりあえず君を親父が手を出せない場所に移そう。それにしても……勿体ないな」
ルティの目が名残惜しそうにあたしの体の上をなぞり、あたしは慌てて体を隠す。――シ、シリウスにさえこんな明るいところで見られたこと無いのに!!!! ごめんなさい――思わず謝りかけて、その必要が全くないことを思い出す。
もう彼はあたしが何をしようと、たとえルティに抱かれていようと、王に抱かれていようと、他のどんな男に何をされようとも……何とも思わないに決まっていた。帰って来るなというのはそういうこと。
あたしは今、体は捕われていても、心はどこまでも自由だった。
心に生えた翼で羽ばたけば、どこへでも飛んでいけるはずだった。一番飛んでいきたい場所には行けないだけで。
そんな翼、要らないのに。
そんな自由なんか要らないのに。
他の女性を抱いていいなんて――
あたし――なんて残酷なことを言っていたんだろう。
あのときは精一杯の優しさだと思っていたけれど――なんて勘違い。あたし、最低だ。
シュルマにそう言われた理由、殴られた理由が身に染みて分かって、心の底から思った。
――あたしはやっぱり彼にはふさわしくなかったのだと。
「泣くな」
気が付くと少年の顔をしたルティが、おろおろとした様子であたしの頬の涙を拭っていた。
「やめただろ? ……もうしないから、泣くなよ」
さっきのしかかられていたときには全然出なかった涙が、シリウスのことを考えただけで出てくるのがおかしかった。あたしはこの先もずっと、彼のことでしか心を動かされないのかもしれない。そう考えると余計に泣けて来た。
ルティは泣き止めないあたしにお手上げと言った調子で服を放り投げると、背を向けて扉へ向かう。そして侍従を呼びつけた。
ため息をついて、背を向けたまま彼は宣言する。
「すぐにここを出る。服を着ろ。行き先は――シトゥラだ」