15
雪解けが始まり、地から新芽が顔を覗かせるころ。
王都にたたずむ教会で、カールソン侯爵家子息とコルトー伯爵令嬢の結婚式が行われた。
教会の前の庭園で招待客達と共に花嫁花婿の登場を待っているアンナは、咎めるように片眉を潜めて傍らのエミリオを見上げた。
「それにしても…本当、手回しの良いこと。」
アンナの怒ったような表情を意にも返さず、エミリオは蜂蜜色の瞳を細めてとろけるような笑顔を見せる。
「んん?何のことだろう?」
一般的な女性なら彼のこの甘い微笑みで陥落するのだろう。
しかし残念ながら幼いころからの付き合いであるアンナには効かない。
ついには彼女にあからさまな溜息まで履かれてしまった。
「何カ月も前に発送していたはずの招待状も、教会の予約も…全ての書類が最初からすり替えられていてミシェル様とアルベルトの名前になっていたこととか。コルトー伯爵が反対出来ないように、権力を持っている上流貴族方から圧力が掛るよう根回ししていらっしゃったこととか?いったいどれほど前から計画を練っていたのか、一層ご教授願いたいものですわ。」
ふいっと顔をそむけてしまったアンナの、高い位置で結ばれている金髪が揺れて、エミリオの頬を掠めた。
エミリオは苦笑しながらその髪をひと束指で掬い取ると、「ごめんね。」と囁きながら髪先へと愛おしげに口づけを贈る。
そっと窺い見ると、そむけられた彼女の耳元が赤くなっていて、思わず口端が上がった。
彼女が怒っているのではなく、すねているだけなのだとエミリオは良く分かっている。
(好きな人の考えることを、知りたいと願うのは当然だからね。)
だからこそ、気を引きたくて何も言わず勝手な行動を取ってみせるのだ。
「……言わないよ。」
アンナには聞こえない程度の声量で囁いた。
少し怒られたとしても。男の矜持くらいは守りたいから。
「……エミリオ?」
わざとらしく笑うエミリオにアンナが怪訝な表情で振りかえった。
しかしエミリオは無言のまま彼女の問いを制し、開こうとする教会の扉を指す。
「あ、ほら。2人が出て来たよ。」
エミリオの声に、アンナは口を閉じて扉を振り仰いだ。
繊細なレースとチュール生地をふんだんに使用したウエディングドレス姿のミシェルと、ドレスに合わせてデザインされた白のタキシードを纏ったアルベルト。
寄り添い合う2人を取り囲む参列者が、事前に配られていた花籠の中身を彼らに向けて放り投げる。
色とりどりの花弁が宙を舞い、白の衣装に鮮やかな色を添えた。
アンナも参列者たちに倣って手元のカゴから花を放り投げると、気づいたミシェルが小さく手を振って笑顔を返してくれた。
その後ミシェルはアルベルトに何かを耳打ちしたかと思えば、2人で揃って幸せそうに笑う。
「…幸せそう。」
アンナは安堵したかのような呟きを漏らした。
この世の中、貴族社会で恋愛結婚は非常に珍しい。
恋しい人と添い遂げることがどれほど難しく、幸せなことなのか。
知っているからこそ、心からの祝福を込めて色とりどりの花弁を放った。
自分にこんな幸せな結婚が出来るかどうかは…まだ分からない。
そんな彼女を愛おしげに見つめていたエミリオは、後ろからそっと腰に手をまわして抱きしめる。
力を込めて細い身体を引き寄せて、白い首筋に吐息と共に唇と落とし、そのままなぞって辿りついた耳元に、低い男の声で囁く。
「君は僕が幸せにするよ。絶対。」
「っ……。」
嘘偽りの無い、真摯な台詞。
突然の告白に胸を突かれて思わず目頭が熱くなった。
アンナは誤魔化す様に首を振って小さく深呼吸して、ことさら明るい口調で口を開く。
腰にまわされたエミリオの手を、自らの指と絡ませながら。
「そういう話はきちんと他の女性たちとお別れしてから仰って下さいな。」
「…本当に、全員と決別してこなきゃ駄目?もう連絡も取ってない人がほとんどだよ?」
「駄目です。きっちりと正面切って二度と男女の関係にはならないと宣言していらして下さい。」
「うー…、わかった。」
エミリオは不承不承に頷きながらも、彼女を抱きしめる腕にますます力を込める。
「何十年だって、お待ちしておりますから。」
「…うん。」
柔らかく笑ってエミリオを振り返り見上げるアンナに、エミリオも思わず釣られて笑いながら。
教会と言う神の御許で、2人の男女は永遠を誓い合う。
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…カタン。と、バルコニーの扉が開けられる音が静かな空間に響く。
湯あがりの火照った身体が、穏やかに吹く風に撫でられ心地が良い。
薄い夜着を纏ったミシェルは、扉に手を掛けたまま、三日月型に弧を描いて淡く光る月を見上げた。
「風をひくぞ。」
いつの間にか背後に居たアルベルトが、低い声でそう言いながら、扉に添えられたミシェルの手に自らの節ばった大きな手を重ねる。
「初春と言っても、夜はまだ冷える。」
「平気です。こうみえても結構丈夫なんですよ。」
柔らかくはにかみながら、ミシェルは今日、伴侶となった相手に振り向いた。
濡れたままの黒髪から水滴がぽとりと床に堕ちた。
見上げると、彼は拭う仕草さえせず首にタオルを掛けている状態だ。
「むしろアルベルトの方が風邪をひく格好ですね。」
ミシェルは眉を下げて嘆息し、自分の倍の大きさはありそうな手を引いた。
部屋の中央に置かれた寝台にアルベルトを導いて座らせると、首に掛けられたままのタオルを抜き取って髪を優しく掬う。
「きちんと乾かして下さいね。」
「…面倒だ。短いから直ぐ乾く。」
タオルごしに髪を撫でるミシェルの手が気持ちよくて、眼をつむって身をゆだねた。
こうして彼女自ら乾かしてくれるのならば、毎日乾かさないままで出てこようと、口に出せば怒らせるようなことを考えながら。
腰から背中に手をまわしてミシェルの身体を引き寄せて、白く薄い鎖骨に鼻先をすりつける。
「駄目です。アンナ様にお聞きしましたわ。アルベルト様は昔からすぐに体調を崩すって。見た目に反してかなりのインドア人間だから色々連れ回して心身ともに鍛えてやって下さいとも。」
「…いつの間に仲良くなっているんだ。」
「アルベルト様の幼馴染で何でもご存じなのですもの。私と出会う前のお話をたくさんして下さるから、つい長話してしまって。」
「…………。」
アンナにはアルベルトの幼小時代から現在までの全部をしられてしまっている。
彼女自身に見られたものに加えて、エミリオが面白おかしく全てを彼女に吹きこんでいるから、身体的な事柄はもちろん、それこそあまり人に知られたくないような思春期独自の失敗談まで周知しているのだろう。
ミシェルは一体何をどこまで吹きこまれているのか。
(これ以上に変な事は教えないように、釘をさしとかないとな。)
決意しながら、甘い香りのするなめらかな肌に鼻をすり付け、そのまま鎖骨から首筋へ滑らせて喉の柔らかな皮膚をちゅっと音を立てて吸い上げる。
「っ…!アルベルト!」
驚いた声と共に、瞬時に白い肌が淡い桃色へと色づく。
怒ればいいのか泣けばいいのか笑えばいいのか分からない様で、視線を右往左往させ、口を開いたり閉じたりする純情な反応に、アルベルトは思わず笑いを漏らしてしまった。
「ははっ…。」
「わ、笑うところですか?」
眉を寄せて拗ねたように口をとがらせる、子供のような仕草に余計に頬が緩みそうだ。
「悪い。」
「…いえ、怒っているわけでは…ゃっ…!」
アルベルトは髪を拭ってくれていたミシェルの手首を掴むと、寝台の上に彼女の身体を引き上げた。
勢いのまま柔らかなシーツに横たえられたミシェルの顔の横に、手をついて、覆いかぶさるように見降ろすと、息が触れるほどに近づいたアルベルトの顔がミシェルの薄茶色の瞳に映る。
じっと見つめ合いながら、アルベルトはミシェルの乱れた柔らかな髪をすく。
ミシェルは早鐘をうつ心臓を意識しながら、彼が次にどんな行動にでるのか身構えていた。
未知の事柄に対する緊張と、不安と、少しの警戒。
しかしポツリと呟かれた言葉に、簡単に意識をそがれてしまう。
「…不思議な感覚だな。」
「え?」
「お前を娶るなんて、本当に…考えたこともなかったのに。」
「アルベルト…。」
絶対に幸せに出来ないと頑なに思っていたから。
遠くからでも、見守れれば良かった。
(忍耐には、自身があったんだが。)
欲しいものを欲しいと、衝動的にすがりついてしまうほどに欲するような子供ではなかったはずだ。
なのにここまで執着してしまうとは、予想外すぎて。
己らしくない行動に、アルベルトは思わず苦笑してしまう。
その笑みにつられて、ミシェルも柔らかく口元が緩む。
「アルベルトは、良く笑うようになりましたね。」
「……お互い様だ。」
仏頂面が張り付いたままだったのに、いつの間にか柔らかく笑うことを覚えてしまった。
癖になってしまった眉間のしわはもう治りそうになかったが。
アルベルトはミシェルの小さな額に自分の額を合わせて、透き通った薄茶の瞳を見つめる。
「………あの。」
「もう黙ってろ。」
「…っ、はい。」
緊張から僅かに震えるふっくらした唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねた。
安心させるように、頭を撫でて。 腕を辿って小さな手をにぎった。
月光の淡い光が指す、優しい空間の中。
偽りの婚約者だった彼らは、真実の伴侶となった。
完結です。
読んで下さり有難うございました。