1 母親の再婚
僕の母親が再婚する事になった。
別に母親の再婚に反対だと言うわけではない。
そんな乳離れしていないガキでもあるまいし、むしろ早く誰かいい人を見つけてくれないかと願っていたくらいだ。
僕が生まれる前に実の父親が不慮の事故で死んで、身重の母親は独り取り残された。
まだ堕胎出来るギリギリの時期だったそうで、『堕ろした方がいい』という周囲の声に耳を貸す事もなく僕を産んで育ててくれた。
亡くなった父親の両親も『息子の忘れ形見』だと言って僕を母から取り上げるような真似もしなかった。
まあ、向こうには僕とは別の孫もいたし、年老いて今更子育てをしようとは思わなかっただろう。
僕と母親の生活の援助をする代わりに年に数回会うくらいだ。
会う度に『亡くなった息子にそっくりになってきた』と涙ぐまれるのには少し辟易しているが…。
そんな祖父母も母に会う度に『何時でも再婚していいのよ』と進言していた。
その度に母は『そうですね。そのうちに…』なんて言葉を濁していた。
何しろ20歳という若さで僕を産んだのだ。
子育てだけで人生を終えるのには若すぎる。
おまけに童顔だから僕と並んで歩いていたら、歳の離れた兄弟か恋人同士に間違えられそうでもある。
そんな母親の様子に変化が表れたのは、ここ最近の事だった。
何となく浮かれたような態度が垣間見えるようになってきた。
元々美人だったけれど、最近では更に磨きがかかったような気がしていた。
決定的だったのはつい先日の事だ。
学校の帰り道、家の前の通りを歩いていると、我が家の前に1台の車が止まるのが見えた。
『おや?』と思って立ち止まると、車の助手席から母親が降りてくるのが見えた。
車のドアが閉まったのに、母親はその場を離れようとしない。
そのうちに助手席の窓が開いたらしく、母親はその中に頭を突っ込んだ。
よくは見えなかったけれど、運転席にいた誰かとキスをしていたのかもしれない。
その場に立ち尽くしたまま、動けずにいると、母親は何事もなかったかのように身体を元に戻すと、走り去る車をいつまでも見送っていた。
車が見えなくなると、母親は僕に気付く事もなく家の中へと入って行った。
僕は目の前の光景が信じられなかった。
いざ、母親に恋人が出来たと知ってショックを受けている自分にも驚いていた。
ヨロヨロとした足取りで家に帰り着くと、鼻歌交じりで夕食の支度をしている母親がいた。
「あら、おかえりなさい。私も今帰ってきたところなの。夕食までもう少し時間がかかるから着替えていらっしゃい」
上機嫌な母親を尻目に僕は自分の部屋に入ると、そのままベッドに仰向けに倒れ込んだ。
さっき見た光景が頭の中を何度もリピートするように流れてくる。
いつの間にか目尻から涙が溢れていた。
いつまでも二人だけの生活が続くと思っていたのにそれが無くなるのがショックなのか、母親を誰かに取られるのがショックなのかわからない。
だけど、母親はまだ36歳なのだ。
まだまだ子供だって産める歳だし、僕だっていずれは結婚するかもしれないんだ。
それに男をとっかえひっかえ連れ込むような母親じゃなかっただけマシだと思う。
笑って母親の再婚を喜んであげるべきだ。
そう決意した僕は流れる涙をぐいと拭った。
「雅樹ー、ご飯よー」
母親の僕を呼ぶ声が聞こえた。
僕は慌ててベッドから起き上がると手早く着替えてダイニングに向かった。
母親はやはり上機嫌で僕の向かいに座って食事をしている。
僕は意を決して口を開いた。
「…母さん」
「なあに」
「もしかして、好きな人がいるの?」
そう聞いた途端、母親はびっくりしたように僕を見つめた。
その顔がぽっと赤く染まる。
「な、何を言ってるの?」
「さっき見ちゃったんだ。車が止まった時の事」
そう告げると母親の顔が更に赤くなり、とうとう俯いてしまった。
「好きな人がいるんなら、僕に気兼ねせずにさっさと結婚しちゃいなよ。僕がいない方がいいんなら、どっちかの家に行ってもいいんだからさ」
これは本当の話だ。
父方の祖父母も母方の祖父母も、母親が再婚するなら家に来てもいいと言われている。
だが、母親はそれを聞くとガバッと顔を上げてキッと僕を見据えた。
「雅樹の事を邪魔だと思うような人とは再婚しないわよ!」
それを告げると母親はフッと目元を緩めた。
「今、お付き合いしている人は雅樹と同じ歳の息子さんがいるの。だからお互いの子供達が同意してくれたら結婚しようって言っているんだけど…。…どう?」
まさか、向こうにも僕と同い年の子供がいるとは思わなかったな。
同性なら間違いなんて起こるはずもないから、いいかな。
「僕は構わないよ。会ってみなきゃわからないけれど、きっと仲良くなれるよ」
そう告げると母親は心底嬉しそうに破顔した。
この時の僕はまさか、彼と兄弟になるとは思ってもいなかった。




