第26話「ギャルとからくり時計」
次の日、堀田は君野に家族の用事があると言われ、仕方なく家の中で過ごしていた。
せっかく帰ってきて、お土産も買ってきたのに。
「はあ……」
口を尖らせてみるものの、誰も励ましてはくれない。
静かな自分の部屋で、机に向かったままスマホを閉じた。
一人きりの部屋。
堀田はおもむろに立ち上がり、弟が好きだったオレンジジュースとお菓子を仏壇代わりの棚へ供え、静かに手を合わせる。
「生きてりゃ、小学生だったのか……」
胸が少しだけ締めつけられる。
それでも「ありがとう」と心の中で伝え、気持ちを整理した。
窓際へ歩き、晴れ渡る青空と流れる雲を眺める。
その頃には、さっきまでの重苦しさは少し薄れていた。
「……よし」
今日は、時任茜と話すには絶好の日だ。
ベッドへ腰掛け、足を組む。
鼻をつまみ、背筋を伸ばし、精神を集中させる。
目の前には、時任茜の人形。
まるで降霊術でも始めるように、小さく息を吸った。
「時任先輩……時任先輩。色々聞きたいんで、俺のところへ来てください」
再び、家全体を俯瞰するように想像する。
まるでコンビニの防犯カメラの映像のような、高い位置からの視点が広がった。
成功だ。
玄関から一直線に、自分の部屋へ向かう。
……あれ?
ドアは開けてある。
なのに、時任茜が入ってくる気配はない。
カサッ。
「ん?」
弟の部屋から物音がした。
現実なのか、それとも想像の中なのかは分からない。
堀田はそのまま弟の部屋のドアを開ける。
「うわっ!! いた!!」
そこには、グレーのカーディガンを羽織ったツインテールの時任茜がいた。
弟へ供えたオレンジジュースを腰に手を当てて勢いよく飲み、お菓子の袋を勝手に開けて、ボリボリと頬張っている。
「時任先輩!!」
呼びかけると、彼女は小判型のせんべいを口にくわえたまま振り返った。
「なあに?」
「何って……それ、弟のですよ」
「え? でも、お姉ちゃん食べていいって」
「弟と話せるんですか!」
「そう言った気がしただけ!」
彼女は「てへっ」と笑った。
「……話がしたいんで、こっちに来てもらえますか?」
「ねえねえ! 私にもオレンジジュースほしい~! 私の分も用意してえ!」
子どものように、その場でぴょんぴょん跳ねる。
下の階に取りに行けば――そう言いかけて、堀田は口を閉じた。
相手は幽霊だ。
そもそも飲めるのかどうかも分からない。
それでも堀田が頷くと、彼女は両手を頬に当てて嬉しそうに笑った。
「とりあえず来てください。色々聞きたいことがあるんです」
堀田は彼女を自分の部屋へ連れていく。
ベッドの上に置かれた茜人形の隣へ、霊体の彼女を座らせた。
女の子座りをした茜は、弟の部屋から持ってきた熊のぬいぐるみを抱え、お菓子をボリボリと頬張っていた。
「私ね! あの駅前のからくり時計が大好きなの!!」
「え……? ああ、学校の最寄り駅にある時計ですよね?」
「そう! 小さい頃からずーっと見ててね! 私、あの中のロナウドが好きなの!!」
「ロナウド?」
「そうそう! 私が勝手につけた名前なの! あの人形が白黒きいろくんにそっくりで、ずっと近づきたかったの!」
「え……白黒?」
堀田は首を限界まで傾け、眉間にしわを寄せた。
「つまり……からくり時計の中にいる人形を、先輩が勝手に『ロナウド』って呼んでるってことですよね?」
「うん! かっこいい名前でしょお?」
満面の笑みで胸を張る。
「じゃあ、なんでいつも俺たちの腰についてるんです? 直接アタックすればいいじゃないですか」
「恥ずかしいじゃーん! 堀田くんと君野くんの後ろから見る白黒きいろくんがいいの!」
「つまり、俺たち越しに眺めるのが好きなんですね」
「そういうこと! 私は基本アイドルは箱推しなの! どんな形でもイケメンならそれでオッケー☆」
「……先輩、本当に楽しそうですね」
少なくとも、美術室にいたあの重苦しい雰囲気とはまるで違う。
そのことに、堀田は少しだけ安心した。
「ねえねえ! 私ね、ずっとからくり時計を見てたの! そしたら、小さな光の玉がぴょんって現れてね!」
「光の玉……」
「それが、ちゃんちゃん~って私のお人形ちゃんになってたの!」
「……な、なるほど」
理屈はまったく分からない。
それでも、彼女は嘘をついているようには見えなかった。
「知ってる? あのからくり時計ってね、実は24回分のちゃんとしたお話があるの!」
「えっ? そうなんですか?」
「1時間に1回ずつ違うお話なの! でもほらぁ、騒音問題とかあるから全部は見られないの~」
「じゃあ、そのロナウドが出るのは何時なんです?」
堀田が身を乗り出す。
茜は少し考えてから、人差し指を立てた。
「んーっと、今なら1時間後! 午前11時!」
その瞬間だった。
「くっ……!」
突然、耳鳴りが頭の奥で爆発した。
鋭い痛みが脳天を突き抜け、そのまま体が前へ崩れ落ちる。
目の前にいた茜の姿はふっと消え、ベッドの上の人形だけが、コロンと音を立てて後ろへ倒れた。
「はあっ……はあっ……」
荒い息を繰り返しながら、かろうじて壁時計を見上げる。
午前10時。
まだ1時間ある。
体は鉛のように重く、その場から動くことすらできなかった。
静まり返った部屋に、自分の荒い呼吸だけが響いていた。
堀田の体調が回復したのは、1時間後だった。
ベッドの上でぐったりと横になっていた体をゆっくり起こす。
ふと弟の部屋を見ると、供えてあったオレンジジュースは変色し、買ってきたばかりのせんべいは湿気ていた。
「……食べて飲み尽くした、ってことか」
誰に聞かせるでもなく呟く。
あの時任先輩は、本当にいたのか。
夢だったのか。
それとも――。
堀田は静かに立ち上がり、キッチンへ向かった。
冷蔵庫を開け、オレンジジュースをコップへ注ぐ。
一気に飲み干すと、もう2つコップを取り出し、それぞれになみなみとオレンジジュースを注いだ。
そして、その2つを持って自分の部屋へ戻る。
机の上を軽く片づけ、茜人形をちょこんと座らせる。
その隣へ、オレンジジュースをそっと置いた。
「すぐなくなる……大家族かよ」
思わず鼻で笑う。
あの美術室の時任先輩は、あの絵描きの爺さんに体を乗っ取られているのかもしれない。
けれど、このギャルの時任先輩は、相変わらず底抜けに明るい。
どちらが本当なのかは、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは――。
この人形が、自分のそばにいるということだけだった。
堀田は机の上の茜人形を見つめ、小さく息をつく。
「……今度は11時か」
からくり時計。
ロナウド。
24通りの物語。
知らなかった謎が、また1つ増えた。
人形は何も答えない。
それでも、その笑顔だけはどこか満足そうに見えた。




