第1話「魅入られた男」
誰しも家の中に、いつの間にか飾られている絵がある。
玄関、リビング、廊下、トイレ。
そして、気づけば自分の部屋にまで。
きいろは、自分の部屋の壁を見上げる。
青い背景。
黄色い髪。
胸から上だけが切り取られた、天使のような男の子。
それは紛れもなく――
「……君野」
絵の具で汚れた指先を伸ばす。
それは、誰かの理想で作られた天使。
撫でると、油絵の表面がかすかにざらついた。
触れれば、そこにいる。
振り返れば、いない。
あいつは、俺のものだった。
そう思った時には、もう決まっていた――はずだった。
「そうだろ。……爺さん」
同じ人物画の中に、不気味な絵が一枚だけある。
壁にかけることすら躊躇う、曰く付きの絵。
きいろは裏返しに、壁に立てかけていたそれを取り出す。
「……」
触れれば、まだ手が真っ黒になる。
それほど、あの人はしぶとい。
たった一枚の、爺さんの絵。
もう燃やし尽くしたはずだった。
今でも、あの時の匂いがする。
あの時、俺は君野を、自分の意思で連れ去った。
迷いはなかった。
ヤツは、泣かなかった。
叫びもしなかった。
煤けた灯りの下で、伏せられたまつげの影。
それだけで、目が離せなかった。
君野は俺を見ていた。
俺を見ているのに、見ていない。
いつも、目を合わせるのは俺の方だった。
この不気味な天使のように、あいつには、目がなかった。
「なあ、君野」
――お前を、閉じ込めたい。
そしてお前は、また同じことを言う。
――きいろ君、ありがとう。
言えよ。
「……言ってみろ」
あの声。
唇が重なった感触。
全部、同時にあった。
涙が落ちる直前の、
息を呑むほど静かな顔。
再会したあいつは、何もかも忘れていた。
俺のことだけを、きれいに。
だが、俺は犯罪者だった。
いや、それ以上に――
“記憶されなかった人間”だった。
「呪いのキス……」
きいろは、わずかに口元を歪める。
そして、曰く付きの天使の絵を、もう一度そっと撫でた。




