第三話 タダでもらえるもの
ウクレレみたいな楽器の音と、脂の弾ける匂いが夜の風に混ざって流れてくる。
いつのまにか、夜空の月は完全に顔を出していて、空を覆っていた。
どうやら、この世界では月が出ていると星は見えないらしい。
「おい!こっちにもそれ五本くれ!」
「エールまだかぁ?俺んとこ来てねぇぞ!」
テーブルのあちこちから騒がしい声が響く。
――思ってたより、ずっとちゃんとしてる。
ボスのかまくらの家しかなかった街の中心にある広場。
角笛みたいな音が鳴ったと思うと、一時間足らずで屋台が円を囲うように次々と並んだ。
その屋台を作っていたのは、スライム?みたいなモンスターだ。
側から見たら屋台をスライムが飲み込んでる絵図だったけど、完成したのを見たら随分と器用に作ってる。
スライムと人間の共生。
めちゃくちゃ違和感あるけど、これがこの人たちの暮らしなんだ。
数十分並んで、ようやく端のテーブルにありついた頃には、少しだけ肩の力が抜けていた。
空の下で飯を食う。
それだけで、妙に気分が軽くなるのはなんでだろうな。
どっちにしても――悪くない。
「買ってきたよ!」
振り返ると、エイデンが両手で大皿を抱えて戻ってきた。
得意げな顔。ちょっと誇らしそうで、ようやく子どもっぽい表情を見た気がする。
「サンキュー」
皿の中には串に刺さった肉が乱雑に並んでいた。
分厚い肉やら薄切りの肉、ホルモンみたいなものまである。どれも既視感のある食べ物で少し安心した。
それに、やたらといい匂いがする。
スパイスか?
体は正直で、腹の音が低く鳴った。
「金足りた?」
「うん!」
エイデンはポケットからコインを数枚手渡してきた。俺が知っている小銭より少し重い。ゲームのメダルみたいだ。
「それよりよかったの?あれ、大事なタバコってやつなんじゃないの?」
「仕方ねぇよ。俺金ないし」
タバコ五本。それを売ってメダルが八枚。
仕方ない。
さすがに子供に奢ってもらうっていうのは、俺のプライドが傷つく。
「ちなみに、これ何の肉?」
「タオの肉!」
——わからん。
でも、いい。見た目はただの肉だから。
気持ちいい夜。
うまそうな肉。
そう来たら、やっぱり酒が飲みたい。
「エイデン、これで酒って買える?足りない?」
周りの男たちが手にしているジョッキは間違いなく酒だ。
じゃなきゃ、あんな馬鹿みたいに騒げるわけない。
「お酒?お酒は言えばもらえるよ」
「言えばもらえる……?」
一瞬、意味が分からなくて聞き返す。
「うん!たくさんの旅人に来てもらうために、コルトではお酒はタダだよ」
タダ……?
思考が一拍止まる。
「……ここは楽園?」
半分本気で呟いたら、エイデンはきょとんとして、それから笑った。
「ほら、あの赤いエプロンのお姉さんに注文するんだ!」
言われるままに手を上げると、向こうも気づいて軽く手を振り返してくる。
手慣れてる。こういうやり取りが日常なんだろう。
数秒後には大ジョッキに入れられた何かが来た。泡立ちを見る限りはビールっぽい。
「はい、旅人さん。コルトご自慢の泡沫エールです!」
「おぉ〜」
「飲みすぎないようにね」
軽やかに去っていく背中を見送りながら、ジョッキに手を伸ばす。
「よし!食うぞ!いただきます」
エイデンはもう我慢の限界だったらしい。
俺がよし、と言ったタイミングでもう肉にかぶりついていた。
その勢いに釣られて、俺も串を掴んだ。
「……うっま!」
幸せ。
少なくとも今年入ってから一番の幸せ。
香辛料とかよくわからないけど、噛むほど味が出る。脂もくどくない。
そして、泡沫エールとやらを一気に口に流し込む。
「……ぷはぁ!なんだこれ、ビール?いや、違うか」
喉越しは完全にビール。
だけど、口の中に広がるのは酸味のある甘さ。肉の香辛料のくどさをさっぱりさせてくれて、飲みやすい。
「まじでうまい。腹減りすぎてたわ」
そういや、治験から帰ってきてからろくなもん食べてなかった。おまけに青森行って、知らん世界にきた。
どう考えても、オーバーワーク。
「体が全力で喜んでる……うますぎる……」
正直な感想を漏らすと、視線を感じた。
エイデンが、じっとこっちを見ている。
「なに?」
「あの……人間、だったんだよね……?」
そういや、俺使い魔の設定だったんだっけ。
完全に忘れてた。
「まぁ、そうだな。たぶん、エイデンと同じ」
ややこしい俺の存在を誤魔化すために軽く返す。
真実を伝えて泣かれるかと思ったけど、エイデンは意外にも静かだった。
「じゃあ、名前あるよね?」
——名前。
そういえば名乗ってなかったと、言われて初めて気づいた。
如月誠。これが俺の名前。
ちょっと考える。
「……セイ。これが俺の名前」
「セイ……」
エイデンがゆっくり俺の異世界ネームを繰り返す。
その響きをしっかり確かめるみたいに。
それから、ほんの少しだけ顔が緩んだ。
たぶん、“よくわからないもの”から、“名前のある何か”に変わったからだ。
「……で」
今度は、薄切りにされた肉がついた串を取る。
「これから、どうする?」
空気がぴたっと静かになる。
エイデンの手が止まった。
「召喚できないと、追い出されちゃうんだもんな?」
「うん……」
目に見えて沈む。
その表情を見て、やり場のない感情が湧く。それを護摩化すように、肉に噛みついた。
「……ガキ追い出すとかやべぇとこだな」
「仕方ないんだ……。これがコルトの掟だから」
そういや、ボスも言ってたな。
明後日までのコルトをお楽しみくださいって。
「あのさ、コルトって何?」
「えっ?旅人なのにコルトを知らないで、ここにいるの?」
エイデンは目を丸くする。
「……まぁ、俺にも色々事情があるんだよ」
エールを飲みながら濁すと、エイデンは少し考えてから口を開いた。
「コルトは、二つ意味があるんだ。俺たちのこともコルトって呼ぶし、この町もコルトって呼ぶ」
「へぇ」
肉を噛みながら、相槌を打つ。
「ボスがさ、明後日までって言ってたけど。あれ、どういう意味?」
エイデンがナプキンで口の周りを拭きながら、少しだけ間を置いた。
「俺たち、コルトは移動民族なんだ」
「移動民族?」
「そう。この町を壊してただの土地に戻してから、また召喚石のある新しい土地へ行く。それを繰り返してるんだ!」
思わず周りを見る。
賑やかで、人がいる。
それに、住居なのかレンガみたいな石で作られた小さな建物や木造の家が屋台の奥にはいくつもある。
ちゃんと生活があるのに——壊す?
「……これを?」
「うん。明後日には綺麗さっぱりなくなってるよ」
「へぇ〜。変な慣習だな」
思わずぼやく。
でも、ちょっとだけ納得もした。
「……だから、使い魔が必須ってわけか」
「そう!建てるのも、運ぶのも、壊すのも全部使い魔に手伝ってもらうから」
エイデンの表情がだんだんと曇ってきて、声も少しずつ小さくなる。
「だから……召喚できないと、いらないんだ。足手まといだから」
完全にしょぼくれてる。
「そんな顔すんなって」
串を一本押し付ける。
「なんとか一緒に考えようぜ」
「……できるの?」
「知らん。でも考えるのはタダでできるだろ」
エイデンが少しだけ笑った。
「そもそも、召喚ってどうやんの?」
「そっか!セイは見たことないんだ!」
エイデンが嬉しそうに立ち上がった。
「見てて!」
へこんだり、笑ったり。
切り替えが早すぎる。
「まず、召喚石の前でこうする」
邪魔にならない通路に移動したエイデンは地面に片膝をつけた。
そして、そのまま動かなくなった。
集中しているのか、それとも動かずじっとするっていう手順なのか。
暇になった俺は、箱からタバコを一本取り出す。手でライターを隠しながら火をつけると、ふぅーっと煙を吐き出した。
——パンッ!パンッ!
エイデンが間隔を開けて、手を二回叩いた。
「こうやって叩いた後に」
片膝をつけて、集中。
それから、手を二回叩く、ね。
手順を頭の中で繰り返す。
立ち上がるエイデンの様子をただ見つめる。
「詠唱するんだ」
エイデンの表情が変わった。
煙を吐きながら、観察に集中する。
しばらく眺めていると、エイデンの体から青白い光が滲み出した。
それと同時に、エイデンの方へと漂っていたタバコの煙の流れが変わっていることに気づいた。
——これが、魔法。
エイデンから夜風とはまた違う風が巻く。
熱を帯びた空気が揺れて、エイデンの髪が逆立っていた。
「偽りの鎖を解き放ち、慈悲の光のもとへ。我エイデンの魂と血を持って誓う」
詠唱。
なんて言ってるか、しっかり聞き取れる。全ての言葉に意思が込められているのがわかる。
正直、もっと簡単な言葉かと思った。ちちんぷいぷい、的な。
「この詠唱のあとに、俺の魔力を石碑にぶつけるんだ」
そして、エイデンはまた手を二回叩いた。
「……どう?これが召喚のやり方!」
タバコの灰が長く伸びていた。
慌てて落としながら、頷く。
「なるほど。これをすると、本当はあのスライムが出てくる予定だったんだ」
「違う!使い魔!」
「そう、使い魔。それ」
エイデンは満足したのか、スッキリした表情を浮かべて、また肉を食べ始めた。
——さて。
召喚できなかった原因はどこだ。
手順か。それとも、エイデンの魔力が原因か。
さっきの光景を思い浮かべる。
片膝ついて、手を二回叩く。そして詠唱。魔力をぶつけて、また二回手を叩く。
これだけなら、なんとなく神社の参拝方法に似てる。
神社の礼だって、お辞儀の角度が九十度って決まってる。だから、正しい言い方をするなら二拝二拍手一拝。
それくらいの小さなミスをエイデンがしてる可能性……あるよな。
あれだけ丁寧にしてるんだから、手順に抜けがあったとは考えにくい。
——ん?
そもそも使い魔が出てくる、召喚石ってなんだ?
道祖神的なもの?
泡が消え始めたエールを飲む。
そうやって思考を巡らせていると、隣のテーブルに座る大柄な男が笑った。
一人じゃない。男の肩越しに茶色の使い魔も見える。
「なんだ?召喚の練習か?」
「いや……もう、うまくいかなかったんだ」
エイデンがそう言うと、男は「あぁ」と小さく声を漏らした。表情を見る限り、この掟はコルトの中では当たり前のようだ。
「だから、なんでうまく行かなかったか考えてるんだ」
「って言ってもよぉ、明後日には移動だろ?魔力的に間に合うか?もう一回やるにしても魔力が足りねぇだろ」
男は諦めろとばかりに首を横に振った。
——なるほどねぇ。
召喚って儀式はどうやら魔力を消費するらしい。しかも、そこそこ大量の。
「あの、どうですか?エイデンのやり方におかしいところありました?」
そう尋ねると、男はうーんと唸り声を漏らした。
「俺だって召喚したの何十年も前だしよぉ、はっきり覚えてねぇな」
「召喚に失敗する人って結構いるんですか?」
「俺の代の時は滅多にいなかったなぁ。ただ、最近は多いな」
男の隣に座る使い魔が、ぶるんぶるん揺れる。
これは笑ってんのか、それともなんとなく揺れてるのか。
「俺の友達も先月追い出されちゃったんだ……」
エイデンが俯きながら言う。
——召喚ができない人間が増えてる、か。
「それってなんで増えてるんですかね?オニーサンの時代より今の子は魔力が少ないとか?」
そう尋ねると男は薄い頭を撫でながら、首を傾げた。
「俺の知り合いで本当に魔力ねぇ奴もできたからなぁ……それに今時の若い奴のほうが、魔力コントロールもうめぇしな」
すると、突然男が何かを思いついたようで「あっ!」と声を上げた。
「エイデン、お前やり方おかしくねぇか?昔はよ、酒かけてパンパン叩いて、詠唱。こうだったはずだぜ?」
「え?でも俺はボスにこう習ったよ!」
「ボスが?お前ちゃんと話聞いてたか?」
「聞いてたよ!」
二人が言い合いを始める。
それを眺めながら、エールを一口。
――手順の違い。
あるな、これ。
かなりありそうだ。
ふ、とエイデンを見ると薄ら青白く見える。
今は何時になるんだ?スマホが使えないとなると時間すらわからない。
屋台を見渡すと、置き時計が置かれていて、時刻はすでに十二時を回っていた。
召喚に魔力使った挙句に、夜も遅い。
「エイデン」
「なに?」
「お前、今日はもう帰って寝ろ。顔色悪いぞ」
「え?一緒に調べるんじゃないの?俺は大丈夫だよ!」
少し不満そうな顔。
でも体力は限界のようで、目がとろんとしている。
「まかせろって。大人しかできないやり方があるんだよ」
半分ハッタリ。
でも、こういうのは“現場で拾う”のが一番早いし、大人だからこそできることが多い。
「それにまたリベンジするには魔力が必要なんだろ?」
そう尋ねるとエイデンは渋々頷いた。
「……わかった」
「明日の朝……そうだな。十時くらいにボスの家のとこで待ち合わせようぜ」
「うん!」
エイデンは自分の皿をそれとなく片付けた後、ふらつきながらレンガの建物へと歩いていく。
限界だったな、あれ。
見送ってから、視線を戻す。
さっきから独特な匂いがすると思ったら、男は葉巻を吸っていた。
「それ、めっちゃいい香りしますね!」
男が口に咥えている葉巻を指すと、また豪快な笑い声が響いた。
「これか?俺のは結構きついぞ?お前も吸ってみるか?」
「ぜひ!」
「お前、名前は?」
「僕、セイって言います」
「俺はモーリンだ」
軽く挨拶をしながら、葉巻を受け取る。
流れでそのまま男のテーブルに座った。使い魔がさっきよりもぶるんぶるんと震える。
歓迎されてる……っぽい?
「なぁ、姉ちゃん。エール四杯!こいつの分もよろしく」
そう言って、モーリンは悪戯な笑みを浮かべた。
——朝十時。遅刻しないようにしねぇと。
夜は、まだまだ終わらない。




