第四十五話 深悼の調べと眩耀の導べ
「な、なにを──いい加減なことを!」
「いい加減じゃねぇ。身の証を立てろって言うなら、これを渡しておく。問い合わせでも何でもすればいい」
ヴィタリーは服の中から銀色に輝く認識票を取り出すと、農夫たちに投げ寄越した。
掌に収まる程度の小さな銀の認識票ですら、農夫たちにとっては一生手の届かない貴金属だ。
ともすれば、銀の奪い合いに発展しかねない空気を、首魁と思われる闊達とした若い男が受け取って、他の者たちを手で制する。
「確かに、吸血鬼狩りの身元を証明するもののようだが……これが本物って証拠は?」
ヴィタリーは苦笑して肩を竦める。
「そりゃあ、信じてもらう他ない。本物の銀の証として──そうだな、殺鼠剤か砒素あたりをかけてみてくれ。黒く変色するはずだ。騙りのために高価な銀を使う必要はねぇよな?」
「話にならねぇ! 時間稼ぎのつもりか?! 俺らをはぐらかそうったってそうはいかねぇぞ!」
「いや……しかし……そいつの身元は村の修道女が保証してるんだろう? 修道女まで疑うってのはよぉ……」
農夫たちの反応は憤慨と困惑に見事に二分された。尤も、貴族に対する畏敬の念を思い出したものは本当にごく一部のようだった。
リュミドラはそれを見て、村民の扇動はまだ可能だと踏んだ。そして女優のように声を張り、農夫たちの憎悪を加速させるために畳み掛ける。
「もう、これ以上罪を重ねるのはおやめください、お嬢様……! 少しでも彼らを哀れに思うのなら、今すぐに罪を認めて! そして、あなた様に無残に殺され、今も城の地下で眠る娘たちを彼らの元に返して差し上げてください!」
数名の男たちがリュミドラの主張を聞いて鼻を啜り始めた。年齢はまちまちだが、恐らく、攫われた娘たちの遺族だろう。
エリシュカは喪服のスカートの裾を摘み、優雅に屈膝礼を行う。余りにも優美な動きに、思わず農夫たちさえもぽかんと口を開けた。
「村の少女たちが攫われたことについては、カタルジュの力不足であったことを認めます。若輩の兄と私では吸血鬼の魔の手を防ぐことが出来なかった。本当に、言い訳のしようがありません」
ですが、と顔を上げたエリシュカはリュミドラを厳しい目で睨み付ける。
「この城の敷地には、被害者の遺体などありません。この女の言葉はすべて偽りです。何故なら──彼女こそが、兄を殺した真犯人なのですから」
リュミドラはエリシュカに真実を告げられても顔色一つ変えなかった。ただ、顔を覆いその場で泣き伏すばかりである。
「酷い……! 辺境伯様はあなたの魔の手から私を庇って命を落とされたのに……被害者の私をそんな風に貶めるなんて! 辺境伯様の誇りまで汚すのはおやめください!」
その言葉にエリシュカたちは顔を顰めた。辺境伯が命を捧げるほどに愛し、よくもするすると言い訳が出てくるものだと、いっそ感心するほどである。
しかし、リュミドラの言葉に数人の農夫たちまで困惑したように表情を曇らせる。
「あんた……辺境伯様はエリシュカの【魔眼】に洗脳されて言いなりだったって言ってただろう。それなのにあんたを庇って死んだ、だって?」
リュミドラはぴくりと柳眉を寄せる。余計なことを──と心の中で毒づくが、その程度の追求ならばかわせるはずだと楽観もしていた。
「……吸血鬼の【魔眼】の力は夜にしか発動出来ないわ。朝、正気に戻った辺境伯様が命をかけて私を助けようとしてくれて──私と辺境伯様を哀れんだ下男が逃がしてくれたの」
この説明ならば、証言に矛盾はないはずだ。しかし、村人たちはひそひそとリュミドラについて意見を交わし始めた。
ごく一部しかいなかったリュミドラに懐疑的だった集団が、徐々にその数を増やし始める。
「な、何よ! 嘘じゃないわ! あの女が吸血鬼なのよ! その証拠に……城の地下牢にあの子たちの遺体があるはずよ!」
「……城の、地下牢に……?」
そうよ、とリュミドラは断言するが、ヴィスコル城の地下に遺体が無いのは百も承知だ。
だが、流石のエリシュカも平民を城に入れることを容易く承服すまい。エリシュカが渋れば後ろ暗いところがあるのだと押し切ってしまえばよし。
愚かにも入城を許可した場合は、リュミドラ自ら城の地下牢に乗り込み娘たちの遺品を仕込めばよい。村人の信用を得るために持ち込んだ遺品は、何も一つや二つだけではない。
リュミドラは外套の中に仕込んだ血まみれの布切れにそっと触れながらにやりと笑う。
だが、エリシュカは、初めて弦月のように口角を上げた。
「……勝利を確信しているところ、申し訳ないけれど。ヴィスコル城の地下に牢はないわよ」
「え?」
「昔は城の地下にあったようだけれど地盤沈下で潰してしまったのよね。だから、地下牢は随分昔に兵舎のほうに移動させたのよ」
エリシュカの返答に、皆言葉を失う。
一部の血気盛んな男たちはすぐに我に返り、「言い逃れするな!」「城に入れろ!」と口々に叫ぶが、半数以上の者たちは困惑し、古老に確認を求め始めた。
「……じ、事実だ。親戚の大工が呼ばれたから間違いねぇ……」
彼らの困惑は古老がエリシュカの言葉を否定しなかったことで、更に強く、深くなった。
「待て待て! 兵舎とか城とかそんなことが重要か? どっちにしろ、ここの敷地内に地下牢があるのは事実だろ?」
「でも、自分が捕まってた場所が城か兵舎かも区別がつかないとか、有り得るか?」
リュミドラは自分のしくじりを自覚していた。根城にしていた廃城塞には主塔に地下牢が存在しており、実際娘たちの死体をそこに放置していたため、無意識にそう口走ってしまったのだ。
リュミドラは悔しげに髪を振り乱し、村人の猜疑に「違う」と繰り返した。フードが外れて醜い傷跡が再び顕になったことにも気付いていないようだ。
「ここを脱出した時は夜で暗かったから! だから城も兵舎も区別が付かなかったの!」
「あら、兄があなたを庇ったのは陽が出ている時間だったのでしょう? 兄が命をかけて守ってくれたのに、夜になるまで地下牢でのうのうと過ごしていたの? 私に殺されかけたのに?」
「そ、それは……」
形勢の不利を悟って、幾人かが農具を放棄し逃げ出し始める。
逃走の機会を逸し、取り残された者たちが卑怯者と罵る声を、エリシュカは聞くともなく聞いていた。
彼らが逃げた先は村だろうか、それとも別の場所だろうか。エリシュカは既に興味などない。
「吸血鬼は夜の支配者なのに、よく吸血鬼の目を掻い潜って脱出出来たわね?」
「……お前……本当に可愛くない女ね! うるさいのよ! 私に口答えするな!」
リュミドラの怨詛にエリシュカはただ微笑む。つかつかと歩み寄ってリュミドラの正面に立ちはだかると、思い切りその頬を叩いた。
余りにも小気味よい音に、ヴィタリーとベアトリスが首を竦め、農夫たちは雷に打たれたかのように身を固くする。
リュミドラはというと、顔を叩かれた衝撃で腰を抜かし、へなへなとその場に座り込む。
「た、叩いた……私の顔……叩いたわね……?」
「……ええ、叩いたわ。だから何? 私を殺しに来ておいて、反撃されることなんて一つも考えなかったの? この程度のことで泣かないでちょうだい。──本当に見苦しい」
リュミドラは目に涙を浮かべる。誰の目にも貴族に虐げられた哀れな少女のように映っていたものの、彼女を助け起こそうとする者はもはやいなかった。
「よくも……! よくもこの私をコケにしたわね! お前だけは絶対に許さないわ!」
恥辱の余り、怪物であるはずのリュミドラの脳裏に憤死の二文字が過ぎる。
リュミドラは美しく敷かれた石畳をガリガリと掻き毟った。長い爪が折れたような音がしたが、リュミドラは気にも留めない。怒りのあまり痛覚が麻痺していた。
エリシュカは哀れな怪物を小馬鹿にするように睥睨した。
「お前? コケにした? 殺されかけた相手に随分な言い草ね。貴女の口振りだと、私をただの小娘だと侮っているみたいに聞こえるわよ」
それとも、とエリシュカは微かに熱と痛みを訴える右手を軽く擦る。
「もう私を吸血鬼扱いするのは諦めたのかしら? ねぇ、好色の魔女さん?」
「あぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁ──!!!」
リュミドラは酷い癇癪を起こし、ぼろぼろになった爪で顔を掻き毟る。昼間という吸血鬼に不利な時間帯で、驚異の再生能力を失った今、歪な裂傷は治癒の兆候すら出現しなかった。
その凄まじい形相にベアトリスと農民のならず、修羅場に慣れたはずのヴィタリーまで背筋を凍らせた。
「うるさい! うるさい! お前が! お前こそが! 諸悪の根源なのよ!」
リュミドラの絶叫が金色を帯び始めた空に響き渡る。
その瞬間、その左手の薬指がぎらりと光った。
エリシュカはその光に見覚えがある。
悪夢の中でも輝いていたそれは、オフェリアの白い指から消え失せたはずの、金剛石の指輪だった──




