第三十七話 女傑
「…………会わないと、いけないわよね」
エリシュカは自分の腕を抱き締める。
ヴィタリーに会うのが恐ろしくないと嘘になる。吸血鬼の討伐を生業とするなら、エリシュカが行った兄への刃傷沙汰を咎めはすまい。
だが、あの恐ろしい出来事については、もう思い出すことさえ嫌なのだ。
エリシュカの反応をどう捉えたのか、ネリーはエリシュカの手に自分の手をそっと添えた。
「お断りなさっても大丈夫ですよ。あちらもお嬢様の体調が万全ではないことはご存知ですので」
エリシュカは少し考えてから首を振る。
「いいえ、大丈夫……お会いするわ。ヴィタリーさんはどちらにいらっしゃるの?」
「一階に。客間の前室でお待ちいただいております」
前室は、約束のない知人や比較的大きな商人が通されることが多い、廊下と主室を結ぶ小さな空間のことである。
主人が面会を拒否した場合は上級使用人の誰かが対応することになるのだろうが、肝心の家令と執事が深手を負ってしまった。こうなれば、エリシュカが行くしかないのだ。
「……客間にお通しして。それから、着替えを手伝ってちょうだい」
エリシュカはネリーの手を借りながらゆっくりと身体を起こす。身体はまだ悲鳴を上げていたものの、大変なのはここからだと腹を括った。
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エリシュカは喪服に着替え、最低限身なりを整えるとネリーとともに客間に向かった。その途中で、エリシュカは奇妙な光景を目にすることとなる。
エリシュカとすれ違う使用人の数がやけに多いのだ。家女中だけでなく、普段は厨房で働いているような台所女中までもが廊下に並んで、いつも以上に丁寧に頭を下げてくるのである。
「……みんな、一体どうしたのかしら」
エリシュカがこっそりとネリーに聞くと、ネリーは少し複雑そうに微笑んだ。
「今のお嬢様は、吸血鬼からヴィスコル城の者たちを救った女傑でございますから」
どうやらアルフレートが吸血鬼に変貌したこと、オクタヴィアンたちに襲いかかったことは、とうに使用人たちに知れ渡ってしまったらしい。
彼らはアルフレートを退けたエリシュカの勇敢さと武勇を褒め称えこそすれ、当主を傷付けたエリシュカを野蛮だと非難することはない。
彼らにとって、アルフレートは既に怪物でしかないのだろう。──兄は、この城の者すべてに見限られたのだ。
「──そう」
エリシュカは嘆きを表に出さず、静かに頷く。
階段を下りてホールへと辿り着くと、左腕を吊ったオクタヴィアンの姿があった。
オクタヴィアンはエリシュカの姿を認めると恭しく頭を下げる。その顔は一部が痛々しく腫れ上がったままだ。
「……我らをお救いくださったこと、感謝申し上げます」
エリシュカは重傷の身をおして家令として働く老爺の姿に狼狽える。その顔色は誰の目から見ても相当悪いものだった。
「オクタヴィアン、どうして……! 無理はしないで、休んでちょうだい」
オクタヴィアンは敢えてとぼけた顔で笑う。
「そうは言っても……諸々の処理が出来るのはこの老骨めしかおりませんでな。なに、動いているほうが鍛錬になるというものですよ」
「オクタヴィアンしかいないって……セザールは?」
オクタヴィアンは笑顔を強張らせ、少し視線を床に落とした。
「セザールは──彼は一命こそ取り留めましたが、もはや執事としての再起は望めぬかと……」
エリシュカは罪悪感に胸を痛めながらも、決して表情を崩さなかった。
セザールは文字通り全てを擲ってエリシュカを救ってくれたのだ。それに見合うだけの価値が自分にはあったのだと、エリシュカはこれからの生で証明し続けなければならない。
「セザールには当面の治療費と、十分な退職金を用意して。出来るだけ早く、一括で渡してあげて。もちろん、あなたや他のみんなにも」
エリシュカがこれほど性急に動くのには、勿論理由があった。
当主であるアルフレートが吸血鬼になったことで彼は死亡したと見なされ、継嗣の無いカタルジュ家は断絶が確定した。このため、全ての財産や土地の一切を王家に返還しなければならなくなったのだ。
じきに王の使者がやって来て、この城にあるものを全て差し押さえるだろう。そうなってしまえば、エリシュカといえども金貨一枚すら自由に動かすことは出来なくなる。
だが、正式な通達が来るまでの間は、最低限の生活費と人員整理に関する支出だけなら黙認されることが多かった。エリシュカはその抜け穴を使おうとしていた。
「もっともここの防備を空にするわけにはいかないから、親戚筋の誰かが新たな辺境伯に叙爵されると思うわ。だから、もし次の当主に仕えたければ言ってちょうだい。私でも紹介状くらいなら書いてあげられる」
「……お心遣い、痛み入ります」
「いいのよ。……ああ、そうだわ。セザールの居住地の手配もお願いね」
執事は住み込みで働き、しかも主家との繋がりが深いため、あえて家庭を持たない者も多い。そのため、持ち家を所有している者はごくわずかだった。
そのため、長く仕えた使用人に対しては主家である貴族が老後の住居の手配をすることがある。セザールにはその便宜を受ける資格が十二分にあった。
「……委細、承知致しました。今からヴィタリー様にお会いになるのですね?」
エリシュカは頷く。
オクタヴィアンは客間の扉を軽く叩いて扉を開け、その進路をエリシュカに譲った。
エリシュカが一歩足を踏み入れると、そこには椅子に掛けて待つヴィタリーの姿があった。撃ち抜かれた肩を固定するため、左腕は動かせないように吊るしてあるのが痛々しい。
彼の足元には古びた黒い旅行鞄が置かれていた。恐らく、彼の仕事道具を収納するものだろう。吸血鬼に対抗するためのものとはいえ、オクタヴィアンはよく銃器を城内に持ち込むことを許したものだと、エリシュカは思った。
本来、平民であるヴィタリーに着座を許す義理はない。だが、彼は重傷を負っていた上、当主の妹の危機に駆け付けて命を救った英雄でもある。その功に対してこちらも礼儀を尽くし、座して待つようにとオクタヴィアンが前持って伝えておいたのだろう。
ヴィタリーはエリシュカの入室に気付くと、きびきびとした動作で席を立ち、貴族である少女に対して深々と頭を垂れた。
「……お身体はもう大丈夫なのですか?」
エリシュカが言うと、ヴィタリーは歯切れよくはいと答えた。
「ガラ=アグネッサ女子修道院の皆様、並びにカタルジュ辺境伯様におかれましては、一方ならぬ支援を賜り、感謝の念に堪えません」
体調がわずかに回復し、精神的な安定を取り戻した今、ヴィタリーの容貌は三十代後半くらいの若々しさを取り戻していた。
「改めまして、吸血鬼狩りのヴィタリー・ルプと申します。この度、カタルジュ家の皆様を吸血鬼から守るために首都より派遣されて参りましたが、この様な結果になり面目次第もございません」
ヴィタリーは精悍な顔に陰影を落としながら深々と謝罪する。
エリシュカは頭を上げよとはすぐには言えなかった。ただ、茶金色の髪がはらりと落ちるのを物言いたげに見守ることしか出来ない。
蟠る悲しみと苛立ちを飲み込むためにエリシュカは一旦深く息を吸い、呼吸を整える。
「……どうぞ、お掛けになって。堅苦しい言葉遣いも結構よ」
エリシュカは意を決して、右手で椅子を示し着座を勧める。
「教えて。あの女は何者で、どうしてカタルジュに目を付けたのか。何故兄は吸血鬼になってしまったのか──そして、兄を取り戻すことは出来るのか」
ヴィタリーは頭を上げ、重々しく頷く。一瞬、部屋に落ちた沈黙が、エリシュカに待ち受ける暗雲を予感させていた。




