第二十四話 ガラ=アグネッサ女子修道院
「──しばらく見ない間に、村は随分と物々しい雰囲気になってしまったのね」
辺境伯家の紋章が刻印された四頭立ての馬車に揺られながら、エリシュカは独りごちる。
エリシュカは馬車の窓から村の様子をぼんやりと眺めていた。秋耕地では葉物と根菜の収穫が、春耕地では秋の収穫に向けた小麦の種蒔きが、それぞれ粛々と行われている。
比較的大きな子供たちもいて、彼らは弟妹をあやしたり、農具の使い方を教えるなどして親の手伝いに励んでいるようだった。
しかし、無邪気な子供達と比べると、大人たちは誰も彼も気がそぞろで、その表情には精彩がない。哨戒中の兵士の視線が気になるのか、それとも、行方知れずの娘たちが気掛かりなのか。
あるいは、農作業と並行してオフェリアの婚約指輪を捜索して欲しいという、兄の無茶なお願いのせいで疲憊しきっているのかもしれない。
──彼らにとってはお願いじゃなくて、命令に近いものだったはず。彼らが今苦しんでいるのなら、それは兄様を止められなかった私のせいでもあるわ。
だが、エリシュカがアルフレートのことをどうして止められようか。
兄は父母と弟を亡くし、漸く新しい家族の形を見つけたと思った矢先に、最愛の女性をも失ってしまった。しかも、不名誉な憶測のせいで、オフェリアは死して尚名誉を傷つけられ続けている。
──私だって、オフェリアの名誉を回復させてあげたい。でも……兄様のやり方は正しいとは思えない。
兄の痛々しい執念がついに他者を巻き込み、力なき民を苦しめている。その事は妹として忸怩たる思いであった。
「──お嬢様、それはご令嬢のなさるお顔ではございません」
エリシュカの向かいに座っていた女がぴしゃりと言い放った。
女はマチルダ・アントネスクという。エリシュカの付き人として仕える才媛で、子爵未亡人だ。暗い印象を持たれがちな紫紺色の髪と瞳も、流行に囚われない茶色のドレスも、彼女の持つ聡明さを際立たせている。
彼女は元々エリシュカの家庭教師で、本来ならば彼女はエリシュカのデビュタントを機に雇用関係を終了するはずだった。だが、そこに待ったを掛けたのが優秀な人材の流出を恐れたアルフレートである。
アルフレートはマチルダに再雇用を提案し、マチルダもそれを受け入れたため、現在も円満な雇用関係が続いている。
彼女は四十路を超えた今でも独身を貫いており、男に媚びることなく自立しているマチルダのことを、エリシュカはかなり気に入っていた。
「本日は個人的なご用事ではなく、公務として修道院へ向かうのですから、凛となさってください。肩の力を抜いて、背は真っすぐに」
マチルダは正面のエリシュカを見据えたまま、感情のこもらない声でさらに続ける。
指摘されたエリシュカは慌てて大きく息を吐き、肩の力をゆっくりと抜いた。
「分かっているわ。皆大変な時なのに働いているのだもの。私も与えられた役割を果たさないと」
エリシュカはいつの間にか寄っていた眉間の皺を解すと、強張っていた顔に女の武器である笑みを張り付ける。その瞬間、エリシュカの心にも僅かに余裕が生まれた。
それを見たマチルダは満足そうに口角を引き上げる。
「素晴らしい心がけです。ですが、ご無理はなさらずに。……さぁ、そろそろ件の女子修道院に着く頃合いですよ」
本来の女子修道院は世俗から離れた女達が修道生活を送るための施設だ。しかし、ガラ=ルミナスにおいては唯一の宗教施設としての側面も持ち、村人たちにも広く門戸を開いている。正式名称は、ガラ=アグネッサ女子修道院という。
木造の家が多い農村には珍しく、この修道院の壁は石積みである。純潔や清らかさを体現する白亜の壁は陽光に晒されて眩く、ヴィスコル城とはまた違った威厳があった。
一方で、落ち着いた灰緑色の銅板を葺いた屋根や質素な十字架には、自然豊かな村に溶け込もうという努力と配慮が垣間見える。
やがて、エリシュカたちを乗せた馬車はガラ=アグネッサ女子修道院の門をくぐり敷地内に乗り入れると、馬の嘶きと共に静かに止まった。
すぐさま馭者台から若い男が飛び降りた。馬車の踏み段を引き出してしっかりと固定した後、ドアを開けてエリシュカに右手を差し伸べる。
「どうぞ、お足元にお気をつけ下さい」
馬車を降りる際、踏み段がぐらつかないよう馭者が左手で押さえているのを見て、エリシュカは男に微笑みかける。
踏み段はかなり小さい。エリシュカは踏み外さぬように注意深く降りると、聖堂から出てくる一人の若い修道女を見つけた。どうやら、若い修道女は馬の嘶きを聞き付け、慌てて様子を見に来たらしかった。
エリシュカはその顔に見覚えがある。名前は確か──
「修道女ベアトリス、ご無沙汰しております。ここ数日は、孤児院の方にお伺いすることも出来ず……不心得で申し訳ございません」
エリシュカが軽く頭を下げると、ベアトリスは慈愛深い笑みを浮かべて頷く。
「エリシュカ様、頭を下げて頂く必要などありません。寧ろ喪中という大事な時期に、カタルジュ辺境伯様の慈悲にお縋りすること、心苦しく存じます」
エリシュカが挨拶を済ませている間に、マチルダも馬車を降り、馭者が座席の下に仕舞われていた荷を下ろしていた。
「荷は、どちらにお運びすれば?」
馭者の言葉にベアトリスは聖堂の入り口──拝廊へと繋がる扉を開ける。
「特に解熱剤が今すぐ必要なのです。お手数ですが宿坊までお持ち頂けますか? ご案内は僭越ながら私が務めさせて頂きます」
宿坊とは、院長の客人などが宿泊する際に利用する客室のことだ。昔、貧しい旅人たちの旅籠として開放されていた頃の名残だという。
ベアトリスはエリシュカたちに向き直り、更に言葉を続ける。
「また、エリシュカ様とマチルダ様は院長より応接室にお通しするよう言付かっております。皆様、こちらへどうぞ」




