#51「証明が為の戦い・参」
陽翔学園 学園長室――
一発の銃弾が目の前に立つ学園長の皮を、肉を、骨までを抉る。風穴から血しぶきが空に舞いながら、学園長は床に倒れる。ひんやりとしたタイルの白を赤く塗り潰していく。
――――そうなるはずだった。そういうシナリオを伊弉冉照は描いていたはずだったのに。
「『掌握』」
学園長の左胸を抉る寸前、銃弾が彼の右手に吸い寄せられては、消えていく。右手が銃弾を取り込んだのだ。一瞬たりとも触れる事無く。
「『装填』」
「なっ……」
(銃弾を右手に取り込んで無力化させた……掃除機でゴミを吸い取るかのように、いとも簡単にっ……!)
「何故驚く? いや、そうか……今年4月にこの学園へ君が着任してから、まだ私の魔術は見せていなかったな。だが魔術を学ぶ場でもあるこの陽翔学園の長である私が、何の魔術も行使できないただの老いぼれだとは、流石に伊弉冉君も思うまい?」
学園長伊弉諾天の能力――『掌吸握使』。あらゆる魔術や武器を用いた遠距離攻撃を吸い寄せては取り込み、自らの武器とすることが出来る。そして、取り込んだものは取り込んだ手で対象に直接触れる事で――
「っ――!!」
「『行使』」
――即座に放たれる。
「がっ……はぁっ……!」
天の右手が照の左胸に触れた瞬間、先程取り込んだ銃弾が右手から放たれ、その心を物理的に射止めた。肉体を穿った弾丸は軌道に抗うことなく天井に突き刺さる。風穴から血しぶきが空に舞いながら、照は床に倒れる。ひんやりとしたタイルの白を赤く塗り潰していく。
思い描いていた台本が真逆の展開となった。
「目先の情報による決めつけは己の命を蝕むぞ、伊弉冉君」
「……くひひっ」
照がふと狂笑う。天のその確信に満ちた勝利と余裕の微笑に。自らが今、死の崖っぷちに立たされているこの事実に。
「――その台詞、そっくりそのままお返ししますよ……学園長サン」
床に倒れたまま、言い放つ。地に広がる鮮血が冷気を纏い始める。やがてその冷気は氷の膜となり、室内を蝕んでいく。
「目先の情報だけで決めつけちゃダメだってなぁあああ!!! あひゃひゃひゃひゃっ!!!!」
左胸の風穴から血を噴き出しながら狂ったように笑い、同時に右手を天井に突き上げ、人差し指を天のいる方向へ向けたその時――絶対零度は訪れる。
「禁忌開眼ッ――『感失悴覚』ッッ!!!」
学園長室もまた、絶対零度の世界へと豹変した。無論、常人には手も足も動かすことすら不可能。いわば完全なる詰みである。
「間もなくあの世行きの学園長サンに教えてあげますよ。僕には二つの人格と魂が存在する。一つは今ここに倒れている人間の魂。もう一つは前に貴方が『我が校の生徒』とかいう理由で守ろうとしているスパイを狙う妖精の魂。貴方が仮にここで僕を殺したとしても、もう片方の魂が在る限り永遠に死ぬ事は無い。これが伊弉冉照の能力――『表裏一体』ですよ。
さて、説明は以上です。ではごゆっくり……永久の氷獄の中で、おやすみぃ……」
床に流れていた照の血が無数の氷の棘と化しながら生え、その全てが凍てつく天の全身を貫いて――
◇
陽翔学園2階 2年生教室前廊下――
「――!?」
(え……)
同時刻、星野愛菜に衝撃が走る。黒神美尊の放った『黒光無象』により一度塗り替えたはずの世界が、絶対零度の世界へ引き摺り戻された。
これが伊弉冉照の能力『表裏一体』の神髄。二つの魂……照とシャギアが同じ魔術を放った際に、彼らのいる地点に関係なくその場所で同じ魔術が発動する。これは禁忌魔法も例外ではない。あくまで条件は同じ魔術を彼らが使ったという『実績』のみ。時間差など関係ない。
仮に片方の魂Aが放った禁忌魔法が上書きされたとしても、もう片方の魂Bが別地点で同様の禁忌魔法を放ってしまえば、Bの地点と連動してAの地点でも無条件で禁忌魔法が発動する。つまり魂Aの地点――妖精騎士シャギアのいるこの地点では禁忌魔法の再上書きが可能となる。
「おや……間に合ったんだね、もう一人の僕。それもいいタイミングでやってくれたね」
「……っ!」
美尊の親指と中指の指先が潰れ、出血が止まらない。痛みで歯を食いしばることも極寒の中で出来ない彼に、シャギアはゆっくりと歩み寄る。左手に持つ氷剣を天高く振り翳しながら。
「これで君はもう出し尽くしたかな? じゃあこのまま……おやす――」
頭上に振り翳した剣を美尊の右肩目掛けて振り下ろしたその時、ドスッ――と、鈍い音と共にシャギアの胸部から黒い刃が生えてきた。
「何だろ、これ……刃? っ……身体が動かない、これは一体何な―――」
更にドスドスッ――と、その刃の数は次第に増えていく。理解が追い付かないシャギアの背後から、ふわりと薔薇と鉄の香りを含む風が鼻孔をくすぐる。
「天咲晴照剣四式『爆黒伝刃』」
「君はっ……鳳邸直属のっ――」
「えぇ、ただの召使いです。初めまして。そしてさようなら」
「ごふっ……がっ……!」
シャギアの全身に黒い刃が生えるようにその肉体を突き刺していく。更に何かが勢いよくシャギアの背から引き抜かれる。抜かれたのは血で赤く染まったメイドの右手であった。シャギアが倒れ、美尊と目が合う。お互いに目を見開く。美尊は助けに来てくれた事に対する驚きで、メイドは半身を氷漬けにされ、右手の指が潰れたりとボロボロになった美尊を目にした際の驚きで。
「……お助けに参りましたよ、美尊様」
「華江……さん……っ」
「生きておられて何よりです。本当に……ほんと、にっ…………!」
メイド――華江は美尊に駆け寄っては涙を堪えながら強く抱きしめる。冷え切った身体を、鋼の肉体であろうと優しく、強く、彼を温める。せめて彼の心だけでも。
「……愚か者です。美尊様は本当に愚か者ですっ! ぐすっ……、こうなると分かっでいだがらっ……私は必死に貴方を止めだのにっ……!」
「……すみません。僕は……昔から、人に甘えるの……苦手、なので……」
「人の気も知らないでっ……自分がいつ殺されてもおかしくないって分かっていながら、自ら戦場に立つんですから……!」
もう今更、この涙は隠しきれないと判断したのか、気づけば華江は泣いていた。美尊の凍てついた左胸を叩きながら、嗚咽する。
「……ですが、あの日勝負に負けた私は……貴方に何も言う資格はありません。ですがこれだけは言わせてください……少しは自分を大切にしてください。少しは人の気持ちを考えてください。少しは……人に甘えなさいっ!」
「…………はい」
泣きながら叱る華江さんに、美尊は抗う口が無かった。身体を纏う冷たさの中、やっと口から出たのは、たった二文字の了解だけだった。
「……ふふっ」
(安心した。あの時、授業中に飛んできたナイフから私を守ってくれた時と、何も変わってない……あの頃のままの、美尊君だ。そうだ……決して美尊君は、異種族のスパイなんかじゃない。皆を守るために身体を張ることのできる、優しくて強い男の子なんだ……!)
凍てつく空間で、この瞬間だけは確かに温かく感じた。これだけは、決して錯覚なんかじゃない。




