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体験版 前編

 何か、特別なキッカケがあった訳ではない。

 普通に生きてきたつもりだ。人並みに生きて、善き人であった父の背を見て育ち、その思いを挫かれぬまま、今の今まで時が流れていただけのこと。


 ただ、それでも何か一つ。ソレを志したキッカケ、と呼べるものがあるとすれば。


 「将来の夢かぁ……。浩介は何にするの?」


 隣の席に座る、幼馴染みの少女の問いに、「あー」と間を持たせながら考える。


 「消防士か警察官。自衛隊でもいいかもしれない」

 「そっか! お父さんが警察さんだもんね。やっぱり、憧れたりするものなのかな?」


 無邪気に笑って、訊ねてくる。

 いつもなら、一度の首肯で終わっていた話。

 けれども、この時の俺は何故か、その続きまで口にした。


 「確かに親父の影響はあるかもしれないけど」


 父の背中の影響は、確かにある。警察官の仕事が何なのか、実際に現場を見たことはないけれど。世のため人のためにと働く父のようになりたいと、思ったことはあった。


 「けど、それ以上になりたいんだ。正義の味方ってやつに」


 最近は、テレビの中ですら聞くことは少ない言葉だ。

 正しいことを為して、悪事を許さず、人を守る。そういったことを当たり前に行える、ヒーローみたいな人。


 「正義の味方? よく分からないけど、格好いいね! なれるよ、浩介なら」


 私が保証する、などとご機嫌になって、少女は俺の頭を撫でようとしてくる。

 それをやんわりと退けながら、俺も小さく笑顔を返した。


 これは、何でもない一日の昼下がり。

 胸の内に秘めた願いを、初めて口に出した瞬間だった。




 「……ぐ」


 懐かしい夢の後に、意識が現実に帰ってくる。

 眼前に広がっていたのは、瓦礫の山。それを見た瞬間に、背中に亀裂が走った。


 うめき声を上げながら、痛みがあった箇所に触れる。

 ……血は出ていないし、実際に背中が割れている訳でもない。ただ、打ち付けた痛みが残っているだけだった。


 逆の腕で、床を擦るように何かを探す。

 棒状のモノに触れ、それを素早く掴んだ。


 「浩介!」

 「……悪い、奈月」


 痛みを堪えて周囲を警戒し、明るい茶髪の少女に返事する。

 彼女こそが、先ほどの夢にも出て来ていた幼馴染。真野川(マノカワ) 奈月(ナツキ)であった。


 ……周囲に怪物の気配はない。床に医療用の薬やガーゼが散乱しており、よく見ると、部屋のレイアウトに確かな見覚えがある。

 ここは、俺が通っている学校の保健室だ。気を失う直前まで学校の一階に居たのだから、当然といえば当然か。


 視界に入る範囲だけでも、身に纏っていた制服はボロボロで、手には折れた警棒が握られていた。

 奈月が持ってきてくれたのか、意地でも離さなかったのかは分からないが、無いよりはマシだと思いたい。


 部屋のドアと窓を交互に見る。窓には瓦礫が積み重なっていて通行不能だったが、ドアは逆に半壊した状態で倒れており、いつでも通れるようになっていた。

 尤も、廊下の瓦礫を乗り越えて移動する必要があるが。


 足に力を入れる。背中のそれほどでは無いものの、相応の痛みが駆け巡った。

 無視して立ち上がる。こんなところで、待ち続けている訳にはいかない。


 「様子を見てくる。奈月はここで待ってろ」

 「駄目だって! まだ外に怪物が居るかもしれないんだよ!? それに、浩介だって怪我してるじゃん!」


 奈月が声を潜めつつも、焦ったように俺の腕を掴んで引き留めた。

 それをやんわりと退けようと、相手の手首を掴む。


 「駄目だ。ここだって安全かは分からない。生き埋めになる可能性だってある」


 部屋が崩れるか否かの判断は、俺には出来ない。

 ここで生き埋めになる可能性と、外で怪物に殺される可能性。どちらが上かも分からない。


 だから、一旦様子を見てくる。そもそも外に出られるかどうかを調べなければ、その後の判断だって出来はしない。


 それに、何より。


 「他にもまだ、どこかで生きて、倒れてる人が居るかもしれない。だったら助けないと」


 集団で固まって、避難しているならそれが良い。

 けど、中には俺たちのように、はぐれてしまった人も居るかもしれない。

 そういう人たちを放ってはおけない。それが分不相応な願いだとしても、俺はまだあの夢を棄てていないのだから。


 「……変わらないね、浩介は」

 「ごめんな、奈月」

 「なんで謝るの。駄目だよ、悪くも無いのに謝っちゃ」


 奈月の腕を離そうとしても、彼女の手の力が緩まる気配はない。

 彼女は俺の腕を引いたまま、ドアへ一歩踏み出した。


 「私も行くよ。ここが崩れるかもしれないなら、浩介に着いてった方がいいから」


 その瞳は、確たる意志に満ちていた。こうなると、どうやっても聞かないことを知っている。


 「……わかったよ。もし怪物が出たら、俺が食い止めるから、奈月は逃げろ。いいな?」

 「それはその時の状況によるかなぁ」


 不安を誤魔化すような、わざとらしい笑み。それでも確かに奈月は笑顔を見せたので、俺も同じように、微笑み返した。




 それは、数ヶ月前のこと。


 『この世界でゲームを行う』


 世界中に響き渡った、『神』を名乗る何者か。

 その声を皮切りに、世界中で怪物が出てくるようになった。


 最初は誰かの悪戯かとも思った。

 しかし、SNSでほぼ同時刻に『神』の声を聞いたような呟きが広がっていたり、同じく世界中の学者や宗教家が反応を示したりしたことがあった。このため、この声そのものは本物であると、皆理解している。


 そして、同じようなタイミングで、街がいくつか壊滅した。

 目撃証言によると、それは狼や蝙蝠などの動物の形をした何か。或いは、ゴブリンやスライムのようなファンタジー的な生命体が引き起こしたものらしい。


 同じくSNSなどを通じて広がった被害は、最初は合成写真と思われていたものの、徐々に真実であることが証されていった。


 ……俺たちが今置かれている状況も、この怪物たちが原因である。

 起こったことは至極単純だ。授業中に、爆音と共に怪物が現れ、校舎を破壊した。それだけのことだった。

 落ちてくる瓦礫から奈月を庇った俺は、瓦礫に巻き込まれ意識を失い、今に至る。


 神の目的は何なのか。どうすればこの異常を終わらせることが出来るのか。それについては『神』が表明した、異端者という存在が鍵を握っている……らしい。


 『神』の快楽のためにある、異端者同士の殺し合い。

 つまり、異端者を全員殺すことが出来れば、この地獄は幕を閉じる筈だと。


 しかし、肝心の異端者がどこにいるのか、どうやって判別すればいいかは、何も分かっていない。


 「天使、悪魔、閻魔、魔王、敗者、騎士、聖女……」


 異端者はこのように、『神』からはコードネームのようなもので呼ばれていた。

 これらの発言は、ネット上でまとめられており、虚偽も含まれるであろうが、およそ20人分の名前が連ねられていた。


 「……異端者さんの名前だね」

 「ああ。彼らが居なくなれば、この地獄だって終わる……って、皆思ってる。思ってないと、やってられないんだ」

 「浩介は、異端者さんが悪い人だって思ってる?」


 そう訊ねてくる奈月は、少し不安そうな様子だった。

 彼女はとても優しいから、異端者に同情しているのかもしれない。


 「悪いか悪くないかでいえば、悪くないと思う。もちろん人によるけど、何もしてないなら悪人じゃない。けど、それとこれは話が別だ。異端者が消えて、皆が守られるっていうのなら――」

 「浩介」


 俺の言葉を、奈月が遮った。先ほどの不安そうな表情から一点。今度は少し怒ったように、口を尖らせている。


 「物騒なことは言っちゃ駄目。正義の味方は、あくまで皆を守るために動かないと」

 「……でも、俺じゃ怪物はどうにも出来ない。世界中どころか、目の前の友達すら、守れない」

 「うーん、そればっかりは確かに、仕方ないよね。……でもね?」


 廊下から出て、玄関の前に出る。

 二人で辺りを見回して、目の届く範囲では安全であることを確認した。


 「私は、浩介に助けられたよ。身体じゃなくて、心の話」

 「……」

 「誰かと一緒なだけで、救われる人も居るんだってこと。……独りは寂しいからね」


 こちらに顔を一切向けず、しおらしく呟いた。それは、彼女にしては珍しい声色で、どんな返事をしていいか迷ってしまう。


 「……ありがとう、奈月」

 「どうしたしまして! さーてっと。……外から人の声が聞こえるね? 行ってみる?」


 今度はしっかりとこちらを見て、眩くばかりの笑顔を向けてくる。

 そのまま奈月は俺の手を引いて、外へと向かう。俺の答えなど、もう知っているかのように。


 「わかったって。奈月は下がっててくれよ、危ないから」


 外に怪物が居るかもしれない。だったら、怪物が居ないことが分かった校舎側の方が安全だ。

 そう思った俺は、奈月の先を歩き始めた。



 世界の外から、世界を眺める。

 世界の内から、世界が壊れる。


 それは無限に生まれる魔物の為か?

 半分は、正しいだろう。無限の災厄により、この崩壊は加速した。


 では、残りの半分はどうか。

 ……確かに、原因は私であるとも。私が居なければ、彼らは生まれなかったと断言出来る。


 だが、事実彼らは存在する。

 彼らが生きている限り、世界の崩壊は避けられない。何故ならば――。


 『おっと、そろそろ佳境か? ああ、良い催しだな。■■同士の潰し合いなどと』


 いくつかの異端者が消えた。

 そろそろ、力を使いこなす者が現れ始めた頃だ。

 ……このまま続けば、何事もなく戦いは幕を閉じるだろう。


 『では次だ。先天と後天、どちらが濃いか見物だな』


 標的を七つ、定める。

 これより象るは七つの罪。

 怪物ではない、生きとし生ける人々に根差す、果てなき欲望。


 さあ、続けよう。

 このゲームを、簡単に終わらせてなるものか。



 校庭に出ると、30人ほどの人たちが身を寄せ合っていた。

 空は快晴。崩れた校舎に居るよりも、空の下にいる方が心持ち安心出来るのだろう。


 俺たちが砂利を踏む音と同時に、全ての視線がこちらへ向いた。

 一瞬の警戒と、安堵。彼らが示したのはそれだった。


 「……全員ではない、みたいだな」


 思わず、口から零れた。

 ここは学校、快晴の空、まだ、真昼の学校に、30人しか人が居ないなどと。


 「浩介、大丈夫?」

 「大丈夫だ。気にしないでくれ」


 考えるより先に、口が動く。

 事実の筈だ。

 俺は何も失っていない。五体満足だ、奈月も居る、無事な人だって居る、目の前で何か失ったわけでもない。


 「大丈夫だ」


 何か言い聞かせるようだった。自分でも分かるほどその声は震えていて、背筋には冷たい汗が伝っていた。


 それは、『きっと死んでしまった人たち』へ馳せた思いなどでは決してない。

 何か、嫌な未来が来るような。何か、悪いモノに見られているような。


 ……足を進める直前、人混みの中の一人が叫んだ。

 彼は俺たちの方を指差している。声には、声量に見合う焦りが含まれていた。


 「――後ろだ、井刈!」

 「……っ、あァ!!」


 足を踏みしめ、重心を後ろに。

 繋いでいた手を強引に引いて、放り投げる程の勢いで、奈月を前方に逃がした。

 その運動の反作用で、俺の身体が後方へ――警告が為された方へ、何かがあるはずの方向へ押し出される。


 やっと、視線を向ける。それは確かに、俺と奈月が出てきた校舎の方角だった。

 そこに、危険がありはしていなかったはずだ。ましてや、教室一つに収まり切らない程の大きさにもなる、三つ首の狼など――――。


 「ふ、ざけ……」


 その怪物は、声一つ上げることはなかった。

 丸太のような左前足を、軽く上げ、横に薙ぐ。


 ただそれだけの単調な動作が、尋常ならざる質量から放たれる。

 走って避けられる距離ではない。

 身体で受けられる衝撃ではない。

 そもそも今の俺は体勢を崩している。そのような対処を試みようとすることさえ不可能だ。


 それでも、何かしなければならないと、俺は握り込んだ警


 「ギ」


 思考さえも追い付かず、意識は暗転した。



 ……永遠に近い時間が流れていたような、一瞬たりとも時間なんて経っていないような。

 上手く眠れなかった時のような不快感と同時に、俺は意識を取り戻した。


 顔を上げると、黒板が目に入る。おおよそ普段通りの、学校で授業を受けている時と同じ視界が広がっていた。


 ぼうっとした頭で、辺りを見回す。

 ……杜撰な掃除で、綺麗になりきってはいない窓。部屋の後方には、前方のものより二回りほど小さい黒板に、チラシが多数貼られていた。


 「……教室、か」


 外側の窓からは、眩い日射しが差し込んでいる。

 教室の内に伸びている影は、窓枠のものと、俺が座っている席、および俺自身のものしかない。

 この教室では、席一つだけが取り残されている。


 文化祭の準備の時も思っていたが、こう見ると教室も結構広いものだ。


 「教室!?」


 そこで初めて、今俺が置かれている状況を思い出した。


 突然怪物が現れて、学校が破壊されたこと。

 意識を取り戻した後、奈月と共に校庭へ出たこと。

 そして、三つ首の狼に薙ぎ払われたこと。


 そうなったにも関わらず、壊れたはずの教室に、居座っていること。


 「皆は、奈月はどうな――ぐえ!?」


 ドアを開けて廊下へ出ようとすると、何かに顔面をぶつけ、そのまま後ろへ倒れた。

 急いで起き上がり、教室のドアを超えようと――失敗。見えない壁に、阻まれているようだった。


 「なんだ、これ」


 まるで、教室の壁がそのまま続いているかのような手触りだった。けれど、目の前には確かに廊下があるし、廊下の窓越しに木々が揺れているところまでが見えていた。


 そのまま五秒ほど後。落ち着いてしまった気分を害するように、背後から声が掛けられた。

 無機質な癖に何かを見下しているようなその声は、驚きよりも大きな不快感を伴って、俺にその存在を知覚させる。


 『落ち着いたな?  井刈浩介』

 「……誰だ、お前?」


 その男は、白いカッターシャツの上に、黒い学ランを羽織っていた。学ランのボタンやホックを一切止めず、ただ袖を通しているだけの着こなしは、少しヤンチャな学生を思わせる。


 だが、それは服だけに焦点を当てた時の話。

 まず注目せざるを得なかったのは、その姿の輪郭だ。


 ……当然、人間の形である。すらりとした長身で、モデルのような体型であることは、何となく分かる。

 けれども、そのシルエットは絶えずノイズ掛かっており、正確に姿を見ることは叶わない。

 表情も同じく。黒い髪であることと、瞳がある位置に金色の光がうっすらと覗かせる程度であった。


 ただ、声が。

 全てを見下したような。

 悲劇を嘲笑うかのような。

 来るべき未来を見通しているかのような。


 そんな 、威圧感さえ感じさせる不快な声が、俺の脳に染み入ってくる。


 『好きなように呼ぶといい。一度『神』を名乗りはしたが、貴様が私を識別出来るなら、それで構わん』

 「……神? まさか、お前」


 神という名乗りには、聞き覚えがある。

 数ヶ月前に、『ゲーム』と称して世界に怪物を解き放った、正体不明の声。


 そう理解した時には、既に俺の腕は相手の胸ぐらを掴もうと伸ばされていた。

 頭に熱が籠る。怒りが脳天から空へ突き抜けそうな勢いだった。


 けれど、掴んだ手は空を切る。

 ただ一歩、相手が下がっただけ。それだけのことに、また怒りが沸き上がる。


 「お前のせいで……!」

 『自覚はあるか? 無いか? どちらでもいい』


 腕を振りかぶり、殴り掛かる。渾身の一撃は空をなぞり、身体が前へと倒れそうになった。


 『お前に、異端たらしめる力をやろう』

 「黙ってろ!」


 腰を落とし、タックルを仕掛ける。捨て身の一撃は相手をすり抜け、勢いのままに机へ突っ込んだ。


 『その為に、だ。貴様には選択をしてもらう。その必要がある』


 椅子を掴んで、立ち上がりながら反転。勢いに任せて投げようとする。


 「浩介?」

 「な――!?」


 聞き慣れた声が、耳に触れた。

 振り切る前に椅子を放し、腕を止める。椅子は彼女からも奴からも離れた場所へ飛んでいき、けたたましい音を立てて転がった。


 「……奈月、なんで」

 『ああ、そこに居るのは人形だ。触れはするが、意思は持たない。そら、あちらにも居るだろう?』


 『神』を睨み付けつつ、奴が指差した方へ視線を向ける。

 教室の廊下側には、30人もの生徒や教師が佇んでいた。


 「なんの、つもりだよ」

 『状況を説明してやる。今、外の世界ではケルベロス――三つ首の魔獣が、その少女と30人の人間を捕らえている。このままお前が何もしない場合、ケルベロスは全員を殺す』


 教室を見渡す。

 淡々と語る『神』、こちらを不安げに見つめる奈月、恐怖に怯えている30人。


 ……察して、歯を食い縛る。頭を巡る血が沸騰して、どうにかなってしまいそうだ。


 「テメェ……!」

 『ああ、察しの通りだとも。お前にやる選択肢は三つだ』


 指を一本立てて、奈月へ向ける。俺の背に隠れるよう誘導したが、彼女は一歩も動かない。


 『一つ。少女を殺して力を手に入れ、魔獣を倒す』


 指を二本立てて、集団へ向ける。彼らは総じて俺を見つめており、『神』のことなど認識していないようだった。


 『二つ。多数を殺して力を手に入れ、魔獣を倒す』


 指を三本立てて、俺へと向ける。ノイズ越しに、嘲笑う声が頭に刷り込まれた。


 『三つ。両方を見殺しにし、何も手にしないままここを離れる』


 好きなモノを選ぶといい。

 そう言い残して、『神』は教室から姿を消した。


 取り残されたのは、俺と奈月を含めた32人。

 そして……いつの間にか目の前に落ちていた、竹刀ほどの長さの両刃の剣が一振り。


 「……殺、す?」


 誰を? 一番に『神』を思い浮かべたが、奴はもうこの場に居ない。居ないモノを殺すことは出来ないし、出来たとしても魔獣が消えるかなど分からない。


 緊張により呼吸を止め、手元に残った殺人道具に視線を向ける。刃に手を触れると、指が切れて血が滲んだ。


 「……奈月」


 返事はない。『神』が言うには、ここに居る皆は人形らしい。

 柄を握って、持ち上げる。見た目よりも重かったが、俺が扱える程度の重量だった。


 体育の授業で習った竹刀の構え方を参考に、剣を構える。

 身体の軸に合うように剣を正面に構えると、刃がこちらを向いていることを改めて認識した。


 仮に。

 このまま剣をこちら側へ倒したなら、或いは。


 脳裏に過ったその考えを、無意味なものと切り捨てる。

 俺が死んだところで、あの魔獣が消える訳ではない。


 俺がやらなければならないのは、奈月か皆どちらかの人形を殺して、奴の言う力とやらを手に入れること。

 その思惑さえ奴に利用されているのだとしても、俺はそれを得なければならない。


 「楽観視は、しない」


 人形だから殺しても大丈夫、とは考えない。

 何らかの仕組みでこの人形と彼女たちは繋がっていて、どちらかを殺せば実際の彼女たちも死んでしまうと、俺にとっての嫌な未来を予め考えておく。


 その上で、奈月と皆を見比べる。

 仮にどちらかを捨てて、どちらかを救うことが出来るとすれば――――。


 「……クソッ」


 悪態を吐きながら、俺は剣を振り上げた。



 井刈浩介が気を失ってから、数分。

 彼を吹き飛ばした三つ首の魔獣――ケルベロスは、眼下の人間たちを一人も逃がさぬよう注意を払っている。

 視線で威圧し、腕で遮り、散り散りになりそうならば、一瞬だけ炎の壁で周囲を塞ぐ。それだけのことで人々は逃げ出す意欲さえ失せたようで、また身を寄せ合うだけの集団へと成り下がった。


 浩介と連れ添っていた少女は、彼に何度も呼び掛け続けている。呼吸があることまでは確かめたが、彼の意識は閉ざされたままだった。


 元々校庭にいた人々は、誰一人逃げられないまま、身を寄せ合っている。逃げようとした者も居たが、その全てがケルベロスにより阻まれていた。今はもう、誰一人として逃げ出す気力を持ち合わせていない。


 『……』


 ふと、ケルベロスが浩介へと視線を向けた。

 自動で位置を調整する監視カメラのような、無機質で無感情な、動きと視線。

 魔獣は首から先しか動いておらず、身に纏う気配は一切変化が無い。


 しかし、誰もが恐怖の視線を魔獣へ向けている。当然、誰もが魔獣の動きに気付いていた。

 けれど、動くことが出来たのは、奈月一人だった。


 「だ、駄目、だから……!」


 掠れた声で、浩介とケルベロスの間に立って、腕を広げる。

 足は震えていたが、それでも無理矢理立たせていた。


 『……?』


 ここで初めて、ケルベロスが首を傾げるような動きをした。

 その動きは最小限で、この場の誰も、それが疑問から来たものだとは気付かない。


 ――なぜ、この少女は彼を庇うのか。


 与えられた思考力を活用し、結論を導き出す。出た解は単純明快。信頼と無知だ。

 理解が及べば、もう用は無い。

 自身の役目を阻害するものではなかった彼女の行動に、ケルベロスは意識を割くことさえ辞めた。


 再びケルベロスの視線が、浩介へ向く。

 同時、浩介の体が、ぴくりと震えた。


 「……っ、う。……はっ!!」


 呻き声の直後、目を見開いて、がばりと起き上がる。

 呼吸を荒くして自身の掌を見つめると、安心したように大きく息を吐き出した。


 「……ここ、は」


 何かを拭うような動作。掌を袖に擦り付け、周囲を見渡す。

 浩介の意識は、真っ先にケルベロスへと向けられた。

 教室ほどの大きさの巨大な肉体に、全身から放つ威圧感。そして何より、一度腕を振るわれた衝撃を、彼の身体は覚えている。


 「……お前」

 『貴方は』


 浩介が立ち上がる。その時、はじめてケルベロスが言葉を紡いだ。

 全員の頭蓋に響く、機械的な音声。それは会話の為の言葉というより、一方的なアナウンスのようだった。


 『どちらを選びましたか?』

 「……」


 ――どちらを選んだか。

 その言葉の意味を、浩介だけが理解していた。彼は質問には答えずに、険しい顔で周囲を見渡す。


 彼の瞳に映ったのは、30人の人々と、幼馴染みである奈月。

 両者が誰一人欠けていないことを何度も確認しながらも、彼は飛び退くように距離を取った。


 「……浩介? どうしたの?」

 「……。おい、化物」


 困惑する奈月の声に、瞳を震わせる。僅かな時間ではあったが、彼は明らかに動揺していた。

 浩介はぎゅうっと瞼を閉じて、ケルベロスを睨みながら口を開く。出来るだけ、彼女を意識の外へ追いやっているようだった。


 「約束はどうなった」

 『……それについては、直ぐに分かりますよ。貴方が手にするは、人の身に余る願いの力』

 「……ぐ、ぅ」


 淡々と喋る魔獣とは裏腹に、浩介には焦りが募っていく。無口は呻き声へと変わり、額からは冷や汗。手は段々と震えはじめ、今では殆ど痙攣しているようだった。


 『もちろんタダではありません。我が主の条件通りに、貴方は目覚めた。契約はここに成されるでしょう』

 「……あ、ぁぁあ!! に、逃げ……!」


 足を滑らせて、その場へ倒れ込む。一目でわざとだと判る奇行だった。


 『貴方の名は――――』

 「……っ! 逃げてくれ、奈月!!」

 「え……え?」


 奈月が目を白黒させている間に、それは眼前に迫っていた。

 土煙が大きく舞い上がる。大地を踏みしめた浩介が、人ならざる力で飛び出した証左だった。

 瞬きの間に、彼の腕が奈月へ伸ばされる。余りの気迫に、尻餅をつきそうになった。


 奈月が尻餅をつくより速く、浩介の右手が奈月の首へと添えられる。


 「浩――」


 首に伝わる感触が、痛みへと変化する。視界がぐるりと回り、背中へ衝撃。肺の空気が全て吐き出された。


 「……な、で」

 「……っ! ……ギ、アァ!」


 浩介の瞳が血走っている。獣のような言葉しか吐けなくなった彼は、右手を奈月の首から離そうと、左手で右手親指を掴んでいる。


 それだけだった。

 左手でどれだけ力を込めても、右手の拘束は一向に剥がれない。

 悲鳴も、懺悔も、悪態すらも、口から出てくることはない。

 体勢は、奈月を押し倒して首を掴んだまま離れない。


 ただ、じわじわと右手の握力が上がってきている。

 奈月の喉からは呻き声すら消え、骨が軋む音だけが響いていた。


 骨を潰すほどの勢いで、右手が握り込まれる。

 ミシミシと、命を絶っていく感覚が染み渡る。

 奈月はもう気を失っている。それでもまだ、止まらない。


 ――――井刈浩介は、真野川奈月を殺害した。


 今、この状況の話ではない。彼が気絶している間に起こった、夢の中での出来事だ。

 理由としては単純で、「1人を殺す方が、30人を殺し切るより早かった」からだった。命の重さを測れなかった一般人は、その数のみで、命の重さを比較した。


 命の価値を裁定し、己にとって大切なモノよりも、大衆にとって価値のあるモノを優先する。

 それは一つの正しさであり、頭から否定されるものではない。

 ……しかし。命の価値は、個人が定められるものではない。

 彼は決めた。決めてしまった。自身の欲を圧し殺し、価値があると信じたものを取ってしまった。


 それは紛れもなく――。


 『貴方の名は【傲慢】ですよ。異端者、井刈浩介』


 骨が砕けた。少女だったモノが鳴らす音だった。

 ……新たに生まれた異端者は、自分が殺めた亡骸を見つめている。変わり果てた、見るに堪えない姿。この惨状を、自分が引き起こした。


 「……ああ」


 何と言えば良いか分からなかった。今の殺害は操られていたものだったが、彼女を切り捨てたのは確かに自分自身だったからだ。


 「あぁぁぁああああ!!」


 掌を見つめる。手の皺が見えないほど、そこは赤黒い血液に塗れていた。

 ……幻覚だ。それが凶器だったなどと分からぬ程に、彼の掌は他者と変わらない見た目をしている。


 「クソ! ……クソォ!」


 何に対しての慟哭か、彼自身分からなかった。

 ……殺したのは自分だ。この手が、それを覚えている。一生消えることはない、消してはいけない呪い。


 『さて』


 地面を殴り付ける浩介を、冷めた視線で見下ろす。

 それにも飽きたのか、視線は固まっている人々へ。


 『もう生かしておく理由はありません。殺しましょう』

 「……に、逃げろーー!!」


 ケルベロスが一歩踏み出す。

 自分たちの死を察知した人々は、一目散に逃げ出した。

 恐怖での延命ももう限界。何もしなくても殺されることを、今ようやく理解したのだ。


 ――しかし、遅い、

 ケルベロスは一拍待ってから、足を曲げて腰を落とす。

 それは強者故の余裕であり、魔獣が唯一持つ嗜虐心の現れだった。


 主の使命は達しました。

 まず一人、踏み潰して殺しましょう。次は胴を噛み千切り、その次は炎で足を焼きましょう。


 目標を見定めて、四つの脚で大地を蹴る。

 風を切り裂く速度で、巨体が人間へと迫っていった。


 魔獣が遅れて飛び出したのは、強者の余裕であり、嗜虐心の現れであり――――。


 「――【傲慢】」


 異端を侮る慢心からだった。

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