覚悟を決めろ
突然だが、人というのは障害物のある場所を全力疾走するのには向いていないらしい。
「もっと急げないのか二人とも!?」
「無茶を……言わないでくれ!」
「むしろ坊主は何でそんな速いんじゃ!?」
集団相手に大暴れしている何かが居ると分かり慌てて逃げているわけだが、意外にも俺が先頭を走っておりカムナはもちろんアルフ爺さんまで遅れている。
これはアレか。神父様に言われて散々森の中を走り回っていたおかげで、自分でも気付かない内に森での走り方というものが身についていたのか。
まさか神父様はこういう状況になるのを見越して森の中での持久走を……?
「というかなんか凄い音してんだけど!?」
「ありゃあ木をなぎ倒す音じゃろうなあ。どんどん近付いて来とるぞ」
「何が来てんだよ!?」
まるで地鳴りと落雷が混ざったみたいな、何かがぶつかり響きわたる音が鳴り続けている。
つまりは木々をなぎ倒しながら前進できるような何かが近付いてると。
どんな怪獣だよ。
「げっ。見えて来た」
「あーこりゃもうダメかのう」
「げほっ……」
木がなぎ倒されるのが視認できる距離になってきた。
というかその前にカムナが限界っぽい。普段ならしないような顔してるし、顔色も悪いしで今にも倒れそうだ。
「どうする!? 一か八かでカムナの魔法効くか試すか!?」
「それしかないかのう。嬢ちゃん! わしらで時間を稼ぐから何とか踏ん張れ!」
「かはぁ……わ、分かった」
いや大丈夫かコレ。楽器取り出す手が震えてるぞカムナ。
これ下手に逃げずにさっさと迎撃した方が良かったのでは。後の祭りだけども。
「来るぞ!」
アルフ爺さんの警告の声が響く。
それにつられて改めて後ろを見れば、折れた木々や枝葉、藪の残骸に包まれた何かがすぐそこまで迫っていた。
何だアレ。もしかしてなぎ倒したもんが落ちないほどの速度で走り続けてんのか。
「避けろ!」
「マジかよ!?」
アルフ爺さんがカムナを抱えて飛ぶのに遅れて、緑の塊が突進してくるのから寸前で横っ飛びで逃げる。
タイミング的には余裕だった。
しかしそこらの街の大通りほどの横幅のある塊が、木々をなぎ倒す勢いで突っ込んできたのだ。
そばを通り過ぎるだけで空気が震え、一瞬体がもっていかれたのかと錯覚するほどの衝撃を受けた。
「つうっ!?」
衝撃自体は気のせいではなかったらしく、体勢が崩れ地面に体を強か打ち付けた。
何だコレ。通り過ぎただけで死にかけたぞ。
ユニコーンの突進が可愛く思えるくらいだ。
「何なんだよこいつ!?」
何とか最初の邂逅はしのいだが、まだ何も終わっていない。
痛む体を鞭うって起き上がり、緑の塊が通り過ぎていった方へと向き直る。
「……なんだアレ」
木々が取り払われ、無理やり開かれた森の先にそいつは居た。
濡れた犬が水気を払うみたいに、体をぶるぶると震わせて体にまとわりついた枝葉や草を落としていく。
そうして現れた体は、固そうな毛に覆われた正に獣のそれだった。
いや。それ自体はつい最近見たイノブタに似ている。
ただその体は縦も横も高さも家くらいでかく見上げるほどで、イノブタには申し訳程度にしかなかった牙が槍みたいに伸びて存在を主張している。
「はは……なんだコレ」
その巨体に笑うしかない。
こりゃもうイノブタなんて可愛いものじゃないし、イノシシですらない。
これは兵士の集団だって敵わなくて当然だ。
いやそもそもこいつに剣や槍が効くのか。
巨大すぎるせいで、刀身を全て埋めても急所に届かないのでは。
そもそもそんなことをする前に、すこし身じろぎしただけで弾き飛ばされるに違いない。
これは正に「化け物」だ。
人間が正面から相手していい存在じゃない。
――だけど。
「……俺がやるしかないよなあコレ」
アルフ爺さんの方へと視線を向けると、足でも傷めたのか立ち上がることができずに這いつくばっているのが目に入った。
カムナを抱えていたせいか、あるいは逃げている間に俺以上に体力を消耗していたのか。
どちらにせよアルフ爺さんは今すぐに動ける状態じゃない。
カムナは論外。
なら俺がやるべきことは?
「……オラァッ! こっちだバケモン!」
剣を抜き、震えそうになる体を気合で抑え、後先考えずに叫ぶ。
ああ、本当は分かってるんだよ。多分こいつと出会った時点で俺たちは終わってるって。
でも少しでも時間を稼げば事態が好転するかもしれないだろ。
もしかすればその間にアルフ爺さんとカムナは逃げ切れるかもしれないだろ。
「来いよ! 俺が刺身にしてやる!」
そんな限りなく低いと分かってる可能性にかけて、俺は家のように巨大なイノシシに向けて咆えた。