水底から
なるべく先を急ぎたい。
でも旅をするにも色々と金は必要なわけで、しばらくはリオの街に滞在することになったわけだが、やっぱこの街不便だ。
何が不便かって朝と夕方に道が川になるのが。
俺とカムナの生活リズムのせいなのか、朝食と夕食の時間にぶつかりまくるんだよなあ。
水が流れ始める前に店に入れればそのまま飯食ってればいいんだけど、そうでなけりゃ店まで移動できずしばらくは足止めだ。
多分街の人間は慣れてて、水が流れる時間なんて意識しなくても回避できてんだろうなあ。
「私は好きだよこの街。清潔なのはいいことだ。道が狭くて勾配があるせいで馬車の類も街中まで入ってこないしね」
そうよく分からない味の煮込み料理を食べながら言うカムナ。
いや俺も同じの食べてるけど、よく分からないというかこのスープ辛い。
前の街のやたらしょっぱいパイといい、この国の料理もしかして味が濃いのか。
「何で馬車が入って来ないといいんだよ」
「馬車をひく馬の糞尿というのは道に垂れ流しなんだよ」
「ええ……食事中にそういう話すんなよ」
今日は運よく水が流れ始める前に酒場に来れたわけだが、この女平然とした顔で汚いこと言いやがる。
でも旅慣れてるだけあって話を聞くのは面白いんだよなあ。
「しかしこっからジレントとかいう国までどれくらいかかるんだ?」
「まあ今のペースなら一ヶ月ってところかな。何も問題が起きなければだけどね」
「げ。そんなにかかんのかよ」
いやまあ国を跨ぐんだからそれくらいかかって当然なのか。
また次の街についたら金稼ぐのに何日か滞在するんだろうし。
「それでも早い方だと思うよ。農村育ちだけあって少年の足腰は頑丈なようだしね。慣れてない人間なら一日に半分の距離も歩けないだろうさ」
「えーそんな極端な差が出るもんか?」
「出るとも。少年は頑丈に産んでくれた両親と環境に感謝した方がいいよ」
俺は頑丈だった?
いや頑丈って親父とかロイスさんみたいなのを言うんじゃないのか。
あの二人に比べたら俺なんて紙みたいにペラペラだぞ。
「まあもう少し常識を教わった方が良かったとは思うけど」
「よく言われる」
主にロイスさんとかヴィオラに。
まったく神父様はあんなに博識なのに何故常識を教えてくれなかったのだろうか。
……本人が非常識だからだな。
というかあの村が非常識なの神父様のせいでは?
つまり大体神父様のせい。そう心の中で結論付けておいた。
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「あれ? まだ水ひいてないぞ?」
「おかしいね。もう日も暮れるっていうのに」
食事も終わり酒場を出ようとしたところ。
例によって道との間に高い段差があるのだが、その下は川になったままだった。
カムナの言う通り日も山の向こうに隠れて暗くなっているというのに何故だろうか。
というか暗いと何か不気味だな。この街が水に飲まれてる光景。
「しばらく待ってみようか。今から酒場に戻るのもね」
「あー。そろそろなあ」
食事時も過ぎ始めたせいか、酒が入った連中が盛り上がり始めてる。
俺らみたいなのが長居したら絡まれそうだ。
「よっと。どうした坊やたち。帰らないのか」
「いや。水がひいてなくて」
「あれ? 珍しいな。初めてだぞそんなこと」
そんなことを言っていたら、酒場から出て来た二人組の男の話しかけられた。
いや話しかけられたというか片方のおっさん肩貸されて千鳥足だけど大丈夫か。
まだ夜になったばかりなのに何でもう出来上がってんだよ。
「……知るか! 俺は帰るんだ! 全速前進!」
「あーもう。溺れるぞおまえ」
「いっそ一度沈めれば酔いもさめるんじゃないかい」
「おまえ……」
酔ったおっさんが強引に進もうとするのを止める男と、さらりと物騒なことを言うカムナ。
何で俺の知り合いの女子って辛辣なやつばっかりなの。
年頃の女の子はこれがデフォルトなの。
「ほら。水流れてるだろ。大人しく……」
段差の近くで酔ったおっさんを引き留めて嗜める男。
しかし次の瞬間、おっさんが水の中に沈んだ。
「……は?」
一瞬で姿が見えなくなったおっさんに、傍に居た男は呆気に取られ、俺とカムナも一瞬何が起きたか分からなかった。
いやおっさんが足を踏み外したとかそういうのではなく、なんかずるりと変な角度で飲み込まれたぞ。
「って助け!?」
ないとと言おうとしたのだが、今度は沈んだはずのおっさんがトビウオみたいに勢いよく水の中から射出されドサッと地面に転がった。
いやトビウオとか神父様のとこの図鑑でしか見たことないけども。
「おい! 大丈……」
男が水浸しで倒れるおっさんに声をかけようとしたが、その言葉は息をのむ音と共に途切れた。
うつ伏せに倒れるおっさん。
しかしうつ伏せになっているのは体だけで、カッと目を見開いた顔は180度回って空を見上げている。
いや、ひしゃげて潰れた首と、ねじれて伸びきった皮からして、これは半回転どころか何度も……。
「な、なあ!?」
「あ、オイ!?」
「待て少年!?」
その姿を見て狼狽える男。しかしその男も先ほどのおっさんの焼き直しのように水の中に引きずり込まれた。
そう落ちたんじゃない。何かが水の中に居る。明らかな害意を持って襲ってきている。
そう確信した俺は、カムナの制止の声も聞かず男が引きずり込まれた水辺へと走る。
するとそれを待ち構えていたかのように、そいつは水の中から姿を現わした。
「な……」
水しぶきを纏いながら、水面を斬り裂きこちらへと手を伸ばす、人型でありながら人ではない何か。
同時に辺りに漂う臭いは淀んだ水と混じり合い腐った泥みたいに不快で息苦しくて。
百年前から突如姿を現わして、不意に、唐突に、理不尽に人を襲い始めた魔物たち。
その脅威は時に全く予見できず、しかし身近なものなのだと。
非常識で平和な村で生まれ育った俺が嫌でも思い知る最初の夜が始まった。




