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17.今世の彼女は②


背後でジュゥゥッと何かが溶ける音がして振り返ると、木の幹に穴が開いている。

防御魔法がなかったら自分の肩がああなっていたと認識すると、一拍遅れてやってきた恐怖に身体がぶるりと震えた。


執事が放心しているリディアに一言断って異形の薔薇を火魔法で燃やし尽くしているが、アリスの心臓はまだバクバクと暴れている。

恐怖のせいでじっとりとした嫌な汗も掻いた。


「あ、アリス様っ。申し訳ございません! わたしが未熟なばかりに防御魔法が解けてっ」

「……ううん、解けてないよ。肩の当たりでちょっと跳ねたもの。ありがとう」


薔薇が燃やされている様子を心ここにあらずな状態で眺めていたアリス。

彼女が返事をしたのでキャシーは胸を撫で下ろすと、怪我がないか全身をチェックする。


「ご無事で良かったです。どこにも怪我はなさそ、う……?」


キャシーの安堵した声は続かず、驚愕の表情で目を見開いた。


「アリス様っ! 髪が!?」

「……え? うわ。嘘……」


アリスはスースーする左肩に手を伸ばす。いつもあるはずのものがない。

髪の一房というにはそこそこの量が酸で溶け落ちていた。防御魔法が解除された後にも少し飛んでいたらしい。

何かを焼いたような、妙に焦げ臭い匂いを至近距離で感じると思ったらこれか、と妙に冷静な頭でアリスは理解した。


「短くなっちゃった」


キャシーが顔面蒼白になっているので、少しでも和らげばいいとおどけて言ってみせるが、効果はなかった。


「そ、そんな。女の子の髪なのに……!! なんてこと!! あああ……」

「いや、髪だし……伸びるから平気だよ……?」


髪は女の命とは言うけれど、何事も命あっての物種である。

むしろ髪だけで済んだことを喜ぶべきだと思うが、キャシーが嘆きに嘆くので、アリスは大丈夫だとしきりに彼女を慰めた。これではどっちが被害に遭ったんだか分からない。


「……ね、ねぇ……あなた……」


アリスがキャシーの背中をさすっていると、リディアから話し掛けられた。


「はっ、はい。何でしょうか?」


リディアから話し掛けられるとは露程も思っていなかったアリスは、声が上擦ってしまった。


リディアはまだ顔色が悪く、メイドに支えられた状態で立っている。

彼女が俯きながら何かを呟いては深呼吸を繰り返す姿を見て、アリスは既視感を覚えた。

何かを言い出し辛いときの、親友の癖。


――りっちゃん?


仄かな希望が胸に浮かび上がった途端、


「だっ、だんしゃく家のくせに、でしゃばるからそんなことになったのよ!!」


叩き落される。


……はい?


意味不明なリディアの言葉に、アリスはポカーンと口を開けてしまった。

いつもならすぐさまキャシーに咎められるところだが、隣にいる彼女も呆けてしまっている。


「……いい? これにこりたら、これからはずうずうしくわたしのお茶会にさんかしないことね。わたしの力はものすごくゆうしゅうなのよ。大きな力が使えるの。あなたじゃつり合わないわ。またそんなことになっても知らないわよ」


意図して起こした騒動ではないとしても、アリスへの謝罪が一切ない。

結果的に髪だけだったとはいえ、防御魔法がなければ大怪我を負うどころか命に関わるところだったのに。

アリスはキャシーが激しい怒りを覚えているのを肌で感じ取った。もちろん彼女は表情にも態度にも出していないと思うが、隣から来る圧がすごい。脳内で盛大にリディアを引っ叩いていそうだ。


一方アリスは、


「はい。肝に銘じます」


そう言って頭を下げた。


キャシーはアリスの様子に唖然とする。

公爵家の人間に物申すなどできるはずもないが、リディアの言葉に対してアリスは本気でそう返したようだったからだ。

リディアを支えるメイドと、薔薇の処分が終わって静かに見守っていた執事すら、キャシーと同じような疑問を抱いたのか僅かに眉を顰めている。


「……ふん。わかるなら、いいわ」


リディアはふいっとアリスから目を逸らした。



*****



騒動の後、公爵夫人からはまともな謝罪を受け、公爵家お抱えだという前々世でいうところの美容師に髪を整えられ、腕利きの職人に鬘を作らせると言って頭の採寸をされた。

最初は遠慮したのたが、この国では女性の髪が短いというのはあり得ない事態らしく、作るという方向へゴリ押しされて渋々了承した。


帰りの馬車の中、キャシーはそれくらい当然の償いだと憤慨したり、かろうじて耳が隠れる程度まで短くなってしまったアリスの髪を見て嘆いたり忙しい。


「アリス様はもっと怒って良いのですよ!?」

「う、うん……そうだね」


アリスとて別に何とも思っていないわけではない。髪が切られたことは単純にショックを受けたし怒りもあるが、周りの反応があまりにも凄いので、自分自身の感情の方は落ち着いてしまっただけである。

まあキャシーの嘆きっぷりも正常ではある。髪を整えられた後に渡された鏡の中に映るアリスは、まるで男の子のようだった。

自分では意外と似合っていると思ったが、毎日アリスを可愛く着飾るのを生き甲斐にしているキャシーに申し訳なかったので、口には出さないでおいた。


「それに……リディア様も噂に違わない方でしたね」

「噂?」

「ええ。非常に我儘でいらっしゃるという噂です」


あー……すでに噂されてるんだ……


「公爵夫人は第二王子殿下とリディア様が仲睦まじいなどと仰ってましたが、実際はリディア様が一方的に付き纏っていたようです」 


うわぁ……設定通りかぁ。


ゲームでもリディアがルーファスに一目惚れして、相手の都合も考えずに付き纏っていた。

相手の性格や事情を考慮に入れた上で行動できるヒロインとは正反対で、民に慕われる良き王を目指すルーファスが惹かれるのがどちらの少女かといえば、言われるまでもない。


「アリス様は優しすぎます」

「え? 何が?」


心当たりがないアリスは首を傾げる。


「お髪を切られたこともそうですが、もし……もし、防御魔法が効いていなかったら、命に関わることでした。ですのに……っ、リディア様の理不尽な言い分を受け入れられているようでした。違いますか?」

「あー……えっとー……まぁそうだねぇ」


アリスは何と言っていいか分からず、もごもご言葉を濁す。


「心が広いことは美点ですが、無理をしないでくださいね? キャシーはアリス様に傷ついて欲しくありません!」

「……そうだね。ありがとう」


本気でアリスを慮ってくれるキャシーに、アリスは微笑む。


でも、無理はしてないんだよ本当に。

そりゃたしかに酸が飛んできたのはめちゃくちゃ怖かったけど、キャシーがいてくれたからすぐに落ち着けたし、髪型も前々世じゃこんな感じの女の子いっぱいいたしね。むしろ初めてここまでショートにしたから、ちょっとウキウキし始めたよ。


それに……リディア様はりっちゃんだと確信してるせいか、何を言われても前向きに捉えちゃうんだよね。


リディア様の性格はアレだけど、すごい魔法の才能があるトコとか、意外と実力で周りを黙らせようとする気概があるトコとか、ゲームのリディアとは違うところを見つけられたし、最後に言われた「またそんなことになっても知らないわよ」っていうのも脅しじゃなくて、「傷つけたくないから近寄るな」って言ってたと思う。


……ああ、うん、分かってる。私以外は絶対にそう捉えないって。


アリスはゲームのリディアを知っており、それよりも今日出会った本物のリディアの方が印象が良かったためにそういった過大評価に繋がっている――と、自分で自覚している。

アリスがどう思おうが、ゲームの彼女を知らない周囲の人間には、今のリディアも充分傲慢で我儘に見えるということも理解している。元々そういう噂が立っていたというのに、今回のお茶会のせいで確固たるものにしてしまっただろう。このまま何もしなければ、きっとゲーム通りになってしまう。



――どうすれば、リディア(りっちゃん)を破滅から救えるのか。



アリスはハズラック家の執事とメイドを見て、リディアの側にいないとできないことはたくさんあると再認識した。

側にいられれば常に彼女の動向を把握できるし、彼女が耳を傾けるかどうかはともかく、諫めたり助言したりもできるかもしれない。

一方的であったとしても、離れているよりできることが格段に多いのは確かだ。


友達や取り巻きが無理ならば、リディアの専属メイドを目指す?

いや、現時点ですでに専属メイドらしき女性がいたし、仮にこれからつけるとしても爵位の高い家から引き抜かれるだろう。


何をしようにも、身分というどうにもならない高い壁が、リディアの側にいることを阻む。


身分を問わずリディアの側にいられる方法……護れる方法は? 

いつでも助けられるように、側で護る方法はないか? 


思索に耽るアリス。



……側で護る?



「アリス様。着きましたよ」

「えっ、あっ。もう?」


思考の渦から引き上げられた。ボーッとする頭を押さえる。


「……」


もうすぐ、何かひらめきそうだったんだけどな……




アリスの初めてのお茶会は、親友を見つけるという大収穫から始まり、再び彼女が『悪役令嬢』になったという最悪の現実に頭を抱え、おまけに自身は大怪我の危機に見舞われる――という怒涛の展開で幕を閉じた。


帰って来たアリスの髪を見るなり、屋敷の皆は一様にショックを受けて大騒ぎに。

特にアルバートは殺気立って公爵家に殴り込みそうだったので、アリスは必死に、それはもう必死に宥めました。


あと、お茶会のときのアリスの失態は、キャシーにこれはこれとしっかり怒られました。

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