第40話 贄の一閃
その叫びの直後、俺の周りを覆っていた黒い靄が途端に渦巻き、刀を通って傷口に侵入し始めた。
俺の体はその黒い靄に侵食されるかのように、傷口から黒く変色し始める。
俺の視界は徐々に真っ黒に染まり、とうとうわずかな光でさえその目で確認できないほどになっていた。
だが、不思議と恐怖も不安も感じない。
みなぎる力のせいか、あるいはあれほどの傷が癒えたせいは分からないが……。
いつしか、俺の腹に刺さっていた刀が俺の手から消え去り、その手にはもっと大きくて硬く、重い何かが現れた。
体が盛り上がるような違和感を感じ、若干ながら獣臭さが漂う。
何だか……手も大きくなったような。
そう感じた途端、真っ暗だった視界が急に光を取り戻した。
目の前にはこちらに振り向いて剣を構えるパイソンさんの姿。
放り投げたのか、ニルは首を落とされず地面に倒れている。
「なんだい……その姿は」
パイソンさんは眉を顰めて驚いたような表情を見せている。
俺はここで初めて、自分の体に目を向けた。
日焼けしたようにこんがりと焼けた褐色の肌。全体的に大きくなったその体は、あからさまな筋肉質という訳ではなく、中肉中背の……プロのスポーツ選手並みの体格と言った感じだ。
だが、鍛え抜かれたように割れた腹筋もあからさまに伸びた背丈も自分の体のものとは思えなかった。
体には交差するように黒い鎖が巻き付き、それはまるでタスキを両肩に掛けているようになっていた。
上肢下肢には黒い毛皮の防具を身に着けているようで、質感から察するにマガリイノシシのそれと同等のものと感じる。
手に握られているものは刀ではなく片刃の巨大な剣で、刀身から柄までドス黒いもので。
やはりそれには鍔はなく、琥珀色の滑らかな宝石が柄の先に嵌め込まれている。
これが……俺なのか?
『我の能力は、主が吸収した魔物の潜在的能力を、我が力と合わせて主の肉体に混同して、全ての能力を向上させる。つまり、我が悪魔の力と吸収した魔物の力を主人の肉体に掛け合わせたのだ。その際には肉体の変化を伴う。主人の今の肉体はマガリイノシシが人になった姿といったところだ』
あのマガリイノシシからこんな肉体を生み出せるのか?
オークリアやオークシアと言った魔物とは違うのだろうか?
……いいや、今は考えている暇はない。とにかく、ニルを助けないと。
「返答はなしかい? そんな見た目して、まさか理性がないなんていわないよね?」
「いいや、問題はない。少し驚いただけだ」
俺は剣を構え、パイソンさんと対峙する。
確かに、刀から巨大な剣に変わった事で格段に重みは増したが、持ちきれないほどではない。
だが、片手で振るうには重すぎる剣で両手で持つのが精いっぱいだった。
「はぁっ!」
「……くっ!」
意識をニルに向けさせてはいけない。
だが……相手はこれでも人間だ。それなりに知名度はある。
クローディアを俺が本当に倒しているとしたらもう、俺は十分重罪を犯しているが、だからといって人間まで自分の手に掛ける訳にはいかない。
こんな相手に情けを掛ける事は許される事ではないだろうけど、ただの高校生の俺が自分自身の意思で人を殺すなんて、そんな真似は出来る訳はない。
せめて、戦闘不能にする事を優先しないと。
パイソンさんは俺の剣を片手で受け止めていたが、守り切れないと悟ったのか二本目の剣も持ち出して俺の剣を受け切っていた。
だがそれでもパイソンさんの細腕では支えきれないのか、とうとう全ての剣で攻撃を受けまいと受け止め始める。
「さすがに……重い一撃だね。だけど……」
「――ッ!? うっ!!」
パイソンさんは四本の剣で俺の剣を弾き返した。
剣の重さも相まって一瞬バランスを崩したが、俺は少し距離を取りながら体勢を整える。
「戦いに慣れていないのがバレバレだよ。武器が変わり、姿が変わっても、経験ほど強さを示せるものはない。戦いの経験がない奴がいくら剣を振るっても魔法を放ってもそれは強さに比例しない。チート持ちの連中が闇雲に能力を振るうのと一緒だよ」
「……仕方ないだろ。俺はつい最近まで高校生やってたんだから」
「ははっ! それはそれはご愁傷様。自分の運命を呪うしかないね!」
そう言い放ちながらパイソンさんは再び剣を太陽光に曝して衝撃波を放ってきた。
さっきまでのまるで弄ぶような攻撃じゃない。まるで遠慮がないような、本気で俺を殺しにかかっている感じだ。
何度も何度も繰り出される衝撃波を俺は必死に避ける。
悪魔の力の開放前と違って、身軽さが格段に上がっている。それに即座に反応が出来るようになった。
これがマガリイノシシの潜在的能力って事か?
「なるほどね。その変身はただの曲芸ではないって事か。少しは楽しめそうだよ」
パイソンさんはまだ余裕があるのか得意げにそう言い放っている。
正直、パイソンさんが言っている事は正しい。どれだけ強い能力を得たとしても経験の差は埋める事は出来ない。
クソ……なあ、アルヴァーレ。俺にもパイソンさんみたいな特有の能力……というか、スキル無いのか!?
このままただ闇雲に斬りかかっても意味がない。
剣が重くなったとは言っても四本の腕のパイソンさん相手では弾かれて終わりだ。
戦いを長引かせるだけで根本的な解決にはならない。
『ある事にはあるが、主には魔力量がないため我が力を行使するには代償を伴う』
お、おい! ちょっと待て! この期に及んでまだ代償を支払えってか!?
さっきの……血と残酷の盟約とかであんたの力の全てを俺に授けたんじゃないのか!?
『何を申すか主よ。我は大悪魔。契約に関しては誠実で貪欲である。そもそも主に魔力量が無いのが問題ではないのか?』
うっ……そ、そうだよな。スキルや魔法を使う時だって魔力量が必要不可欠だ。その魔力量が代償であったなら何の問題もなかったんだろうけど。
ああ……もう。この際仕方がない。魔力量がない俺でも力を行使できるなら、その代償は何なんだ?
『血だ。主の血を触媒として能力を行使できる』
俺は一体いくら血を流せば良いんだ。
すでに何回か死ねるくらいには血を流している気はするけど。
『安心しろ。血を流す必要はない。体内にある血を触媒とするだけだ。だが、忠告しておく。我が力はただ純粋に血を触媒とする。それが主の肉体に、生命活動にどういった結果をもたらすかは例え主の頭でも早々に予想はつくであろう。我が力によって再生能力を底上げしておるが、主が力量を誤れば、間に合わずに肉体は滅びるであろう。肝に銘じておけ』
要は……死ぬほどの血を触媒にしないようにコントロールしろって事か?
いやいや、そこを俺に丸投げするのか!? 使った事のない力をコントロールだなんて出来る訳ないだろ。
「……どうしたんだい? そんな姿に変身しておいて何も手がないなんてつまらない事は言わないよね」
パイソンさんは俺に襲い掛かろうともせずまるで俺の攻撃を待っているかのようだ。
……こりゃ、明らかに挑発されているよな。やるしかないのか!?
「早くしないと……ニルちゃんから先に殺しちゃうよ?」
「――ッ!?」
パイソンさんはニタリと笑みを浮かべて倒れているニルに剣を向ける。
……迷っている暇はない。力を見せろというのなら望み通りやるしかない。
『覚悟は決めたか。ならば剣を高く振り上げ構えよ。その後は、自らの剣に力を籠めるのだ。後は我に任せると良い』
頭に響く悪魔の声に従って俺は両手で握った剣を高く振り上げ、力を込める。
その直後、血のように赤黒い、炎のようなものが刀身の全てを包み込み燃え上がった。
だが、不思議と熱は感じない。所持者に影響がないのか、これがそもそも炎ではないのかは定かではないけれど。
「へぇ……こりゃあ凄まじい魔波だね」
パイソンさんはそう言って俺の出方を窺うように剣を構える。
魔波? 魔波だって? どういう事だ?
『気を緩めるな。そのまま剣を振り下ろすのだ!』
あ、ああ! 分かった!
俺は悪魔の指示通り剣を振り下ろす。
俺の剣を包み込んでいた炎のような赤黒い物体は、振り下ろした衝撃で巨大な斬撃となってパイソンさんへ襲い掛かった。
その斬撃はパイソンさんの『裁きの陽光』に匹敵するほどの広範囲に及ぶ攻撃となり凄まじい破壊力を発揮する。
……だが。
「何だ。こんなものなのか」
パイソンさんの呆れた声が聞こえたかと思えば、四本の剣を駆使して俺の斬撃を打ち消した。
やっぱり、腕が四本ある分、相手に分があるって事かよ!?
「済まないね、セイジ君。その芸当は欠伸が出るほどに見飽きているのさ。高密度の魔波の斬撃なんて打ち消すくらいなんて事ないんだよ」
……なんて奴だ。少しくらいは効果があるかと思ったけどほとんど無傷じゃないか。
それに引き替え、俺はあの一発だけでごっそり体力が削られている。地を触媒にするとは言っていたけど、あの一発でこれほどまで消費してしまうなんて。悪魔の言った通り、使い方を間違えたらこれだけで死にそうだ。
だけど、殺される訳にはいかない。俺が殺されれば今度はニルが殺されてしまう。
一縷の救いに賭けているとは言っても首を落とされたらそれすら叶わなくなる。それだけは絶対にさせてはいけない。
俺はふらつく足で何とかバランスを保ち、剣を構え、パイソンさんに斬りかかろうとぐっと足に力を込めた。
『――ッ!? 主よ! 待つのだ!』
「ぐっ!?」
「ううっ!?」
焦ったような悪魔の声が聞こえたのと同時に、全身が凍り付く程の凄まじい威圧感を感じて俺は思わずその場に膝を付いた。
途端に呼吸は乱れ、鼓動は早くなり冷や汗が止まらなくなる。
それはパイソンさんも同じなようで……いいや、若干ながらその影響を受けてはいないようだがそれでも立っているのがやっとな様子だった。
い、一体何なんだ。この頭上から押しつぶされているような圧迫感。それに途轍もない寒気。
「何や? えらい楽しい事してはるなぁ」
頭上から聞こえた、若い男性の声。その人物は頭上に空いた穴からゆっくりと下りてきた。他にももう一人、小さな女の子も連れている。
男性は目が細く、張り付いたような笑みを浮かべていた。かなりの高身長で180は裕に超えている事だろう。
ポケットに手を突っ込み、かなりラフな格好をしていて頭には灰色のニット帽をかぶっていた。
たいして女の子の方はというと、紅いフリルのついた黒のドレスを着用していて瞳も髪も、目がチカチカするほどに鮮やかな赤色をしていた。
女の子の身長は大体140くらいだろう。女子中学生並みの身長だろうか。男性が隣にいる分やたらと小さく見える。
女の子はやけに挑戦的というか、どこか他人を見下しているような目を向けている様にも感じる。
「僕らも混ぜてくれると嬉しいんやけど?」
「はぁ!? どういうつもりよ、カノン! 私まで巻き込まないでよ!」
張り付いた笑みを浮かべたまま言うカノンと呼ばれた男性に対し、女の子は声を荒げて怒鳴り散らしていた。
この人達は……何なんだ? あの街では全く見かけなかったけれど。
「何だい君達は……一体誰なんだい?」
「何や君。僕らの事知らんの? 悲しいなぁ、結構有名人やのに」
「ちょっと、無視してんじゃないわよ! 喰い殺すわよ! ああ、もう!」
息を荒げながら問い掛けるパイソンさんに対して全く表情を崩さずに答えるカノン。
女の子は無視され気分を害したのか、カノンの隣で腕を組んで目を閉じ、片足で何度も地面を踏みつけていた。
「あいにく、あんたらみたいな奇妙な連中しらないさ。そんな凄まじい魔波を持っているなんて驚きだけど」
パイソンさんは荒げる息と整えて剣を構え、カノンに襲い掛かった。
武器も持っている様子のないカノンはそれに対して全く警戒心を持たずに、ましてや攻撃を避けようと構える素振りもみせず突っ込んだままの手すら出さずにただ見ているのみ。
女の子も全く反応していないようだった。
な、何しているんだよ! この人達は! 避けなきゃ危ないだろ!
俺は咄嗟に立ち上がろうとするが、圧迫感に圧されて立ち上がれない。
そうこうしているうちにパイソンさんがカノンのすぐそこまで迫り剣を振り下ろした。
「……!? な、何だよ。これ」
パイソンさんの驚きの声が聞こえる。
俺でも信じられないような事が目の前で起こっていた。
パイソンさんは身を断ち切るほどの剣撃を繰り出したはずなのに、攻撃を受けたカノンは全くと言って良いほど傷を負っていない。
ましてやパイソンさんがカノンの肩に剣の刀身を添えただけにも見える。
「何や君。何度も戦いを経験してきたんやろう? それやったら言われんでも分かるはずや」
カノンは相変わらずはりついたえみをかえないまま、肩に添えられた剣に触れる。
その直後、ガラスの割れるような音が響き、顔を覆っていた残りの兜や力の開放によって出現した腕、持っていた剣が砕け散り、力の開放を行う前のパイソンさんの姿に戻された。もともと持っていた剣でさえ砕け散り、塵となって消え去る。
「得体の知れん奴に襲い掛かるんはご法度やって事にな」
「あっ……あがっ!?」
驚いたように目を見開くパイソンさんはただ口をパクパクと動かして固まっている。
だが、しばらくしてカノンから後ずさるように離れると、自分の両手を眺めて震えていた。
「ち、力が……神の力が!」
パイソンさんは絶望したような表情を浮かべてその場に立ち尽くしている。
一体……何が起こったんだ? あの人は何をしたんだ?
『な……何という事だ。あの男からはもう、神の力を欠片ほども感じない。文字通り、失われている!』
悪魔の驚愕したように震える声。
そ、そんな!? 何でだ!? ただ消滅しただけなのかと思ったけど、失っただなんて……あの人は何者なんだ?
「何をしたんだよ!」
想像のつかない事が起こって驚愕しているパイソンさんは声を荒げて問い掛けた。
だが、そんな反応を楽しむかのようにカノンはニタリと笑っているのみだった。
「説明しろよ!!」
そう叫びながらパイソンさんはカノンに掴みかかろうとする。
だが、簡単に避けられてしまい、カノンはパイソンさんの右腕にそっと触れた。
その直後、がくりと人形のように力なく右腕が垂れる。
「な!? 何だ!? 急に力が……う、動かない!?」
右手を抱え必死に動かそうと力を込めているようだが腕は垂れたまま指一本ですら動かせないようだった。
驚愕の表情は見る見るうちに恐怖に変わり、パイソンさんは後ずさり始める。
「何なんだよ……あんたは一体何なんだ!」
声を荒げて叫ぶパイソンさんに対してカノンは呆れたような溜息を吐く。
「何って……僕は、そうやなぁ。強いて言えば怠惰や」
「……はぁ? 怠惰? 何言ってんだよ! ふざけてんじゃねえぞ!」
カノンの曖昧な返答に痺れを切らしたパイソンさんは声を荒げて激昂する。
そんな姿を見てもなお余裕そうに佇むカノンは沈黙したまま手を口元に添えて人差し指を立てた。張り付くような笑みは変わっていないはずなのにどこか凍りつくような感覚に襲われる。
「そない騒がんと。何事も冷静さを失うたらあかんよ」
「ふっ……ふざけてんじゃねぇぞ!!」
何度も神経を逆なでされるような事を言われ、とうとう怒りと混乱がピークに達したのか、パイソンさんはなりふり構わずカノンに襲いかかった。
だが、パイソンさんの動きは明らかに鈍っているようで、カノンは何という事はないと言った感じで余裕で避け続けた。
「な、舐めやがって……!」
息を切らしているパイソンさんは標的をカノンから女の子に変えて襲い掛かった。
だが、女の子は気付いていないのか目を閉じたまま腕を組んで直立不動を保っていた。
女の子の首にパイソンさんが掴みかかろうとしたその時。
「何汚い手で触ろうとしてんのよ!」
「――ッ!?」
パイソンさんに向けられる冷ややかな目。
女の子が腕をパイソンさんに向けると、その腕が瞬時に解れて何本もの粘膜のようにテラテラと光る薄桃色の触手に変化した。
気色悪く蠢く触手の中心には、まるで絵に書いたような牙が生え揃った筒のような口が備わっている。
口は向かってくるパイソンさんの腕を咥え込み、そのまま何の躊躇もなく喰い千切った。
「うっ!! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
左腕を食いちぎられ痛みに悶絶するパイソンさん。
切断面から血を垂れ流し、女の子から後ずさる。
ぐちゃぐちゃと不快な音を立ててパイソンさんの腕を咀嚼するそれはゴクリと音を立てて飲み込むと、すぐに元の細い腕に戻った。
「君。僕に勝てへんかて、クミンちゃんに襲い掛かるんはあかんわ」
ク……クミン? クミンって……この前の戦いの時に街に攻めてきたクローディアがクミンの名前を出していた気がする。
確か……魔王国精鋭部隊の、王位継承権第7位とか言っていたよな? あれが、クミンなのか!?
「ゔゔゔ!! ぐゔゔゔゔゔ! ゔゔゔゔゔ!」
右腕も動かせず左腕でさえ喰い千切られたパイソンさんはとうとう目の前にいる二人に恐れをなしたのか洞窟の外を目指して駆け出した。
倒せないと悟って逃げ出したのか……でも、あの怪我ではどうにもならないんじゃ。両腕が再起不能な状態では傷薬も塗れないだろう。
「あかんわ……クミンちゃん」
「はぁ……分かったわよ」
それをまじまじと見つめるカノンはそう呟いてクミンに何かを合図する。
面倒臭そうに頭を掻きながら渋々受け入れたクミンは指をクイッと引き寄せるように動かした。
直後、逃げ惑うパイソンさんの足元から囲い込むように薄桃色の巨大な花弁が5枚盛り上がる。
それはまるでラフレシアのような構造をしているようにも思えた。
「な、何なんだよ! 離せよ! クソッ! クソッ!」
花弁の内側に足を捕られたパイソンさんは身動きが取れずにただただ暴れるのみ。
そんな暴れるパイソンさんの動きに反応するように5枚の花弁はゆっくりと閉じていった。
「溶解花の牢獄。安心しなさい。すぐに喰い殺したりはしないわ。蕩けるほど甘い香りの花弁に包まれながら、緩慢に緩慢に溶かし崩してあげる」
残虐的な笑みを浮かべてそう言い放つクミン。
完全に四方八方を花弁に包まれ、外から内部が全く確認が出来なくなってしまった。
パイソンさんの叫び声さえ聞こえなくなってしまう。
内部で何が行われているのかは想像もしたくはないが、今まさに消化が始まっているのだろう。
巨大なボール状になったその花は再び地面に潜っていった。だがそこには穴が開く事はなく、どういう原理かは知らないが地面に吸収されていったようにも感じた。
「はぁ……本当、最悪。クソ不味い! 加工品なだけあって何もかも不味いじゃないの! この落とし前、どう付けてくれるのよ!」
「しゃあないな。帰りに甘いもん買ったるわ」
「絶対よ……」
苦虫を噛み潰したように心底不快そうな表情をするクミン。カノンをギロリと睨みつけて激高している。
カノンは困ったような表情を浮かべて頭を掻き、クミンを宥めようと食べ物で釣り始めた。
……何なんだ、この二人。あのパイソンさんをあんなに余裕で倒してしまえるなんて……クミンの素性は分かったけれど、問題なのはカノンの方だ。あの掴みにくい立ち振る舞いと冷ややかな張り付くような笑み。近付いてはいけないと直感でそう警戒させてしまう。
「さて……次は君やね」
そう言って一息ついたカノンは圧倒的なまでの魔波に圧し潰されそうになっている俺の方へ目を向けた。
目が合った途端にまるで体が凍り付いたように動かなくなる。逃げ出したいのにカノンから目が離せず動けない。
ならば、せめて剣を振るおうと柄を握る手に力を籠めようとするが両手はまるで痺れたように力が入らない。
そうこうしているうちに一歩、また一歩と俺に歩み寄るカノンは俺の顔に手を伸ばしてきた。
パイソンさんの神の力を失わせたり、腕を動かなくしたり……このカノンの手は奇妙で危険だ。
だが、避けたいのに避けられない。どうすれば良いんだ!?
「安心してええよ。僕らは君まで殺すつもりはあらへんわ。ただ……」
カノンの手のひらが俺の顔のまで迫る。だが、それは触れる寸前で止まった。
「しばらく、眠っときや」
カノンがそう囁くように言った直後、異常なまでの急激な眠気に襲われ、抗えずにそのまま目を閉じてしまった。




