第41話 ニル・サージェント
「――!?」
背中に痛みを感じて、俺はその場から飛び起きた。
どうやら俺はあれからそのまま洞窟で眠っていたようで、洞窟の天井に空いた穴から差し込む光がオレンジ色でしかも夕焼けに染まる空を考えると相当眠っていたらしい。
ゴツゴツとした岩が剥き出しの地面に長時間寝転がっていたせいか、背中や腰がズキズキとして痛い。
化け物に惨たらしく殺された男達の死体は血の一滴すら残さず綺麗に消え去っていた。あの2人が何かしたのか?
そ、そういえば……ニルは!?
俺はそう思ってニルを探して辺りを見回した。
そして、洞窟の隅に横たわるニルの姿を見つけて、俺はすぐに駆け寄った。だが……。
「ニル?」
呼び掛けても返事はおろか、ピクリともしない。
俺は恐る恐るニルの体を抱きかかえてみると、やっぱりその体に熱は感じなかった。
さっき触れた時よりも体の筋肉は硬く強張り、関節も動かなくなっていた。パイソンさんから受けた攻撃の所為か、皮膚が爛れ剥き出しになった筋肉は真っ黒に煤けて焼き焦げていた。髪も熱を浴びて毛先は縮むように焦げている。
笑顔が眩しかったニルの顔も、顔の半分が焼け爛れ、片眼が潰れるほどの強い攻撃を受けていたようだ。流れ出た血が砂のようになるほど乾いていた。辛うじて残っていた片眼は空虚を見つめるかのように濁り、口許はだらしなく開いている。
それは誰が見ても生きているようには感じない。
ニルはもう……完全に事切れていた。
「そ、そんな。嘘だ! ま、まだ……まだ助かるはずだ!」
俺はそう思って、自分の腰に結び付けておいた麻袋の口を開く。だが、そこには傷薬――ケリアルは入っていなかった。
クローディア戦の時、怪我を負ったライムに使ったっきり、クエストを受けていなかったから入手する事が出来ていなかった。
ク、クソ……これじゃ、治療する事が出来ないじゃないか!
俺はふと、ばら撒かれたニルのリュックが目に入り、すぐに傷薬を探しに駆け寄った。
だが、その中にはケリアルらしき瓶は見つからず、トレジャーハンターの道具や鉱石、割れたクッキー入りの瓶に古い本など治療に仕えそうなものはない。
ど、どうすればいい……そうだ! 街に戻ればどうにかしてくれるかもしれない!
俺はそう思ってニルの体の下に手を入れ持ち上げようとしたが、ふととある考えが過った。
そうだった……今はあの装置が作動しているからニルを連れ込んだら、助かる見込みはなくなってしまう。
街に戻ればケリアルを入手できるかもしれないのに……どうすることも出来ないのか!?
俺には……何も出来ないのか!?
俺はその場に膝を付き、自分の不甲斐なさを嘆きながらニルの亡骸を抱きかかえる事しか出来なかった。
いいや……違う。
何も出来ないだなんてただの言い逃れに過ぎない。自分の無力さを表に出して責任逃れしているだけだ。
何も出来なかったんじゃない。俺は何もしてこなかったんだ。
この世界に来てから自分の無力さを知った。自分の無知さを知った。
けれど、自分の無力さを知っておきながら無知さを知っておきながら、この世界の所為にして、周りが強いからと他の誰かのせいにして自分の正当性を主張してただけだ。そうしていれば自分に能力がない事を仕方がない事だと思えるから。無知である事が当たり前だと思えるから。
そのくせ強くなりたいだの、誰かを守りたいだの自分から努力を積もうとせず流されるがままにしてきた奴がどの面下げてそんな事を言ってんだって話だ。コルトの忠告も聞かずに中途半端に首突っ込んで、中途半端な覚悟でニルと付き合って……そんな中途半端さがニルを殺したんだ。
「こんな俺が、誰かを守れる訳ないよな……」
俺はニルの亡骸を抱き寄せて嗚咽を漏らしながら泣きじゃくった。
自分の卑屈なまでの弱さを、無知である事の愚かさを省みようともせず、言うだけ言って行動に移そうともしなかった。
今更後悔したところで……もうニルは戻ってこない。
ふと、何かが点滅しているものが視界の隅にあるのを感じて、俺はその方向へ目を向けた。
どうやらそれは俺のポケットの中にあるようで、琥珀色の淡い光を放ちながら点滅を繰り返している。
俺は怪訝に思って取り出してみると、それはパイソンさんがにニルから奪い取ったペンダントだった。
「なんで……こんなものが俺のポケットの中に?」
滑らかな丸みを帯びた琥珀のような宝石に、紐を通しただけのシンプルなペンダント。その中にはアサガオの花を模った半透明のガラス細工のようなものが埋め込まれている。
どうしてだか、点滅を繰り返すその宝石を眺めていると心が安らぐような気がした。
……これはニルの物だもんな。どうして俺のポケットに入っていたのかは分からいけれど、返さなきゃいけないよな。
俺はニルの首に手を回し、後ろでゆとりを持たせて紐を軽く結ぶと宝石が胸の中心に来るように調節した。
淡い光を放つ宝石。まるで心臓の鼓動に合わせて点滅しているかのように感じる。
その直後、宝石がより一層眩い光を放ったかと思えば、その光が解れるように枝分かれし、いくつもの飴色の蔓が出現した。
それはゆっくりとニルの体を包み込み始める。決して縛り上げる様ではなく、まるで我が子を優しく抱きしめる母親のように優しく包み込んでいた。
何だ? 何が起こっているんだ?
そんな謎を物ともせず、ニルの体を足の先から頭の先まで隙間なく包み込んだ蔓。その蔓から起き上がるようにいくつもの蕾が出現した。
それは渦巻くような構造をしていて。しぼんだり膨れたりを繰り返している。
それに呼応してかどんどん蔓の輝きが強まって。
一層強い光を放った瞬間、蔓に出現したいくつもの蕾が一斉に花開いた。
それは宝石に埋め込まれていたガラス細工と同じ、アサガオのような花にも思える。
飴色の光を放つ蔓とは違ってアサガオの花は白く、蔓を埋め尽くさんばかりのアサガオの花が咲き誇っていた。それはまるで、花の棺のようにも感じた。
だが、それはすぐに花を落とし、美しい輝きを放っていた蔓も光を失って塵となって消える。真っ白な花は地面に落ちたと同時に黒ずみ、解けるように消えてなくなった。
目の前に再び現れたニルの体。それはさっきまでとはまるで変っていて。
生気がないほど真っ白だった体には血色が戻り、パイソンさんから受けた傷も綺麗さっぱり無くなっていた。
どういう訳か服ですら元に戻っているようで、微かに胸も上下しているようにも見える。
「……な、何が起こったんだ? ……い、いやいや! 今はそれどころじゃない!」
不思議な現象の一部始終を見ていた俺はその余韻に浸って動けなかったが、不可解なほどニルの変化に気づいた途端、俺はそんな余韻など吹き飛ばしてニルの体を軽く揺すってみる。さっきまで冷たかったニルの体にじんわりと熱が籠っていた。硬く強張っていた筋肉も柔らかな感触がするまでに変わっている。
ま、まさか……でも、そんな事って!
「ニル? おい、ニル!」
俺は恐る恐るニルの体を揺さぶってみる。
力無く首がガクガクと揺れた後、ニルの顔がわずかに動いた。
空虚を見つめるように濁っていた目は光を取り戻し、ニルは二、三度瞬きを繰り返して俺に目を向けた。
「……ニル?」
「……セイジ……さん? ーー!?」
呼びかけてみると、ニルはじっと俺の顔を見つけたまま消えかかりそうな声でそう呟くと、唐突に起き上がり、鞘に収められた刀を奪い取ると俺から距離を取りながら自分の首に刀を当てがった。
「な、何をーー」
「ーー来ないで下さい!!」
今にも自分の首を斬り落としそうな勢いのニルを止めに入ろうとするも、物凄い剣幕で捲し立てられ怯んでしまう。
刀を持つ手は震え、わずかに傷が付いてしまったのか血が滲み出ていた。
「……どうして、セイジさんがここにいるですか! そもそも何で生きているですか!」
目に涙を浮かべながら顔を歪めて叫ぶニル。
騙されていたとしても、俺を殺した当人の前に殺した相手が現れたら普通はそういう言葉が出てくるよな。
俺はしばらく考えた後、嘘を言っても仕方がないので正直に話すことに決めた。
「確かにな。俺はニルに殺されたから、その時は死んだと思ったさ。けど、俺の武器のおかげでなんとか死ぬことはなかったよ。一時的にマガリイノシシの姿になっていたけどな」
「……え? じゃあ、昨日の夜にトラップに引っかかったボクを助けてくれたのも……セイジさんだったんですか?」
「ああ。そういう事になるな」
驚いたように目を見開いて問いかけるニルに俺はありのままを説明すると、しばらく俺を見つめたまま固まっていたがいきなりぐっと眉を寄せて俺を睨んできた。
「何のためにボクを助けたですか!? あのパイソンさんだってボクに近づいた理由は、あの時回収し損ねたボクを回収するためだったです。あなたもどうせボクを利用する気だったでしょう!? 目的は何ですか!? 体ですか!? ボクの魔法の力ですか!? それとも、結局は魔族狩りの関係者でボクを他へ売り払おうという魂胆ですか!?」
「お、落ち着け! 俺は魔族狩りなんてそんな真似はしてないし、しようとも思わない。ニルの体や能力が目当てだったわけじゃない。そもそもニルが魔族だなんてコルトに教えて貰わなきゃ気付かなかったわけだし」
「……だったら何で助けたですか!?」
刀を首に当てがったまま涙ながらに訴えかけるニル。
理由と聞かれたところで、明確にニルを助けることができたのはニルがトラップに引っかかった時のみだ。
あの時は単純にあのまま見捨てる事が出来なかっただけで、大それた理由があるわけじゃない。
強いて言うなら……両親を失い、孤独感と悲しみに囚われているニルの心の支えになりたかった。辛い境遇にあるニルを放って置けなかった。見捨てる事が出来なかった。それだけだ。
「……俺はただニルを見捨てられなかった。放って置けなかった。辛い境遇であったり、両親を失って、孤独感や悲しみに囚われているニルの心の支えになりたかった。そんな感じだよ」
「そんなの…………詭弁じゃないですか!!」
俺の言葉を聞いて、ニルは歯を噛み締めて涙で潤んだ目でさらに俺を睨むと、震える声で叫んだ。
「ボクは……ボクはあなたを……殺したんですよ!? この武器の力があったから一命は取り留める事が出来たにしても、セイジさんに対してボクは強い殺意を持っていたです! 確実に殺すつもりであなたを手に掛けたですよ!? それなのに何でそんな事が言えるですか!? 自分を殺した相手に対して何でそんなに優しくできるですか!? 気にかける事が出来るですか!? ボクは誰かに助けてもらえるほどの、気にかけてもらえるほどの、優しくしてもらえるほどの器ではないですよ!?」
ニルは立ち上がって刀を投げ捨てると、再び啖呵を切ったように激昂しながら怒声を張り上げた。
俺の行動に、悪意のない、見返りを求めない思いに理解が出来ないと言わんばかりに、後悔と怒りと戸惑いが入り混じったような不安定な感情を爆発させる。
「ボクがこれまでどんな事をしてきたのか知っているですか!? ボクがどんな奴なのかあなたは知っているですか!? ボクがどれだけ穢れた奴なのか、あなたは知っているですか!?」
込み上がる言葉は、思いは一度口に出してしまったらもう止まらない。ニルは涙でくしゃくしゃになった顔も御構い無しに吐き捨てるように怒声を俺に浴びせ続けていた。
「ボクの脚は泥に塗れているです。ボクの村で起こった惨劇。炎に包まれたあの日に、ボクは何も出来ず、立ち向かう勇気も度胸も力もなくただただ逃げ出したです。死にゆく村の仲間の、捕えられた仲間の恐怖の篭った悲痛な叫びを聞いておきながら、ボクは泥に塗れながら背を向けて無様に逃げる事しか出来なかったです。ええ、本当に無様でしたよ。今のボクからしたら吐き気がするほどに。これだけの怒りを感じておきながら、これだけの復讐をしておきながらボクがやっている事はただの罪滅ぼし。何も生み出さない、何も得られない。ただあるのは、底の見えない穴を覗き込むような虚無感だけ……脚にこびりついた泥は死んでも落ちないというのにッ!」
自虐を交えながら卑屈な笑みを浮かべいたニルは言葉の端で悔しげに顔を歪めて唇を噛み締めた。
「ボクの瞳にはもうあの頃の光は差す事はなかったです。人間の私利私欲のために、つまらない悪感情のために蹂躙され、家族からも離されて、それなのに……家族も、居場所も、生きる意味も失うような事をされているのに、こんな場所で生きるために人間のご機嫌取りなんてしなきゃいけなくなるなんて……ボクには耐え難い苦痛でした。臭くて汚い体で、滑りを帯びた不愉快な目を向けられて、誇りも尊厳も何もかも奪われてされるがままに抱かれるのはひどく惨めでしたよ。でも、我慢するしかなかったです。生きるために、ただただ生きるためにボクは、不安と怒りで押し潰されそうな感情を必死で抑え込むしかなかったです」
ニルは震える肩を押さえるように手を添えて身を縮めると心底不愉快そうに顔を歪めて顔を伏せる。生きるために娼婦をするしかなかったニルにとって人間を相手にする事がどれだけ苦痛か、どれだけ惨めかはニルの表情を見れば一目瞭然だった。喜んでやってるわけでもない、生に縋るようにただただ生きる事を最優先に、苦汁を舐めるような思いをずっと続けてきたのだろう。
「ボクの手は数多くの人の血で染まってるです。ボクの村を襲った魔族狩りや奴隷商人、それ以外でも魔族に害なす人間は見境なく手に掛けたです。この街に来てからもどれほどの人間を殺したか……後悔も何も感じなかったです。ただあったのは湧き上がる高揚感と、治ることのない怒りだけ。あなたに話した罪悪感なんて微塵も感じなかったです。焼き殺し、切り刻み、毒殺し、仲間内で殺し合わせた事もありました。ありとあらゆる手段で何人も殺したんです。自分の命が危険に曝されれば迷いなく命乞いをする人間達を見て、笑いが止まりませんでした。同じように命乞いをするボク達魔族にあなた達がしてきた事を考えれば、そんなの聞き入れられるはずもないとわかっているだろうに……無様で愉快で滑稽でしたよ」
ニヒルな笑みを浮かべてニルは自分の犯してきた罪を洗いざらいぶち撒ける。その残虐的な笑みの奥に、どこか悲しげで、縋るように手を伸ばしているような訴えかけるような思いが感じられた。
「ボクの心は今もまだ、あの日の悪意に染まっているです。何人殺しても全く気持ちが晴れない。ボクの村は、死んでいった仲間はもう戻ってこないですから。今更何をしたって何も意味がない事は分かっているです。でも……ボクはどうしても許せない。許せるわけがない。身勝手な、押し付けるような人間の敵意のせいで何で僕らがこんな目に遭わなくちゃいけないですか!? ボクらが魔族だからですか!? 魔族だから人間に蹂躙されるのは仕方ないってそうやって割り切れっていうんですか!? ただ種族の違いがあるのみで中身はいたって普通の……同じ生き物じゃないですか! 魔族を悪魔だの何だのと罵り倒す奴らがいますが、ボクらから言わせればあなた達人間の方がよほど悪魔に見えるですよ!」
湧き上がる激情に任せて怒声を再び張り上げるニルは、すぐ傍にあった岩肌に拳を叩きつけた。赤く腫れあがる拳を気にも止めずニルは続ける。
「良いですか!? ボクはこんなやつですよ!? あの日何も出来ず無様に尻尾巻いて逃げて生き延びたくせに、罪滅ぼしとか体のいいこといって、ただ憎しみのままに怒りのままに山ほど人を殺し、生きるために身を売って白濁に塗れる、惨めで滑稽な生き方しか出来ない、矮小で無様で残忍な、心も体も何もかもが穢れた、そんな奴なんですよ!? それでもセイジさんは助けるなんて言うんですか!? 気にかけるんですか!?」
自分で自分を貶めながらも、ニルの目はやはりどこか悲しげだった。
「俺は……俺はそれでも、ニルを気にかけるし、助けたいと思っているよ」
ニルの告解を聞いてもなお、俺は自分の意思を曲げる事はなかった。
その答えを聞いたニルは込み上げる怒り露わにしながら俺に襲いかかり、強い力で胸ぐらを掴む。涙で潤んだ目を俺に向けて、強い怒りの篭った目で俺を鋭く睨んだ。
「何でですか!? 今の話を聞いてもなお、どうしてそんな答えに至れるですか!? ボクはセイジさんが分かりません……ボクに殺されておきながら、ボクの無様な過去を知っておきながらそれでもそんな答えに至れるなんて……訳がわからないですよ」
胸ぐらをつかむ力が徐々に弱まり、俺を睨むように歪んだ顔は悲痛なものに変わり始めた。大粒の涙が溢れ、それはニルの頬を伝って地面に滴り落ちる。
「俺さ……ニルがどんなに自分の事を卑下しても、俺にとってニルは勉強熱心で何に対しても負けず嫌いで、少し天然なところもあるけれど心優しい女の子にしか見えないよ」
「な……何を言ってーー」
「確かにニルは俺を殺したけれど、それはパイソンさんに利用されての事じゃないか。だったらニルも被害者じゃん? それに俺、なんだかんだこうして生きている訳だし、それにほら、文字だって教えてもらう約束もしてるじゃないか。それだけでニルを気にかける理由になるよ」
我ながら苦しい理由だとは思っている。
でも、今の俺に言える事はそれだけだ。格好のいい事は言えないし、納得させられる答えとも思っていない。ニルの心の支えになるっていう思いからはだいぶ離れたものだと思っているけれど、それでも俺はニルとの繋がりを持っておきたかった。守ると誓った責任は絶対に果たさなきゃいけないから。口先だけでない事を今、証明しないといけないから。
「そんなの……コルトさんに教えて貰えばいいじゃないですか!!」
「ダメダメ。ニルもコルトの性格知ってるだろ? 文字を教えてくれなんて相談したら、また馬鹿にされてしまう。ニルに教えて欲しいんだよ。俺は」
「でも……でも、ボクは!」
「それにさ俺、すごくちっぽけで弱いから、誰かを守れるほど強くなりたいと思っている。でも、今の俺じゃ守られる側でしかない。それはダメなんだよ。だからさニル、俺が強くなるための目標になってくれよ。俺はニルを含めて守れるような奴になりたい。だから、その目標になって欲しいんだ」
「……意味が分からないです」
「俺さ、強くなるから……自分の甘さも恥も捨てて強くなるから。体のいい話かもしれないけれどそばで見守っていて欲しいのさ。ニル達を守るためを目標として強くなれるなら、ニルがそばで見守ってくれたならきっと、頑張れると思うからさ」
我ながら途轍もなく押し付けがましい理由だと思った。
守るために強くなりたいからそばにいてくれなんて、まるでニルがいないと強くなれないみたいに捉えられてしまうかもしれない。
でも、今ここでニルを失ってしまうんじゃないかと思うと、自分の心に穴が開いたような気分になってしまう。
それだけは、どうしても耐えられない。
「ボクと関われば、そのうちきっと人間の目の敵にされるですよ?」
ニルは胸ぐらを掴む力を緩めながら顔を伏せ、震える声で確認する。
「それはコルトにも言われたよ。もうとっくに覚悟は決まってる。それは俺が強くなった上で蹴散らしてしまえばいいじゃないか」
笑いながらそう答えると、ニルは息を飲んで首を振り、
「ボクはたくさんの人を殺したですよ!? それにセイジさんまで手に掛けたです。ボクの手は……汚れているですよ?」
「それはもう気にしてないし……それに、ほら」
俺はニルの手を両手で包み込むように握る。
不安げな表情をしながら顔を上げるニルに、俺は口角を上げて笑いかけ、
「どんなに自分の手が汚れているだなんて言っても、俺はその手を離したりしない。その手を握る事を躊躇ったりしないよ」
「――ッ!? は、離してください!」
それを聞いたニルは必死に抵抗して腕を引っ込めようとする。
俺は離すまいと両手を握ったまま引っ張り、自分の方へ引き寄せた。
「まあ、要するに、だ。全部一人で背負い込む事なんてないさ。俺でも良い、コルトでも良い。ちょっとずつその重荷を分かち合いながら、前へ進もう」
俺はニルの手を握ったまま笑いかけ、「どうかな?」と肩を竦めてニルに答えを求める。
ニルはしばらく俺の顔を見つめたまま答えに戸惑っている様子だったが、その後、困ったように眉を下げて、
「ボクの抱えている重荷は、凄く重すぎるですよ? だからきっと、押し潰されちゃうと思うです」
「何言ってんのさ。俺、これでもメンタルは強い方だぞ? コルトに散々罵倒されてきたんだしな。心は鍛えられてるんだ。ちょっとやそっとじゃ折れやしないさ。それでも背負いきれなくなったらコルトにも背負わせてやればいい。多分、俺より数百倍はメンタル強いはずだから、何食わぬ顔で軽々と持ち上げてくれると思うぞ」
「なんですか、それ。そんなことしたら、きっとコルトさんは怒ると思うです」
「そこは……あれだ。もしそうなったら一緒に怒られようじゃないか。それに、心配はいらないさ。コルトだってニルを心配して助けようとしてたんだから、突き放したり追い出したりしないと思うぞ」
きっと、ニルを連れ帰ってそばにいるようにしたなんてコルトに話したら怒られるのは目に見えている。
魔族であるニルを傍に置くという事は、少なくともこの世界に刃向かう事になるのだから。
でも、そんな事に一々怯えていられない。ニルを守ると、コルトを守ると誓った以上、どんな困難があっても災難があっても俺は絶対に見捨てない。
「ほら、そんな辛そうな顔してないで笑おうよ。笑っていればいずれ幸せが舞い込んでくる。『笑う門には福来る』って言葉だってあるんだよ? でも、ニルの辛い気持ちを押し殺してまで笑う事はないさ。それじゃ自分を見失うだけだ。それは本当の意味での幸せじゃない。だからさ、ニルが本当の意味で心から笑って幸せを感じられるように、俺が、俺達がニルの居場所になる。そばにいてくれるための……代わり? みたいなものかな?」
「…………本当、変な人ですね、あなたは」
「まあ……否定はしないよ」
気恥ずかしさに頭を掻きながら苦笑いを浮かべると、ニルも釣られたように微笑んだ。
「そうでしたね。セイジさんは、枯れた農地に雨を降らせるような人でしたね。忘れてたです」
「何言ってんの。その気になれば種も植えた上で育てて、花を咲かせるくらいの事もできるさ」
冗談を交えながら自慢げに言うと、微かに声を出しながら笑うニルの目から涙がこぼれ始めた。
ポロポロと、止めどなく流れる涙を拭う事なく流し続け、それでも笑い続けている。
俺はニルの両手を包み込んだまま、ニルが泣き止むまで静かにそばに居続けた。
日も落ち、辺りにうっすらと月明かりが満ちている事も構わずずっと。
満足するまで、心が落ち着くまでずっと待ち続けた。




