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大英雄の孫

 カインが袋叩きにあっている横でブラドも窮地に陥っていた。

 服の至る所が裂け、血がしたたり落ちている。

 体重を支える杖が裂け、体力を失ったブラドは膝をつき息も弱々しい。

 ただその目だけが相対するカルカンを強く睨み付けていた。


「衰えた身体でよく頑張ったと褒めてあげたいが、その目つきは気分が悪いなブラドちゃん。さっさと負けを認めて俺に許しを請え!」


 カルカンがブラドに吠え立てる。

 既に勝敗は決した様なものだ。

 ブラドを守る炎は既に燻り、身に纏う魔力も初めとは比べものにならないほど弱々しい。

 それに比べカルカンは無傷、顔には薄ら笑いを浮かべ纏う魔力の濃度が薄くはなったもののブラドに比べればさしたる違いだ。


 本来であればブラドより背の低いカルカンがブラドを見下ろし、膝を付いたブラドがカルカンを見上げる。

 客観的に見てもカルカンに軍配が上がった様なものだ。

 それにも関わらずブラドがカルカンを見る目は戦いが始まった時と変わらず、寧ろその眼光は強くなっている。


 それがカルカンには堪らなく不快であった。

 遙かな時を生き神の如き力で全てを屈服させてきたと言うのにも関わらず、一度の失敗で封印されたと思ったら目の前の虫けらにすら劣る存在に一度負け、その上今こうしてそんな存在に睨まれている。

 自分の衰えた力、自分を前に諦めようとしないブラドの姿、そしてこんな状況に追い込んだ封印を施した存在。

 カルカンの不安定な心が軋む音を立てる。


 カルカンの顔から薄ら笑いは消え去り途端に無表情となる。

 そして右の手のひらをブラドに向け、魔力を凝縮させ始めた。

 それでもなおブラドがカルカンの見る目には恐れや懇願といった感情は浮かびはしない。

 カルカンがブラドの息を止めにかかった瞬間、カイン達がいる方向から凄まじい破裂音が鳴り響き同時にカルカン目掛けて風切り音が聞こえた。

 カルカンがブラドを仕留めるのを中断し、風切り音目掛けて魔法を放つ。直前まで迫っていた物体が破裂し、真っ赤な花を咲かせた。


 そしてブラドとカルカン、そのどちらもが目を見開く。

 そこには獣の様に顔を歪ませたカインが血脂に塗れた状態で、瞳孔の開いた両目でカルカンを見据えていた。

 無表情だったカルカンが憎々しげに顔を歪ませ、反対にブラドは懐かしいものを見る様に薄らと微笑んでいた。


「ニギ! そいつを殺せぇぇぇっ!」


 直後カルカンの怒号が仮面の男を打つ。

 同時にカインの人が出せる限度を超えた様な咆哮が森を揺らし、その場にいる者達を強かに打ち付けた。


 ニギと呼ばれた仮面の男はカルカンに言われるまでも無く直感していたのだろう、カインを殺さねばならないと。

 先ほどと変わらずカインからは魔力の気配など感じない。だがしかし、ニギはカインから理解しがたい禍々しさを感じていた。

 カルカンが吠えるよりも早くニギは自身の身体にあらん限りの魔力を注ぎ込む。


 刹那ニギが消えた。

 この場にいる者でその姿を目視出来たのはブラドとカルカン、そしてカインだけであった。

 瞬きをする一瞬よりも早くニギが数メートル離れていたカインに肉薄する。

 カインが振るう壁に避ける場所は無く、当たる直前ニギの太ももは大きく膨れ地面が爆散。瞬時に後ろに飛び、壁の様な巨剣を躱したニギは滑る様にカインに近づく。

 そして低い体勢で潜り込むと再度ニギの太股が大きく膨れあがり、同時に魔力の量も膨れあがった。


 爆発、そして飛翔。

 渾身の魔力を纏った手刀の指先が地を砕く勢いのままに、カインのがら空きとなった喉元へと吸い込まれていく。

 直後に肉と骨が砕ける音が鳴り響いた。

 魔神にさえ当たれば深手を与え得ると思い上がったニギの渾身の一撃は、カインの薄皮を切り裂き僅かな血を流すに留まった。


 ニギが何が起こったのか分からないという表情で自身の砕けて赤黒い固まりとなった右手を眺めている。

 だがこの場においてそれは命取り。気付けばニギの視界には壁の様な死が迫りつつあった。


 カインの一撃が当たる瞬間、ニギの身体が勢いよく横っ飛びして辛くも死から逃れる。

 ニギを助けたのはカルカンであった。

 ただ手加減などしておらず、カルカンの魔法が直撃した右腕の骨は砕けまるで複数の関節があるかの様に曲がりくねっている。

 その状態に至って、漸くニギは平常心を取り戻した。

 気に入らないがカルカンに感謝を感じつつ、調子に乗らずさっさとカインを殺しておけばと後悔したが既に手遅れだ。

 ニギがカインを見ると既に視線はこちらに無く、低い唸り声を上げながらカルカンを注視していた。


 ニギは砕けた腕の事も忘れ、自身の考えが甘かった事を痛感し歯を噛みしめていた。奥歯が割れ口の端から血が滴る。

 大英雄ガーラ・ビッグゲートの孫とはいえ、これほどの化け物だとニギは想像していなかった。


 全力の一撃さえ歯牙にもかからずこの有様。

 ニギは自分の情けなさに自害したくなるが、本来の目的を思い出し思いとどまる。

 そんなニギを無視してカインとカルカン、狂った獣と魔神の睨み合いは未だ続いている。

 2人とも周りのことなど見えていない、ただ目の前の敵にのみ全神経を集中させていた。


 カルカンの魔力が膨れあがり、それに呼応する様にカインの筋肉が膨れあがる。

 先に動いたのはカインの方であった。

 足下の地面がまるで堅さを失ったかの様に弾け、カインの巨体が先ほどのニギを上回る速度でカルカンへと飛んだ。

 カルカンの魔力が凝縮しそれを迎え撃つ。

 重く固い物質が高速で激突したかの様な轟音と共に、カインの身体がはじき返される。そして着地、同時に飛翔。


 高速の戦闘によってモノの数秒で辺りの地面が形を変える。

 ブラドを含め戦いに参加していない者達は、既に離れた所でそれを見ることしか出来なかった。

 

 ブラドがライラを見るが、未だ意識が戻っていない様でグッタリしている。

 対角線上にいるためブラドは歯ぎしりをしつつ、今後の作戦を練っていた。


 何度も何度も打ち付けようが平然と突っ込んでくるカインを見てカルカンは忌々しそうに舌を鳴らした。

 30年前にガーラと戦った時の事を思い出し、背中に冷たい汗を流すが魔神と呼ばれたプライドが忌々しい記憶を一掃する。


 カルカンが操るのは風。

 恐ろしい速度で突撃してくるカインを迎え撃っているのは、極限にまで圧縮した空気の壁だ。

 人間に比べて肉体的に強靱な亜人達でさえ、食らえば圧殺を逃れることの出来ない攻撃を食らいながらカインが平然としているのは、カインが持つ宝剣シンユ・ムグラムのお陰であった。


 鈍重な壁と呼ばれるこの巨剣の特徴はその巨大さだけでは無い。

 まず圧倒的な高重量、そして異常な硬度。

 現存する物質でこの巨剣を構成する鉱物に重さ、そして硬度で上回るモノは存在しない。

 そして特筆すべきは魔力の伝導率が極めて低いこと。

 よって魔法を防ぐ盾としては最適である。


 同時に他の武器の様に魔力を通して強化することが出来ず、常人からすれば非常に使い勝手の悪い代物ではあるのだが。


 とにもかくにも10年前ガーラが龍皇と戦った時でさえこの巨剣は、傷つきはすれど折れることは無かった。

 魔神・大魔王達さえ上回る、星の覇者たる龍皇の一撃を何度食らおうとも砕けなかったこの巨剣が、ブラドとの戦いで疲れているカルカンの攻撃で砕けないのは至極当然の事であった。


 だがカルカンは認めない。

 今まで敵対する存在はこの圧縮した空気で悉く葬ってきたのだ。

 勿論、風を駆使するカルカンにとってこの攻撃方法は一つの手でしか無い。

 だが単純明快なこの攻撃で敵を殺すのは彼我の実力をハッキリ認識出来、それ故気に入って遙か昔から使い続けていた。

 それにも関わらず目の前の餌以下としてしか考えていない人間を相手に、手を変えるのはカルカンにとって耐えることの出来ない恥辱であった。


 だから馬鹿の一つ覚えの様にカルカンは圧縮した空気をカインにぶつけ続ける。

 両者の間隔が徐々に近づいていっている事に気付きながらも。

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