第2話 パパ、疾る!
いって、なに? 変なの」
エントランスのエレベーターに乗り、律は四階のボタンを押した。
「あれ、律君の部屋、二階じゃ?」
「あ、つい」
慌てて二階のボタンを押すが間に合わず、エレベーターは四階まで上昇した。ここみがドアの外の通路に出る。
「じゃあ律君、また明日! 私、明日も電車だから、一緒に学校行こ?」
「あ、ああ、分かったよここみ。……また明日」
娘と同じ家に帰れないからか、律は寂しそうな顔をした。ここみは、それを違うふうに解釈したらしい。
「そ、そんな表情しないでよ……じゃあね!」
笑顔の頬に少し紅潮した色を帯びさせ、ここみは踵を返して小鳥遊家へ帰っていく。それを見送った律は、後ろ頭をポリポリ掻きながら、二階のボタンを押した。
「はあ……心底、疲れた」
激動の一日をなんとか乗り切った大吾は、慣れない汎用人型決戦兵器を操縦する某少年が如く、重い身体を引きずって帰宅した。事前に得た情報通り、インターフォンを鳴らさずに401号室の鍵を開ける。
「……ただいま」
大吾なら声を張り上げるところだが、ひとり暮らしの律には「ただいま」を言う習慣がない。おのずと、小さな声になる。当然、ここみの返事は無かった。
――とにかく、早く横になりたい……。
ガチャっと部屋の扉を開けると、コットンキャミソールを脱ぎかけているここみの姿が視界に入った。
「ちょっ! パパ、帰ってたの? ノックしてよ!」
「ご、ごごご、ごめんっ!」
大吾は小鳥遊家の間取りを確認していたのだが、あまりの疲弊のために入る部屋を間違えてしまったのだ。彼は慌ててドアを閉めようとするが……。
「キャンキャン!!」
甲高い鳴き声が、大吾の足もとから発せられた。見ると、毛玉……いや、小型犬が彼の足にまとわりついている。
「う、うわあっ! い、犬う!?」
驚いた大吾は、犬から逃れるように前方へダイブした。つまり、ここみめがけて。
「ぎゃー! なになにー!?」
服を脱ぎかけのここみに抱きつく大吾。そのふたりの足もとを「僕も仲間に入れと」とばかりにキャンキャン走り回るポメラニアン。なんというか、カオスだった。
――一分後、ここみは混乱している大吾の背中を押して、自室から追い出す。
「もう! 今日のパパ、なんかやらしーよ? ほら、小太郎、おいで!」
大吾の背後から、バタン! と扉の閉まる音が響いた。ドア越しに小太郎の鳴き声が耳に届く。大吾は、激しく動悸する胸を押さえて、小さく呟いた。
「……や、柔らか……かった……」
「なあんてことが昨日あってさ。なんかパパ、すごい疲れてたし、わざとじゃないだろうから、許したげたけど。まったく、失礼しちゃう!」
翌朝、一緒に大平駅から学校へ向かう道すがら、ここみは昨日の事件を、頬を膨らませながら律に語るのだった。
「へえ、家族のスキンシップってやつだな。ははは、微笑ましい話じゃないか」
「そんなんじゃないと思うけど……。ごめんね、朝から変な話しちゃって。律君にはついついなんでも話せちゃうみたい。ふしぎ……って、どうしたの?」
ここみが見た律は、満面の笑みを顔面にたたえていたが、なぜか目が笑っていなかった。
「スマンが、ここみ。急に職員室に用事ができた。ちょっくら先に行ってるわ」
言うが早いか、律は学校の方へ駆けていった。
「律君? 急にどうしたの? ちょっと待ってよー!」
律は、陸上の短距離選手よろしく、全力で通学路を疾る。
――神崎律! ぶちころがすっっっ!!!




