31:戦闘の終わり
新世界歴元年 1月27日
日本帝国 樺太州 奥端支庁 北浜村
マリス連邦が樺太に上陸して一週間あまり経った。
兵士たちの多くは「楽な戦いになる」と楽観視していたが、実際に彼らの前に待ち受けていたのは樺太の厳しい自然環境と、予想以上に精強だった日本軍の存在だった。
最初の数日で上陸した1個師団のうち3割が壊滅。その後は、厳しい寒さによって体調を崩す兵士が続出し、この数日で組織としてほぼ行動出来ない状況にまで追い詰められていた。それでも、多くの幹部たちは作戦は継続出来ると信じていた。
一方で、兵士たちの大半はこの時点ですでに戦意喪失状態だった。
一人、また一人と上司の指示を無視する形で日本側に投降する兵士が続出し、最終的に現時点で残っている兵力は当初の3割ほどにまで減っていた。
マリス連邦陸軍 第2師団 前線司令部
「残存戦力は2割を切りました……」
「……そうか」
副官の報告に指揮官のレオスは絶句したように項垂れる。
師団は壊滅といっていいほどの被害を受けていた。このまま作戦を継続するのは不可能だと誰もがわかるほどに。
無事な連隊はほぼなく、すでに2つの連隊は全滅していた。
弾薬に関してはすでに底をついており、食料に関しても数日ですべてを使い切る状況だ。
マリス軍は未だに北浜の演習場を抜けることは出来ていない。
あまりの寒さに体調不良を訴える兵士も増加しており、普通に考えればこれ以上戦える余力はなくなっていた。
「降伏以外に選択肢はないな」
「し、しかし。本国から増援部隊がやってくるかもしれません」
「今すぐ来るのかね?」
「そ、それは……」
レオスの静かな問いかけに発言した副官は視線を逸らす。
本国からは「増援部隊の準備をする」という情報しか届いていない。
しかし、本国に駐屯している部隊は軍全体の2割ほどしかなく、主力部隊の大半は未だに所在がわかっていない植民地に駐屯していた。海軍は壊滅した第2機動艦隊以外に3個の主力艦隊が残っているとはいえ、第2機動艦隊が対艦ミサイルの飽和攻撃によって壊滅したことを考えれば、第1機動艦隊がやってきても無事である可能性は低いだろう。
しばし、テント内は沈黙に包まれた。
だが、その静寂はすぐに打ち破られることになる。
「た、大変です!て、敵の大軍が接近しています!」
一人の若い兵士が息を切らせながら駆け込んできてそういった。
「……全軍に伝えよ。我が軍は投降する。これ以後、一切の戦闘行為を禁ずる」
この日。樺太に侵攻したマリス連邦軍のすべての部隊が降伏した。
今回の、軍事作戦でマリス連邦は戦闘と寒さなどから半数の兵士が死亡。多くの負傷者を出すことになった。一方の日本側も数十人の死者と数百名の負傷者を出したが町などに大きな被害はなかった。
しかし、樺太での戦闘が終わっただけで戦争そのものはまだ終わってはいなかった。
新世界歴元年 1月27日
日本帝国 東京市 千代田区
総理官邸 記者会見場
「――本日午前6時頃。最後の部隊が降伏したことで、樺太内で起きていた一連の戦闘は終結しました」
総理官邸の記者会見場では菅沼官房長官による定例記者会見が行われていた。官房長官は冒頭で、北樺太で起きていた戦闘は抵抗していたすべての部隊が投降したことにより終結した、と伝えると、出席していた記者たちからどよめきのような声が上がった。
もっとも、これで樺太を巡る一連の紛争が終わったわけではない。
未だに、日本政府はマリス連邦と接触は出来ていない。
近隣にある他の異世界の国はガトレア王国があるが、マリス連邦はガトレア王国とも異なる世界から転移してきたようで、ガトレア王国はマリス連邦という国のことを知らなかった。
そのため、直接外交官をマリス連邦へ向かわせることで交渉の席に引きずり出す以外に日本がとれる手段はなかった。一方で、今回は一方的な軍事侵攻にあたるため報復攻撃の準備も政府内では進められていた。
報復攻撃といっても、軍事施設に限定したもので目標の選定にはつい先日打ち上げられたばかりの偵察衛星によって行う予定だ。潜水艦の運用は現時点でも認められていないため、巡航ミサイル潜水艦による攻撃は行えず水上艦あるいは空軍の爆撃機によるものを検討しているが、目標選定などに時間を要するため本格的な報復攻撃が実施されるのは早くても1週間後の予定だ。
「報復攻撃を検討しているということですが、なぜ報復前提の行動になっているのでしょうか?そもそも、本当に樺太は攻撃を受けたのでしょうか?政府が意図的に情報を捻じ曲げて世論を誘導しているように思えるのですが」
一人の女性記者がそんな質問をぶつけた。
彼女は、先日の総理会見の際にも感情的とも捉えられる質問をして物議を醸した人物なのだが、今回の官房長官会見にも参加していた。
彼女は記者の間でもかなりの有名人だ。もちろん悪い部分である。
この女性記者は、業界第三位の極洋新聞に所属している記者だ。
極洋新聞の紙面はリベラル寄りであることで知られており、政権に対して批判的な論調の記事を書くことも多い。その中でも特に厳しい論調で政府批判の記事を書いているのが彼女だった。数年前からは総理会見や定例の官房長官の会見の場にも姿を見せており、感情的とも言える質問をぶつけることを繰り返しており、同業者からは「ジャーナリストとは思えない」という批判の声が出てくるほどだった。
インターネット上でも彼女のことはかなり知られており、彼女の感情的な質問はしばしば切り抜かれネット上に拡散されていたほどだ。一方で彼女の行動を称賛する声も少なからずあった。
「樺太での戦闘映像はすでに公開済みですし、約6000人が樺太の捕虜収容所に収容されています。逆に尋ねますが、これだけの規模の兵士がいて『外交交渉のために来ました』と言われて誰が信じますか?彼らは間違いなく我が国の領土に不法に上陸し、軍事行動を行った――どこの国でも『戦争を仕掛けられた』と感じるでしょうね」
菅沼は淡々と答えながら質問を行った女性記者に冷めた視線を向ける。
「その映像自体が政府が加工したものではないのですか?奥端支庁からメディアを締め出したのも政府にとって都合が悪いことを報じられないようにしたのではありませんか?」
「なぜそのように思われているのかはわかりませんが、もちろんそう仰る根拠や証拠があるのですね?」
「それを用意するのが政府の仕事です!」
「……これ以上は記者会見を妨害していると見なします。この場所は貴女の意見を押し通す場所ではありませんので」
「政府がジャーナリストに圧力をかけるのですねっ!?」
他の記者たちは総じてうんざりした表情を浮かべる。
話が噛み合っていない――というよりも、女性記者が意図的に曲解しているような問答が続くのだ。ただ、それも長くは続かなかった。
菅沼が官邸職員に視線を送ると、すぐに女性記者のところに二人の警備員がやってきたからだ。
「これは報道の自由の侵害ですよ!」だとか「これはセクハラです!」などと女性記者は抵抗するが結局そのまま警備員によって会見場から退出させられた。
「まるで活動家みたいだな」
「まるでではなく、活動家そのものでしょ。流石に今回の件で彼女のことを擁護する人は少ないでしょうね」
「いや、案外称賛する声が出てくるかもな。彼女はそちら方面では『英雄』のような存在だからな」
「政府にとにかく噛みついてくれますからね。確かに『英雄』だ……」
「アレと同業者に見られるのは個人的には嫌なんだがね」
「同感です。アレのおかげで一部の議員は一切話しをしてくれなくなりましたからね」
喚きながら会場を退出させられた女性記者に冷めた視線を向ける記者たち。
彼女と同類と思われるのは彼らとしても嫌なのだ。もっとも、中には彼女の行動を「勇気のあるもの」と称賛する記者もいるのだが。
ともかく、件の女性記者が退出してからの記者会見は概ね落ち着いた雰囲気で続く。記者の中にはやはり軍事作戦に対して懸念を持っている者もいたが、女性記者のように感情的になって声を荒げることはしなかったことから、菅沼も淡々と現在の状況を伝え、言い争いが起きるという展開もなく今日の定例会見は終わったのだった。




