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新世界は楽園なのか?  作者: 小野寺
第1章

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33/92

32:長老たちの会談

 新世界歴元年 1月29日

 日本帝国 東京市 千代田区

 保守党本部



 国会議事堂などがある日本の政治中枢の一つ「永田町」

 ここには、国会以外に各国政政党の本部も立ち並んでいた。

 国会議事堂から徒歩で10分ほどのところに「保守党」の本部がある。

 保守党は、日本で最も古くから存在する政党の一つで、その名の通り保守政党だ。結党は1862年。ちょうど、帝国議会が設置され最初の選挙が実施された時に保守思想をもった議員たちが集まって作られたのが「保守党」であった。以後、他の保守政党などとの合併などを繰り返しながら今に至るまで名を変えることもなく続いていた。


 保守党は現在も含めて非常に長い期間「政権与党」の地位にあった。

 1930年代から1980年代までは同じく保守系の「民政党」との間で交互に政権交代を繰り返す「保守二大政党制」が続き、1980年代以後は民政党に変わって勢力を拡大してきたリベラルの「進歩党」との二大政党体制が今日まで続いている。

 保守党が最後に下野したのは15年前。ただ、その2年後の選挙で与党に返り咲いてから12年間は一度も下野していない。そして、その間の10年間は一人の政治家が首相として辣腕をふるっていた。



 その政治家の名は、岸辺晴彦。

 下野後に保守党総裁に就任し。その2年後の選挙では自滅して支持を失った進歩党を尻目に手堅く組織票などを取りまとめて政権復帰――そのまま内閣総理大臣となった。ただ、当初の世間の評価は「下野後に総裁の椅子を押し付けられた人」という印象のほうが強かった。

 まさか、そこから10年もの長期政権を率いるとはおそらく与党内でも殆ど居なかっただろう。だが、与党の中でも幹部クラスの政治家は岸辺の能力を当初から評価していたようだ。


 岸辺は3代続く政治家一家に生まれた。俗に言う世襲議員の一人だ。

 世襲議員というのは近年は色々と風当たりが強くなっているが、やはり幼少期から政治の現場を見てきたこと。父や母親から支持母体ともいえる地盤を引き継げるというのは政治の世界では大きいようで、現在でも多くの世襲議員が国会にいる。

 現首相の安川も4代続く政治家一家の出身であるし、野党幹部にも親から地盤を受け継いだ世襲議員は多く居る。


 さて、岸辺は30代の頃に父親の秘書となった。父親は外務大臣や官房長官などの要職につき、将来の総裁候補とまで言われていたが残念ながら持病が悪化したことにより引退。岸辺は33歳のときに父から地盤を引き継ぐ形で衆院議員となる。

 その後は、順調に議員としてのキャリアをこなしていき、最初に内務政務官。ついで国防副大臣などを務めた後。環境大臣で最初の閣僚ポストを経験し、44歳の時には官房副長官。3年後には官房長官を務めるに至った。

 ただ、それでも「将来の総裁候補」として名前が上がることはなく、当人も総裁選挙に出馬することはなかった。

 政治資金問題などで保守党が下野した2010年。

 当時の総裁が任期途中で辞任して行われることになった総裁選挙に岸辺は自身が率いる派閥の議員たちからの要請を聞く形で立候補を決意する。下野した直後ということで誰も火中の栗を拾いたくなかったのか、立候補したのは3人だけだった。一応は決選投票までいったものの終始盛り上がることなく岸辺が次期総裁となった。

 岸辺がまず行ったのは党執行部の大幅な刷新だ。能力が高いと評判の若手議員を積極的に党の要職に据えた。現首相である安川もそれによって国会対策部門の副委員長に就任したし、ナンバー2といえる幹事長も中堅議員が指名されていた。

 これには、ベテラン議員などから反発もあったのだが岸辺は一切それらの声を取り合わず「国民の支持を失って下野したのだ。執行部から作り直さないと国民からは見向きもされない」と返したという。

 さらに、かつて政権を争っていたライバルであり現在は協力関係にあった民政党以外に。2011年の選挙から国政に進出していた新興政党の改進党とも政策面で協力していくことに合意するなど、総裁になってから岸辺は精力的に党の改革に奔走した。


 そして2年後。この時、保守党に変わって与党となっていた進歩党は下野前の保守党以上に深刻な状態だった。代表は1年毎にかわり。そのたびに内部対立が激化する。更に、連立を組んでいた政党が次々と「ついていけない」として離脱を宣言するなど、2年あまりで政権を維持できなくなっていたのだ。

 少数与党では出来ることも限られ、政権支持率も大幅に落ち込み。さらに野党からの解散圧力が強まったことで当時の首相は解散を決意した。

 そして、行われた選挙は。序盤から野党である保守党・民政党・改進党が優位だと伝えられていた。実際、3週間後の投票日にはこれらの3党が衆議院の7割の議席を占める圧勝だったのだ。

 もっとも、この結果に岸辺はさして喜んでいなかった。

 これは、進歩党の失策によって得た議席だと知っていたからだ。

 実際、政党支持率では無党派層が全体の6割近くを占めており当時の世論が政党そのものに期待を持っていないことがわかるデータとなっている。


 選挙後に国会で行われた首班指名選挙において、岸辺は保守党・民政党・改進党の統一候補として擁立され、それ以外の政党に所属する議員たちの支持も受ける形で第110代の内閣総理大臣となった。

 そして、これが10年という長期政権の始まりともなった。




「岸辺さんが総裁をやめて2年たつんだな。時の流れは早いもんだ」


 しみじみと、呟くの保守党幹事長の大林治郎。

 そんな、大林の前には白髪混じりの男が苦笑いを浮かべている。

 この男こそ、前首相の岸辺晴彦だ。年齢は今年で64歳になるが、見た目は実年齢よりも老け込んでいた。それだけ、10年に及ぶ首相職というのが激務だったのだろう。


「本当なら。このまま政治家も引退するつもりだったんだがね……」

「後援会に泣きつかれたんだったか?それに派閥のこともあるからな」

「出来るなら安川くんに家の派閥を任せたいくらいなんだけどね……あの派閥は元々安川さんのものなんだから」


 岸辺が率いる派閥は、党内最大勢力だ。

 そして、元々この派閥は安川の祖父が作り上げた派閥だった。しかし、安川自身が岸辺の派閥に属したことはなかった。

 派閥の外で政治の勉強をしたい――というのが安川の語った所属しない理由であり、岸辺もまたそんな彼の意思を尊重している。ただ、派閥内にはそんな安川の態度に否定的な者たちもいた。


「まあ、それよりも。岸辺さんはどう見る?今の世界を」


 大林は本題とばかりに岸辺にそう問いかける。


「難しい質問だねぇ……少なくとも世界戦争とまでは行かないにしてもそれに近い状態にはなるんじゃないかな。中央アメリカにヨーロッパ……それに多分ユーラシア近辺も動きは出ているだろうからね。もちろん、悪い意味でね」

「だろうな。そして、家も面倒な戦争に巻き込まれている」

「樺太の件は本当に迅速な判断をしたと思うよ。少しでも遅れていたら攻め込まれている中で避難誘導をする羽目になった。それじゃあ、軍は落ち着いて敵に対処することは出来ないだろうからね」

「なんとか、樺太での戦闘は終わったが。問題はこの先をどうするか……だ」

「政府は報復の方向で進んでいるんだったね」

「ああ、大半の政党はそれを容認する方向で意見を一致させている」

「妥当だね。相手は宣戦布告もなしに突如として侵攻してきた。侵攻の理由も『新たな植民地を得るため』だったかな?ウチの国とすればそんな理由で攻め込まれたんだ。多少の報復くらいしないと世論は納得しないだろうからね」


 そう言ってあくどい笑みを浮かべる両者。


「しかし、今後増えそうだな。こういった問題は」

「だろうね。しかも厄介なことにこれから対峙していく国はほぼ全て関係を一から作らないといけない異世界の国ばかりになる。今回の樺太のように宣戦布告なしに攻め込んでくるケースも出てくるだろうね」

「平和的に接触出来ている国もあるんだがなぁ……」


 実はガトレア王国以外に、数カ国ほど平和的に接触できた異世界の国があった。いずれの国も太平洋上に浮かぶ島国で現在は外交関係を結ぶための交渉が行われており、2月中に正式に国交が結ばれる予定だ。


「そういえば、例の女性記者。法的措置をとることを検討しているらしい」

「例の記者?」


 一体何のことだ、と首をかしげる岸辺。


「ほら、岸辺さんに噛みついてた極洋新聞の女性記者がいただろう?」

「ああ……彼女か。そういえば、この前の官房長官会見で退出させられていたね。それかな?」

「そう、それだ。一連の対応は『報道の自由を侵害』していると言っているようだな」

「『報道の自由』ねぇ……」


 呆れたように呟く岸辺。

 総理時代はよく「報道の自由の侵害をしている」などと記者から言われていた。大抵、彼らが反応するのは政治家のスキャンダルであったり、ソ連や北中国に関連するものが多かった。

 実際のところ、帝国政府は報道に関して全く手を出していない。

 そもそも、手を出していたら今のようにメディアは行動出来ないだろうし、司法にも手を回しているはずだ。自由に発言が出来ている時点で「報道の自由の侵害」やら「表現の自由の侵害」など起きていないことを証明しているということに、彼らは気づいていないのだろうか――とは、よく思ったものだ。

 まあ、理解しているからこそ好き放題言っているのだろうが。



 なお、この裁判であるが件の女性記者の訴えは「報道の自由を侵害したものではない」として棄却されている。彼女やその支持者たちは「司法まで政府の言いなりに!」などと反抗し、最終的に最高裁まで争うことになるのだが最高裁でも結果は変わらなかった。

 また、世間はこの裁判の行方を特に気にもしておらず、メディアにおいての扱いも非常に小さいものだったことも付け加えておこう。


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