第9話「情報戦と演習妨害事件」
――前編(ノイズの中に、本音が滲む)
「これ……見た?」
放課後、艦隊部の部室。
澪が無言でタブレットを差し出した。
画面には、SNSの投稿と添付された画像──**“某演習ログ比較”**と題されたスプレッドシート。
「このログって、あたしらの演習結果じゃん……! どうして外部に……」
真白が目を見開く。
画面の下部には、こう記されていた。
「“Silent Order”と“フレイア”の戦術が95%一致。これはもはや偶然とは言えないのでは?」
智陽は一瞬、呼吸を止めた。
(やばい……!)
だが、すぐに平静を装う。
「いや、たまたま似てただけじゃね? 演習パターンも限られてるし」
「でも、ここ見て。艦隊の配置順まで一致してる。これ、普通じゃない」
澪の視線がまっすぐに、智陽を貫いてくる。
(もう、ごまかせないかもしれない)
――その視線を、別の角度から見ていた少女がいた。
光理は、窓際でタブレットを閉じた。
(さすが、委員長。……でも、まだ決定打にはならないでしょ)
彼女のAIは、過去の演習ログからフレイアの動きを模倣するAI擬態艦隊を生成し、それをSNSにリークした。
全ては、“誰が誰を信じるのか”を見極めるため。
そしてもうひとつ――あの人が、自分の言葉で何かを告げるまでの時間稼ぎ。
(全部バラすなんて、誰も幸せにならない。だから……)
「光理?」
呼ばれて振り返ると、そこに澪がいた。
「このログ、どこから出たか、分かる?」
「……いえ、でも。ハッキングか、誰かが部内から流したのかも」
「そうよね……ありがとう。ちょっと調べてみる」
光理は、にこりと笑う。
(そう、私は“ただの後輩”。でも誰より知ってる、“あの人”の航路)
その夜、智陽は屋上にいた。
スマホ画面を見つめる彼の指が止まる。
通知欄に、見覚えのないアカウント名が並んでいた。
【匿名送信:比較ログ(AI生成)】
【匿名送信:演習戦記録(編集済)】
「……やられた」
だが、それ以上に胸を締めつけたのは、あの95%という数字だった。
まるで、自分の存在そのものが“機械的に暴かれた”ようで。
智陽は目を閉じた。
(いつか言わなきゃって思ってた。でも、タイミングを誤ったら、全部壊れる)
耳に残るのは、夏祭りの夜、澪の言葉。
「もう一歩だけで届く距離って、すごく苦しいのよ」
(……でも、もう苦しいのは俺だけじゃないんだな)
背後で、誰かの足音。
振り返ると、葵がいた。
無言で近づいてくる。
何も言わずに、智陽の隣に腰を下ろす。
「……見た?」
「うん」
「何か言いたいこと、ある?」
「……ない」
彼女はスマホの画面を見せる。
そこには、フレイアの演習ログと、Silent Orderの過去の戦闘履歴を並べた分析図。
「この重なり方、“偶然”って言いきれる?」
「……言えないかもな」
「じゃあ、どうする?」
「それでも、俺はまだ言えない」
「……なら、私は待つ」
そう言って、葵は立ち上がった。
その背中は、何も責めていない。
ただ、ただ、“知っていて沈黙を選ぶ者”の佇まいだった。
智陽は空を見上げた。
(もう、誰かが俺を見つけてる)
(なら、逃げるだけじゃだめだ)
画面に映るフレイアのAIが、静かに点滅していた。
――後編(擬態と確信、呼びかけ寸前)
【演習宙域:戦術再現シミュレート戦・第3ラウンド】
「さっきの“擬態艦隊”……動きが、完全に私のフレイアと一致してた」
智陽はタブレットを握りながら、唇を噛んだ。
自分の動きが、ログとしてAIに学習されていた。
フレイアの艦隊。Silent Orderの演習ログ。
そして今、それらを擬態した存在が目の前にある。
《ユリシス:あなたの“呼吸”を真似しているだけ。でも……中身までは、似せられない》
「……っ」
光理のAI。
それが“あえて似せてきた”ことに、智陽は気づいた。
一方、澪も画面を注視していた。
セリフ、動き、時間差。
(これは……偶然の一致じゃない)
(まるで“彼”の癖が、そのまま反映されてる)
彼女の中で、ひとつの名前が繰り返される。
Silent Order。
そして――天野智陽。
「なら、見せて。あなたが本物なら、きっとこの局面で“次の一手”を……」
《フレイア:援護ルートを放棄。右舷突破、陽動に切り替え》
《Rizel:……やっぱり、そう来るのね》
澪は静かに、目を伏せた。
(この読み……この癖。この一瞬で、ルートを逆算してくる指揮)
(あなたしかいない。やっぱり……!)
【演習後、艦隊部室】
「この“擬態演習”、誰が仕掛けたのか。調べた方がいいと思う」
澪の声は穏やかだったが、どこかに鋭さがあった。
智陽は、言葉に詰まる。
「それは……たぶん、俺の過去ログが外部に出たせいかも。演習時のミスで」
「ミスで95%一致するログが出るなんて、奇跡よ」
「……そうだな。でも、それでも俺は“Silent Order”じゃない」
その瞬間。
澪が、一歩、距離を詰める。
「じゃあ、訊くけど。あなた……“フレイア”には、どんな思い入れがあるの?」
「……それは」
「“君”って、AIに話しかけるような人は、そうそういないわ。まるで、本当に相棒みたいに」
智陽の心が、わずかに揺れる。
(……それ、俺が最初にゲームで“救われた”理由だ)
が、そのとき。
「澪先輩!」
光理が部室に入ってくる。
「ごめんなさい。たぶん、今回の“擬態艦隊事件”……私の仕業です」
澪と智陽が同時に振り返る。
「どういうこと?」
「演習ログの改竄、AIの学習設定……全部、私がやりました。
でも、それ以上の意味はないです。ただ……興味があって、ちょっと実験的に」
「……嘘ね。本当は、誰かを守るためでしょ?」
光理はふと笑った。
「それもありますけど……本当は、私が“知ってる”ことを知っててほしかっただけかも」
「知ってる、って……」
「正体とか、癖とか、指揮パターンとか。そういう全部。……あの人が誰かなんて、ずっと前から分かってます」
沈黙が落ちた。
智陽は、何も言わなかった。
否定も、肯定も。
(光理……お前、俺のために)
「でも、安心してください。私は“誰にも言わない”って決めてます。
だって、あなたが“自分で言える”タイミングが来るのを、待ちたいんです」
智陽は小さく頷いた。
その姿を、澪は見ていた。
(ああ、やっぱり……)
(その“目”、嘘をついてる目じゃない)
帰り道。
葵と智陽は、無言で並んで歩いていた。
「……セレスの動き、最近変わってる」
葵がぽつりと言った。
「今までと違って、“人の癖”みたいな動きをする。
指揮というより、心のタイミングを読んでるみたいな」
「……そんなAIがいたら、怖いな」
「でも、いるよ。フレイアも、そうだった。……まるで、心で指揮してるみたいな動き」
智陽の足が止まる。
葵は、振り返らない。
「私は、別に暴いたりしない。でも……知ってる。
あなたが、誰より“仲間”を信じてるってこと」
「……ありがとう」
「うん。でも、そろそろ言わなきゃだめ。
“誰か”じゃなくて、“あの子”に」
葵の視線の先には、校門で立ち止まる澪の姿があった。